第119話 旅の魔法使いと広がる世界
悠真は異空間牧場での作業を終えて一息ついたあと、元の世界との違いを確かめていた。元の牧場の土は長い時を経て固まり、踏みしめるとわずかに跳ね返る弾力があった。それに比べて新しい異空間の土は柔らかく、足を乗せると優しく受け止めてくれるような感覚がある。
「この空間の不思議さは、まだまだ分からないことだらけだな」
悠真がつぶやくと、リオンが瞳を輝かせて頷いた。
「本当にすごいです!まるで物語の中に出てくる魔法の場所みたいで」
「動物たちも喜んでるみたい」
ミリアムが嬉しそうに言った。彼女の視線の先では、アクアとウィンドが楽しそうに戯れていた。アクアの操る水の結晶が光を反射し、ウィンドの銀色の翼がその光を受けて煌めいている。
「この調子で整備を進めていけば、それぞれの子に最適な環境が作れそうですね」
リーフィアが微笑みながら言った。その言葉に悠真も頷いた。
「あぁ、こうしておけば何かあった時の避難場所にもなるし、俺たちがいない間はリベルが管理してくれるしな」
悠真たちがそんな会話をしていると——突然、目の前の空気がゆらめいた。
「なっ!?」
驚き息を飲む悠真たちの目の前で、空間がまるで水面のように揺れて――次の瞬間、そこには一人の老人が立っていた。
「ふむ……先客が居たか」
長い白い髭をたくわえ、青と銀の刺繍が施された深い紫のローブを身にまとった老人が、ゆっくりと周囲を見回した。その目は澄み切った青空のように明るく、深い知恵を感じさせた。
「マスター!侵入者です!」
リベルが悠真の前に素早く現れ、厳しい声で警告した。悠真たちも驚いて身構える。
「おっと、失礼したな。驚かせてしまったようだ」
老人は穏やかな笑みを浮かべ、少し腰を曲げて頭を下げた。
「わしは旅の魔法使い、ジリウス・ノヴァという者だ。どうやら興味深い場所に足を踏み入れたようじゃの」
「旅の魔法使い……?」
悠真は警戒しながらも、老人の穏やかな雰囲気に少し緊張を解いた。しかし、疑問は残っていた。
「どうやってこの場所に入ってきたんですか?ここにはゲートを使わないと入れないはずなんですが……」
悠真の問いに、ジリウスは杖を軽く床に突き、微笑んだ。
「ほぉ。お主がこの空間の主かな?質問に答えよう。わしは空間魔法を扱えるのだよ。この辺りで奇妙な空間の歪みを感じたので、調査に来たというわけだ。まさか、このような広大な異空間があるとはまったく予想外であったがな」
その説明に、リオンは目を丸くした。
「空間魔法!?すごい!」
「……確かに、その話が本当であれば一応の理屈は通りますが、あなたが敵でない保証はありません」
「リーフィアさんのおっしゃるとおりです。信用できません」
リーフィアが静かに尋ねる。その慎重さは、牧場の仲間たちを守りたいという彼女の思いから来ていた。リベルも自分の管理する場所に突然入ってこられたのが許せないらしく、リーフィアの意見に同意した。
ジリウスは理解したように首を傾げ、両手を広げた。
「若き淑女とそちらの精霊の疑念はもっともだ。突然現れた老人を信用せよとは言わん。だが、わしに敵意はないよ。ただ旅の途中で不思議な現象に興味を持っただけだ。その証拠に、この場に展開されている敵意に反応する魔法は、わしを敵と見直してはおらんだろう?」
老人の言葉に悠真はまたも驚いた。この老人は牧場の防衛機能に気づいただけでなく、その性質までこのわずかな間に見抜いていた。
「……確かに、そこまで見抜かれているなら警戒する意味は薄そうですね。あなたが本気なら俺達を欺くことなんて容易にできそうですし……」
悠真は老人の存在自体が、彼の主張の証明になっていることを認めた。
