10 そういえば居たな、大魔王
◆
私達の眼前で、一見すれば美少女と美女の二人が、激しく殴りあっている。
美少女と美女。
二人は申し合わせたように交代で、己の拳を相手に叩き込んでいた。
魔法で身体強化をしているとはいえ、本来なら魔法使いであるアムールの拳を、戦士職であるエルビオが避ける事は容易いはずである。
もしもそれが、肉体強度の差をわからせて、アムールを辱しめるだけの行為であるなら、即座に私が飛び込んでいた所だ。
しかし、真剣な面持ちで拳を交わす勇者の様子には、そういった下卑た雰囲気は感じられない。
真っ正面から、アムールの拳を受け止めるエルビオ……堕ちていながらも、これが勇者の矜持という物なのだろう。
それでも、やはりアムールが不利な事に変わりはない。
正直、あの子が殴られている所を見るのは、自分が殴られるよりも……辛い。
だけど、アムールが……私の愛する男がやると言った以上、どれだけボロボロになろうとも彼の気持ちを尊重して、私は手を出すまいと決めていた。
「頑張って、アムール……」
勝てとは言わない。
ただ、自分の想いを悔いの無いよう、力の限りぶつけてほしい。
そして、万が一にでも彼が倒れたら……その時こそ、私の出番だ。
そんな事を思いながら、私は堅く拳を握りしめていた。
◆
「うおぉぉぉっ!」
気合いの声と共に、僕の拳がエルビオさんの腹を打つ!
「おらぁ!」
そして、飛んでくる反撃の拳が、僕に打ち込まれた!
もう、何度こうしたのかわからない……。
口の端からは血が流れ、顔もあちこちが腫れている。
殴り付けている拳にも血が滲み、全身はどこもかしこも痛くて、ガクガクと膝が笑っていた。
常時身体強化の魔法がなければ、とっくに気を失っている所だけど、もしかしたらそっちの方が楽だったかもね……。
「どうした、アムール……もう終わりかい?」
まだ余裕のありそうなエルビオさんが、クイクイと僕を挑発するみたいに手招きをする。
いいや、まだ終わりじゃないさ!
「ま、まだ……です……」
全身は痛くてたまらないけれど、ゼェゼエと息も絶えだえながら、僕は拳を握って構えた。
「フッ……頑張るね。もう立っているのも辛いだろうに」
「それでも……こうして……憧れた人と、拳を交わせる……機会なんて、ない……ですから……」
「なに?」
切れぎれな僕の言葉に、エルビオさんが怪訝そうな顔を見せる。
「僕に……憧れた?」
「そう……ですよ。あなたは……勇者エルビオは、ボクが憧れ……目標にした……人です」
「何を言っている……僕は、君をパーティから追放した男だぞ」
そうだ……普通の格好では魔法もろくに使えず、仲間の服で女装しようとしていた僕は、彼等から追放された。
だけど、後にそれが彼等の優しさからから出た行動だったと僕は知ったのだ。
「あの追放だって……ボクを、助けるための物だった……」
「…………」
「そんな風に……いつも誰かのために動ける……エルビオさんの気高さは……ボクの……憧れです……」
そして、こうして殴り合いに応じてもらった事も、僕を対等の男として認めてもらえたみたいで、どこか嬉しいと思えているんだ。
「でも……だからこそ、ボクのせいで……エルビオさんが……闇に堕ちた事が……辛いんです……」
もっと早い時点で、正体を明かしていれば、こんな事にはならなかったんだろうか?
そう思うたびに、自責の念が胸を締め付ける。
「こんな格好は……してますけど……ボクは男だし……ディセルさんがいるから、エルビオさんの想いに……応える事はできません……でも……」
「……でも?」
「エルビオさんに……好きだ……って、言われて……嬉しかったです」
告白や、急にキスされたりしたのには驚いたし、「お付き合いとかは、絶対に無理!」とハッキリ思った。
でも、それはそれとして、彼ほどの人に好きだと言われた事は、一人の人間として素直に嬉しいと思える。
「だから……黒い感情なんかに……負けないでほしい……ボクが憧れた、『勇者エルビオ』に戻ってほしいんです!」
そう叫びながら、僕はいままで以上に想いを乗せた拳を、エルビオさんに向かって振るった!
ズトン!という音と共に、彼の腹部に拳がめり込む!
「ゴフッ!」
まともに受けたエルビオさんの口から、わずかながらも苦痛の声が漏れる!
そして、ふらりと彼は一歩下がった。
「今のは重い一撃だった……色々な意味で、ね」
ゆっくりと顔をあげ、僕を見つめるエルビオさんの顔には、なぜか優しげな笑みが浮かんでいる。
「戻ってほしいと言われたけれど、それは無理だ……」
そう言いながら、エルビオさんは僕の間合いに入ってくる。
そして、彼の攻撃が僕に……って、あれ?
今までみたいに打撃が飛んでくるかと思っていたら、両腕を広げたエルビオさんに、がっしりと捕縛されてしまう!
こ、ここにきて違う攻撃パターン!?
拳と拳で決着をつけるつもりだった僕は、急なエルビオさんの行動に対処できなかった。
「エ、エルビオさん!?」
「元には……戻れないんだよ、アムール……」
そ、それって、もう闇の道を進むしかないって事なの?
拳で語る事をやめたのも、戻らないと決めたため……なんだろうか!?
