第53話 -1 いざ五百蔵城へ(前編)
四人は影屋敷の空間から表へ出た。
鈴音は澄んだ空を見上げている。楓はキョロキョロ周りを見ている。瞬は二人に声をかける。
「俺が先頭で行くから二人はついてきて。何かあればすぐに声をかけて。なるべく後ろを気にしながら進むから。橙次さんは後をまかせてもいいか?」
瞬の言葉に鈴音と楓は頷いた。そこへ橙次は後ろから瞬に声を掛ける。
「あぁ、何かあれば俺がなんとかする。気にせず進め」
瞬は頷いたが四六時中後ろを気にしている。二人は木の根や棘のある木々を気にしながら進む。しばらく山道を進むと水の音が聞こえる。音の方へ進むと川があったのでそこで昼餉を取った。橙次はそこでこの後の事を説明した。
「そのまま山道を進んで一番近くの宿場町まで出る。そして日の入り前に宿場町で馬を二頭借りる。悪いが遠回りになるが馬で回れる道から五百蔵城へ夜通し走るぞ」
「ここからどの道で行くつもりだ?」
三人は橙次についていくと目の前に崖が見えてきた。鈴音と楓は心配そうな顔をしている。橙次は三人を見て事も無げに言った。
「ここを降りる」
三人は下を見た。瞬は崖から見下ろして確認すると橙次を見た。橙次は縄を近くの木にくくりつけて準備を始めた。橙次は瞬をちらりと見ると指示する。
「縄を掴みながら降りると手を痛めるから手に布を巻き付ける。鈴音と楓の分も用意しろよ」
「はい」
瞬は布を用意すると鈴音と楓の手にそれぞれ巻きつけた。橙次は皆の準備が出来たのを確認すると説明を始めた。
「まず俺が下に降り始める。その次は鈴音か楓が降りろ。次は瞬だ。最後は残りのやつだ。鈴音と楓は滑っても俺か瞬が居るから安心しろ」
鈴音は平然としているが楓は青ざめていた。鈴音は楓を見ると頬に手を添えた。
「楓、高いところ苦手なのかしら?
大丈夫?」
楓は固い表情をしていた。今にも泣きそうな顔を必死で取り繕っている。
「うん⋯⋯苦手だけど⋯⋯やるしかないよね⋯⋯」
その様子を見た橙次は楓を手招きした。
「そしたら楓は俺の次に降りよう。鈴音それでいいか?」
「えぇ、いいわよ」
瞬は楓を見た。前を向いて硬い表情を貼り付けていたが、下を見ると楓はまた震え始めた。そして震えを止めようと自分の肩を強く抱いている。呼吸も浅くなっているように見えるしかしもう橙次が崖から降りようとしていた。それを見て瞬は決意する。
「橙次さん、待った。まだ縄あるよな?俺と楓さんを縛ってくれ。楓さんを背負って崖を降りる」
「縄はあるが本当大丈夫か?縄を持つ手にかかる負担は増えるぞ?」
橙次は意外な顔を瞬に向けてきたが、その言葉に瞬は笑った。
「それでも恐怖の海に溺れそうな楓さんをそのまま見ているわけにはいかない。自分で出来ることがあるならそれをするまでだ」
橙次は瞬の瞳をじっと見ると縄を取り出した。楓は血の気のない顔で瞬を見た。
背負うことが出来るように瞬と楓を縄でしっかりと固定した。瞬は楓を背負うとまだ震えていた。瞬の背中に言葉が投げかけられた。
「瞬、ごめんね。それからありがとう」
「無事に着いたら俺を褒めてくれ」
「ふふ、ありがとう」
橙次はその様子を見たあと崖から降り始めた。ある程度橙次が降りたのを見ると瞬たちが降り始めた。橙次は瞬の降りるスピードを見ながら降りていく。そして瞬が上を見て鈴音に声を掛ける。
「鈴音さん、降り始めて」
鈴音も縄を掴んで降り始めた。楓は必死で瞬の首に腕を回している。瞬たちは半分くらい降りたところで強風に縄ごと空中へと煽られる。
「ひゃっ」
楓は声にならない叫びを上げた。すると楓の全身はまた震え始める。そして心臓の音は跳ね上がるように速くなった。
その楓の心臓の振動が瞬の背中に伝わってきた。恐怖に耐えているのが瞬に伝わる。そこで瞬は大きな声を上げる。
「楓さん、俺が下までちゃんと降りるから大丈夫!大丈夫だよ!」
しばらくすると橙次が地面に足をつけた。
