退魔師の二人~狂犬と寄生虫~
秋月静流と『それ』との出会いは最悪だった。
事故に遭い瀕死の重傷。一命は取り留めたものの脳に障害が見つかり、もはや植物人間状態と言われた少女がいた。
『それ』はその少女の体を奪い、病院から逃走した。
『鬼』と呼ばれる物の怪の所行だった。
退魔師である静流は命令されその鬼の追跡を開始。
真夜中の誰も居ない建設中のビルにて、病院服のまま彷徨いていたと思われるその姿を発見する。
建築資材も多く残る八階フロアの部屋。まだ板ガラスのはめられていない窓から、『それ』は点々と輝く夜の町並みを呆けたように眺めている。
黒色でショートボブの髪型をした少女。
身長は静流より少し低めで、透き通ったように綺麗な肌をしていた。
だが鬼に取り憑かれているのなら、もう彼女を人間と扱うことは出来ない。
まず鬼に取り憑かれた人間を元に戻すことが難しい。
凶悪な鬼を五体満足で捕獲する必要もあるだろう。
しかも正気に戻ったと見せかけてこちらを油断させ、襲いに来るなど常套手段と言ってもいい程使ってくる。
情けや情を見せよう物なら逆に容易く殺される。
故に静流は容赦をしない。むしろ、鬼にその体を悪用される前に仕留めるのがせめてもの救いだと行動を開始した。
――パン、パンと静寂だった建物の中に二発の銃声が響く。
静流の使用拳銃であったベレッタから発射された9ミリの弾丸は、容赦なく少女の胴体と右ふくらはぎを貫通した。
着弾を確認後、静流は躊躇無く左手に握っていたベレッタを手放す。
「――当たった」
崩れゆく少女の姿を確認し、間合いを詰めるべく駆け出した。
右手に持っていた刀を両手持ちに切り替え、鬼に取り憑かれたその首を斬り落とそうとする。
今まで窓の外を見ていた『それ』は倒れそうになりながらも振り向き、その視線を迫っていた静流に移す。
『それ』と視線が交わる。
「どんなのが来たかと思えば、可愛らしいお嬢ちゃんじゃないか」
『それ』は静流を認識すると声を漏らす。
可憐な少女に似つかわしくない口調と威圧感を併せ持つ。
その違和感から明らかに別人だということを思わせる。
そこで改めて静流は目の前の少女を――鬼であると認識。
斬り殺す一切の躊躇がなくなった。
静流は眼前に迫った少女に刀を振り下ろそうとして――。
静流の視点が反転した。
少女の体を奪った鬼は崩れそうなった体を立て直し、足に弾丸が貫通したとは思えない動きで右拳によるカウンターを喰らわせてきたのだ。
――ああ、これ私死んだか。
静流の体が前のめりに倒れると、刀が床に落ちた拍子に金属音が鳴った。
冷たいコンクリートの床をその肌で感じながら、視界には面白みのない灰色の天上が見える。常人ならざる腕力で殴られた。首が本来曲がってはいけない位置に向いていることを彼女は自覚する。
「悪いな。だが、先に手を出してきたのは嬢ちゃんだ」
薄れ行く意識の中でその声を聞いた。
少女の体を奪った鬼は、静流のことなど気にせず遠さかってゆく。
そして、静流の視界は真っ暗になり――死亡。
その数秒後、呪いにより――彼女は身体の正常な状態で復活した。
即座に起き上がった静流はすぐ傍に落ちていた自分の刀を拾う。
頭の位置が正常に戻った彼女は、先ほど弾丸が貫通し赤く染まっていた病院服の背中目がけて投擲し――刀は容赦なく少女の背中を貫いた。
「逃げんな、コラ」
殺されたことにより静流はだいぶ頭に血が上っていたのだろう。
敵意剥き出しで睨み付ける。
「銃弾喰らった足が動いてる。あんた治癒能力でもあんの? つーか、久しぶりに殺されて頭にきた。ぶち殺してやるから、こっち向け」
すると鬼は体に刀が貫通したまま、言われた通りゆっくりと振り返る。
