第一話 虐げられ姫、侯爵様に嫁ぐ
結婚初夜。
あちらこちらに金銀が煌めき、一目で贅が尽くされているとわかるだだっ広い寝室にて、わたしとその青年は向かい合っていた。
今まで目にしたいかなる人物とも比較にならないほどに美しい顔をした黒髪の青年はしかし、見る者を凍えさせるような氷の眼差しをわたしへ向けている。
「この婚姻は王命によるものに過ぎない。いわゆる白い結婚とし、きみを愛することはないし夫婦の営みを行う気もない」
吐き捨てるように告げられた言葉に、しかしわたしの胸は少しも痛まなかった。
静かに「わかりました」と答えながら頷く。こういうのは言い返したりしないのが一番だと知っているから。
――どうせこんなことだろうと思った。
ブヨブヨの豚に似た中年貴族ならともかく、こんな美形の色男がわたしなんかを嫁に欲しがるなんてどう考えてもあり得ない。
わたしを甚振って遊ぶのがご趣味な変態なのかも知れないと危惧していたのだが、どうやらそうではないらしくてひとまず安心だ。王族の血が流れるわたしを娶ったという事実を作りたかっただけだろう。
まあ、別にどうでもいい。
侯爵様がどういうつもりでわたしを娶ったにせよ、わたしの行動は変わらないのだから。
「やけに従順なのだな」
愛さないと告げた張本人――先ほど挙式し、わたしの夫となったばかりの侯爵様が少し驚いたような顔をして言った。
どういうことなのだろうと思ったが、わたしは聞き返したりはしなかった。
「……それでは俺は別室で眠る。きみはここで過ごすように」
「おやすみなさい、侯爵様」
侯爵様は言葉通り出ていき、わたしは広い寝室で一人きりになる。
夢にまで見たふかふかのベッドに横になり、その感触を全身で思う存分に堪能しながら、こうなった経緯をぼんやりと思い返した。
わたしが愛されないのなんて別に今に始まった話ではない。
物心ついた頃から――いいやきっとその前も、愛されることはおろかまともに名前を呼ばれたことすら数えるほどしかなかった。
「忌まわしき側妃の娘なんかをなんで世話しなきゃいけないわけ!?」
「側妃腹の王女のくせに、偉そうに城にいるなんて。ほんと目障りなんだよ!」
「お前はお父様の温情で生かされているだけだからな。本当なら側妃と一緒に死ぬべきだったんだ」
侍女に、そして腹違いの兄王子たちに繰り返し繰り返しそう言われながら過ごし、殴られたり蹴られたりが当たり前の日々を生きてきた。
わたしはただそれにじっと耐えるだけ。痛いのも苦しいのもずっとずっと我慢し続けた。
わたしが何か罪を犯したわけではない。理由は単純、わたしが国王の側妃である母から生まれたから。
わたしの母は元は伯爵令嬢で、現国王――わたしの父の正式な婚約者だったのだが、父がまだ十代の頃、どこの馬の骨とも知れない男爵令嬢に惚れ込んだために婚約解消されたのだとか。
しかし男爵令嬢の教育水準があまりに低く、妃教育を受けられなかった故に無理矢理側妃という形で引き戻されたらしい。しかもその後、愛されない妃だと母は嘲笑われ馬車馬のように働かされることになり、結果、国王の一夜のお遊びで孕まされたわたしという娘を出産することと引き換えに命を落とした。
なんとも哀れな人だと思う。
そんな人の娘であるわたしが後ろ指を差されるのはごく当然の話で、物心ついた時からずっと待遇は酷かった。
王城の中にこそ住んでいたものの扱いは使用人以下、食事が与えられないことも多々あったほどだ。
身なりも常にボロボロであり、金の髪は自分で適当に鋏を入れたせいでザンバラ、衣装はお仕着せからエプロンを剥いだもの――しかもところどころ破れた黒いドレスという有様だった。
幸い正妃腹は皆王子だったので、唯一の王女のおかげで殺されず生きながらえることができたのだと思う。
とはいえわたしの役目はもっぱら不満の捌け口だったが。
「アグネス・エル・シェブーリエ。お前に王命を下す。フレミング侯爵に嫁げ」
侯爵様との縁談が決まったのは、つい三ヶ月ほど前、わたしが十七歳になったばかりのある日のこと。
久々に――正確に言えば五年ぶりくらいに国王である父に呼び出されたので何事かと思っていたが、わたしをついに厄介払いする気なのだとわかった。
フレミング侯爵という名に聞き覚えはない。
わたしは生まれてから一度も城から出ていないし教育を受けているなんてこともなかったので、知らなくて当然だったと言える。
しかしわたしはこの時も躊躇いなく頷いた。
だって、王命ということはわたしが何を言ったところで嫁がされるのに変わりはないし、わたしにとっても好都合な話だったから。
逃げたい。そして自由になって自分の人生を謳歌したい。
何年も前からわたしはそう思っていた。いつか城を抜け出してやる気でいたが、これがいい機会となるだろう。
しばらく離宮に隔離され、最後に王子に殴られた青あざがすっかり消え切るまで待つ間に、侯爵夫人に求められる最低限の振る舞いと侯爵様についての情報を教育係に叩き込まれることになった。
三ヶ月経ち、髪を整えられ今まで一度も着たことのなかった豪華なドレスに身を包んだわたしはフレミング侯爵家へ向かうため馬車に乗せられた。
さすがに王家直属の護衛騎士が見張りをしている馬車から抜け出すことはできなかったのでそのまま侯爵邸へ。
そして初対面である侯爵様――サイモン・フレミング卿と挙式し、フレミング侯爵夫人となったのだった。
――これがわたしの今までの人生の全て。
問題はこれからについてだ。
「……まさか愛さないなんて言われるとは思わなかったけど、これは悪くない流れかも知れません」
侯爵邸ともなると脱走が大変には違いないが、侯爵様がわたしに全く興味がないのであれば、それだけ逃亡は簡単になるだろう。
なんなら明日の朝にでも早速逃げてしまおう。うまくやればきっと誰もすぐには気づきはしまい。
これからの生活資金はこっそり侯爵様のところから宝石を盗むことにする。
と言ってもあまりに大粒だと売り捌く時に怪しまれる可能性があるので、クズ石と呼ばれる程度のものがいい。それならこの部屋にもたくさんあった。
明日が楽しみでならない。
ニヤリと口元に悪い笑顔が浮かんだ。
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