第52話-2 走れ瞬(中編)
瞬は受付に戻ってきた。真っ先に受付へと向かうと受付の男に聞いた。
「影屋敷の内勤者を影屋敷の空間の外へ連れていきたいんです。特例とかありますよね?仲間が怪我してるんです」
「緊急性の高い応急処置や緊急手術が必須の要件ですか?」
「⋯⋯いいえ」
「それでは認められません」
瞬は歯ぎしりして下を向いた。何か手は無いのか? 瞬は顔を上げて聞いた。
「誰が良いって言ったら認められるんですか?」
受付の男は片眉を上げる。
「⋯⋯地位の高い方、統率の権力をお持ちの方、それ相応の方なら認められます」
「ではその誰かに会わせてください!話を聞いてくれたら誰かは協力してくれるはずです」
「名も知らない方にそれをすることは出来ません」
瞬は受付から離れるとしゃがみ込んだ。何か手は無いのか。瞬は何かの助けになるかもしれないと思い、もう一度受付へと向かう。
「あの情報室には入っても大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
夕方になって左殿から出ると、とぼとぼと歩いて霜月の家に向かった。道の途中で橙次と会った。肩を落としている瞬を見て声をかけた。
「おっ、どうだった? ⋯⋯ってその顔はやっぱり空振りか」
橙次はかばっと肩を組むと明るい声を出した。
「瞬、とりあえず飯食いに行こう! それから湯屋だ!」
たらふくご飯を食べて湯屋から出ると霜月の家へ向かった。
「今度俺も家屋がもらえるから、家屋に移ったら遊びに来いよ。霜月の家の近くにするつもりだ」
「うわっ橙次さん飲み過ぎ。帰ったら茶を用意しますよ」
瞬は橙次からお酒の匂いがぷんぷんしているのが気になった。
橙次は陽気に言った。
「瞬は気が利くなぁ!」
「にゃーん」
瞬は声の出どころを探した。足にすり寄ってくる。瞬は抱き上げた。
「だてまき! どこに行ってたんだ?」
「おー俺に懐かないだてまき、久しぶりだな」
「にゃー」
それを聞いた瞬は笑った。
霜月の家に入ると瞬はお茶を用意した。
瞬は橙次を見た。
「お茶ですみません。橙次さん八傑おめでとうございます」
「にゃん」
橙次は瞬を見るとニコッとした。
「茶ありがとな。だてまきも祝ってくれてんのか? いや~長かった! ようやく八傑だ、瞬、だてまきありがとう」
だてまきは瞬のあぐらの上に乗っている。
瞬はだてまきの頭を撫でた。
「橙次さんは何を目指しているんだ? 霜月さんや俺たちはこの国の平和を目指している。なんか矛盾に聞こえるかもだけど、強くならないと出来ないことがあって一番強くなったらそれだけ大切な人を守れる」
瞬は真剣な顔で橙次を見つめている。
橙次はお茶をぐるぐる回している。
「⋯⋯俺は親父を超えたいんだ、いや、倒したい。俺の親父は何考えているのか分からないし、ぶっ飛んだ性格をしているんだ。俺は全然理解できない。なのにムカつくほどにめちゃめちゃ強いんだ。いつも俺は親父の手の中だ」
瞬は橙次が少し悲しそうにしているように見えた。瞬は口を開いたが中々言葉にならない。
「⋯⋯あのさ⋯橙次さんって光原の亡霊なのか?戦の時に光原の鎧をつけた何者かが鄧骨の側近とその周辺を阿鼻叫喚にさせたってやつ。一緒に戦った天壌軍の有馬ってやつから聞いたんだ。
あんなに強いのに敵にも味方にもいないの変だなって思ってたんだ。
でも総合的に考えると俺たちの方が得をして、近くにいるすごく強いってなると橙次さんしか浮かばなかった」
橙次の目は泳いだ。橙次はすばやく目を伏せると乾いた笑いをした。
「ははっいや⋯⋯驚いた」
橙次からはいつものキレはなく言葉を濁している。そこへ瞬はたたみかける。
「橙次さんって手合せしていてもいつも動きに余裕があるように見えるんだ。
それに俺は人の記憶が見える。暗器の力を使っていないことが発動条件らしい。俺は橙次さんの記憶を一度も見ていない。暗器を使っていないように見える時にも一度も見ていない。それくらい日常的に力を使い続けてることになる。
もしかすると霜月さんや長月さんよりずっと強いんじゃないかって⋯⋯橙次さんの暗器って粘着じゃないだろう?この前幻術を使うやつと戦ったんだ。その時に橙次さんの手合いと感覚的に重なる部分があったんだ。霜月さんも気がついていると思うぞ。⋯⋯本当はなんの力なんだ?」
瞬は橙次の瞳を探る。
橙次は酔っていたような反応をすっとやめて、強い目で瞬を見た。何か決意したような目だ。