少女の体を借りた鬼は少し楽しそうな表情をしながらも、口から血を流す。
「別にワシも、無尽蔵に体を治せるわけではないんだが。そんなことより、さっきので死なない? 嬢ちゃん何者だ?」
「はあ? これからぶちのめされるんだから、あんたには関係無いでしょ」
そう言って静流は問答無用で動き出し、両者は殺し合いを再開する。
片方は強力な自己治癒能力を持った鬼。
もう片方は殺しても簡単に死なない退魔師。
互いにしぶとい者同士の戦いはそれこそ十分以上続いた。
鬼は何度も体を修復し、静流も四回は死んだ。
だが、思っていたよりも早く――決着の兆しは訪れる。
「静流、そこまでだ。止めろ」
突然訪れた外部からの制止。
しかも静流の聞き慣れた声――上司という位置づけになる篠川の声だった。
加えて、いつの間にか戦闘服に身を包んだ数人の男たちが血だらけになっている二人を囲む。
彼らは同じ組織の所属であるはずの静流がいても、お構いなしに銃器を向ける。
「は? 何で? もうこっち片が付くんだけど?」
左手でその首を掴み上げ、右手の刀で少女の顔面を串刺しにしようとしたところで、静流の動きはピタリと止まっていた。
鬼には劣るものの、呪いの力で身体能力が強化されている静流の腕力なら少女一人ぐらい持ち上げるのは造作もないことだった。
そして少女の体を借りている鬼は途中から力を使い果たしたのか、静流の左手から逃れようとしていたが腕力も出ず、動きも悪くなり、最終的には始末される寸前まで追い詰められていた。
その光景を目の当たりにしている篠川はなだめるように、静流に話し掛ける。
「おまえがだいぶキレていること。もう止めがさせそうなのも理解している。だが、上からの命令だ。そこの鬼を生きて連れて来いってな。あと、少しは冷静になれ。カッカし易いのはお前の悪い癖だ」
「悪いけど、私冷静だから。勝手にキレてることにしないでくれる? っていうか上の命令なんて知ら――でっ、痛った!」
静流は突然走った激痛により首を掴んでいた左手を思わず放す。
鬼が使っている少女の体が薄暗い部屋の中で、一瞬光ったようにも見えた。
「ふう、死ぬかと思った――おっと上司が来たんだろ? 止めておけ」
そう言って静流の左腕から開放された鬼は何事も無かったかのように、篠川の元へと歩きだす。
――何、電流でも流した?
――こいつまだ別の手札持ってた?
どこかで手を抜かれていた――そう気づいたからか、静流はどこか毒気を抜かれたように大人しくなり少女の体を見送る。
これが退魔師である秋月静流の相棒となる奇妙な鬼との出会いだった。
***
「ごめん! バイト先から急にヘルプの電話があって。なんか二人も急に休んだらしくて、人手足りないらしいの。もーほんと、ごめん!」
それは授業も全部終わった後の放課後。
遊ぶ約束をしていた静流はそうやって友達と別れ、一人電車に乗った。
彼女が向かった先は少し治安の悪そうな繁華街。
その中の一つにある雑居ビルのエレベーターに彼女は乗り込んだ。
小さなエレベーターの中には縦長の鏡が備え付けられており、静流はそれを見つめる。
そこには黒い長髪に少し目付きが鋭い顔、そして可愛らしい制服を着た学生の姿があった。
静流は更に鏡に映った自分の顔をまじまじと見つめるが、まるでこの後のことを予測しているかのようにその顔は引きつっている。
「私は冷静だ、私は冷静、冷静。なんか滅茶苦茶悪い予感するけど、きっと気のせいだ。そう今日呼ばれたのも何もない。何も無い、きっと無い」
静流は心の中のモヤモヤを払うべく、自分に言い聞かせる。
そうしているうちにエレベーターが目的地であった六階へと到着した。