「この異空間は俺の『牧場経営スキル』の機能の一つです。動物たちがのびのびと過ごせる場所として作られましたが、危険はないはずです」
ジリウスは杖で地面をトントンと叩きながら、興味深そうに周囲を見回した。
「牧場経営スキル……聞いたことがないものじゃな。確かに、わしが感じた歪みはこの空間が元の世界と繋がっている証拠だったわけじゃ」
老人は数歩歩き、膝をついて地面に手を触れた。
「……お主の言う通り、危険はなさそうじゃな。よく作られた空間じゃ」
安心したように立ち上がり、ジリウスは悠真たちに向き直った。
「さて、突然現れて驚かせたお詫びと、珍しいスキルの話を聞かせてくれたお礼に、良ければわしが世界を旅して得た魔法に関する話でもしようと思うが、どうかの?老人の長話が退屈でなければ、だがの」
その提案に、リオンは即座に反応した。
「ぜひ聞きたいです!あ、そうだ、ユエさんも呼びませんか?きっと興味があると思います!」
「そうだな。せっかくだし、聞いてみるか」
悠真は頷き、リーフィアとミリアムに向かって言った。
「ちょっと牧場に戻って、ユエを連れてくるよ。すぐ戻るから、みんなはここで待っていてくれるか?」
「はい、任せてください」
リーフィアが微笑みながら返事をした。ミリアムも頷いて見せる。
――――――
「そんなことがあったんですか。そういうことなら、私もぜひ聞いてみたいです」
悠真がユエに事情を説明すると、彼女は珍しく積極的な様子を見せた。普段は遠慮がちなユエだが、今回の話には特別な関心があるようだった。
「それじゃ、行こうか」
悠真とユエは異空間への入り口に向かい、すぐにゲートを通過した。
異空間に足を踏み入れると、リオンたちとジリウスは丘の上に腰かけていた。リオンが熱心にジリウスに質問しているようで、老人は穏やかに頷きながら答えている様子だった。
「あ、悠真さん、おかえりなさい!」
リオンが気づいて手を振った。ジリウスもゆっくりと立ち上がり、悠真たちに向き直る。そして、ユエの姿を見るとわずかに目を細めた。
「……ほぉ、吸血鬼とは珍しいの。しかも人間と共存しているとはなおさらじゃな」
その言葉に、ユエは驚いた様子で悠真を見上げた。
「ど、どうして分かったんですか?」
ユエの問いに、老人は優しく微笑んだ。
「これでもわしは長い旅の中で、さまざまな種族と出会ってきたのでな。異なる種族のオーラを感じ取るのは、わしのような老魔法使いには難しくないのだよ。特にお嬢さんのような強者であればなおさらの」
ユエは少し緊張しながらも、丁寧にお辞儀をした。
「は、はじめまして。ユエ・ルシェイドと申します。ご縁があって、白石さんの牧場でお世話になっています」
「なるほど。互いに理解し合い、共に生きる姿は美しいものだ」
ジリウスは満足そうに頷き、杖を大地に突いた。
「さて、それでは約束通り、世界の魔法について話そうかのう」
悠真たちは期待を込めて耳を傾けた。ジリウスは話し始める前に、草原に腰を下ろすよう皆に促した。
「身体を休めて聞くのが一番じゃ。長くなるかもしれんからの」
全員が芝生の上に車座になって座ると、ジリウスは話し始めた。
「魔法というものはな、世界や地域によって、その性質や使い方が大きく異なるものじゃ。同じ火の魔法でも、北方の寒冷地では生存のための暖を生み出す術として発展し、砂漠地帯では金属加工や浄化の技として洗練されておる」
老人の言葉には不思議な力があり、話を聞くだけで情景が目に浮かぶような感覚があった。
「世界の東方では気の流れを操る魔法が主流でな、自然と調和する術が発達した。対して西方では元素を直接操る魔法が栄え、大陸の南では精霊との契約による魔法が主流じゃ」
