第123話 フロストの不調と技術都市
冬の冷たさを残しながらも、どこか柔らかな風が吹き始めた初春の朝。日課となっている餌やりを終え、悠真が納屋の掃除を始めようとした時だった。牧場の奥から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「ウキキ!ウキィィィ!」
普段はおとなしいユキの声が、何かに焦っているかのように高く響く。
「ユキ?どうしたんだ?」
声のする方へ急いで向かうと、そこではユキがフロストの周りを興奮気味に飛び跳ねながら騒いでいた。フロストも何かがおかしいのか、ユキに付いていこうとしているが、その動きはどこかぎこちなく、時折足取りが滞っているように見える。
「フロスト、ユキ、何があったんだ?」
悠真が近づくと、ユキは「ウキィ」と鳴きながら、何かを差し出してきた。それは小さな金属の歯車だった。
「歯車……もしかしてフロストの部品か?」
悠真は差し出された歯車を手に取り、よく見てみた。それはフロストの内部機構の一部だったが、何かにぶつけたのか、一部が欠けていた。
「どこかでぶつけてしまったのか、フロスト」
フロストは「ワン…」と力なく鳴き、耳を垂れた。
悠真は困ったように頭をかく。フロストは精密な技術の結晶だ。素人が扱えるような単純な機械ではない。
「どうしたものか……」
悠真がフロストの体を優しく撫でながら考えていると、リーフィアが朝の収穫を終え、バスケットを持って近づいてきた。
「ユキが騒いでいたようですけど、何かあったんですか?」
「ああ、フロストの歯車の一部が外れて欠けてしまったみたいなんだ」
リーフィアは悠真が差し出した歯車を見つめ、少し考え込む表情を見せた。
「これは……難しそうですね。アスターリーズの街の鍛冶屋では修理できないでしょうか?」
「いや……たぶんだけど、あの街ではクロノドッグも見たことないし、難しいんじゃないかな。あの行商人も、海の向こうの国で作られたものだって言ってたし」
「そうなると……海の向こうに?」
「そうだな、行ってみるしかないかもしれない」
悠真は決意を固め、牧場の仲間たちに事情を説明することにした。
――――――
「そういうわけで、しばらく留守にする。牧場のことを頼めるか?」
昼食を終えたリーフィアとリオンに状況を説明する悠真。リーフィアは落ち着いた表情で頷き、リオンは少し興奮気味に質問を投げかけた。
「海の向こうなんて、すごく遠いんですよね?どのくらいかかるんですか?」
「ウィンドに乗っていけば、一日もあれば着くと思う。そこから街を見つけるのが大変そうだけどな」
「分かりました。牧場のことは僕たちに任せてください!」
リオンが胸を張る姿に、悠真は安心したように微笑んだ。
「悠真さん、無理はなさらないでくださいね」
リーフィアの優しい言葉に頷き、悠真は準備を始めた。
夕暮れ前、ウィンドの背に必要最低限の荷物を括り付け、フロストとユキも乗せる準備が整った。
「それじゃあ、行ってくる」
悠真が声をかけると、牧場の動物たちが見送るように鳴き声を上げたり、手を振ったりした。
「いってらっしゃい!お気をつけて!」
リオンの元気な見送りの声を背に、ウィンドは大きく羽ばたき、牧場を離れていった。
――――――
海を越え、日が沈み始める頃、悠真たちは未知の大陸に到着した。辺りは広大な草原が広がり、風が穏やかに吹いている。
「今日はここで休もう。ウィンドも疲れているだろう」
ウィンドの背から降り、悠真は野営の準備を始めようとした。しかし、ふと思いついて足を止めた。
「そういえば……ここでゲートを開いて異空間に入ったらどうなるんだろう?そもそも開けるのか?」
試しに手を伸ばし、いつものようにゲートを開こうとする。すると、空気がゆらめき、光の輪が形成され始めた。
「おお、開いた」
興味深げにゲートの向こう側を覗き込む悠真。ゲートを抜けると、そこは見慣れた牧場の光景ではなく、広大な何もない草原が広がっていた。
「やっぱり場所が変わると、異空間も違うところに繋がるのか」
悠真が草原を見回していると、その近くに光が集まり、人の形を成した。