「――と、言うわけで。こいつが今度からお前と一緒に鬼退治をすることになった。言ってしまえば相棒って奴だ。まあ、殺し合わない程度に仲良くやってくれ」
事務所一番奥の席に座っている無精髭にスーツ姿の男――篠川は左手に折り曲げた新聞、右手に缶コーヒーを持ちそう言った。
部屋に入ってきて早々死んだ魚みたいな目をして立ち尽くしている秋月静流がそこには居たが、篠川はその反応を完全に無視していた。
そして、その隣には静流の見知った姿の少女。
「そういうことだ。おっと、そういえば自己紹介をしていなかったな。ワシの名前だが、そうだな。――愚宴、前回はその名で通していたんだ。今回もこれで行こう。愚宴だ、よろしく」
というかこの前の少女の体を借りている鬼――愚宴がいた。
どういう訳か少女の体を借りている愚宴は静流と同じ学校の制服を着ている。
更にわからないのが、その手には学生が持っていたら明らかにアウトになる卑猥な雑誌を所持していることだった。
「それと、その鬼のことで言い忘れてたが――」
そこで篠川は不意に注意事項を思いだしたようで、静流に告げる。
「気を付けろよ、静流。この男――鬼か。ずっと昔も今回と同じように他人の体を使って退魔師をやっていたらしいが、その時から女癖が悪かったらしい。組織の記録に残っている」
「おい、篠川と言ったか。確かにワシは基本的に年齢問わずに女性は好きだが、さすがに手を出す相手は選ぶ。そこのお嬢は顔も良いし、スタイルも良い。それはワシも認める。だが、それらがどんなに良かったとしても嬢ちゃんは気性が荒すぎるというか、性格がたぶんアレだ。アレだろ?」
納得いかない様子の愚宴が篠川に反論する。
だが次の瞬間、更に納得がいかないという顔をした静流が持っていたバックから化粧品でも出すような慣れた手つきでベレッタを取り出す。
即座にセーフティを解除、躊躇なく愚宴に向けて引き金を引いた。
だが愚宴は銃口の向きで射線を、静流の指先を注視することによって弾丸の発射されるタイミングを計り、それを僅かな動作で避ける。
外れたベレッタの弾丸が壁にめり込んだ。
「これ以上壁を傷づけるな。ここ追い出された時の敷金がどうなると――」
「そんなのどうでもいい。こいつ鬼でしょ。なんで当然の様にここにいるの?」
静流は不満しかないといった顔で篠川に詰め寄る。
だが、当の篠川は何事もないように缶コーヒーを飲み続けた。
「そりゃあ身の安全を保証する代わりに鬼退治を手伝う契約が、上層部とそこの鬼とで成り立ったからからだ。そして俺のところに世話を押し付けられた。ちなにこいつ前にも人の体を使って鬼退治を手伝っていたらしいからな、いわば俺たちの先輩みたいなもんだ」
「こいつが言うこと聞くんだったら、早くこの子の体から鬼を引っぺがすのが先じゃない? 難しいけど出来ないわけじゃないでしょ? つーか、鬼なんていつ裏切るかわからないんだから――」
「それがそうもいかんらしいぞ。そうなんだろ?」
篠川は静流の声をうるさそうに聞きながらも、愚宴に話を振る。
だが、当時者である愚宴はいつの間にかソファーに座っており他人事である。
「ん? ああ、この娘から離れたらワシ死ぬから。復活したばかりで力が弱くて。ついでに依り代のこの娘、ワシが離れたら脳の損傷が進行して二度と目覚めんかもしれんぞ。この娘のことを思うなら短くても半年はワシのことを放置推奨だな」
そう言った愚宴の表情は真剣そのものだ。
静流や篠川には一切視線を配る気配がない。
まるで骨董品を品定めするような真剣な表情で、雑誌に掲載されている女体を眺めている。
「頭痛くなってきた。死にそう」
愚宴の発言と今のどうしようもない姿を見て、静流は本当に頭痛が起こりそうになる。
