第117話 夜明けと夕暮れの牧場で
朝の牧場に、やわらかな光が降り注ぐ中、悠真は納屋から出て大きく伸びをした。空は澄み渡り、風は心地よく肌を撫でる。
「今日も良い天気だな」
悠真がつぶやくと、足元で黒猫のルナが「にゃー」と鳴いて返事をした。悠真は微笑み、彼女の頭を優しく撫でる。
「おはようございます、悠真さん!」
振り向くと、リオンが元気な様子で駆けてきた。手には水やり用のじょうろを持っている。彼は先日「可能性の花」が咲いた場所に、今は別の種を植えて大切に育てているようだ。
「おはよう、リオン。朝からしっかり水やりしてるな」
「はい!あの花が教えてくれた僕のやりたいことを忘れないためにも、ここをもっと素敵な花壇にしようと思って」
リオンの目には決意が宿っている。悠真はその姿に微笑みながら頷いた。
――――――
「おはよう、みんな」
悠真が牧場に出て声をかけると、あちこちから動物たちの鳴き声が返ってくる。悠真はそれに微笑み、まずは朝の給餌へと向かった。自動給餌システムがあるとはいえ、彼は毎朝、動物たちの様子を確認しながら餌を与えることを日課にしていた。
すると、ふわりと風を切る音がして、銀色の翼を持つウィンドが降り立った。
「おはよう、ウィンド。今朝も早いな」
悠真がペガサスの首筋を撫でると、ウィンドは嬉しそうにいなないた。
「ん?」
何かの物音に気付いて納屋の方を見ると、フレアとヒエンが何かの遊びに興じている。フレアの三本の尾から小さな炎が放たれ、ヒエンはその周りを飛び回り、時折炎に触れては「フィー!」と嬉しそうに鳴いている。
「二人とも、楽しそうに遊んでるな」
悠真が呟くと、彼の気配に気づいたフレアが「コン!」と鳴き、駆け寄ってきた。その目は「見ていてくれた?」と尋ねているようだ。
「上手だな、フレア。ハクエンに教わった炎の操り方も、もう問題なさそうだな」
フレアは誇らしげに「コン!」と鳴き、尾を揺らした。
「さて、朝食の時間だ。他のみんなも起こしてくるか」
悠真が言うと、フレアとヒエンはすぐにその意味を理解したようで、それぞれ別方向へ走り去った。動物たちを集める手伝いをしてくれるのだ。
――――――
朝食を終え、納屋の掃除をしているとリーフィアとリオンがやってきた。
「今日も良い天気ですね」
「あぁ、そうだな。皆も元気そうだし何よりだ」
悠真がリーフィアとそんな話をしていると、外から賑やかな音が聞こえてきた。
「何だろう?」
リオンが納屋から顔を出すと、アクアとフロストが庭で何かを追いかけるように走り回っていた。よく見ると、虹色の軌跡を描くボールが宙を舞っている。
「バウンスバブルを使って遊んでいるみたいです!」
リオンが嬉しそうに言うと、納屋から飛び出していった。悠真は微笑んで見送り、リーフィアと共に掃除を続けた。
「リオンくん、昨日から随分と明るくなりましたね」
リーフィアが静かに言った。
「ああ、ミリアムの持ってきた花のおかげだな」
「ミリアムさんには感謝しないといけませんね」
二人が会話を続けている間に、牧場はますます賑やかになっていった。
――――――
昼過ぎには、牧場のあちこちで動物たちが思い思いの時間を過ごしていた。
砂場の隣にある泉では、ノアリスがアオイと一緒に水遊びを楽しんでいた。青いスライムは水の中に飛び込んでは、様々な形に変化して見せる。ノアリスは淡い青色の髪を揺らして笑った。
「アオイは相変わらず面白いね!最近はもっと形を変えるのが上手くなってる!」
ノアリスの言葉にアオイは嬉しそうに体を震わせた。彼は言葉こそ話せないが、ノアリスの言っていることはしっかり理解しているようだった。
少し離れた場所では、ベルとサクラが草を食み、のんびりと過ごしていた。ベルの首に付いた小さな鈴が、風に揺られてチリンチリンと心地よい音色を響かせる。時折、小さな雷の粒子が毛並みの間から飛び出しては消えていく。
「メエー」
サクラが鳴くと、近くにいたサフィアとアウラが興味深そうに近づいてきた。二人がサクラに小さな手を差し出すと、サクラはその手に鼻先を寄せた。すると三人の間に不思議な光が交わる。治癒の力と自然の力が共鳴し、周囲の草花が一瞬だけ鮮やかに色づいた。
「わぁ、きれい……」
リオンが作業の手を止めて、その光景を見入っていた。彼の手にはリーフィアが教えてくれた薬草についてのメモ書きがある。昨日「可能性の花」を通して見つけた夢――動物や植物を助ける存在になるという目標に向かって、今日から彼なりに一歩ずつ進み始めていた。
「リオン、大丈夫か?」
作業を手伝っていた悠真が声をかけると、リオンは我に返り、笑顔で答えた。
「はい!大丈夫です。ちょっと、みんなが楽しそうで見入ってしまって」
「そうだな。みんなそれぞれの過ごし方で、この場所を楽しんでるみたいだ」
