第18話 瞬の特訓(前編)
夕方になって諒たちが戻ってくると、瞬を見た諒が口をあんぐり開けた。
「瞬、どうしたの?両方のほっぺすごく腫れてるよ!蜂にでも刺された?」
諒は瞬に近寄り心配している。瞬の頰はパンパンに腫れていた。瞬は右手を頬に当てる。
「そんなに腫れてるか?訓練の一環で⋯⋯。」
「どんな訓練したら頬がこんなに腫れちゃうのさ?」
諒は霜月をキッと睨んだ。霜月は濡れた布を瞬に渡すと諒に顔を向けた。
「時間が無いから身体に覚えさせてるところだよ。」
それを聞いた諒は少し後ろに下がった。だてまきは諒の足にくっつく。その後諒とだてまきは瞬の後ろに隠れて瞬の背中に大きな声でこう告げた。
「何かあったら僕に言ってね!」
「にゃ!」
だてまきも援護射撃ならぬ”援護にゃ撃”をする。
力也はそのやり取りを見たあと探るように霜月に聞いた。
「⋯⋯それで一体何の訓練をしてたんですか?」
霜月は訓練内容をひと通り説明した。説明が進むにつれ力也の顔が引きつっていく。
力也は聞き終わる頃には青ざめていた。そして力也の様子を見た霜月がニコリとして力也に促した。
「力也、今思ったこと言葉に出してくれるかな?」
「ふう⋯⋯失敗による痛み付けというのは諸刃の剣だ。失敗は痛いものであると体感すれば同じことを繰り返す前に身体が反応し気づいて正しい動きが出来る可能性は高い。
しかしその方法がうまくいかないと失敗は痛いものであると恐怖に結びついてしまい、不要な身体の緊張を呼び起こしたりそれが癖付いてしまうと、直すのは大変だ。それに加えて訓練を嫌がる、無気力感に見舞われたりする。だから肯定感を尊重しながら失敗に気が付きやすくして正しいものを得ることを短期間で行うのはとても難しい。」
力也はそこで言葉を区切り、瞬の方を見るとこう続けた。
「だから余程、瞬から霜月への絶対的な信頼があるんだろうなって思ったんだよ。」
霜月は満足そうな顔をした。
「力也は想像以上に優秀だね。」
「でも逆なんだよ。僕が瞬を⋯⋯ね?」
大事な部分を霜月に省かれてしまった。
霜月は瞬の方を向いて口を皆から手で隠すと口をパクパクさせた。
瞬は読唇術でこう読み取った。
『君に頼るしかないんだ。』
瞬は嬉しくなった。
大事な部分を省かれて、いきなり瞬がにやにやし始めたので、それを見たシロは眉をひそめた。
「瞬、変な顔してる。」
「違っ、頬が痛いだけだ。」
瞬は慌てて平然を装った。
夜なると力也は帰っていった。瞬は周りをキョロキョロしてから、霜月に言った。
「あのさ霜月さん、瑛真と手合わせした時に瑛真が炎の暗器っぽい力を使ったんだけど⋯⋯」
瞬は言葉を選びかねて沈黙する。
瑛真は瞬を見ると頭を上下に振って同意する。
「確かに!」
諒も思い出したように言った。三人が霜月を見ると、目を丸くさせて目を少し泳がせた後静かに下の方を向いた。
「⋯そうだね⋯」
霜月は肩を落として力なく言った。
(霜月さんその事について忘れてたのか!)
瞬は諒と瑛真を見ると同じ思いだったようで二人は瞬と目が合うとコクリと頷いた。
瞬はあの霜月さんが忘れるなんて想像以上に赤龍との交渉で心をかき乱されたんだなと慌てた。
「いやっ霜月さん、そんな時もあるよな。まだ決闘まで時間があるし、おいおい見てもらえれば大丈夫だよ!」
瞬は明らかに慌てている。それを見て諒もピンときた。
「霜月さんも疲れてるだろうから今日は早めに寝ようよ!誰だってそんな事あるもんね!?」
「ごめん⋯⋯その話は明日にしようか。僕はちょっと忘れ物を取りに行くよ。」
霜月は肩を落として森の中へ入っていった。瞬は霜月の姿が見えなくなるのを確認すると諒にこう言った。
「赤龍殿との交渉の件、上手くいかなかったから霜月さんは相当引きずってるぞ!普段絶対見せない反応ばっかりしてるもんな。」
「霜月さんは完璧すぎるって思ってたけど、今日の霜月さん僕は好きだな。」
瞬の言葉を聞いた諒はどこか嬉しそうだ。
そして瞬は諒の言葉にニヤリとした。その様子を瑛真はだてまきと見ている。
瞬は諒にこう返した。
「その発言は霜月さんに、怒られるやつかも知れないからここだけにしておこうぜ。俺も今日の霜月さん好きだけど。」
「俺はそのやりとり分かんないけどお前らの関係性好きだな」
「にゃん。」
それを聞いた皆は見合わせ笑い始めた。
すぐ近くの木陰で気配を消していた霜月は馬鹿者と言葉をこぼしたが顔は怒っていなかった。
次の日、瞬はパチリと目を開けると呟いた。
「あれっ?朝?」
瞬は素っ頓狂な声を上げた。
それを見た諒が駆け寄ってきた。
「霜月さん、瞬が起きたよ!」
「こんなにぐっすり眠った瞬、初めて見ちゃった!」
諒は瞬に向き直ると元気よく言った。