本能が拒否反応を起こしていた。
「なんで私がこんな奴とコンビ組まなきゃいけの? それか、あれ、もしかして――監視目的? こいつが何か変な気を起こさないように私に見張ってろってこと? はぁ? 鬼の監視させるぐらいなら使わなきゃいいでしょ、こんな奴――」
そこで静流は唐突にこの状況に陥った理由を察した。
昔、同じ鬼退治をしていたとしても所詮は鬼。
この愚宴もどこまで信用できるかわからない。
だから、監視役として静流が適役と任命された。
そう、彼女は思ったのだ。
「静流、おまえ何か勘違いをしてるようだな」
だが、現実は彼女が思っているよりも残酷だ。
「おまえ自分が死なないからって戦闘時にすぐ突撃するから味方を危険に晒すし、すぐキレるから相棒やりたがる奴もいない。狂犬とか呼ばれる始末。かと言って単独で行動させるのも性格的に不安だし、どうしようかと上の連中も悩んでいたところに現れたのが――そいつだ」
篠川の視線の先には少女の姿で成人向け雑誌を凝視する鬼の姿。
この足の太さが良い、と何やら一人言を呟いている。
「静流。おまえは確かに死なないし、若いながらも戦闘のセンスが備わっていて強い。俺もお前の退魔師の実力に関してはなんの申し分もない。だが、性格に難がありすぎる。上も扱いに困るぐらいにはな。そこで愚宴にはおまえが暴走しないように見張ってもらう。もうお前の面倒はそこらの人間じゃ無理だから、あとは人外である鬼にでも頼むしかないってことだ」
篠川の容赦ない言葉は、死なないはずの静流が死にそうになるぐらいの衝撃を与えた。
***
「もう最悪、死にたい」
「いや、死なんだろ」
繁華街の路地をうなだれながら歩く静流に愚宴は思わず突っ込みをする。
鬼を監視する側でなく鬼に監視される側という扱いに、静流は余程ショックを受けたのだろう。
「だってありえないでしょ? 私の評価。私って鬼よりも信頼がないの?」
「自業自得なんじゃないか? 話は聞いたが結構やらかしてないか、お嬢? 一ヶ月ぐらい前にも戦闘になった工場を爆発炎上させたんだろう? ――鬼を倒し終わった後に」
「うっ! あれは確かに私が悪いけど。危うく味方殺すところだったけど。だって――でも、あれは仕方ない。あんなところに爆発物があるとは思わないじゃん!」
思わず静流は声を荒げる。
すると周りの通行人の視線が、その声の大きさに反応して集中する。
これはマズいと感じた愚宴は、すぐに静流をなだめ始める。
「まあ、ワシも過ぎた話をほじくり返したりして、すまなかった。うん、少しぐらいドジなところがある方が女性は可愛いものだ。うん、愛嬌がある」
「いや、工場を丸々爆発炎上させたのをドジで済ませるのは、さすがの私でも気が引けるんだけど」
「だが、もう過ぎた話だ。切り替えて行こう。それにもしかしたらそのドジのおかげで幸福が飛び込んできた可能性もあるんだぞ? そう、お嬢に監視が必要とされることによってある利点が今生まれているんだ。わかるか?」
愚宴は嬉々として問う。
だが、当の静流の顔はあからさまにわからないと言った表情だ。
「えっ、今の私に利点? 私の評価が最悪なことによって、私何か得してんの?」
「勿論だ。特別な監視が必要なほどお嬢の評価が落ちたことによって――ワシという最高の相棒を得られたじゃないか。うん、お嬢は運が良い。ワシほど頼れる味方はいないぞ?」
「はあ? アホくさ」
愚宴は自信満々に言っていたが、対して静流は付き合っていられないと歩調を早め、先に道を進もうとする。
しかし、その程度の素っ気ない態度ぐらいでこの鬼は気を悪くしたりしない。
