第38話 霜月の容態
霜月は混沌の中にいた。
洒落頭から受けた怪我は致命的だった。大きくて強靭な骸骨の手は霜月の腹を貫通したのだ。おびただしい量の血が腹から流れた。
そして内臓も傷ついた。目を開けない理由は十分にあった。しかし皆が鈴音への処置へと希望を繋いだ。今はまだ眠っているのが奇跡のようだ。
穏やかに眠っている。黒獅子の里の反乱で戦っていた瞬、諒、瑛真は疲れて交代で仮眠をとった。鈴音も先ほどまで側についていたが、仮眠を取りに行った。
仮眠から戻った瞬は霜月の顔を静かに見ていた。ようやく分かり合えたのに⋯⋯霜月がじいちゃんを殺したと聞いた時から、あんなに何も心に感じなかったのに霜月から本当のことを聞かされて霜月は瞬に謝ってきた。しかし謝りたいのは瞬も同じだった。
霜月はじいちゃんを病が身体を襲った時から亡くなるまでのすべてを背負ってくれたのだ。じいちゃんが目の前で亡くなって、悲しみにくれて暗殺の任務に没頭していた。
じいちゃんを俺以上に慕っていた霜月はどんな感情で刺したのだろうか。並々ならぬ覚悟だったのだろうと容易に想像がついた。
それを知らない俺はそんなすべてを背負ってくれた霜月に決別しようとしていた。
なんてことをしたのだろうか。こんな形で別れたくない。俺は霜月さんとようやく分かりあえて、これから始まろうって言うのに⋯⋯。
もっとちゃんと話して霜月の気持ちも知りたかったし、謝りたいし感謝も伝えたい。何ひとつ伝えられないまま今生の別れになるなんて耐えられない。瞬は捨てられた子犬のような目で霜月を見つめていた。
すると霜月の目が動いているように見える。瞼を閉じてはいたが眼球が動いているかのようにピクピクと動いている。その様子に瞬は顔を近づけて食い入る様に見つめていた。
霜月はパチっと目を開けた。
周りを見渡す。身体が動かなかったので目だけ動かした。目の前に瞬の顔がドアップになる。
「霜月さん!!!」
霜月は目を見開いた。霜月の目の前にいる瞬は以前のような目の輝きがある。また前のような会話をして良いのだろうか…。
「瞬⋯俺⋯⋯生きてる?」
霜月は混乱している。瞬は霜月の目を覗き込んで聞く。
「霜月さん昨日の会話は覚えているか?」
「えっ⋯⋯あっ!」
霜月は少し頭を思い巡らすと思い出したのか腕で顔を隠しゴニョゴニョ言っている。
「死ぬと思ったから全部話したのに⋯⋯あぁ俺、本当に色々話したな」
耳を真っ赤にしている。顔は隠しているので分からないが多分真っ赤だろう。
「俺全部聞いたよ⋯⋯。それに霜月さんの手から記憶も見た。霜月さんがじいちゃんを最期まで背負い込んでくれたこと分かったんだ。だから俺の気持ちもちゃんと伝えたい。
霜月さん覚えてないと思うからもう一回言うよ」
もういいと言う霜月の声はかき消される。
「霜月さん、俺だって貴方を守りたい。違う方へ行くなら俺が行きたい方へ引っ張っていくからな!」
瞬は霜月に笑顔でそう伝えた。
すると霜月の目は泳いでいるのか潤んでいるのか左右に揺れ始めた。霜月は自分が潤んだ目になっている気がして瞬に気づかれなければいいのにと思った。
胸に熱いものが広がっていく。それが胸いっぱいに溢れ苦しいはずなのにどこかくすぐったい気持ちもある。その気持ちを喉の奥にギュッと押し留め霜月は精一杯答えた。
「俺は⋯⋯望むところだよ⋯⋯瞬」
「へへ。そうだ、霜月さんの傷は鈴音さんが縫ってくれたんだよ。それに鈴音さんはさっきまでつきっきりで看病してくれた。礼を言いなよ」
瞬は嬉しくなって部屋を出ると諒と瑛真に霜月の目覚めを伝えに駆けていった。
その後可愛い来客があった。
「にゃーん」
「⋯⋯だてまき、一人で来たのか?」
霜月はだてまきを優しく撫でる。珍しく手に身体を擦り寄せてくる。霜月はそれを見て微笑んだ。
しばらくすると鈴音が病室に顔をだした。その隙間からだてまきは走って部屋を出ていった。二人はだてまきを見送ると、霜月はちょいちょいと鈴音を手招きする。
「鈴音、きて。僕はもう大丈夫だよ」
鈴音は目を伏せながら霜月の隣に座った。
「鈴音が縫ってくれたんだって?ありがとう。僕は死ぬと思ってたんだ」
