第61話 霜月と橙次
霜月は橙次に問いかけた。
「戦う前に一つ聞きたいことがある。阿道殿を討って姿をくらましていた光原を殺ったのは橙次でしょ? さっきの幻術を見て確信した。相当の強者じゃないと無傷のまま誰にも気が付かれずに出来ないと思う」
「そうだ。他に何かあるか?」
「⋯⋯他は終わったら聞く。話してくれるんでしょ?」
霜月は肌にはピリピリと強者の雰囲気が伝わっていた。それでも霜月は橙次のことを仲間だと思っていたし、この相対する状況を受け入れられずにいた。
「白狼がそんな夢物語を言うとは思わなかった。終わったら⋯⋯」
それを聞いた橙次は弱った顔をして、その後の言葉を飲み込んだ。橙次はその終わった後のことを想像したのだろう。
霜月は真剣な顔で言った。
「⋯⋯こんなこと言うのも変だって思われるけど、俺は橙次に勝てない」
橙次は口を閉じたまま否定はしなかった。強者になればなるほど自分の実力と相手の実力が分かるものだ。霜月にはその実力差が分かっていた。
だから自分がいなくなった時のことを考えると洒落頭から瞬を守れるのは橙次一番可能性があると考えた。
「⋯⋯俺が死んだら瞬を守ってはくれないだろうか?」
霜月の心からの願いだった。橙次はその言葉に目が泳いだ。その言葉に橙次は霜月が自分にやられることを分かっていて頼んできていることを分かっていたのだ。そして口を開いた。
その時橙次の背中に声が投げかけられる。
「橙次、何やってるの? ちゃんと言う事を聞きなさい。⋯⋯ね?」
橙次はその言葉に全身をビクッとさせた。絶対的な声の主の存在に目だけではなく心をも揺らいでいた橙次の心はまた戻ってしまった。
そして橙次は景色を真っ白にした。橙次の幻術はどれも霜月のものよりも段違いに強い。霜月は幻術返しをするが自分の周りしか見えなかった。
バチン、頬を強く叩かれる。幻術を返しても周りがほとんど見えない。気配で探るしかないと思い、霜月は気を張りつめる。気配から左の方にいると判断して回し蹴りをした。
すると蹴りは橙次に当たったが橙次にガードされてしまった。霜月は手を伸ばし景色を歪ませようとしたが、肝心の人が見えないので幻術のかけようもない。正面から橙次の手が見えたので、急いで霜月は仕掛ける。
「幻痛」
「つっ!」
霜月の攻撃は当たらず、その上橙次のミドルキックが霜月の左脇腹に直撃して吹っ飛んだ。すぐさま体制を整えると手裏剣を気配のする方へ投げる。
カラン、カラーン、空振りだ。すぐに移動する。自分が如何に橙次の手の上で転がされているのか分かっているつもりだった。
その時霜月の身体が動かなくなった。こんなに自分がかけていた術を受けるとこは初めてだった。橙次に足止めくらいは出来るだろうと考えていた自分が甘かったと感じていた。景色が晴れると橙次が目の前にいる。
「⋯⋯どうやって殺してほしいか? なるべく苦しまないでやりたい」
そう口にする橙次の方が痛みを受けたように顔を歪めている。橙次も自分のほうが強いことを分かっていたのだ。せめて自分の出来る情けはかけたい。
だが、霜月はキッと睨むと好戦的な目をした。出来る限りの痛そうな殺し方を言い放った。
「なぶり殺し」
それを聞いた橙次はため息をついた。橙次は霜月が自分を困らせようとして言っていることも分かっていたのだ。そこに隙が出来ているのを見つけると霜月は橙次に幻痛をかけた。
「いっ!」
橙次は胸当たりの服をぎゅっと掴んだが、すぐに霜月の金縛りが解かれる。
「夢回廊」
霜月はさっき夢祭りを体感して夢回廊の上位幻術だと確信していた。霜月はただ困らせようとして“なぶり殺し”と言ったわけではなかった。