リオンが目を輝かせながら質問した。
「精霊との契約ってどういうものなんですか?」
「よい質問だ」
ジリウスは満足げに頷き、説明を続けた。
「精霊は目に見えぬ存在だが、世界の至るところに存在しておる。彼らと心を通わせ、誓いを立てることで、その力を借りるのだ。ただし、契約は互いの利益のためのもの。一方的に力を求めるだけでは、精霊は応じてはくれぬ」
「それって、リベルさんみたいな存在とも契約できるんですか?」
ミリアムが興味深そうに尋ねる。すると、ジリウスは意外そうな顔で問い返してきた。
「うん?この精霊とはすでに契約の上で、共におるんではないのか?」
「いえ、リベルは異空間牧場の管理精霊として生まれたんです」
悠真が説明すると、ジリウスは驚いた様子を見せた。
「ほぉ。精霊を生み出すとは、そなたのスキルは本当に興味深いものじゃ」
話は続き、時に軽い食事を取りながら、世界各地の魔法の違いや歴史、使い手たちの物語に皆は聞き入った。リーフィアは事前に用意していたお茶を振る舞い、ミリアムは持ってきた軽食を分け合った。
「竜族の魔法は、彼らの血脈に強く結びついておる。同じ種族でも、その血の濃さによって使える魔法の種類や強さが異なるのじゃ」
静かに話を聞いていたユエが、ふとそんな質問をした。
「吸血鬼の、魔法についても……ご存知ですか?」
「うむ、一部ではあるがの」
そう言うと、ジリウスは優しい目でユエを見た。
「吸血鬼の魔法は、古い時代からの知恵が詰まっておる。血の力を使うだけでなく、影や夜の力を操ることもできる。その種族特性や彼らのプライド故に他種族に恐れられることも多いが、その本質は生命の神秘に深く結びついたものじゃ」
彼の真摯な言葉に、ユエの目が少し潤んだように見えた。
「そして、忘れてはならないのは、どんな魔法も使い手の心によって形を変えるということじゃ。同じ魔法でも、使う人の意図によって、破壊にも創造にもなり得る」
老人の語りには深い叡智が感じられ、悠真たちは時間の経過も忘れて聞き入った。
――――――
日が傾き始めた頃、ジリウスは長い話を締めくくった。
「さて、まぁこんなところかの。世界の魔法の一端に過ぎぬが、少しでも参考になれば幸いじゃ」
「素晴らしいお話をありがとうございました」
リーフィアが丁寧にお礼を言った。他の皆もそれぞれの言葉で感謝を伝える。
「いやいや、わしこそ美味しい食事とお茶をご馳走になった。それに、こんな素晴らしい場所を見せてもらえて光栄だったよ」
ジリウスは立ち上がり、杖を手に取った。
「それではそろそろ行くとしようかの。若い者たちとの時間は楽しかったぞ」
「また、立ち寄ってくださいね!」
リオンが元気よく言った。
「うむ、機会があればな。では、これで失礼するよ」
ジリウスは片手を上げ、もう一方の手で杖を大きく振った。すると、彼の周りの空間がゆらめき始め、老人の姿は徐々に消えていった。
「ほんとに消えちゃいました……」
ミリアムが小さく呟いた。
「素敵な方でしたね」
「えぇ、とても見聞の深い方でした」
リーフィアの感想に、ユエも別れを惜しむような口調でそう言った。
「魔法のことはあまり分かってなかったけど、世界にはあんな人も居るんだな……この異空間牧場も含めて、まだまだ知らないことだらけだ。一つずつ学んでいかないとな」
夕暮れが近づく異空間の空の下、悠真たちはそれぞれの思いを胸に、牧場に戻る準備を始めた。どこからともなく風が吹き、草原の草が優しくそよいだ。それは、まるで世界が彼らの新しい一歩を祝福しているかのようだった。