悠真が空を見上げると、そこにはレインが優雅に泳いでいた。まるで雲の間を泳ぐように、体を波打たせながら進んでいく姿は実に美しい。時折「ピュイ、ピュー」と鳴きながら、光の粒子を放出している。
地上では、その光の粒子を追いかけようと、アズールが小さな翼をバタつかせていた。その姿を見て、悠真は思わず笑みをこぼした。
――――――
夕暮れ時、牧場は徐々に落ち着きを取り戻していく。一日中活動していた動物たちは、それぞれの寝床へと戻り始めていた。
しかし、牧場の生活は夜になっても続く。日が沈み始めると、ユエの部屋から小さな物音が聞こえてきた。
「……まだ明るいけど、少しだけ外を見てみようかな」
透き通るような白い肌の少女が、おそるおそる部屋から顔を出した。長い黒髪を揺らしながら、彼女は廊下を静かに進んでいく。階段を下りると、リーフィアが温かい笑顔で迎えてくれた。
「ユエさん、おはようございます」
「あ、リーフィアさん……おはようございます」
ユエは少し恥ずかしそうに挨拶を返した。日が沈み始めた時間帯は、彼女にとっての「朝」なのだ。
「今日は、少し早く起きられたんですね」
「はい……窓から見えた夕焼けがきれいで」
ユエが言うと、リーフィアは優しく微笑んだ。
「では、お茶をご用意しましょうか?今日はハーブティーを淹れたところです」
「ありがとうございます」
二人が台所に向かう頃、悠真も作業を終えて家に戻ってきた。
「おっ、ユエ。今日は早いな」
「悠真さん、こんばんは……いえ、おはようございます」
ユエは言葉を訂正し、少し笑みを浮かべた。
「牧場の皆さんの様子はどうですか?」
「ああ、みんな元気だよ。今日はアクアとフロストがバウンスバブルで遊びまわっていたんだ」
悠真が今日の出来事を話し始めると、ユエは興味深そうに耳を傾けた。彼女は日中の様子を直接見る機会は少ないため、こうして話を聞くのが楽しみの一つだった。
――――――
夜も更け、月が高く昇った頃、牧場の泉の周りにはひっそりとした集いが始まっていた。
ユエが泉にやってくると、既にそこにはストーンとラトリスが佇んでいた。彼らは、月の光を浴びて静かに佇んでいる。
「クォー」
ラトリスはユエたちを見ると、小さく挨拶のように鳴いた。
そこへ、アースも滑るように近づいてきた。白い鱗に金色の模様が月光を反射し、美しく輝いている。赤い瞳は夜闇でより鮮やかだ。
「シュルル」
アースは優雅に体を巻き、泉の縁に落ち着いた。
「皆さん、こんばんは」
彼女の言葉に呼応するように泉の水面がわずかに揺れて、セリーナが顔を出した。
「こんばんは、ユエさん。今夜も素敵な月ね」
「セリーナさん、こんばんは。はい、とても綺麗です」
セリーナは泉の縁に腕を置き、尾びれを水中でゆらゆらと揺らしている。
「夜の時間も大分賑やかになってきたわね」
「そうですね。今ではこんなに仲間も増えて……」
ユエがそう答えると、音もなく現れたドリーが「クィー」と鳴きながら彼女の肩に寄り添った。夜の住人たちの絆は、こうして月夜の下で静かに深まっていく。
そして彼らは、それぞれの方法で夜の時間を楽しんでいた。ストーンは泉の周りをゆっくりと歩き、アースは月光を浴びて気持ちよさそうに体を伸ばす。ラトリスは時折小石を咥えては、水面に投げ入れて波紋を楽しんでいた。
ドリーは夜空に向かって小さな光の粒を放ち、それが星のように輝いては消えていく。セリーナはその光を水中から見上げながら、小さな歌を口ずさんでいる。ユエはただその光景を静かに見守っていた。
昼の賑やかさとは違う、静謐で落ち着いた時間が流れていく。それぞれの生き物が、それぞれの時間を、それぞれのやり方で大切に過ごしていた。
――――――
夜が明け始める頃、ユエは部屋に戻る準備をしていた。
「そろそろ戻らないと」
東の空が少しずつ明るくなり始め、朝の訪れを告げている。夜の住人たちも、それぞれの休息の場所へと向かい始めた。ストーンは既に岩場に戻り、セリーナは一度手を振って泉の深くへと潜っていった。残されたのはユエとドリーだけだ。
「ドリー、今日もありがとう。楽しかったわ」
ユエがドリーの頭を優しく撫でると、夢魔は嬉しそうに「クィー」と鳴いた。そして、彼女が家に向かう間も少し離れた場所から見守るように付いてきていた。
家に戻ったユエは、階段を上る前に振り返り、東の空を見た。朝日はまだ完全には昇っていないが、空は徐々に明るくなっている。昼の住人たちの時間が、また始まるのだ。
「おやすみなさい、皆さん」
ユエは静かに呟くと、部屋へと戻っていった。彼女が姿を消すのとほぼ同時に、悠真が家から出てきた。一日の始まりだ。
「さて、今日も始めるとするか」
悠真は深呼吸し、朝日に向かって歩き出した。新たな一日が、この牧場で始まろうとしている。そして夜には、また別の顔を見せる牧場の姿がある。昼と夜、それぞれの住人たちが、この場所を彩り続けていくのだ。
牧場の空に朝日が昇り、すべてを金色に染め上げていった。