瞬は昨日の事を思い出す。昨晩はあれから霜月が戻ってきてこれを飲むようにと薬草茶のような物を飲まされた。お茶に何か入れられたな。暗殺時代からすればあり得ない行動だなと思った。瞬はスッと立ち上がると霜月に近づいた。
瞬が近づいてくると霜月は挨拶した。
「瞬、おはよう。」
霜月は瞬の言葉を待つ。
瞬は霜月をじとっと見た。
「霜月さん、おはよう。貴方のおかげで記憶が吹っ飛んだんくらい寝れたんだけど何入れたの?」
「えっ何って睡眠導入剤。」
霜月は平然と答えた。
霜月は昨晩と打って変わって通常運転のようだ。
「平然と睡眠導入剤入れてくるなんて、霜月さんホント良い性格してるな。」
瞬は嫌味たっぷりに返す。
霜月は一度にこりとしてから真顔になって言った。
「これから毎晩軽いの入れるから飲んで。訓練の疲れはその日に取らないと決闘までに間に合わない。君は夜に気を張りながら寝る癖があるからちゃんと疲れが取れない。僕の添い寝でちゃんと寝るか、睡眠導入剤飲むかどっちが良い?」
「うぐっ」
瞬はぐうの音も出なかった。暗殺時代は夜の任務ばっかりで木の上で警戒しながら寝ていたので熟睡と言うものを知らなかった。今日起きた時は記憶がスッ飛んで正直怖かった。毎晩しっかり寝て起きるほうが訓練よりも辛いかもしれないと思った。
「朝飯食べたら訓練の支度して集まって。」
霜月は皆が集まると口を開いた。
「昨日はごめんね。これからはしっかり対策立てるからね。
午前中はさっそく瑛真の暗器の検証をしよう。あっ今日は力也に午後から来てもらうことにしたよ。
そしたら早速あの時のおさらいをしようか。
瑛真は初めて瞬と手合せしている最中にカッと熱くなった。その感情と能力は関係があった?
気持ちが熱くなればなるほど、瑛真の拳も熱くなった?」
霜月は瑛真に探るように聞いた。
瑛真は瞬を見て霜月の方を見ると説明を始めた。
「感情と能力は関係があったっす。あの時瞬に攻撃を防がれて⋯⋯ぶっ飛ばしてやるって思ったら拳から熱風みたいなのが出た。はじめは少し熱いなと思うくらいだったからそのまま瞬にストレートパンチを出した。瞬は両腕でパンチをガードしたんだけど、炎と煙みたいなので瞬が見えなくなったんだ。」
「それ以降、力が出たかな?自由に出せる?」
「無いっす。あれから何度も思い出して再現しようとしているんだけど、中々出ないです。」
「ふむ、それ以降同じくらいのぶっ飛ばしてやるって思ったことあった?」
「無いっす。」
瑛真は空をちらっと見ると首を横に振った。霜月はそれを聞くと瞬の方をちらりと見てこう言った。
「うーん、僕も遠くから見てたんだけど火と風みたいなのが拳の周りを纏ってたんだよね。ガードした瞬の周りも焦げと鎌みたいな傷が地面に残っていた。
瞬、君はあの時服の破れと焦げ以外怪我はなかったんだよね?」
「あぁ、俺も熱を感じていたから服が焦げたのはすぐに納得したんだけど、腕に傷一つ無かったから不思議に思ったんだ。」
「あの時何を思ってたの?感情は?身体に何か変わったことはあった?」
霜月は畳み掛けて質問する。そう聞かれて瞬は自分の手をじっと見た。そして視線を右に移し思い出していた。
「⋯⋯まずいって思った後、心の中が真っ白になった。ガードした腕は何も感じなかった。⋯自分はそこにいないような感覚⋯かな。」
霜月は瞬の目をじっと見て何かを捉えようとしている。
霜月は続けて問いかけた。
「今まででそういう経験はあった?今その再現はできる?」
「今まで⋯⋯」
瞬は片眉を上げた。
瞬は喉につかえた魚の小骨のように何かひっかかると感じた。
瞬の表情はいきなり変わった。
「あっ⋯⋯じいちゃんが死んだ時。」
瞬はどこかを見ながら訴えるように話し始めた。
「⋯⋯あの時、誰かいたんだ!じいちゃんを見た瞬間、心の中が真っ白になって自分が空気みたいな感覚になった時、あの部屋の中には誰かがいた!」
瞬は霜月を見ようと視線を動かした時、霜月は瞬の目の前に目隠しをするように手を置き反対の手で瞬の背中をポンポンと叩いた。
「ごめんね、辛いこと掘り返した。無理に思い出さなくて良いよ。」
霜月は優しく言った。瞬はそう言って背中をポンポン叩く霜月の心臓がなぜこんなにばくばくと音を立てているのか疑問に思った。諒はそのやりとりをじっと見ていた。瞬の背中を叩く霜月の顔があまりにも辛そうで忘れられなかった。
霜月は瑛真を呼ぶと自分と組手をして検証しようと言った。瞬には諒と一緒に赤龍の里に下りて、力也に赤龍の者と手合せを取り計らってもらうように言った。
瑛真と霜月は二人になると一気に静かになったような気がした。霜月は眉間に皺を寄せて何か考えている。瑛真はちらっと様子を伺うとえいやっと聞いた。
「霜月さん、さっきなんであんなに辛そうな顔してたんすか?
