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『世界が小さくなる漢字一字の物語』

作者: 小川敦人

『世界が小さくなる漢字一字の物語』


「あなたは、アメリカを米国と表記している理由はわかりますか。まさかジョン万次郎が関係しているとは思わないでしょう。」

この言葉をきっかけに、私はひとつの不思議な旅に出ることになった。2025年大阪・関西万博の会場を訪れた際、各国のパビリオンを眺めていて、ふと気になったのだ。なぜアメリカは「米」、フランスは「仏」、オーストラリアは「豪」で表されるのか。その謎を解き明かす旅が、私のささやかな万博体験記である。

大阪・関西万博は4月13日に開幕し、10月13日までの184日間、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに開催されている。私が訪れたのは開幕から1週間が経った頃だった。雨上がりの爽やかな日、夢洲の会場には世界各国の人々が集まり、それぞれのパビリオンを巡っていた。

「米国パビリオン」と書かれた案内板を見て、ふと立ち止まった。どうしてアメリカが「米」なのだろう。米を食べる国だから? 何か関係があるのだろうか。続いて「仏国パビリオン」。フランスと仏教の関係は? 「豪州パビリオン」も同様に不思議だった。

帰宅後、この疑問を解決すべくネットで調べてみると、驚くべき事実を知った。アメリカの「米」は、「亜米利加」という音訳表記から一文字を取ったものだという。さらに興味深いのは、ジョン万次郎(中濱萬次郎)が使っていた「米利堅メリケン」という表記が、当時使われていた「亜墨利加」よりも本来の発音に近かったという説もあるのだ。つまり、英語の"American"の「メ」の部分にアクセントがあることから、「メリケン」という呼び方が広まり、そこから「米」の漢字が定着したという。

明治時代、西洋の影響を受け始めた日本は、外国の地名や国名を漢字で表す必要があった。そこで中国から伝わった音訳漢字を使ったり、独自の略称を作ったりしていったのだ。

フランスの「仏」も同様に、「仏蘭西」という音訳漢字から来ている。「仏教の国」だからではなく、単に音が似ているから選ばれた漢字なのだ。オーストラリアの「豪」は「濠太剌利」という表記の「濠」が簡略化されたものだという。「豪快な国」という印象にぴったりだが、それは偶然の産物に過ぎない。

この発見に興奮した私は、さらに調査を進めた。イギリスの「英」は「英吉利」から、ドイツの「独」は「独逸」から、イタリアの「伊」は「伊太利」からきている。いずれも国の呼び名の音に近い漢字を当てはめたものだった。

万博会場を再訪した私は、今度は各パビリオンを別の目で見ていた。「伊国パビリオン」や「露国パビリオン」という表記に、それぞれの漢字の物語を重ねていく。万博は文化交流の場であるが、こうして国名表記の背景にある物語を知ることも、ひとつの文化交流だと感じた。

会場内の「日本館」では「循環」をテーマにした展示が行われていた。国名の漢字表記も、ある意味では「循環」なのかもしれない。中国で生まれた漢字文化が日本に伝わり、日本で独自の発展を遂げ、そして世界の国々を表現するツールとなった。この循環の中で、私たちは世界をより身近に感じることができるのだろう。

万博の会場を歩きながら、私は思わずニヤリとした。「英、仏、独、伊、露、豪、米」と並べると、まるで世界地図が漢字一文字で表現されているようだ。これこそが、日本人の「世界を小さく凝縮する」知恵なのかもしれない。一文字で世界を表現する文化は、万博のテーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」とも通じるものがある。複雑な世界をシンプルに表現し、理解しようとする試みだからだ。

その日の帰り道、私は万博の公式キャラクター「ミャクミャク」のグッズを手に、電車に揺られていた。駅の電光掲示板に「米中首脳会談」というニュースが流れる。今や当たり前のように使われている国名の略称だが、その背景には興味深い歴史があったのだ。

「デンマーク」を「丁抹」と表記し、中国語で「ディン・モォー」と発音すると「Denmark」の音に近くなる。「アイスランド」は「氷島」と意訳され、分かりやすさを優先している。「ペルー」の「秘」、「エジプト」の「埃」、「アルゼンチン」の「爾」など、一見すると意外な漢字が選ばれているものもある。

国名の漢字表記を調べていくうちに、もうひとつ面白い事実に気づいた。日本と関わりの深い国々ほど、略称が定着しているということだ。歴史的に交流が少なかった国には、こうした略称が存在しないことが多い。略称は、その国との「親しさ」の表れでもあるのだ。

万博会場で世界各国のパビリオンを巡ることは、異文化との出会いの旅だ。そして国名の漢字表記の背景を知ることは、言葉と文化の旅でもある。両方の旅を通じて、私は世界がより身近になったような気がした。

一文字の漢字が国を表す不思議。それは言葉の省略以上の意味を持っている。国際交流の歴史、文化の融合、そして人々の知恵が凝縮された結晶なのだ。万博という「世界の縮図」を訪れたことで、私は漢字という「世界の縮図」に出会った。

大阪・関西万博の会場を後にしながら、私は思った。「米」の一文字に、ジョン万次郎の冒険が込められているなんて、歴史は本当に面白い。そして、この小さな漢字の世界には、まだまだ知らない物語がたくさん眠っているのだろう。これからも機会があれば、この「漢字一字の世界旅行」を続けていきたい。

万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」。漢字という古来からの知恵と、それを使って世界を表現する工夫は、まさに日本らしいデザインの一つではないだろうか。一つの漢字が国を表し、一つの国が世界の一部を表す。その連鎖の中に、私たちの過去と未来がつながっている。

帰り際、「米」「仏」「豪」の三か国のパビリオンを改めて見上げた。シンプルな一文字が、それぞれの国の存在を雄弁に物語っているようだった。万博は世界の多様性を祝うイベントだが、同時に私たちの共通点も発見できる場所なのだと感じた。漢字一文字に込められた物語を知ることで、遠い国々がなぜか身近に感じられる。それこそが、万博がもたらしてくれた最大の贈り物かもしれない。

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