第55話 約束の時
瞬は五百蔵城の廊下を歩いていた。戸の前まで来た。案内した五百蔵の臣下は戸を開けた。瞬は下を向いたまま肺いっぱいに空気を吸うと顔を上げてよく通る声で話し始めた。
「桐生家嫡男・白若様の最側近の瞬でございます。お約束の時間ゆえ五百蔵様にお目通りお願いいたします」
瞬は一心を真っすぐ見据えた。一心は手を上げて許可を示す。瞬が入室して一心に近づいてくる。一心は口角を上げながら満足そうな顔をして瞬に声をかける。
「やはり難しかったか。ご苦労であった」
瞬は表情を変えずに立ち止まって開いた戸の方を見た。
するときれいな着物を来て頭もきちんと整えられた女人が二人は戸の外に見えた。二人は頭に細工の細かい簪をつけていた。二人は一礼すると瞬の方へ歩いてくる。
二人を見た一心は思わず言葉を溢した。
「これは見目麗しい女人だな」
霜月と諒は目が釘付けになる。その様子に瞬は満足そうに霜月と白を見た。瞬はこの時の光景をいつまでも見たかったと後になって思った。鈴音は一心を見据えた後、霜月の方を見て微笑んだ。
そして楓も一心を見た後、諒の方を見た。諒は楓と目が合うと無意識に立ち上がった。諒の口は開いたままだ。
少しして諒は我に返ると座り直し一礼した。
「失礼しました」
瞬は一心の方を見るとこう尋ねた。
「護衛を頼んだ者も連れてまいりました。入室させてもよろしいでしょうか?」
一心は手を上げて入室を許可する。
少しするともう一人着物姿に髪もきれいに整えられて簪をつけた女人が入ってきた。一心はその姿を見ると不思議そうな顔をして瞬に聞いた。
「こんな麗しい女人に護衛を頼んだのか?」
「以前お会いしましたが覚えていらっしゃいますか?」
一心は口を開かない。思い出そうとしているようだ。その女人は一心に近づくと正座をして両手を畳にそっと添えると頭をゆっくりと下げた。
「赤龍の里の茜でございます」
「なんと⋯⋯あっはっは!見事にやられたわ! 霜月、術をかけろ」
霜月はまだ固まっていた。
横に座っていた蒼人が霜月に声をかける。
「あぁ、失礼しました」
霜月は幻術を部屋の周りにかけた。
鈴音は幻術がかかるのを見ると畳に両手を添えて頭を垂れると口上を述べた。
「影屋敷の鈴音でございます。五百蔵様にお目にかかれたこと誠に嬉しく思います」
「幻術もかけた。ここでは一心で構わない」
楓も同様に口上を述べた。それを見届けると瞬は五百蔵扮する一心に説明した。
「一心殿、霜月さんの大切な人と言うのは鈴音さんのことです。そして隣にいる楓さんは諒の大切な人です」
「ふむ、予想以上の結果を持ってきたな⋯⋯。どうやった?」
一心は悔しそうに聞いた。
「二人は治療・治癒室の所属で現在特別渡学生として影屋敷の空間の外へ出ることを許可されています」
瞬は部屋の奥にいる緒方を見た。
「そこにいらっしゃる緒方先生の補助と勉学のために昼開先生に助力いただきました」
「ほっほっ昼開先生の懇意か。それは受けるしかないな」
緒方は個人的に親しくしている昼開の名前を聞くと顔を崩して笑った。一心は瞬を見たがあっけらかんとして言った。
「一本取られた! この対決は瞬の勝ちだ。条件以外に何か褒美は希望するか?」
「希望いたします!」
瞬は元気よく答えた。
「欲深いな。申してみろ」
「一心殿の手相を拝見したいです」
一心は狐につままれたような顔をして聞き返した。
「手⋯⋯か?そんなことならさっさと見ろ」
瞬はお礼を述べると急いで一心の前へ移動すると手を取った。瞬は少しの間手を眺めていたが目を瞑った。一心は静かに瞬の行っているのを見届けている。瞬はしばらくすると目を開けて手を離すと一礼した。
「何が見えた?」
「一心殿がどのようにして今に至ったのかその苦労が見えました」
「なんだ。過去しか見えんのか。未来は見えんのか?」
「それは一心殿が切り開いて作っていく事です。その作った結果が未来となります」