「マスター、こんな場所にどうされたのですか?」
「リベル!会えて良かった。実は……」
悠真はフロストの修理のために海を越えてきたこと、偶然ここでゲートを開いてみたことを説明した。
「ここから一度牧場に戻って、また同じ場所に戻ってこられるかな?」
リベルは少し考え込む表情を見せた。
「このゲートを開いたままであれば可能ですが、ゲートは約一時間で自然に消えてしまいます。そして、一度消えたゲートを同じ場所に開くことは……異空間の仕組みが複雑なため、保証できません」
「そうなのか……」
悠真はリベルの説明を聞いて、そこまで楽はできないかと考え――あることに気づいてリベルに質問した。
「なぁ、もしこのままゲートが閉じてしまうと、俺の牧場があるところにゲートを開くこともできなくなるのか?」
「いえ、そこはご安心ください。マスターの牧場は、この異空間の牧場との繋がりの起点になっているので、そこにだけはいつでも戻ることができます」
「そうか、それなら安心だな」
悠真はほっとした表情を浮かべる。牧場に戻ってゆっくり休みたい気持ちもあったが、今はフロストの修理が最優先だ。
「ありがとう、リベル。それじゃあ、元の場所に戻るよ」
リベルに別れを告げ、悠真はゲートを抜けて元の世界に戻った。ユキとフロストは不思議そうな表情で悠真を見つめている。
「大丈夫、牧場にはいつでも戻れるみたいだ」
二匹に声をかけ、悠真は改めて野営の準備を始めた。
――――――
翌朝、再びウィンドの背に乗り、空から地形を確認しながら進む。やがて、地平線の彼方に都市らしき建物群が見えてきた。
(あれが行商人の言っていた街だろうか……?)
少し離れた場所で着陸し、ウィンドとユキを連れて街の入り口に向かう。街の門に近づくと、周囲の人々がざわめき始めた。
「な、何だあの馬は……?」
「翼が生えてるぞ。まさか飛べるのか?」
「あんな白い毛皮のサルも見たことがないわ!」
人々の視線を集めながら、悠真たちは街の前まで到着した。街の門番が少し緊張した声をかけてくる。
「随分と珍しい者達を連れているな……それで、来街の目的は?」
「この子を修理できる技術者を探しにきたんです」
悠真はフロストを抱き上げて見せた。門番は興味深そうにフロストを見つめ、すぐに表情を明るくした。
「クロノドッグか。なるほど、それなら納得だ。ここサイエンティアは技術都市と呼ばれるほどの街だからな」
「それは良かった。この街は初めてなのですが、お勧めの職人がいれば教えて頂けませんか?」
「お勧めか……それなら、大通りを東に進んだ『ギアマスター』だな。変わり者の店主だが、腕は確かだ」
悠真は門番に礼を言うと、街の中へと足を踏み入れた。
街の様子は悠真の予想以上だった。空から見た時にも感じたが、建物の形状は幾何学的で無駄がなく、ところどころに歯車や管が露出した機械仕掛けの装飾が施されている。通りには自動で動く水車や、魔法の光で照らされた街灯が並び、人々も洗練された装いをしていた。
「すごい……雰囲気は違うけど、少し元の世界を思い出すな」
悠真がつぶやくと、ユキは興味津々で周囲を見回し、時折「ウキ」と声を上げていた。
案内された『ギアマスター』に辿り着くと、店の前には大きな歯車の看板が掲げられていた。店内に足を踏み入れると、様々な機械や道具が所狭しと並べられ、奥からがちゃがちゃと金属音が響いてくる。
「ん?……客か。何の用だ?」
鋭い声と共に、白髪まじりの髭を蓄えた中年の男性が現れた。眼鏡の奥の目は鋭く、全体的に不機嫌そうな印象だ。
「すみません、クロノドッグの修理をお願いしたくて」
「クロノドッグ?珍しいな、見せてみろ」
不機嫌そうな店主に恐る恐るフロストを差し出す。すると男の態度が一変した。
「ほぉ……!こいつは中々精巧だな!」
店主はフロストの体を丁寧に撫で、あちこちを確認し始めた。
「それで?故障個所はどこだ?」
「この歯車が欠けていて…」
悠真が取り出した歯車を見せると、店主はそれとフロストを見比べて納得した様子を見せた。
「なるほどな。それじゃこいつは預かるぞ。完璧に直してやろう!」
急に機嫌がよくなった店主に、悠真はほっとした表情を浮かべる。