「自分で言うのも何だが、ワシはかなり使えるぞ。しかし、言葉だけ並べたところで信憑性はないか。そう考えるとお嬢がワシのことを信用出来ないのも納得できる。そうだな、次の任務の時にでもワシの実力を実感じてもらうか」
そう言って愚宴はうんうんと一人で勝手に納得していた。
その余裕のありようが余計に静流を苛立たせる。
「はあ? 女の子の中に入ってる寄生虫風情が何いっちょ前なこと言ってるの? 虫、虫、虫野郎、害虫野郎が。あんたなんて呼び方『虫』で十分。変に張り切るのは勝手だけど、私の邪魔だけはしないで! わかった?」
それだけ言うと静流は怒って先に行ってしまった。
鬼はポツンとその場に佇むと、腕を組みながら静流の背中を見送る。
「うーん、虫かぁ」
そう言って愚宴は苦笑いをするのであった。
***
それは愚宴が静流の相棒となってから四日後のことだった。
緊急の要請があった。
至急応援――求む、と。
時間はもうすぐ夕暮れになろうとしていた。
静流と愚宴が派遣されたのは、とある山中にある宗教施設。
だが、既に中はもぬけの殻。
ここにいた信者たちは全て死体となり、施設の周りに生えていた木々の枝に突き刺さっている。
「春されば、もずの草ぐき見えずとも、我は見やらむ、君があたりをば」
愚宴はその奇妙な光景を眺めながら、思わず口ずさむ。
そんな少女に寄生している鬼の行動に静流は怪訝な目を向ける。
「何訳わかんないこと言ってんの、あんた?」
「いや、なんでもない。それよりも先行していた退魔師が生け贄にされそうになっていた女性を確保したんだろう? 早く探した方がいい」
「当たり前。普通に暮らしてただけの他人様を勝手に攫って生け贄とか――ぶち殺してやる」
「お嬢。やる気があるのは良いことだが、少し冷静になろう。相手は手強い可能性がある」
「は? 言われなくても冷静だから。虫ごときが、勝手に人の事わかった気にならないでくれる」
そう言って右手に刀、左手に拳銃を持った静流は森の奥へと入って行く。
彼女の後姿を見ながら、愚宴は一人で納得する。
――なるほど。
――今日は一段と殺意が高い。
――篠川の忠告は正解だと見える。
まだ付き合いの浅い愚宴が見てもわかるほど静流はギラギラと殺気立っている。
その理由は静流の上司である篠川の予想通りで間違いないだろう。
『あいつは昔、なりたくもない生け贄に勝手にされて今の体になってる。だから今回みたいな悪行を聞くと、許せないらしく暴走しがちだ。上手いことフォローしてやってくれ』
愚宴は篠川の言葉を思い出す。
そして望むところだと意気込んだ。
この鬼は自分が女性へのフォローが上手いと思っている。
特に――静流のような無鉄砲に突っ込んで行く女性の扱いには自信があった。
昔の相棒に似ているのだ。
「お嬢、もしかしたら今回の敵はワシの知ってる奴かもしれん。百舌鬼である可能性がある」
百舌鬼。
愚宴は敵だと想定される鬼の名前を提示する。
すると、さすがにこの内容には耳を傾けなければならないと思ったのか静流は足を止める。
「知ってるって、なんか心辺りあんの? あの木に刺さってる死体関係ある?」
「ああ、あんな速贄みたいなことをするのは、もしワシの知っているのなら奴しかいない。しかし、奴が相手となるとかなり厄介だ。呪いが強力すぎる。なんせ――」
そうして愚宴が想定される鬼の呪いについて話そうとした時だ。
森の奥から男が一人、若干足を引きずりながら歩いてきた。
戦闘服を着て、銃を構えていることから先行していた退魔師だろう。
「おまえら二人、例の異能使いの――。ちょうど良かった。今救出した女性がこの奥の蔵の中に休ませている。一緒に護衛して脱出を手――」
だが、男の言葉はそこで途切れた。
愚宴と静流の目の前で起こった一瞬の出来事。
