第114話 月夜の物語
夜の闇が牧場を静かに包み込む頃、悠真は家の窓から空を見上げていた。満月が雲間から顔を覗かせ、銀色の光が牧場全体を照らしている。
「今日は良い月夜だな」
リビングのソファに腰を下ろしながら、悠真はつぶやいた。日中のラトリスとアズールの交流を思い出して、思わず笑みが零れる。異なる種族の生き物たちが牧場で共に過ごす光景は確かに不思議だが、今ではそれが彼の牧場の日常になりつつあった。
「お月様がとても綺麗ですね」
静かな声が背後から聞こえ悠真は振り返ると、階段を降りてきたユエが月明かりに照らされて立っていた。透き通るような白い肌と、血のように赤い瞳、長い黒髪が月の光を受けて神秘的に輝いている。
「ああ、ユエか」
「悠真さん、今日は夜更かしされてるんですね」
そう言ってユエは穏やかに微笑んだ。夜も遅いためか、普段の弱気な印象は鳴りを潜め、吸血鬼としての生気のようなものが感じられた。
「そういえば、あれからノクスから何か連絡とかはあったのか?」
悠真の質問に、ユエはほんの少し動揺をみせたものの冷静に答えた。
「はい、先週手紙が届きました。彼は今、北の山脈を越えたところにあるクリスタルレイク周辺を旅しているようです」
「へえ、クリスタルレイク……聞いたことあるな。透明度が高くて、底まで見えるんだっけ?」
「はい。水晶のように清らかな湖だと手紙に書かれていました」
月明かりの中、そんな会話をしていると、ふとユエが何かに気づいたように泉の方を見た。
「泉の方に……誰かいるみたいですね」
悠真も視線を向けると、確かに泉の周りに何かの気配がある。月光で青白く照らされた水面に、人影のようなものが映っていた。
「セリーナと……あれはドリーかな?どうやら、お月見をしていたのは俺たちだけじゃなかったようだな」
悠真が言うと、ユエは少し緊張した様子で立ち上がった。
「私……少し様子を見てきてもいいですか?」
「あぁ、そうするといい。俺はそろそろ寝るよ。明日も早いからな」
悠真は伸びをしながら立ち上がった。夜風に当たっているうちに、次第に眠気がやってきたのだ。
「おやすみ、ユエ」
「おやすみなさい、悠真さん」
悠真が家の中へ戻っていくのを見送り、ユエは深呼吸をして泉の方へ向かった。彼女の足音は、月に照らされた草の上を、まるで宙に浮いているかのように軽やかに進んでいく。
――――――
泉に近づくにつれ、ユエの耳に水音と共に、かすかな笑い声が聞こえてきた。そっと岩陰から覗くと、そこには思った以上に賑やかな光景が広がっていた。
水色の長い髪を持つセリーナが泉の縁に腰掛け、透明な羽を持つノアリスがその上空を舞っている。そして、夜空のような漆黒の体を持つドリーが二人の会話を楽しそうに聞いていた。
「そうなの!人間の町では、色んな格好の人達が歩いてるの!それに色んなものを売ってたり、踊ってる人とかもいるの!」
ノアリスが興奮した様子で話すと、セリーナは優雅に微笑んだ。
「人間の町も面白そうね。私は水の無い所には行けないから。流石に街の噴水から飛び出すわけにもいかないしね……」
「クィー!」
ドリーが楽しげに鳴くと、セリーナは彼女の頭を優しく撫でた。
「ドリーも気になるの?人間の世界や、私たちの話」
ユエはゆっくりと近づきながら、彼女たちの会話に耳を傾けていた。こんな風に様々な種族が集まり平和に話す光景は、彼女の長い人生でもなかなか見られないものだった。
「あれ?そこにいるのは……ユエ?」
突然ノアリスの視線がユエに向けられ、彼女は思わず体を強張らせた。
「あ、ごめんなさい。皆さんがお話しているのが見えたので……お邪魔でしたか?」
「そんなことないわ。こっちにいらっしゃい」
セリーナが優しく手招きすると、ドリーも「クィー!」と鳴いて歓迎の意思を示した。
恐る恐る岩陰から出たユエは、ゆっくりと彼女たちの輪に加わった。
「ちょうど私たち、いろんな話をしていたところなの」
ノアリスが嬉しそうに言うと、セリーナは水面に手をかざした。
「そうね……ユエさんも来たことだし、次はみんなに昔話をしようかしら」
「物語?」
ユエが興味を示すと、セリーナは微笑んだ。
「ええ、海の深くに伝わる古い物語よ」
