第59話-3 瞬の葛藤(後編)
諒は瞬の手を引っ張って近くの森の奥へと消えていった。先ほどの返答を聞いた霜月は瞬の心が限界に近いのではないかと感じた。判断も出来なくなっている。
春樹殿は霜月が秋実の看病で心が辛い時に感情を逃がす場を作ってくれた。諒がその役目を買って出てくれたのでほっとしたが、少しでも助けになりたい。
そう思って長月は意図の分からないような顔をしてやってきた。そして霜月はこう伝える。
「豪、瞬は心がいっぱいいっぱいになっている。感情を逃がす場所が必要だ。朝陽か夕陽に頼んで幻術の空間を作ってくれないか?」
「あぁ、それは構わないが⋯⋯」
「白狼さんと豪殿、朝陽か夕陽を瞬の元へ連れて行く役目は俺に任せてくれないか?」
そう提案したのは瑛真だ。
霜月の提案にそう言いながら長月は霜月に目配せしていたが、瑛真の真っ直ぐした目を見て強く頷いた。そして霜月は瑛真に近づくと瞳をじっと見てこう託した。
「瞬が頑張っているのは僕もよく分かっているよ。でも原因が僕なだけに出来ることに限界がある。諒と瑛真には瞬を託すしかないんだ。
朝陽か夕陽に幻術空間を作ってかもらうから人目を気にせずゆっくりしてもらいたい。もし僕のことを気にしている素振りを見せたら、一心殿と一緒にいるから困ったら来るように伝えてほしい」
「分かった」
瑛真は強く頷くと長月の方へ行った。長月は今日の訓練では朝陽が幻術を使っていたから、夕陽に頼むことにした。夕陽を呼ぶと事情を説明する。夕陽は聞き終わるとコクリと頷いた。そして長月が瑛真にこう伝える。
「夕陽に幻術を張ってもらう。いらなくなったら内側から無効化してくれ」
「分かった。夕陽、これから諒と瞬を探しに行こう」
「えぇ、分かった。瑛真についていくわ」
瞬は諒に連れられるまま森の奥へと入っていく。少し歩くと皆の姿が木で見えなくなった。しばらく歩いていくと諒が瞬の手を離すと振り返って瞬を正面から捉えた。
「瞬、辛いでしょう? 無理しすぎだよ⋯⋯。頼りないかもしれないけど、僕だって仲間だからその心につかえているものも溢れ出したい気持ちも全部聞かせてほしい」
「⋯⋯そりゃあ⋯⋯辛い⋯⋯」
遠くから瑛真と夕陽が走ってくると瑛真は瞬を呼んだ。
「瞬、無理するな! 瞬だって白狼さんのことを大切に思っているんだろう? それなら白狼さんの前で出せない気持ち全部出してくれよ。俺たちの前じゃなくてもいい。夕陽が幻術の空間を作ってくれる。中でゆっくりしよう?」
「俺は⋯⋯俺は⋯⋯」
瞬は苦しそうに顔を歪み始めた。力が抜けて膝をつく。すると瞬の横にだてまきがやってきた。瞬は目を見開いてだてまきを見るとゆっくりとしゃがんだ。そっと手を伸ばすとだてまきは瞬の手にすり寄ってきた。
その時、瞬は八傑になった霜月に初めて会った時のことを思い出していた。霜月はいつも厳しい訓練をしてきて、瞬はボコボコにされたけどいつもどこか気に留めてくれているように感じていた。
その時はじいちゃんと三人で暮らした記憶は無かったが、それでも命を救ってくれた恩を差し引いても霜月を慕っていた。
もっと強くなりたい、役に立ちたい、霜月さんと共にいたい、その気持ちに嘘は無かった。瞬の胸の中には霜月と過ごした日々でいっぱいになってゆく。
胸が苦しい⋯⋯瞬はだてまきを抱きしめた。瞬の目から涙が溢れてきた。その様子を見た夕陽は慌てて瞬たちを幻術の空間で取り囲んだ。
「あうっ⋯⋯皆⋯⋯だてまき⋯⋯白狼はずっといるんだよな? ⋯⋯怖い。俺は怖いんだ。白狼がもう一度俺の目の前から消えてしまうんじゃないかって心配になっている。⋯⋯白狼だけじゃなくて、もう誰も⋯⋯失いたくない。
⋯⋯俺がもっと強かったら⋯⋯ぐすっ⋯⋯白狼は傷つくこともなかった。もっと俺が洒落頭と戦えていたら変わったはずなんだ」