程なくして瞬も下についた。瞬はそのまま地面に座ると楓もへたり込んだ。橙次は二人に駆け寄り縄を解き始めた。橙次は楓に声を掛ける。
「楓頑張ったな」
楓は橙次を見たが焦点が合っていない。顔は青白く呼吸が荒かった。
少し経つと楓は少しずつ肩の揺れが落ち着いてきて安心したのか、ぼろぼろと涙をこぼした。こぼした本人は目を丸くして驚いている。それを見た瞬は楓の方へ足先を向ける。橙次もその様子を見て口を開く。
「楓さん⋯⋯」
「楓」
すると楓は両手で自分の顔をパチン! と叩いた。
楓は橙次と瞬を見た。
「二人ともありがとう。へへ、ちょっとだけ待ってて」
楓は自分の動かない太ももをバチバチと叩いた。鈴音も地面に足をついた。そして楓に向かって駆けていく。そのまま楓を抱きしめた。
「楓! 楓、頑張ったね」
楓も鈴音に腕を回すとぎゅっと抱きしめた。
「鈴音もありがとう。もう大丈夫よ⋯⋯。あっ⋯⋯ごめん、やっぱりちょっとだけ⋯⋯」
それでも涙が溢れ出る顔を鈴音に押しつけた。楓は三回深呼吸をするとガバっと顔を上げて立ち上がった。
「もう大丈夫!」
それを見た橙次は瞬を見た。
「皆よく頑張った。ここから一番近い宿場町までは先は割と平坦な道が多い。俺が先回りして馬を調達しに行く。瞬は二人を連れてきてくれ」
「俺が走っていくよ」
瞬は口を開いくと、橙次はニヤリとして挑戦的に言い放った。
「それは俺より早くなってからだな。俺の方が早い!」
「なっ!橙次さん!」
橙次はものすごいスピードで走っていってしまった。鈴音はそれを見ると穏やかに笑った。
「ふふ、橙次さんってああいうところあるわよね」
「あったかい人だよな。さっ俺たちも出来るだけ進もう」
三人も走り出した。
空は色を変え始めた。
黄色から橙色、赤色、紫色⋯⋯どんどん日が暮れていく。山道は特に暗がりが早い。
しばらく平坦な道を進むと前から橙次が帰ってきた。
「橙次さん」
橙次は馬に乗って帰ってきた。もう一頭連れている。
「今日は出来るだけ進もうと思う。俺と瞬の後ろにそれぞれ乗ってもらう」
瞬は楓を覗き込んだ。顔の血色は良くなっていた。
「諒の元へちゃんと連れて行くからな」
「迷惑ばっかりでごめんね! ⋯⋯それでもよろしくお願いします!」
瞬の言葉を聞いて、瞬に楓は勢いよく頭を下げた。それを見て瞬は困った顔をしたがすぐに何かを決意したようだ。瞬はニヤリとした。
「安心して、お礼は諒からたんまり受け取る」
それを聞いて橙次が口を開けて笑い始めた。
「わっはっはっ! 瞬、それいいな。俺も霜月からたんまりお礼をもらおう」
「ふふ、それならよろしくお願いします」
鈴音は橙次を見るとニッコリとした。
橙次は瞬に縄を渡した。
「俺は鈴音、瞬は楓の身体を縄で縛る。夜通し走るぞ。鈴音と楓は何かあったらすぐ言え」
「うん、分かった」
「分かったわ」
準備が出来ると四人は馬で向かった。途中に小川のほとりで馬に水を上げるのに立ち寄った。橙次は包みを三人にそれぞれ渡した。
「握り飯だ。まだまだ行くぞ」
三人はコクリと頷いた。
そしてまた馬を走らせる。
どっぷりとあふれる闇の中を泳ぐように進む。たまにざわざわと四方から迫ってくる森のささやきに包みこまれて連れて行かれそうになる。自分たち以外には眠った世界のように動く音がしない。
馬のひづめがカサカサ、パキパキと葉っぱと小枝を踏み折っていく。馬独特のこもったような息づかいが聞こえる。
時折、鈴音と楓から力が緩む。橙次と瞬は鈴音と楓が疲れていたのを感じていた。それでも声をかけない。かけても休憩出来ないから少しでも早く進むほうがいい。
長い長い道のり。
それでも進む。
五百蔵城に霜月や諒、一心たちが待っているのだ。
闇に飲まれた森は少しずつ白んで輪郭を濃くしていく。
森が色づき始める。
森の中に光のシャワーが優しく降り注ぎ始めた。
白い優しい光。
橙次の後で鈴音がぐらっと揺れた。
「うわっ」