「ありがとうございます。いつ頃終わりそうですか?」
「ふむ……そうだな、明日の昼頃には終わるだろう。それまで、この街でも見て回っててくれ」
悠真は頷いてフロストを店主に預け、ユキとウィンドと共に街の探索に出ることにした。
――――――
「すごいな、この街は」
悠真は驚嘆の声を上げながら、通りを歩いていた。自動で開閉する扉、魔法の力を変換して動く乗り物、光の筆で描かれた看板など、どれも斬新で魅力的だった。
「リーフィアたちにも見せてやりたいな」
そう言って、悠真は魔像結晶を取り出し、あちこちの景色を撮影し始めた。ユキも興味津々で様々なものに触れようとするが、悠真がしっかり見守っている。
立ち寄った店では、珍しい機械仕掛けのおもちゃや、魔法の力で輝く装飾品など、牧場の仲間たちへのお土産をいくつか購入した。
夕暮れが近づくと悠真は宿を取って、その日は早めに休むことにした。
――――――
翌日、約束通り『ギアマスター』を訪れると、店主は嬉しそうに作業台から立ち上がった。
「おう、来たか!修理は終わってるぞ!」
フロストは作業台の上で、まだ動いていなかった。
「久しぶりに楽しい仕事だったぜ。こんな繊細な作りの子は珍しい」
店主がフロストを優しく持ち上げ、悠真に渡す。
「ありがとうございます。いくらでしょうか?」
「20金貨だ。ちっと高いかもしれんが、特別な材料が必要だったからな」
悠真は財布から金貨を取り出し、店主に渡した。
「毎度あり。今は魔力切れで止まっちまってるが、お前の魔力を与えてやれば動き出すはずだ」
悠真はフロストの頭に手を置き、魔力を流し込んだ。すると、フロストの目が青く光り始め、ゆっくりと体を動かし始めた。
「ワン!」
フロストは元気な声で鳴き、悠真の周りを飛び跳ねるように動き回った。その動きは以前よりも滑らかで、どこか新しい躍動感があるようにも見えた。
「よかった……ありがとうございます、本当に」
「いや、こちらこそ面白い仕事をさせてもらった。また何かあったら来るといい」
店を後にした悠真は、街の外れまで歩き、人目につかない森の中へ入っていった。
「それじゃ、一度異空間を通って帰ろうか」
悠真がゲートを開くと、昨日と同じ草原が広がっていた。リベルも出迎えてくれ、悠真たちを牧場に通じる座標まで案内してくれた。
「ありがとう、リベル。助かったよ」
「いえ、マスターのお役に立てたのなら何よりです」
再びゲートを開き、悠真たちはとうとう牧場に戻ってきた。突然のゲートの出現に、リーフィアとリオンは驚いた表情を見せた。
「悠真さん?どうしてゲートから……?」
「異空間を通ってきたんだ。長くなるから、夕食の時に話すよ」
そう言って微笑む悠真の足元で、フロストが元気に飛び跳ね、ユキも嬉しそうに「ウキキ」と鳴いた。
――――――
夕刻、牧場の家の食卓には、皆が集まっていた。ユエも目を覚まし、悠真の話に耳を傾けている。
「それで、サイエンティアに、こんな風に自動で動く街灯があってさ……」
悠真が語る技術都市の話に、リオンは目を輝かせて聞き入っていた。
「すごい!いつか僕も行ってみたいです!」
「それと、皆にお土産も買ってきたよ」
悠真が袋から次々と出す小さな機械仕掛けのおもちゃや装飾品に、リーフィアは優しく微笑んだ。
「旅の道中はお疲れだったでしょう?でも、無事に戻ってきてくださって何よりです」
テーブルの周りでは、フロストがユキと一緒に嬉しそうに飛び跳ね、時折「ワン!」と元気に鳴いていた。その様子を見て、悠真は安堵の表情を浮かべる。
「これで、牧場のみんなも安心だな」
リオンがユキにもおやつを分けながら言った。
「フロスト、新しい歯車が入って前より元気になった気がしますね!」
「そうだな。もしかしたら、ギアマスターの店主さんが何か特別なことをしてくれたのかもな」
技術都市の旅で得た新たな知識と経験。それは悠真の牧場生活に、またひとつ彩りを加える思い出となった。
夜風が窓から入り込み、テーブルの上のランプの明かりが揺れる。その光に照らされた家族のような光景の中で、フロストとユキは嬉しそうに遊び続けていた。