熊ぐらいの大きさはありそうな何かが突然現れ男を空高くへと引っ張り上げると、そのまま森の奥へと連れ去ってしまったのだ。
そして、その後聞こえてきた男の断末魔。
愚宴は静流に警告する。
「気を付けろ、お嬢――奴の呪いは相手の耳を破壊する」
空から二人の前方に降り立ち、それは禍々しい自ら姿を晒す。
背中の羽を大きく広げ、威嚇するように二人の前に立ちはだかる。
「助ケテ、助ケテ、マダ死ニタクナイ。ココカラ帰シテ――」
鳥を人型にしたような鬼だった。
その口からは模倣していると思われる女性の声を無意味に漏らす。
体長は二メートル以上あるだろう。
四肢に三本指の手足があり、背中には羽が生えていた。
また両手には修行僧が持つような錫杖が握られている。
百舌鬼と呼ばれる――鳥類である百舌の性質や伝承を取り込んだ鬼だった。
「はっ」
静流は息を吐き捨て、即座に左手のベレッタで百舌鬼を狙う。
一切威圧されない手の早さはさすがというべきだろう。
ただ、それでも相手の方が早い。
百舌鬼は頭を前に突き出し、叫んだように――見えた。
一瞬何か突風のようなものが吹いた――気配だけがあった。
静流も愚宴も、特に何も聞こえない。
次第に周りの環境音も聞こえない。
そして唐突に起こる。
両耳に激痛が走り、鼓膜が破れ、耳から血が垂れる。
更に三半規管を破壊された静流は銃を狙うどころか、立ち続けることも難しくなり倒れそうになる。
だが、静流が倒れるよりも早く――百舌鬼の錫杖が彼女の頭を粉砕した。
頭を失ったことにより静流の体が今度こそ倒れる。
「やはり厄介だな、貴様」
その直後、愚宴の右拳が百舌鬼の横っ腹を貫く。
最初から百舌鬼の呪いを察していた愚宴は、耳が破壊された瞬間に修復能力で自分の体を元に戻し、即座に反撃へと転じて見せた。
百舌鬼も耳を破壊したばかりの相手がこんなにも早く反撃してくるのは想定外だったのか、まともに愚宴の一撃を食らう。
人外の腕力を誇る愚宴の右拳により、巨大な体を持った百舌鬼の体が面白いぐらい吹っ飛ぶ。
そのまま倒れそうになる百舌鬼だったが、背中の翼によって体勢を維持。
距離を空けながら立て直した百舌鬼は再度――愚宴に向けて口を開く。
百舌鬼は再び呪いを愚宴に向けて発動させた。
「ちぃ」
少女の体を借りている鬼の耳に再度痛みが走る。
先ほど修復したばかりの愚宴の耳が問答無用に破壊されたのだ。
そして、やはり先ほどと同じように愚宴は耳を再生させる。
だが、愚宴はここで敢えて敵の呪いが効いていると思わせるように、ふらついた演技をして見せた。
更に片耳を押さえて百舌鬼を睨みつつ、愚宴は相手の様子を窺う。
――先ほど殴った時の違和感。
――攻撃が通っていないのを見るにやはり結界か。
鬼には体の表面に自分を守る為の結界という防御手段を持つ者もいた。
この結界は本来なら致命傷になる一撃だったとしても防ぎ――術者を守る。
ただ、完全に無敵というわけではなく、ダメージが蓄積されると結界が破壊され本体に攻撃が通じるようになるという弱点も存在する。
なので、現代の退魔師は銃火器で距離を取りながら鬼の結界を剥がし、刀で確実に仕留めるのがセオリーとなっていた。
「アア、アアッ。助ケテ、助ケテ――テェエ!」
百舌鬼は喚きながら物凄い速度で愚宴へと接近。
得物である錫杖を振り上げる。
――来た。
耳が壊されている演技をしていた愚宴は、もはや眼前にまで迫ろうとしている百舌鬼に向けてカウンター狙いの拳を放つ。
だが、虚しくも――その攻撃は空を切った。
百舌鬼は錫杖を振り回すどころか、不意を突こうとした愚宴の拳を回避。
そのまま側面へと素早く回り込んだ。
――気づいていた?