瞬の涙はポタポタと落ちて地面を濡らしていく。その様子を見た諒の目からもボロボロと涙が溢れる。そしてそっと瞬にくっついた。瑛真は必死で涙を堪えて瞬と諒の肩を抱いた。
しかし堪えきれずに涙が頬を伝った。その涙はしばらくの間枯れることはなかった。胸に溜まった苦しみを外に出すように、この苦しみがすべてなくなればいいのに⋯⋯一人よがりで弱い自分を追い出すように瞬は泣きながら何度も叫んだ。
――――――
瞬は顔を上げると辺りが橙色に変わっていることに気がついた。あぁ、こんなに時間が経っていたのかと感じた。顔を上げると諒と瑛真も泣き腫らしていてひどい顔をしている。二人を見ると自然と微笑んだ。
おそらく二人も自分の顔がひどいことになっているのは気がついていると思った。二人は顔を上げると優しい目で微笑んだ。それを見た瞬は心の中に使えていたものは少し減った気がした。
それなら前へ進むしかない。瞬は口をぎゅっと結ぶと、無効化の力を使った。
瞬が幻術の空間を無効化して外へ出てくると、それを目の当たりにして夕陽は目を丸くしていた。瞬は夕陽のほうを見た。
「夕陽、幻術の空間ありがとな」
「いえ、大丈夫です。お父さんの大事な仲間ですから」
「ははっ、あっひどい顔をしているのは勘弁な」
そう笑う瞬の顔を見て諒はすかさずこう言った。
「瞬、ひどい顔してる」
「おい、諒と瑛真もひどい顔してるぞ」
「おいおい、それなら何か言い訳考えねーといけないな」
瑛真の言葉に瞬と諒は笑った。瞬隣で立って静かに見ている夕陽を見ては泣き腫らした目で顔がひどいことになっていると思っていたが、目が合うと夕陽は瞬を見るとにっこり笑った。
「瞬殿は強いんですね」
「いや、強くなっている最中だ」
その日の夕餉になると瞬は腫れぼったい目をしながら、ご飯を口いっぱいにかきこんだ。諒は心配そうに見ている。
「瞬そんなに食べて大丈夫?」
「大丈夫じゃない。でも食べて少しでも元気をつけないといけない気がする⋯⋯」
瞬はゴクリとご飯を飲み込むとはっきりと答える。
諒は穏やかに聞いた。
「そっか。⋯⋯瞬、ご飯を食べたらちょっと散歩しない?」
「あぁ」
夜はひんやりとした空気が流れている。すっかり秋めいてきた。二人はゆっくりと外を歩いている。そして諒は瞬を横目で見て口を開いた。
「瞬、辛い時はいつでも僕か瑛真を頼ってね。白狼さんに話せないこともあるでしょ?」
「身体が疲れると、結構心にくるな。さっきは恥ずかしいところを見せたけど、少し心が軽くなった気がする」
瞬は諒の方を向いた。諒は目を丸くして瞬を見た。しばらくすると前を向いて少し笑った。
「ふふ、さっきはあんなに自分をさらけ出してくれて嬉しかった。自分の内を見せてくれるくらい大事な仲間だって思ってくれてるようで⋯⋯」
瞬は歩みを止めた。
「大切だ」
諒は瞬の方へ振り返って歩みを止めた。
「俺は白狼も大切だけど諒も瑛真も大切だ。諒が心配してくれているのも俺にちゃんと伝わっていると思う。だから俺もちゃんと伝えるよ。自分一人では乗り越えられないかもしれないけど、その時は今日みたいに頼ってもいいか? ⋯⋯でも絶対に乗り越えるから隣で見ててほしい」
諒はそれを聞くと眉をひそめて急に前を向いた。
「⋯⋯こういう時は泣いてもいいのかな⋯⋯?」
諒の目にはあふれんばかりの涙がたまっている。それを見た瞬は微笑む。
「どうしてまた泣くんだ? 今日は俺のためにたくさん泣いてくれただろう?」
「違うよ。僕のために泣いてるの⋯⋯嬉しいんだ⋯⋯僕はずっと頼りなかったから瞬に頼りっきりだったと思うんだ。でも今は瞬も僕を頼りにしてくれる。大切だって言ってくれる。僕はずっと隣を歩いているからね」
そう言うと諒の目からぽろぽろと涙が落ちる。それを見た。瞬は優しく諒の肩を抱いた。
「諒、泣いてくれてありがとう。俺もいつまでも隣を歩いていきたい」