霜月は穏やかに言った。これを聞きながら鈴音は目を伏せがちにそっと霜月の手を取る。霜月は目を見開いて鈴音を見た。
鈴音は静かに下を向いていた顔を上げて霜月の瞳を見る。熱がこもった目だった。
「霜月、どこにも行かないでとは言わないわ。ただこんな形で私の目の前から居なくならないで!」
霜月は鈴音を正面から見つめてそう告げる。
「白狼」
それを聞いた鈴音は目を丸くする。
「鈴音、俺の名前を呼んで。もう自分の気持ちは隠さない、好きだ」
霜月は鈴音に笑いかける。霜月の頬が少し紅い気がする。鈴音は少しうつむいて下から霜月を見ると呼んだ。
「白狼」
「ん」
名を呼ばれた霜月は返事をする。そして霜月と鈴音はお互い何か伝えたいことがあるような目を向けている。しかし二人は閉口し続けた。鈴音が握った手と握られた霜月の手だけがドクドクと脈うっていた。二人の心には同じ想いがあった。このまま時が止まればいいのに。
(これ以上はダメだ。我慢できなくなる。)
霜月は決意する。
「白狼」
「ん」
「白狼」
「ん」
「白狼。白狼っ」
鈴音は霜月を見ると嬉しそうに呼んでいる。
「そんなに呼ばれたら困っちゃうよ?」
(俺が我慢出来なくなるんだよ。)
鈴音の目は少女のように澄んでいる。目の前の彼女は嬉しそうだ。
「だって目の前にいるんだから呼びたいじゃない」
(もうダメだ。)
霜月の決意はあっけなく壊れた。
「鈴音、今までもこれからもずっと誰よりも愛おしい⋯⋯」
「白狼、私も大好きよ⋯⋯」
そして鈴音の腕を引くとそっと顔を近づけた。霜月は優しい眼差しで鈴音を見ていると鈴音の瞳に吸いこまれそうになった。
鈴音も見ている。霜月の瞳に映っている自分を見て霜月の瞳には自分しか映っていないことに満足した。
二人の距離はどんどん近くなる。
霜月は鈴音の顔を両手で優しく包んだ。すると鈴音は愛おしそうに霜月の左手を右手で包む。
二人の鼻がそっと触れ合う。お互いにまぶたを閉じると唇が触れ合った。二人の胸は高まる。スッと唇を離すと霜月はコツンとおでこをくっつけて下から鈴音の目を覗く。
「もう一回」
もう一度唇をつける。
二人は唇を離すと霜月は鈴音の手を取り手の甲に口づけした。それを見た鈴音の顔が赤くなる。すると霜月は鈴音が赤くなったので笑う。
「ふふ、今赤くなるの?」
それを聞いた鈴音は拗ねた子どものように口を尖らせた。鈴音は目線を外して口を開く。
「だってあなたにすごく大事にされているように感じて⋯⋯」
霜月はそれを聞くともう一度鈴音の頰を左手で触る。
「“大事にされているようで”じゃなくて、大事なんだよ。誰よりも⋯⋯」
次は頰に口づけをする。
「一番大事だ」
霜月はそう告げると鈴音の目を覗き込む。
「鈴音、もっとしていい?」
「うん」
鈴音が頷くと霜月は口を開けて唇を重ねた。
「あっ⋯⋯」
鈴音は思わず声を上げる。霜月の舌が鈴音の口に入ってきた。優しくなぞる霜月の舌の感覚に鈴音は頭が真っ白になった。恥ずかしいけど心地よい。
霜月は口を離すと鈴音を抱きしめた。 すると鈴音は霜月の胸の鼓動が速いことに気がついた。
霜月は鈴音の顔をもう一度覗き込むと少年のように照れた顔を鈴音に向ながら笑った。
「好きな人が目の前にいるんだもん。俺だってドキドキしてるんだよ?」
しばらくするとだてまきを抱いた諒が霜月の病室近づいた。それを見た瞬は諒を静かに手招きした。すると諒は音をたてないように瞬に近づく。
「今鈴音さんが病室にいる。今行くのは野暮ってもんだろ?」
諒は驚いて口を開けた。
「すごい。瞬、成長したね」
「だろ?」
瞬は諒に向かってニカッと笑った。
さて、過去編が終わりようやく本編も再開です!このあと【おまけの病室談】を掲載します。
次回:第39話-1 頭を無くした胴体の行き先(橙次乱入編)掲載予定です。
次回は過去編に出てきた橙次がようやく登場します。ただしうるさいのでイチオシの台詞も省略させてもらいます。
次回の作者イチオシの台詞↓
「霜月、お前から会いに来るって言うからこっちはずっと待ってたのに全然来ないじゃん。それで鈴音に聞いてみたらお前が死にかけてるから⋯(以下略)」