「はっはっよく言うわ! まあ良い。熊! 余の一番大切な人を連れて参れ!」
熊坂は一礼すると急いで部屋の外へ出ていった。一心は周りに声をかけた。
「10分ほど楽にせい」
その言葉に鈴音は霜月の方を見ると近づいていった。霜月は鈴音の方へ手を伸ばす。鈴音は嬉しそうに手を取り自分の頬へくっつけて聞いた。
「白狼、びっくりした?」
「びっくりして時が止まったかと思った。鈴音、よく見せて。なんて綺麗なんだ」
霜月は愛おしそうに鈴音を見つめている。鈴音は霜月にもっと近づくとおでこをコツンとくっつけた。
「白狼、会いたかったわ。私の大好きな人」
「鈴音は世界で一番愛しい人だよ」
二人の世界にどっぷり入ってしまったようだ。霜月の横に座っていた蒼人は霜月から離れなかったことを深く後悔した。蒼人は心の中で御経さながらに(俺は空気)と唱え続けた。
瞬は霜月と鈴音の様子を見ると一心にそっと近づき耳打ちした。
「一心殿、鄧骨殿は鈴音さんに手を出して殺されました。そのこと心の内に留めていただきますようお願いいたします」
「霜月の珍しい姿を見たなと思ったが、予想以上に重症だな」
そうは言っても一心はクックッと笑った。
「どうかされました?」
「いや、影屋敷で初めてあった頃は完璧すぎる若者だなと思ったが人間らしい面が見れて安心した」
一方諒は、と言うと、顔を真っ赤にしている。楓はお構いなしに顔を近づける。
「どう? 諒はびっくりした?」
「楓、顔を近づけないで。僕そういうびっくりに慣れていないんだ⋯⋯」
「慣れてないとどうなるの?」
楓は嬉しそうに聞く。それを聞いた諒は楓の手を取ると自分の胸へ押し当てた。楓の手の平には諒の心臓がバクバクと揺れているのを感じた。
「これで分かる?」
楓は茶目っ気たっぷりに首を傾げる。
「好きな女が目の前にいるのに平然としているなんて出来ないよ」
楓は諒の瞳の奥を探る。諒の目には熱を帯びていた。そして楓は諒の目を覗き込んだまま、嬉しそうにねだる。
「もっと言って?」
「大好きだ」
諒は楓を真っすぐ見る。耳が真っ赤になっている。
「もっと言って」
「もう!そんな可愛いことを言う口は塞いでしまいたい。口づけをしても?」
諒は少し意地悪そうに言う。
「頬だけにして。私も平然を装えないわ」
楓も頬を赤らめる。瞬は諒と楓の様子を見ると一心にこっそり聞いた。
「これどう収集つけるんですか?」
一心は呆れてこう返す。
「瞬が連れてきたのじゃろ?」
「あっ一心殿、それはひどいですよ!」
この時、少しだけ二人は仲良くなった。
茜は瑛真の方に近づいた。茜は瑛真を覗き込んだ。びっくりした瑛真は目を見開いた。茜は瑛真が起き上がろうとしたので背中を支えた。
「⋯⋯本当に茜か? いつもより綺麗に見える」
茜は瑛真が起きたことと綺麗と言われたことで嬉しそうにしている。
「また瑛真と話ができて嬉しい」
「鈴音さんと楓さんの護衛ありがとな。茜はいつも俺のことを気にかけてくれるな」
弱々しくはあるが茜に笑顔を向けた。茜は真剣な顔をしてこう返す。
「瑛真がいつも私を気にかけてくれていたのよ?」
瑛真はサッと顔を変えたが口調は穏やかだった。
「俺のことはもういいよ」
「良くないわ」
茜の言葉に瑛真は顔を歪めた。
「それ以上言わないでくれ」
「どうして?」
「俺はそれを受ける価値はない」
瑛真は眉間に皺を寄せている。息を止めているように感情を飲み込んでいる。
茜はその言葉を受け取ると目に怒りが帯びた。
「どうしてそんな事言うの?瑛真はあんなに強い仇と戦ったじゃない!」
「⋯⋯おかげで左手に感覚はない。前のようには戦えない。もう強さを失ったんだ」
茜は怒りで頬を赤くする。
「なぜそんなに卑下するの? 私の気持ちまで否定しないで!」
「茜、お前は任務の腕もあるしこの見た目だ。男なんて引く手あまただ。わざわざ俺にこだわる必要はない」
茜は下を向いてブンブンと頭を横に振った。
「そんな事ない」
