第103話 時をひと匙
春の柔らかな日差しが牧場全体を包み込む朝、悠真は納屋の前で深呼吸をした。空は澄み渡り、柔らかな風が心地よく頬を撫でていく。季節の変わり目の特別な空気感が、穏やかな午後のひとときを演出していた。
「今日も平和だな」
そんな呟きを漏らしながら、悠真は遠くの空を見上げた。アズールとヒエンが仲良く空中で戯れている姿が見える。青い鱗を持つ小さなドラゴンと、炎のように赤い小鳥の組み合わせは、いつ見ても微笑ましいものだった。しかし――
「……ん?」
二人を眺めていた、悠真の表情が困惑に変わった。
よく見ると、アズールとヒエンの動きが異常に速い。まるで映像を早送りしているかのように、二匹は高速で空を駆け回っていた。
「どうなってるんだ……?」
ふと気になって牧場全体を見渡すと、さらに奇妙な光景が目に飛び込んできた。ヘラクレスとベルが、まるで時が巻き戻っているかのように後ろ向きに歩いている。それも、自然な後退歩行ではなく、明らかに逆再生されているような不自然な動きだった。
さらに水辺で遊んでいたアクアは、まるで時が止まったかのように空中で完全に静止していた。水晶リスの尻尾から出ていた水も、重力を無視して宙に浮いたまま固まっている。
「おいおい……まさかあれ、時間が止まってるのか?」
悠真の困惑は深まるばかりだった。牧場で様々な不思議な出来事を経験してきたが、時間そのものに異常が生じるなど初めてのことだった。
『また厄介ごとかよ……この牧場は本当に変な出来事に好かれてんな』
面倒そうにぼやきながら現れたのは、ハクエンだった。琥珀色の瞳には呆れたような色が浮かんでいるが、その表情の奥には真剣さも感じられた。
「ハクエンか。もしかして、何か分かるのか?」
悠真の問いかけに、ハクエンは鋭い視線で牧場全体を見渡し始めた。その動きは、何かを探るような慎重さを帯びている。
『この周辺、魔力の流れに妙な乱れができてやがる。その根本を探せば何か分かるかもな』
そう言うと、ハクエンは慎重に辺りを探りながらゆっくりと歩き始めた。
「ちょ、待ってくれ、俺達も行くよ」
悠真はそう言って、慌ててリーフィアとリオンにも声を掛けると、ハクエンの後を追いかけた。
――――――
ハクエンに導かれて森に入ると、木々の間を縫うように進んでいく。その道中で、悠真は周囲の異常に気付いた。普段なら風で揺れるはずの葉が完全に静止していたり、逆に異常な速度で揺れていたりする。時間の流れが場所によってバラバラになっているようだった。
「悠真さん、あれ……」
リーフィアが指差した方向を見ると、森の奥に巨大な蜘蛛の巣が張られているのが見えた。その大きさは人一人をすっぽりと包み込めるほどで、絹糸は日光を受けて不気味に光っている。
「こんな牧場の近くに大蜘蛛の巣が……いったい、いつの間に……」
リオンが警戒するように呟いた時、ハクエンが立ち止まった。
「あれだな」
ハクエンが示した先には、巣の一角で糸にぐるぐる巻きにされた何かがあった。まるで獲物を保存するように、白い糸が幾重にも巻かれている。
近づいて見上げると、巣の上部には巨大な蜘蛛の姿があった。しかし、その蜘蛛もまた時が止まったかのように完全に静止している。八本の足を広げたまま、まるで彫像のように動かない。
「この蜘蛛も時間異常の影響を受けているんですか……」
「とりあえず、この糸を切ってみよう」
悠真がナイフを取り出し、慎重に糸を裂いていく。粘着質な糸は思っていたより頑丈で、何度も刃を入れてようやく隙間ができた。
すると、中からフクロウのような生物が転がり出てきた。しかし、それは普通のフクロウではなかった。羽毛の色は深い紫がかった茶色で、翼には時計の針のような模様が描かれていた。そして最も特徴的なのは、左目の瞳に複雑な紋様が刻まれていることだった。
