プロローグ
「ああああああぁっ」
その日、グレイ公爵家のアイリス・グレイは思い出してしまった──前世というものを。
前に生きていた世界では、30才のOLで──働きすぎの過労で倒れて、そのまま死んでしまったということを。
どうやら私は、いま生きている世界とは別の世界、日本から転生してしまったようだ。周りにいる人達や状況から察するに、この世界観おそらく前世で自分がプレイしたことのある乙女ゲーム、『白薔薇シリーズ』の世界で間違いないだろう。理屈は分からないが、私はヒロインの天敵である悪役令嬢に転生してしまっていた。
(何これ──もしかして、異世界転生? しかも、ヒロインじゃなくて悪役? イベント内容によっては私、処刑されるのよね)
「ひぃぃっ~」
声にならない声を出し、取り乱していると近くにいたメイドに声を掛けられる。
「ア、アイリス様?」
いけない。公爵令嬢たるもの、人前で取り乱すようなことがあってはいけないわ。
「ごめんなさい。ちょっと一人になりたいの。少し、外してくださる?」
いつもどおり、すました調子で専属メイドのサラに言うと、一瞬、怪訝な顔をされたが下がってくれる。
「かしこまりました。何かございましたら、お呼びください」
一人になると、部屋にある天蓋付きベッドにダイブして身悶える。ちょっと待って。どういうこと? ゲームと同じ世界が異世界に存在するの? 話は同じなのかしら? でも今ある周りの状況とゲームの設定内容って──だいたい一緒ね。
おそろしいほど名前や立場が一緒だったが、信じたくはなかった。今世くらいは、まっとうな人生を送りたかったのだ。何をもって、まっとうな人生かは謎であったが、とりあえず結婚前に死刑になるのだけは避けたい。
(そういえば、前世の私は霊感があったはず。今世は見えないから、その能力は? なくなってしまったのかしら?)
そう思って、とりあえず部屋の中を見渡してみるが、何も見えない。
「はぁ……」
良かった、何も見えないみたい。見えたら見えたで、結構めんどくさいのよね。『悪役』な上に『霊感』があるなんて事に、ならなくて良かったわ。
現在、私ことアイリスはカルム王国の第二王子殿下エリオットと婚約しており、半年後の18才の誕生日を迎えたら、エリオット様と結婚して王太子を補佐しなければならない。エリオット様は現在2つ年上の20才なので、すでに成人しており、王太子の補佐をしている。
第一王子であるヘンリー王太子は、ここ数年、体調不良で公務を欠席する事が多かった。それを全て第二王子であるエリオット様が穴埋めしていたため、側近が国王に「第二王子を、王太子に」と直訴する声も多かった。
『内政が落ち着かず、城内全体が落ち着かないわ』などと、考えていた矢先に思い出したのが、前世の記憶だった。
「こんな時に、思い出すなんて」
でも思い出さないより、ましであったろう。何せ、結婚前に断罪されて死刑になるかもしれないのだ。断罪イベントを回避したい。けれど、結婚式の準備も忙しくて、今からどうにかするなんて事、出来ないと思った。ゆっくり考えている暇も無いのだ。
今日も今日で、花嫁修業で城に来ていた。遅くなって客室に泊まる事も多く、もはや城にいる時間の方が多いくらい、城に来ていた。
「帰りたいな……」
そう呟いてみたものの、現実逃避してイベント内容が回避されるとは限らない。物語の強制力『ストーリー補正』が働く可能性だってあるのだ。
ヒロイン役の救世主は、この国で発見され、すでに城に保護されていた。世界を救うため、今は騎士団に所属している。騎士団長とは恋仲だということだったが、実際に会ったことはない。
騎士団長は『王太子派』だ。幼い頃から、一緒にいるから、仲がいいのだろう。そのせいかは分からないが、エリオット様や私とは距離を置いている。ともすれば、必然的に救世主様とも疎遠になる。
それに、救世主様は神様と同レベルの扱いなので、貴族でも粗相があれば、不敬罪になるかもしれなかった。そんな人と、お近づきにならなくて、かえって良かったとも思ったりしている。でも、これから先、状況によっては、どうなるか分からないとも思っていた。