「瞬、御名答だよ。俺の力は幻術だ。ずっと粘着の力のように見せていた。俺は自分で言うのもなんだが霜月や長月より強い。でも俺は順位は気にしない。それからあの戦の時に実は妙禅軍でも派手にやってる。いつかは分かってしまうことだってのも分かっている。
⋯⋯霜月にはずっと言わなくちゃいけないと思ってた⋯⋯ただ今は霜月や君たちといるのが楽しい⋯⋯かけがえのない時間なんだ。その時間もずっとは続かないから⋯⋯もう少しだけだまっててくねーか?ちゃんと霜月には話すからさ⋯⋯」
瞬の目には橙次は苦しそうに見えた。何かの狭間で動けなくなっているように見えて、その姿は霜月が苦しんでいた時と重なった。
「分かった。でも何があっても橙次さんは俺たちの仲間だからな。忘れないでくれ!」
「ありだとう⋯⋯」
そう言うと橙次は視線を落とした。何かを考えているのだろうか…そう瞬が考えていると目を伏せがちに橙次はこう聞いた。
「なあ、瞬はもし親父が生きていたらどうする?嬉しいか?」
「親父は⋯⋯俺が5歳の時に滅獅子の大戦っていう忍全体の大戦があってそれで死んだらしいんだ。でも親父は忙しい人だったから任務で帰らないことばっかりだったんだ。知らなかったけど俺の父親は影なしの里の里長・陽炎だったんだ。それもあってじいちゃんと霜月さんが育ててくれたんだ。今更会っても嬉しい感情も憎い感情もあんまりないと思う」
瞬は目を伏せて口元を優しく緩めた。
「俺⋯⋯橙次さんが来てから霜月さんがあんなに楽しそうにしてるの初めて見たんだ。じいちゃんといた時みたいにイキイキしてるんだ。出来るだけ長く続くといいなと思ってる」
「ありがとう。俺も長く続くといいとは思っているが出来ない約束はしないたちでね⋯⋯」
(橙次さん、罪悪感を背負っているような傷ついた顔だな。じいちゃんの秘密を抱え込んでいた霜月さんと重なるな⋯⋯。いつか終わってしまうのだろうか⋯⋯)
その時あの時のことが瞬に思い出される。そしてぽつりと言った。
「そういえば洒落頭もいつ来るか分からないしな⋯⋯」
橙次はピクッと反応したが瞬はお茶を眺めていたので気が付かなかった。瞬は顔を上げて橙次を見て元気のない声を出した。
「霜月さんが洒落頭に殺されかけた時、目の前にいたんだ。
実は霜月さんには内緒にしてほしいんだけど⋯⋯、怖かったんだ。
霜月さんを失うんじゃないかって怖さもあったけど、純粋に命を狙われたことが怖かった。
もう霜月さんや諒、瑛真や大切な仲間に会えなくなるのが怖かったんだ。
たまに洒落頭が夢に出て来てすべてを奪いに来るんだ。
こんな気持ち今までなかったのにさ、忍の里では暗殺の瞬って通り名で呼ばれてるんだぜ⋯⋯笑っちゃうよな。こんな弱いやつだったなんて」
橙次は口をぎゅっと閉じて聞いていた。
橙次は瞬の方を見るとゆっくり口を開けた。
「瞬に救われた人は何人もいる。霜月だってそうだ。諒だって瑛真だってそうだ。俺も誰かを救える存在になりたいと思ってる」
瞬は橙次に顔を近づけた。
「瑛真の縫合だって緒方先生が橙次さんがやってくれなかったら腕が動かないどころか出血多量で死んでいたかもしれないって言ってたぞ。それに霜月さんも橙次さんの存在に救われたんだ。俺も助けられている」
橙次は深呼吸すると少し沈黙した。お互いすぐには声をかけなかった。今お互い話したことが頭の中で反芻していたのだ。しばらくして橙次が顔を上げると瞬も気が付いたようで、橙次の方を見てきた。そして橙次は口を開いた。
「ありがとう、今の話はここだけにしてくれよな」
「俺もこの話は内緒にしてほしい」
瞬は口角を上げると橙次を見た。
橙次は瞬から視線を外すと明後日の方向を向いていつもの調子の声を出した。
「なんのことだ? もう酔ってて覚えられない」
「ははっ橙次さん、演技下手すぎ!」
「にゃん!」
「だてまき、そんなところだけ同意するな」
瞬も橙次も顔を見合わせて笑った。
橙次はさっぱりした顔をした。
「さっ明日も朝は早い。そろそろ寝るか!」
「もう空が白んでくるぞ。もうほとんど寝られないよ」
その時だてまきがあぐらの上で立ち上がると瞬の懐に顔を近づけた。それを見た瞬は慌ててだてまきを掴む。
「こらっ危ないぞ」
「腹が減っているのか?」
瞬の懐から紙を咥えていた。
だてまきから紙を取ると、中を見た。
じいちゃんの手紙だった。何の気もなしにその手紙を開けてみた。そして瞬は読み返してみた。
瞬はある一節を目にして立ち上がった。
“影屋敷に行くことがあったら昼開先生を訪ねなさい。瞬のことを待っている。”
橙次は不思議そうに首をかしげて瞬を見ている。瞬はキラキラした目を橙次に向けた。
「橙次さん、鈴音さんを影屋敷から連れ出せるかもしれない!」