その生物は地面に降り立つと、助かったとでもいうかのように「ホゥ」と鳴いて、ペコリと頭を下げた。
『あぁ?……あ~寝てたところを蜘蛛に捕まって、気づいた時にはあの糸の中だったらしい。それで食われる前に何とかしようと手あたり次第に能力を使った結果、こんなことになったみたいだな。まぁ周囲が見えないんじゃ、対象を限定するのは難しいから仕方なかったんだろうが、迷惑な話だ』
ハクエンが通訳してくれた内容に、悠真たちは納得した。時間異常の原因は、この不思議なフクロウが蜘蛛から逃れようとして使った能力だったのだ。
「そういうことだったのか」
安堵の表情を浮かべた悠真だったが、その時フクロウの腹部から「クゥ」という音が響いた。
緊張の糸が切れて空腹を感じたらしく、フクロウは恥ずかしそうに首を縮めた。
「はは、お腹が空いたのか。それなら、うちに戻って何か食べさせてやろう」
悠真たちは笑いながら、そのフクロウを牧場へと案内した。
――――――
牧場に戻ると、時間異常は既に収まっていた。アズールとヒエンは普通の速度で飛び回り、ヘラクレスとベルも正常に前進している。アクアも再び元気よく水を操っていた。
「効果時間はそれほど長くはなかったようですね」
「みたいだな。元に戻ってよかった」
リーフィアが安堵の声を漏らす。悠真もそれに頷きながら、フクロウを家に案内した。
「この子、何を食べるんでしょう?」
「とりあえず、果物やパンを用意してみましょう」
リーフィアが手際よく食事を準備すると、フクロウは目を輝かせて食べ始めた。特にリーフィアの手作りパンを気に入ったようで、満足そうに「ホゥホゥ」と鳴きながら完食した。
食事を終えると、フクロウは悠真の膝の上に飛び乗ってきた。そして、ここに居たいと主張するように甘えるような鳴き声を上げる。
「なんだ、ここを気に入ってくれたのか?それは嬉しいけどな……」
悠真はその愛らしい姿に、なごみながらも困ったような表情を見せた。今回のような時間異常が再び起きては、牧場の動物たちに危険が及ぶ可能性がある。
「う~ん……今回は仕方なかったのかもしれないが、これからは安易に時を操作しないこと。それを守ってくれるなら、ここに居てもいい。どうだ?」
ハクエンがその条件を伝えると、フクロウは理解したように「ホゥ」と鳴いて頷いた。
『分かったってよ。で、おまえ名前は?……テウルな。まぁ、俺も勝手に居ついてるから文句は言えねえが、あんまり面倒は起こすなよ』
ハクエンが面倒そうにしながらも、悠真に通訳して、最後にテウルにそう忠告した。テウルはこくこくと頷く。
「テウルか。良い名前だな。これからよろしく」
悠真がテウルの頭を優しく撫でると、彼は嬉しそうに目を細めた。
――――――
騒動もひと段落して夕食を終えた後、悠真たちはリビングで一休みしていた。そこで、食後のハーブティーを淹れているリーフィアの姿を見た悠真は、ふと呟いた。
「時をひと匙、か……」
小さじでハチミツをすくっているリーフィアが、首をかしげる。
「悠真さん、それはどういう意味ですか?」
「いや、テウルの能力って効果時間が短かっただろ?なんとなく、時をひと匙掬ったみたいだと思ってさ」
悠真の説明に、リーフィアは微笑んだ。
「なるほど。それならテウルさんは、周囲の皆さんに時を振舞ったんですね」
膝の上でくつろいでいたテウルも、楽しそうに「ホゥホゥ」と鳴いた。まるで悠真の言葉遊びを理解したかのように。
「とはいえ、今回は仕方なかったんだろうけど、これから能力を使う時は気をつけてくれよ、テウル。急にあんなことが起きたら、みんながびっくりするからな」
悠真がそう声を掛けると、テウルは「ホゥ」と鳴きながら頷いた。
初春の夜は静かに更け、牧場にはまた新たな仲間が加わった。月明かりが牧場を優しく照らす中、テウルは悠真の側で安らかな寝息を立てていた。