――こいつ、やはり練度が高いな。
やはり最初の愚宴の反撃があまりにも早すぎた。
だから敵も違和感があった――警戒された。
百舌鬼は愚宴が何らかの方法で己の能力を対処している、という可能性を考慮していたのだろう。
演技に騙された振りをして大胆に突撃し、反撃を誘ってきたのだ。
愚宴は咄嗟に離れようとするが、それよりも先に錫杖が襲いかかる。
強烈な鬼の一撃に対し、愚宴は左腕を防御に回す。
「くっ」
左腕をへし折られる感触を受けながら、愚宴は転倒。
しかし、容赦のない百舌鬼はそのまま止めをさそうと、倒れている愚宴を錫杖で叩き潰そうとして――。
――発砲音が鳴り始める。
そして三発目でガシャン、とガラスが割れた様な音が聞こえた。
結界がダメージの許容を超えて破壊された時に出る特有の音だ。
頭を粉砕された静流が血だらけで蘇り、一直線に駆けてくる。
結界の破壊を確認したからか、走りながらも左手にあったベレッタを捨てた。
「死に晒せ――このクソ鳥!」
静流は百舌鬼の背中を狙う。
だが、鬼も静流が来るのを理解していたのだろう。
体を半回転させ後方に迫っていた静流に向けて横振りに錫杖を繰り出した。
容易に人間の命を奪える鬼の一振り。
静流はそれをギリギリのところで屈んで避けると、下方から斬り上げた刀で百舌鬼の胴体に一太刀入れる。
「駄目か、浅っ!」
ただ、静流の一撃は致命傷にはほど遠い。
だから相手の反撃も早い。
再び百舌鬼が錫杖を振り上げる。
大きく口を開け、呪いを発動しながらも襲いかかる。
静流の蘇生された際に治っていた鼓膜が再び破られた。
足がふらつき、酔ったような感覚に陥る。
そこに鋭く迫る錫杖の軌道。
「きっつ」
そう言いながら静流は即死。
血が飛び散り、刀が地面に転がる。
呪いによる回避不能な耳の破壊と錫杖による殴打を同時に仕掛けられ、為す術も無く静流は死んだ。
だが、静流の命は軽い。
すぐに生き返る彼女の存在は時間稼ぎに最適だった。
「おい、中々痛かったぞ」
いつの間にか百舌鬼の背中に取り付いていた愚宴が不敵に笑う。
バキバキに折られた左腕は既に完治しており、背中から落ちないように百舌鬼の体毛を掴む。
そして、もう一本の右手は百舌鬼の羽の付け根をがっちりと掴んでいた。
愚宴はその羽を――強引に引きちぎる。
百舌鬼の激痛によって叫びを上げつつも、一気に体を横に回転させ愚宴を強引に振り落とす。
「さて、どうするか――」
振り落とされた愚宴は、上手く地面に着地しつつも引きちぎった巨大な羽を地面に捨てる。
百舌鬼は再び大きく間合いを取りつつ、いつの間にか完治した愚宴の左腕を観察する。
蘇生の終わった静流は地面に落とした刀を拾いながらも、ゆっくりと起き上がるところだ。
「お嬢、そろそろ時間がやばい」
愚宴は百舌鬼を警戒しながらも、近付いてくる静流に小声で話し掛けた。
静流は少し気怠そうにしながらも、同じように百舌鬼から視線を外さない。
「はあ? 時間って、私らに何か時間制限あった?」
「薄々、奴も気づいてるな。ワシに強力な自己治癒能力が備わっていること。そしてお嬢がすぐ生き返るってことに。相手が馬鹿ならそのまま戦い続けるから、粘っていればこちらが勝つ。だが奴は違う。ワシら二人の厄介さに気づいたら、即座に逃げる判断をするだろう」
「だから逃げられないように、そこの翼を引きちぎったんでしょ」
「ああ、その通り。だが、地面を走ってもワシらより奴の方が速い。本気で逃げられるとどうにもならん。しかもここで逃がすとなると、奴にワシらの対策をされる可能性がある」
愚宴は理解している。
自分たちとあの百舌鬼との力量差を――。