瞬のじいちゃんって霜月さんの親しい人?」
瑛真が口に出すと霜月が鬼の形相で見た。あまりの迫力に瑛真は首を絞められた様な感覚になり思わず自分の首の無事を確かめた。
「今後それについては一切口に出すな。」
霜月は真顔で瑛真に迫り突き放すように警告した。瑛真は霜月の地雷を踏んでしまったと気がついたがその後悔は後の祭りだった。
「それから瑛真、君が決闘までに暗器の力を使えるなようにならなければ君を殺すよ。脱里対象がいなければ決闘は反故になる。そしたら瞬も戦う必要が無くなる。僕はまだ瞬から離れることは出来ないんだ。
なんでこんな事を言うかというとね、この決闘は瞬の勝利だけじゃない。
瑛真の勝敗は関係ないと赤龍殿は言ったが里の者は勝利が暗黙の条件だと思ってる。君も勝たないと意味がないんだよ。暗器は君の切り札だ。使えるようにならないと勝てないと思ったほうがいい。」
瑛真は獅子に噛みつかれた子犬のように力の差は感じていたがそれでも食らいつくような目をした。
「どうせ暗器も使えなかったら仇討ちに行っても殺させるだけだ。それくらいの覚悟は出来てる。
それとその際だから、この場限りで言わせてもらうと霜月さん地雷が分かり易すぎるよ。力也さんを骨抜きにするくらい上手く立ち回れる人がこんなに感情的になれば本人だって気がつくぞ。」
「くそっ⋯⋯。」
「⋯⋯感情的になって俺を殺さないでくれよ?俺もその件に関しては出来るだけ協力するからさ。」
「⋯⋯すまなかった。さっきのは忘れてくれ。」
霜月の目は泳いでいた。
瑛真は真っすぐ見た。
「いいよ、その代わりにちゃんと強くしてくれよ。」
「分かった⋯⋯、対戦の準備をしっかりしないとだね。力也に理由は話さなくていいから”死ぬ気で鍛えてほしい”と霜月から言われたと伝えて。時間の付く限り君の訓練も見る。
瑛真の対戦も絶対に勝ちに行くぞ。」
同じ頃、武道場では瞬と諒が手合せしていた。
瞬の腹に攻撃が当たる。
「いてっ」
「おいおい、何回目だ。考え事して手合せしてんじゃねーぞ!」
力也が怒鳴った。それを聞いた瞬はハッと我に返るとがばっと頭を下げて大声で謝った。
「すみません!もう一度お願いします。」
「朝から腑抜けだなぁ。」
力也はブツブツ不満を漏らす。諒はちらりと瞬を見た。諒は何も言わずに視線を戻すと自分の手合いに集中した。
その後、諒は自分の手合いが先に終わると瞬の手合いを待った。終わるのが分かると諒はダダダッと走って瞬に近づいた。瞬の背中が近づいてくると諒はピョンとジャンプすると両足で瞬の背中を思いっきり蹴った。すると瞬の上半身は弓なりに反り前にふっ飛ばさせる。
「どわっ!!」
瞬は思わず前に倒れる。
諒は仁王立ちになり大きな口を開ける。
「僕の攻撃も気づかないなんてどーいうこと?その考えてる事は決闘に役立つ事なの?今集中しなきゃいけないのは決闘に勝つことでしょ!じゃないと霜月さんとバラバラになっちゃうんだよ!」
瞬は目を丸くしてる。諒の顔がさらに近づいてくる。
「僕は決闘に出れないし、どーすることも出来ないけど、いつでも話くらいは聞けるから一旦忘れて!⋯⋯じゃなかったらもう一度瞬に素手で手合いを申し込むよ!」
諒は大声で言った。瞬は諒をじっと見るといつもより頼もしく見えた。瞬は今朝の霜月の様子について後で聞いてみようと心に決めた。
「諒、心配かけてごめんな。」
瞬はパァン!!と両手で自分の頬を叩いた。
「よっしゃあぁぁぁ!!」
瞬は両手の拳を固く握ると、大声を上げて自分を鼓舞した。
お読み頂きありがとうございます!
次回は瞬が霜月にあることの核心を突きます。そこへ諒が援護射撃をして⋯。どうなっちゃうんでしょうか?
次回の作者イチオシの台詞↓
「瞬と君に嘘は一つも話していない。」