「俺は茜に幸せになってほしいんだよ」
「私の幸せを勝手に決めないで」
「茜は知らないかもしれないがお前を気にかけているやつは里にゴロゴロいるぞ。それに忍は任務が第一優先だ。その中で死ぬことも仕方のないことなんだ。そういう世界なんだ。それ以上のものを望むなんて俺には⋯⋯出来ない」
瑛真は茜を見ながら苦しそうに顔を歪めた。茜は瑛真が自分自身に言い聞かせているように聞こえた。
「でも霜月さんと鈴音や諒と楓だってあんなに幸せそうじゃない」
「茜の気持ちは一時の気の迷いだと思うんだ。それで茜の人生を無駄にしたくない」
茜は口を開いたが瑛真は茜と視線を交えた。意外なことに瑛真の目は悲しそうに見えたので口をつぐんだ。熱にうなされているように目が潤んでいる。そこで茜は瑛真の続きを待った。
「⋯⋯だって茜の続きを聞いたら甘い夢を見てしまう。だって忍なのに幸せも一緒に得るなんて無理だ。その後に残るのは絶望だけだ」
茜は目をパチパチさせた。瑛真の口からは意外な言葉が出てくる。瑛真は目を瞑って右腕で顔を隠した。
瑛真の消え入りそうな声が聞こえる。
「だから言わないでくれ。そのうち俺の目の前からいなくなってしまう茜のことを整理つけるなんて俺の心はもたない。霜月さんや諒だってそれを覚悟の上でああしているんだ」
茜は直感した。
(瑛真は幸せになることが怖いんだ。そして私がいなくなってしまうことが怖いんだ。それほど瑛真も私の存在が大きいって期待してもいいのかな?)
茜は首から赤龍の首飾りを取り出すと右手で握り左手で瑛真の右腕をそっと動かすと左手は瑛真の頬へ添えた。
「私の決意を聞いて。この赤龍の首飾りに誓うわ」
瑛真はそれを聞いて目を開き赤龍の首飾りを握る茜の手を見た。
「私はどんな存在でも良いの。あなたのそばにいられたら私は嬉しい。私はあなたを仲間として見てないわ。仲間よりも私にとっては特別な存在なの。それは瑛真が仇討ちすると固く決意したのと同じようにどんなふうでもあなたのそばにいる事を許して。それが私の決意であり最大の願いなの」
茜の目には涙が浮かぶ。
瑛真は眉間に皺を寄せる。
「茜、本当に俺で良いのか?」
「この赤龍の首飾りに誓って。
瑛真、あなたがいいわ」
茜は右手を強く握る。
瑛真は右手で拳を作るとゆらゆらと空に上げた。まだ力が入らないのだろう。茜は瑛真の拳に自分の拳を優しく付けた。
瑛真は言葉を溢した。
「信じられない⋯⋯」
「瑛真が信じるまで私は何度でも言うわ」
茜は瑛真に微笑むと、瑛真は優しい笑顔を茜に向けた。
そこへ戸が突然開いた。
皆は急いで元の場所へ戻ると居住まいを正して正座した。
熊坂は大事そうに何かを抱えている。一心の方へゆっくりと歩いた。熊坂は一心の隣に座る。一心は皆の方を見た。
「日松じゃ」
鈴音と楓は思わず覗き込むと思わず声を上げる。
「可愛らしい!!」
「そうじゃろ? 抱いてみるか?」
一心はまんざらでもない顔をしてこう聞いた。鈴音は一心に近づくと両手を伸ばした。腕を曲げると赤子の頭をそこへしっかりと乗せて抱いた。赤子はすやすや寝ている。
「大変お可愛らしいですね」
鈴音ははしゃいでいる。思わず声を上げる。
「やはり女人の抱っこが良いのかの?」
次に楓が抱いた。赤子は顔をしわくちゃにして泣き始めた。
楓が困っている。諒が慌てて楓から赤子を預かる。そして立ち上がり優しく上下させて揺らす。一心が思わず立ち上がった。
「余がやる!」
しかし赤子は諒の腕に顔をこすりつけるとまた寝入り始めた。一心が悔しそうに赤子を覗き込む。
「なんと諒に懐いているのか」
「ふふ、可愛いなぁ」
諒は赤子に笑いかけた。しばらくすると諒は一心に赤子を返そうとしたが、赤子はか弱い鳴き声で諒へ訴える。一心は口を"ひのまつ"と動かしたが声にはしなかった。一心は日松を抱かなかった。また諒の腕の中へ戻ると寝入った。一心はこう吐き捨てた。
「夕餉まで抱いておけ。熊、日松のそばについておれ」