「ワシらは互いに初見の相手にはだいぶ有利を取れるが、正直対策さえすれば割とどうにでもなるからな。というか一対一なら能力バレしてなくてもたぶん奴には負けていた。もし奴を今回逃がした後に――ワシらの能力対策を行ってきた上でリベンジされたら、しかも個別に狙われたら普通に負ける。だから――」
「あー、もういい。わかった。わかった」
しかし、そこで静流は愚宴の話を打ち切った。
長話は面倒くさいとばかりに、彼女は前に出る。
「要するに――死ぬほど、死ぬ気でやれってことでしょ?」
あまりにも思考が脳筋だった。
それでも静流の背中がどこか頼もしかったからか、愚宴は思わず吹き出しそうになる。
「っ、お嬢。言っちゃなんだが思考が猪突猛進過ぎないか?」
「うっさいな、自称いい男なんでしょ? 上手いことフォローしてよね」
「やれやれ、鬼使いが荒いな」
そこからは歩幅を合わせ、愚宴と静流が並んで歩く。
百舌鬼も二人がやる気と理解したのか、ゆっくりと近付いてくる。
互いに間合いを狭めてゆき――。
最初に動いたのは百舌鬼だった。
それが異能、異形しかいない殺し合いの――再開の合図。
耳を壊す呪い。
巨大な鳥人のような鬼は――頭を突き出し、口を大きく開け、敵の耳を破壊しようと試みる。
だが、この鬼も呪いを発動する際の事前モーションを彼女たちに見せすぎた。
ビュン、とそれは風を切る。
呪いを発動させようとするその刹那、静流の投擲した刀が鳥の顔面目がけて飛んでくる。
百舌鬼は思わず呪いの発動を中断。
両手で持った錫杖をそのまま顔面まで持ち上げ、迫った刀を弾く。
刀はそのまま鬼の後方へと回転しながら地面に突き刺さる。
「防ぐな、バカ」
刀を防がれたことに文句を言いながらも、静流は全力で走り詰め寄っていく。
しかし、得物を投げた今――彼女は無手状態。
百舌鬼は無謀にも素手で突っ込んでくる静流を、握っている錫杖で叩き潰そうとして――その瞳には横に周り込み右手を広げ、腕を突き出す少女に姿を認識する。
愚宴はその右手から雷撃を放つ。
少女に寄生している鬼の隠し球。
不意の雷撃を受けて百舌鬼は一瞬怯んだものの、そのまま勢い良く錫杖を振り下ろす。
それを静流はスライディングをすることにより間一髪で回避。
更にそのまま百舌鬼の股下を滑り抜け、彼女は先ほど自分で投げた刀の所まで到達する。
「挟んだ――」
刀を引き抜きながら静流が言った。
「――仕留める」
既に愚宴は距離を詰めている。
更にこの鬼は右手を前に出し、雷撃を出すように――見せかけた。
雷撃を放つと見せかけたフェイント。
愚宴と静流で挟むことによって起こった意識の分散。
迎撃しようとした百舌鬼の対応が遅れる。
錫杖を振り下ろすよりも先に愚宴がその懐へと飛び込んだ。
愚宴の強力な右拳が――百舌鬼の腹部にめり込む。
結界という防御がないため、今度は鬼の骨が砕け内蔵が破裂する。
更に百舌鬼の体から刀が突き出てきた。
その刀は愚宴の顔面を百舌鬼ごと貫きそうになるが、何とか首を傾け回避する。
それが決め手だった。
百舌鬼が女性の声で断末魔を上げる。
そして、巨大を持つ化け物は砂のようにその体が崩れ去り――消えた。
そこにはもう二人しかない。
愚宴と静流は互いに向かい、視線が合う。
「お嬢、言っただろう。ワシは最高の相棒だって。これで評価してくれたか」
愚宴は危うく顔面を貫かれるところだった静流の刀を指で軽く叩く。
どかしてくれという意思表示。
「ふん、まあ少しは役に立つじゃん――少しだけね」
静流は刀を愚宴の顔から離すが、同時に少し顔も逸らす。
危うく自分のドジで、味方の顔面を串刺しにするところだったという自覚があるのだろう。
その彼女の反応が意外であり、気まずそうにする犬のようで――。
「ここまでやって少しだけか。手厳しいな」
少女の体を借りている鬼は思わず微笑した。