セリーナが話し始めようとした時、ドリーが何かを思いついたように近くで岩に擬態していたストーンの方へ飛んでいった。
「どうしたの、ドリー?」
ノアリスが不思議そうに見ていると、ドリーはストーンの耳元で何かを囁くように小さく鳴いた。
「クィー……」
するとストーンも「クー……」と応えるように低い声で返事をした。
「あら、ストーンも起きていたのね」
セリーナが言うと、ドリーとストーンは何かを準備するように位置を調整し始めた。ドリーは泉の上空に浮かび、ストーンは重々しい体を動かして泉の縁に移動する。
「何をするつもりでしょう……?」
ユエが疑問に思っていると、突然、ドリーの体から星のような光の粒子が放たれ、同時にストーンの甲羅の六角形の模様が淡く光り始めた。
やがて、その光が泉の水面に映り込むと、まるでスクリーンのように、水面に映像が浮かび上がった。
「まあ!」
セリーナは驚きの声をあげた。水面に映し出されたのは、彼女が語ろうとしていた物語の場面そのものだった。深い海の底、サンゴの宮殿と、そこで暮らす人魚たちの姿が、まるで本当に目の前にあるかのように鮮やかに映し出されている。
「何コレー!すごーい。絵が浮いてるー!」
ノアリスが感嘆の声を上げた。
セリーナもしばし不思議そうにそれを見ていたが、気を取り直すと微笑みを浮かべてその話を語り始めた。
「昔々、深い海の底に、七つの宝玉を守る人魚の王国がありました……」
セリーナの柔らかな声に合わせ、水面の映像もリアルタイムで変化していく。海底の宮殿、七色に輝く宝玉、そして人魚の王女の姿が次々と現れた。
「王女は好奇心旺盛で、いつも海の外の世界に憧れていました……」
映像の中の王女は、まるでセリーナ自身のように水色の長い髪をなびかせている。彼女が海面近くまで泳ぎ上がる姿に、ユエは思わず見入ってしまった。
「ある嵐の夜、王女は海に落ちた若い漁師を救います。そして初めて人間と言葉を交わしたのです……」
ドリーとストーンの力で映し出される映像は、まるで実際の出来事のように鮮明だ。波に揺れる小舟、嵐の中で懸命に船を操る若者、そして彼を救う人魚の王女。
ユエ、ノアリス、ドリーは、セリーナの語る物語と、水面に映る映像に完全に魅了されていた。月の光に照らされた泉の周りで、彼女たちの深夜の「上映会」は静かに続いていく。
――――――
物語は、王女が様々な試練を乗り越え、ついには漁師と結ばれるという幸せな結末で締めくくられた。
「素敵なお話だったね!」
ノアリスが感動した様子で言うと、ユエも小さく頷いた。
「人魚と人間が幸せになれるなんて……この世界もそんな風になってくれたら……」
ユエの言葉に、セリーナは優しく微笑んだ。
「この白石牧場は、もうそんな世界じゃないかしら?人間と様々な種族が一緒に暮らしているもの」
「クィー!」
ドリーも同意するように鳴き、ストーンも「クー」と低く応えた。
ノアリスもふわふわと宙を漂いながら同意するように頷いた。
「そうだねー、こんな不思議な場所、私見たことないよ!」
ユエはその言葉に少し考え込み、やがて小さく微笑んだ。
「そうですね……私もそう思います……」
月が西の空へと傾き始め、辺りはより静寂に包まれていく。
「少し話しすぎちゃったわね。そろそろ夜も明けそうだわ」
セリーナが言うと、ノアリスは大きく伸びをした。
「私もそろそろ眠くなってきた~。でも、今夜は楽しかった!」
ドリーもストーンも、すでに眠りについているようだった。ドリーは小さな体を丸め、ストーンは再び岩に擬態して動かなくなっていた。
「そうですね。私も部屋に戻ります……素敵なお話をありがとうございました」
「どういたしまして。またこうして集まりましょうね」
ユエが礼を言うと、セリーナも別れの挨拶をして泉に潜っていった。
妖精、人魚、吸血鬼、そして夢魔と石亀。種族も住む世界も全く異なる彼女たちが、この牧場で不思議な縁で結ばれ、共に時を過ごす。そんな奇跡のような光景に、ユエは心が温かくなるのを感じた。
「こんな時間が、いつまでも続けばいいのに……」
そう呟いて、ユエは朝の光が差し込む前に自分の部屋へと急いだ。