少しでも時間を稼がないといけない。なぜなら橙次はおそらくここにいる者の中で洒落頭の次に強い。
こんなやつを野放しにしたら洒落頭を倒そうなんて言う話どころではない。橙次に全員やられてしまうかもしれない。少しでも洒落頭に誰かが攻撃を出来るように。自分に橙次を引き付けておかなければならない。
夢回廊の中で霜月は幻術を使った。パァン、霜月の幻術はすぐに跳ね返される。そして橙次からみぞおちに蹴りが入る。
「ぐっ!」
苦しみから霜月の声が漏れる。そして霜月は橙次の威力のある蹴りに派手に後ろに吹っ飛んでいった。霜月は地面に背中をつけたが、すぐに一回転してしゃがんだ。そして自分を見えにくくした。そのまま自分の幻を作る。
パン、幻は消される。
今度は木の幻を作り、霜月は円を描くように走り橙次との間合いに入る。霜月のの視界に構えている橙次が入ってきた。あれは脇に入るフックだ、入る直前の隙を狙おう。霜月は動かないで攻撃を受ける体勢に入る。
そしてフックが直撃すると脇腹に当たった橙次の腕を両手で掴む。金縛りをかけると両脚をかけて締める。しかし金縛りは橙次に効かなかった。橙次は攻撃をしている最中でさえ、幻術返しが出来るようだった。
「ぐぁあ!」
全身に激痛が来て霜月は痛みに耐えかねた叫び声を上げた。そして霜月は地面にドサッと落ちた。橙次は追い打ちをかけてこない。霜月は痛みを耐えながら立ち上がるとと橙次を見る。向こうも見て立っているので、霜月は煽った。
「橙次、じわじわ痛めつけるの上手いじゃん」
霜月は橙次と目が合った。すると向こうは顔を歪めて、横を見た。
そして橙次は吐き捨てた。
「くそっ」
(幻術どこほか体術も遥かに上か、僕には何のカードも残されてないな)
霜月は両腕で顔をガードする姿勢をとった。橙次も自分のほうが体術も上な事を感じていた。目の前にいた橙次の姿が消える。深く踏み込んだ橙次はストレートパンチを霜月に出すとみぞおちをえぐった。
霜月は痛みに耐えかねて膝を折る。
霜月は下を向いてぎゅっと目をつむって痛みをこらえる。橙次はゆっくり近づいてくると短剣を構えた。それを見て霜月は橙次が痛みで苦しまないように剣で急所を刺してくると直感した。
(戦いに勝てなくても橙次は僕の死に方を配慮している。だかは時間稼ぎはまだ出来ると思う。もう少し橙次を引き付けよう。)
「橙次待って、僕をもっと痛みつけてよ。もっと痛みつけていいから瞬を守って⋯⋯」
霜月の目はまだ痛みで潤んでいた。それを聞いた橙次は短剣を持った手を震わせる。その震えはトドメを刺したくない気持ちなのか、この先になぶり殺しにすることになる憂いなのか、霜月は分からなかった。
短剣をしまって右手の拳を後ろに引き上げる。それを見た霜月は両腕で顔をガードする。橙次はガードの上から勢いよくパンチを浴びせた。
めきっ、変な音がしたと同時に霜月は後ろにふっ飛ばされた。
(やばい、腕折れたかも)
腕が痛くて受け身が取れない。霜月は地面を転がった。霜月はすぐに起き上がらず地面の上を転がっている。すると橙次が近づいてきた。霜月が視線を向けると橙次は泣きそうな顔をしたままだった。そして霜月に問う。
「白狼⋯⋯何でそこまでするんだ?」
霜月はそれを聞きながら全身が痛みで悲鳴を上げ始めた身体に鞭を打ち、上体を何とか上げると橙次を見た。
「何って瞬たちを守りたいだけだ。瞬や諒や瑛真や長月⋯⋯豪やたくさんの大切な仲間たちを守りたい」
霜月の腕はズキンと悲鳴を上げた。強い痛みを感じる。
(まずい、もう余裕がない。時間稼ぎももうそろそろ終わりだ。せめて瞬だけは守りたい⋯⋯。僕の気持ちの少しでも良いから橙次に知ってほしい。)
