第116話 可能性の花
朝日が牧場の牧柵を金色に染め上げる早朝、ミリアムは元気よく牧場にやってきた。腰に提げた籠には、今日採取する薬草を入れるための小さな布袋がいくつか整然と並べられている。
「おはようございます、悠真さん!」
納屋の前で道具を手入れしていた悠真は、その声に顔を上げて笑みを返した。
「ああ、ミリアム。おはよう。今日も薬草採取か?」
「はい!今日はフェバーリーフとムーンドロップを集めようと思っています。これからの季節、熱を下げる薬が必要になりますから」
ミリアムは自信に満ちた表情で答えた。いつも熱心なその姿に悠真は感心した様子で頷く。
「なるほどな。気をつけて行ってきなよ」
「はい!それでは失礼しま——」
「あ、ミリアムさん!ちょっと待ってください!」
二人の会話に割って入るように、リオンが駆け寄ってきた。少し息を切らせながら、ミリアムの前で立ち止まる。
「リオンくん、どうしたの?」
ミリアムが首を傾げると、リオンは少し恥ずかしそうに耳先を触りながら言った。
「あの……よければ、僕も一緒に薬草採りに行ってもいいですか?薬草のことをもっと詳しく教えてほしくて……」
その言葉にミリアムは特に深く考えることもなく、明るい笑顔で頷いた。
「もちろん!一緒に行きましょう。二人いた方が楽しいし、たくさん採れるわ」
リオンの顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
悠真は二人のやり取りを見守りながら、静かに微笑んだ。
「それじゃ、二人とも気をつけてな。森の奥には入り過ぎないようにしろよ」
「はい!気を付けて行ってきます」
リオンは背筋をピンと伸ばして答えた。悠真は頷き、二人を見送った。
――――――
牧場から少し離れた森の中、日差しが木々の隙間から斑模様を地面に描いている。ミリアムは籠を片手に持ち、もう一方の手で低木の間を探るように動かしていた。
「ほら、リオンくん。これがフェバーリーフよ。見て、葉っぱの縁がギザギザしていて、裏側が少し青みがかっているでしょう?」
ミリアムが指差す先には、小さな葉が集まった草があった。リオンは身を屈めてその葉をじっと観察する。
「本当だ。でも、これに似た葉っぱもありますよね?」
「よく気がついたわね!そう、似たものにファルスリーフというのがあるの。見分け方はね……」
ミリアムは熱心に違いを説明し始めた。薬草の生える場所、採取する時間帯、保存方法まで、次々と知識を披露していく。リオンはその話に頷きながらも、時折遠くを見つめるような表情を見せていた。
しばらく森の中を歩き回り、いくつかの薬草を集めた後、二人は小さな清流のほとりで休憩することにした。ミリアムは集めた薬草を整理しながら、いつもと少し様子の違うリオンに問いかけた。
「リオンくん、何か悩み事でもあるの?ずっと考え込んでるみたいだけど」
突然の問いかけに、リオンは少し驚いたような表情をした後、小さくため息をついた。
「そんなに分かりやすかったですか……?」
「うん、薬草の話をしている時も、ちょっと上の空だったから」
ミリアムはリオンの隣に腰を下ろし、優しく微笑んだ。
「私でよかったら、聞かせてくれない?」
リオンは少し迷った様子を見せたが、やがて重い口を開いた。
「実は……僕、ミリアムさんがいつも薬草師になるために頑張っているのを見て、すごく尊敬しているんです。でも、僕には……そういう明確な目標がなくて」
リオンは草の上に指で円を描きながら続けた。
「リーフィア姉さんは、月影村の守護者として僕たちを守ってくれていました。今は恩返しのために色々と牧場の管理を任されています。悠真さんは、一からあんなに素晴らしい牧場を作り上げている。そして、ミリアムさんは薬草師になるという夢がある。でも僕は……何をしたいのか、何ができるのか、よく分からないんです」
ミリアムはリオンの言葉に真剣に耳を傾け、しばらく考えた後、静かに言った。
「リオンくんも、牧場のお手伝いを十分頑張っていると思うけど……きっとそれだけじゃ不安なんだね。……私ね、実は小さな出来事がきっかけで薬草師を目指したの。子供の頃、病気で寝込んでいた時に村のローザおばあさんが作ってくれた薬で救われたんだ。その時の感謝の気持ちが、今の私の原動力になっているんだよ」
ミリアムは薬草籠を置き、リオンの目をまっすぐに見つめ、話を続ける。
「でもね、それはたまたま私が出会った小さなきっかけに過ぎないの。リオンくんが今すぐ自分の目標を見つけなきゃいけないわけじゃないと思う。そういうものって、急には分からないものなんじゃないかな」
リオンは少し安心したような表情を見せたが、それでもなお迷いの色は消えない。
「そうですよね……でも、そういうきっかけもないと、やっぱり時々不安になって……」
ミリアムはそんなリオンの様子を見て少し考えていたが、ふと何かを思いついたように手を打った。
「あっ!そうだ。リオンくん、明日良いものを持ってきてあげるよ!」
「え?良いものって、何ですか?」
「ふふっ、それは明日のお楽しみ!」
ミリアムは人差し指を立てて、にっこりと微笑んだ。
――――――
翌日の午後、約束通りミリアムは牧場を訪れた。今日は薬草籠ではなく、小さな木箱を持っている。
「リオンくん!約束のものを持ってきたわよ!」
納屋の横で作業をしていたリオンは、ミリアムの声に振り返った。