だけど、『元には戻れない』という、エルビオさんの想い……それは、まったく予想外の形で彼の口から飛び出した!
「僕は……いまだに『アムール』の事を、愛しているんだ!」
潤んだ瞳で告白しながら、エルビオさんの唇が僕の唇に重ねられる。
……はい?
な、な、な、なんでまたエルビオさんからキスされてるんだ、僕は!?
そ、それに僕の事をって……「元には戻れない」って、そういう事なの!?
いきなりの急展開に頭がついていかず、僕を含めて戦いを見守っていた全員が、困惑の表情で固まっていた。
そんな中で、「ほぅ……」と小さくも満足気な吐息を漏らしたエルビオさんが、ようやく唇を離す。
そして、感極まったように僕を抱きしめてきた。
「エ、エルビオさん……」
「確かに、君の正体を知った時は、ショックだったよ。それこそ、闇に堕ちるくらいにね」
そ、その節は申し訳ありません……。
「でも……それでも君に対する想いは、心の隅でくすぶっていたんだ。そして、偶然とはいえ、こんな体になってしまった」
そ、そうだ……お姉ちゃんが弾いた、ウェルティムの『性転換光線』を食らってしまって、彼は彼女になってしまったのだ。
なぜか、大元のウェルティムを倒したのに男に戻ってなかったのか不思議だったけど、もしかして……。
「ウェルティムからは、通常の倍も『性転換光線』を食らった人間はいないから、男に戻れるかはわからないと聞いていた。でも、だからこそ踏ん切りがついて、僕は女性になることを受け入れたんだ……君と愛し合えるように」
な、なっ……。
ぼ、女装少年のために男である事を捨てたって言うの!?
あ、愛が重すぎるっ!
それに、肝心な事を忘れてますよっ!?
「あ、あの、気持ちは嬉しいんですが、ボクにはディセルさんという、将来を誓いあった……」
「ああ、それに関しては、いい考えがある」
そう言って、エルビオさんはディセルさんの方に顔を向けた。
「どうだろう、ディセル。僕も君と一緒に、アムールを愛でさせてくれないか?」
「……それは、どちらかがアムールを独占するのではなく、彼を共有したいと言うことですか?」
「そういう事!」
「ふむ……まぁ、序列を乱すことなく、揉め事を起こさないというなら、私は構いませんよ」
ええっ!?
い、いいんですか、ディセルさん!?
「まぁ、獣人族は一夫多妻も珍しくないし、私もアムールを奪い合うのでなければ、個人的にエルビオを嫌いではないからね」
「僕もそうさ。だから……」
ディセルさんに許可をもらったエルビオさんが、再び僕を見つめる。
「後は、アムールが僕を受け入れてくれれば、全部丸く収まるよ」
キラキラした瞳で語り掛けてくるエルビオさんは、どうやら本気らしい。
そりゃ、僕だって彼……彼女の事は嫌いじゃないし、むしろ好きだとは思うけど……本当に僕なんかでいいんだろうか?
「僕も……そして、ディセルも君がいい、君じゃなきゃダメなんだ」
ドクンと、心臓が高鳴った。
そして、まっすぐに僕を見据えるエルビオさんが、ディセルさんと同じように輝いて見える。
そうだな……。
憧れてた人が、僕を好きだと言ってくれていて、そして、僕もそれを嫌だとは思ったおらず、愛情も感じ始めてる。
なら、後は僕の覚悟だけだ!
「……わかりました」
「アムール……」
「ディセルさんも、エルビオさんも……僕が幸せにします!」
決意の言葉を口にすると、エルビオさんの瞳から、一筋の涙がこぼれた。
そして、それと同時に彼女の聖剣にまとわりついていた黒いオーラが消滅し、刀身が輝きを取り戻す!
「嬉しいよ、アムール……でも、ひとつだけ訂正」
「そうだね……『君が』じゃなくて、『私達』みんなで幸せになろう」
いつの間にか僕達の所に来ていたディセルさんが、ガバッと僕とエルビオさんを抱きしめた。
そう……そうだよね。
困難もあるだろうけど、みんなで協力し合って、幸せになればいい。
そんな事を思ったら、心から笑みがわいてきた。
「ところで、アムール。その……初夜の事なんだけど……」
「エルビオ……それはちょっと気が早い。というか、私だってまだなんだから、我慢しなさい」
「ええ……ならいっそ、仲良く三人で……」
エルビオさんから、すごい提案が出されそうになった瞬間!
凄まじい力で、拳を叩きつける音が響いた!
ハッとして、音のしたそちらを見れば、頭から湯気が立ち上りそうな勢いで、怒りに震える大魔王の姿!
「オイオイオイ……人が散々お膳立てして、勇者を貶めたっていうのに、なんなんだ、このオチは!」
激昂しながら、ギストルナーダはゆっくりと立ち上がる。
うん……でもまぁ、その気持ちはわからなくもない。
なんせ、僕自身がいまだにちょっと戸惑っているんだから。
「ああ、そういえば居たな、大魔王……」
「そうだね……ちゃっちゃとやっつけて、アムールと愛を育もうとするか」
ディセルさんとエルビオさんは、ギストルナーダを眺めながら事も無げに呟く。
そして、それが大魔王の逆鱗に触れた!
「愚かな女どもめ……魔族の支配者の力、思い知らせてやろう」
マグマのように噴き出す、大魔王の怒りの闘気が、城全体を揺らしはじめた!