霜月は瞬のことを頼むはずが自分の腹の底からぐつぐつと湧き出る感情を止めることが出来なかった。好戦的な目で橙次を見るとさらに煽る。
「ぐっ⋯⋯こんな痛み⋯⋯お前の親父から腹を貫通させられた時よりずっとましだ。それから橙次、俺を殺すんだろ? 白狼なんて親しみ込めて呼んでじゃねーよ!」
霜月はぺっと唾を地面に吐いた。それを見た橙次は踏み込んだ。霜月は立ち上がって橙次と間合いを取る。橙次の左脚だけ金縛りをかける。橙次の動きが鈍る。霜月は間合いに入るとハイキックを橙次の頭に食らわせた。
橙次はよろけた。
霜月は拳を構えたが、頭を突き抜ける激しい痛みを感じる。
距離を取って回転キックを出す。橙次にガードされる。
霜月は痛みに顔を歪める。
肩を上下させ、痛みを我慢する。目の端に涙がにじむ。
(全身が痛い⋯⋯痛くない動作がない。痛みで思考が吹っ飛んでしまう)
そこへ右から顔に激しい衝撃が来た。霜月は力と虚しく地面を滑っていく。霜月は自分の無力さに笑い始めた。
「ははっこんなことなら諒に薬もらっとくんだった。死ぬ直前まで戦えるように」
霜月は悔しかった。
秋実を黄泉の国へ送ってから右も左も分からない影屋敷に入って、初めは、なんだこいつって思ったりもした。毎日のように訓練して、いろんな話してご飯を食べて⋯⋯今考えると橙次には訓練は必要はなかったんだと思うが楽しかった。
初めて出来た仲間だった。憎まれ口を叩いてもずっとそばにいてくれる気の許せる大切な仲間だった。
今はただ悔しい⋯⋯自分が一番の仲間だと思っていたが宿敵の息子だった。そのことを秘密にされたのが悔しいのではない。
今、その親父と自分を天秤にかけて自分を選んでもらえなかったことが悔しいのだ。
橙次はこちらを見て口を開いている。その顔は傷つき裏切られたように歪めている。橙次は親父を選んだくせになんでそんな顔をしているんだ。霜月の中に怒りが湧いてくる。そして霜月は地面に座り込んだまま一喝する。
「何でお前のほうが痛い顔してんだよ!」
「⋯⋯何でそんなことが出来るんだ? 勝てない相手だって分かったんだろ? それなのに何でそんなに向かってこれるんだ?」
橙次は霜月の行動を理解が出来ないような顔をしている。霜月は自分をさらけ出すしかなかった。
「なんでって俺はこれしか残ってないんだ。ぶっちゃけ激痛で死にたいって今思ってるよ。それでも⋯⋯仲間だって思ってたお前の心に少しでも傷痕も残したいんだ。⋯⋯くそっ立てたら馬鹿野郎って一発思いっきりぶん殴っているのになぁ」
霜月はそういうと下を向いてしまった。自分の気持ちが伝わらないのも、己の弱さも自分の望みが叶わないことにもすべてにおいて力不足なことに泣きたくなってきた。そしてそのまま泣きそうな顔をして橙次にこう伝える。
「なぁ、頼むよ。瞬の味方になってやってくれないか? ⋯⋯味方になってやってほしい。」
それを聞いた橙次は怒鳴った。
「だからなんで瞬の心配ばっかりしてるんだ? 自分が死にそうなんだぞ?」
霜月は空を仰いだ。
「橙次が瞬を守るって約束してくれたら⋯⋯俺だって早く秋実先生のところに行きてーよ! 全身痛くて頭がどうにか⋯⋯なりそうだ」
霜月は上を向いていたので橙次の目が泳いでいたことに気が付かなかった。
(もう、時間稼ぎも出来ない。次で終わりか。)
霜月は橙次の方を見た。
そっと右手に力を溜め始める。
10
9
8
「橙次、頼む」
7
6
橙次は口を開いた。
「白狼⋯⋯」
5
「分かってるんだ」
4
「地獄牢やる気だろ?」
3
ドクン!霜月の胸は跳ね上がる
2
霜月は橙次と視線を交差させる。
1
霜月は大きな口を開いた。
「地獄牢!!」