「ミリアムさん、こんにちは。昨日は結局教えてくれないし、ずっと気になってたんですよ」
ミリアムはリオンの前で立ち止まると、木箱の蓋を慎重に開けた。中には、小さな黒い種が一粒置かれている。
「これは……何かの種ですか?」
「そう、これは『可能性の花』の種。別名『気づきの花』とも呼ばれているの」
ミリアムは種を手に取り、大事そうにリオンの手のひらに置いた。
「この花は、育てた人に自分の可能性を見せてくれるって言われてるんだ」
リオンは種を見つめ、その小ささに少し驚いた様子だった。
「これが……でも、これ、たぶん希少なものですよね?僕なんかの為に、良いんですか?」
「もちろん!でもね、誰もが同じ結果を得られるわけじゃないの。育てる人の心や思いによって、花の姿も変わるんだって」
リオンは慎重に種を握り締め、ミリアムに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、ミリアム。大切に育ててみます」
ミリアムは嬉しそうに微笑んだ。
「よかった!毎日水やりを忘れないでね」
「はい!」
リオンは早速、牧場の一角にある花壇へと向かった。いくつかの色鮮やかな花々が植えられている中で、まだ使われていない小さなスペースを見つける。
「ここにしよう」
リオンは丁寧に土を掘り、可能性の花の種を植えた。
――――――
それから毎日、リオンは欠かさず朝晩に水やりをした。ミリアムにこっそり教えて貰った悠真とリーフィアもその様子を気付かないふりをしつつ温かく見守っていた。
種を植えて三日目の朝、リオンが水やりに来ると、小さな緑の芽が顔を出していた。
「芽が出た!」
リオンが喜んでいると、いつの間にかサフィアとアウラがそっと近づいてきた。二人は新芽に興味津々の様子で、その周りをくるくると回り始めた。
「あ、二人とも、おはよう」
リオンが挨拶すると、二人は笑顔でぺこりと頭を上げた。言葉は話せないが、その仕草からは新芽に対する喜びが伝わってくる。
「二人も、この花に興味があるの?」
サフィアが緑の髪を揺らし、小さな花びらのような手を新芽の上に差し出す。すると、芽が少し大きくなったように見えた。
「わっ、すごい!もしかして応援してくれてるの?」
アウラも同じように手を差し出し、芽の周りに小さな光の粒が舞った。
「ありがとう、二人とも!」
リオンは彼女たちに感謝の気持ちを伝えた。二人は嬉しそうに微笑むと、またくるくると芽の周りを回り始めた。
――――――
そして、種を植えてから一週間後の朝。水やりのために花壇を訪れたリオンの目の前で、奇跡が起きた。
可能性の花のつぼみが、ゆっくりと開き始めたのだ。
「あっ、花が……!」
リオンが息を呑んで見つめる中、花は美しく花開いた。それは七色に輝く小さな花で、中心からは金色の光が放たれている。
その瞬間、リオンの意識は不思議な場所へと誘われた。
幼い頃に初めて森の生き物を助けた記憶。小さな鳥の巣を元に戻してあげた時の喜び。
リーフィアに色々な知識を教わった日々。悠真の牧場で初めて動物たちの世話をした時の緊張と達成感。
そして、昨日ミリアムと共に森で過ごした時間。彼女が薬草について熱心に語る姿。
様々な過去の記憶が流れていく中で、リオンは自分が生き物や植物に囲まれている時が一番生き生きしていることに気がついた。人を癒す薬を作るミリアムも、動物たちと共に生きる悠真も、自然を守るリーフィアも、みな生命と共にあった。
(僕は……僕がなりたいのは……!)
その思いが強まった瞬間、現実世界の可能性の花は光を放ち、やがてパッと弾け、夢のように消えていった。
リオンは我に返り、呆然と花があった場所を見つめた。花は消えてしまったが、その代わりに心の中に確かな光が灯ったのを感じた。
「リオンくん!」
振り返ると、ミリアムが駆けてくるところだった。
「ぼ~っとしてたみたいだけど、大丈夫?……あれ?あの花は?」
「すみません、もう消えちゃったんです。でも……」
リオンは満面の笑みを浮かべて言った。
「まだ漠然とだけど、気づきました。僕がやりたいこと」
「ほんと!?何なに?」
リオンは胸に手を当て、自信を持って言った。
「僕は、動物や植物を助けられるような存在になりたい。これまでの経験やこの牧場で皆と過ごした日々を思い出したら、自然とそう思えたんです」
ミリアムはうんうんと頷き、嬉しそうな表情をした。
「素敵な夢じゃない!すごくいいと思う!」
「うん。まだ道のりは長いけど、頑張ります。ミリアムさんの薬草の知識も参考にさせてほしいな」
「もちろん!リオンくんも私に動物との接し方とかを教えてね?」
二人は互いに頷き合い、笑った。
すると、そこへ悠真とリーフィアが近づいてきた。
「二人とも、朝から元気だな」
「悠真さん、リーフィア姉さん。はい!僕、ちょっと悩んでたことが解消したんです。僕も皆さんのように誰かを助けられるような存在になりたいなって」
リオンの言葉に、リーフィアは優しく微笑んだ。
「それは素敵な夢ね、リオン」
「そうだな。それに、リオンはもうこの牧場の皆を十分助けてくれてるよ」
リオンは少し照れた様子を見せながら、ミリアムに感謝の視線を送った。彼女が持ってきてくれた可能性の花のおかげで、自分の進む道が少し見えてきたのだ。
牧場の上空には優しい朝の陽光が広がり、新たな一日が始まろうとしていた。リオンの心には、小さいながらも確かな希望の種が芽吹いたのだった。




