05 毛深い女は嫌じゃないかい?
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薄暗いその部屋は、面積の三分の一ほどを豪奢なベッドが占めていた。
そして、そのベッドに限らず、周囲に置かれている高価な調度品の数々からも、ここが身分の高い者の寝室なのだという事が容易に知れる。
そんなベッドに横たわるのは、男を惑わすために実った背徳の果実。
抗いがたい妖艶な色気を湛え、異性ならずとも目を引かれずにはいられない、官能的な肢体を見せつけながら、魔王四天王のひとり、淫魔女王ウェルティムが楽しげな笑みを浮かべていた。
「……そう、いよいよ反乱分子達が動き出すのね」
耳を溶かすような甘い音色の声に、報告を持ってきた部屋のドア前に立つ人物の喉が鳴った。
その様子を横目で見ながら、ウェルティムはクスクスと笑う。
「反乱分子達も不幸ね。まさか、あなたが裏切ってるなんて、思いもしないでしょうから……」
わずかな嘲りを含んだ淫魔の言葉に、報告をしに来た人物から小さな歯軋りの音が響いた。
「あなたを信じ、慕っている者達が今の姿を見たら、どう思うかしらね?」
そんなウェルティムの物言いに、屈辱と無力感に彩られて表情が歪む。
しかし、しばらくその顔をニヤニヤと眺めていた淫魔の顔が、不意に一変した。
「……苦しいのね。でも、あなたは何も悪くないのよ?」
先程までの性悪な気配は鳴りを潜め、まるで慈母のごとき優しさを感じさせる、微笑みと労りを持って、ウェルティムは慰めの言葉を投げかけた。
「悪いのは、すべて私。あなたは私に命令され、仕方なく従っているだけなんだから、何一つ悪くないの」
裏切りに荷担しておきながら、そんな訳もないと頭ではわかっている。
しかし、目の前の淫魔女王の言葉に心が少しだけ軽くなったのも確かだった。
「だから……ね」
スッ……と両手を広げ、慈愛の笑みをたたえたまま、ウェルティムは「いらっしゃい」と囁く。
「あなたの怒りも、屈辱も、悔しさも、辛さも、悲しさも、後悔も、劣情も、獣欲も、愉悦も、全部を私にぶつけて、そして吐き出しなさい♥」
優しく誘う、導くような甘い言葉。
変わらない微笑みが浮かんでいながらも、ウェルティムの瞳の奥にはドロドロとした淫欲の熱泥が蠢いている。
それに気づきながら……理性では危険だとわかっていながらも、耐えきれぬ乾きにも似た衝動に、フラフラとベッドへ近づいていく。
「さぁ……私を壊すくらい、めちゃくちゃにしてぇ……♥」
まるで、食虫植物の芳香に酔うあわれな虫のように、極上の毒花に誘われた男はベッドに上がっていく。
やがて、二つの影は重なって一つになると、暗闇の中で荒い息づかいが漏れ始めた。
その合間に、密着した耳元でウェルティムが語りかける。
「また、私の役に立ちなさい。そうしたら、こうしてご褒美をあげるから……ね♥」
まるで、たちの悪い呪いみたいに、その言葉は脳内に染みていく。
先程までの、ウェルティムに対する嫌悪感や屈辱感は溶け落ち、ご褒美と相まって彼女へ尽くしたいという、献身的な想いのみが膨らんでいった。
「期待してるわよ……」
罠に嵌まった獲物を見る目で、よしよしと頭を撫でてくるウェルティムに対して、彼は蕩けた笑みで何度も頷いていた……。
◆◆◆
──獣人王国へ乗り込むと決めたものの、シェロンちゃんの話では内通者とコンタクトを取り、作戦を決行するにはもう少し時間がかかるらしい。
なので、僕とディセルさんはその隙間の時間を利用して、特訓をする事にした。
魔法使いである僕は、どうしたって敵味方が入り交じるような、乱戦に弱い。
そんな状況下でも、生き延びる術についてディセルさんと検討した結果、身体強化魔法を常時発動させるのがベストなのではないかという、結論にたどり着いた。
「それは中々、面白そうねぇ……」
僕の師匠でもあり、実の祖母でもあるお姉ちゃん(今更だけど、ややこしい設定だ)も、乗り気で色々とアドバイスをくれる。
そのお陰もあって、僕達は丸一日をかけて、『身体強化魔法を、魔力の循環に組み込んで、永続的に強化し続ける』手法を編み出していた。
さらに、先のドワーフの国で獣人族と戦った際に、彼等が身に付けていた魔道具を解析したロロッサさんも、新しいアイテムを製作したらしい。
「このアイテムを使えば、ディセル氏も昼夜を問わずに『いつでも完全獣人化』が可能になるッス!しかも、獣人族の人達が使ったいた物よりも、負担は少ないはずッスよ!」
ルド達を初めとした、獣人族の精鋭に配られていたあの魔道具は、使用者の肉体と精神に、少なくない負担をかけていたという。
なので、その魔道具の核になる魔石を、ロロッサさが秘蔵していた冥界神の力の片鱗を宿した宝石に変えたのだそうだ。
「ささ、ディセル氏。ちょこっと、それの性能を試してみてほしいッス!」
「あ、ああ……」
催促するロロッサさんの言葉に、躊躇するディセルさん。
はじめは未知のアイテムを使うのに戸惑っているのかと思ったけど、僕の方をチラチラとうかがう様子に、ピン!と来るものがあった!
そういえば、ディセルさんは獣人化した所を僕に見られるのが、あんまり好きじゃなかったっけ。
何度か戦闘で彼女が変身したのを見ているけれど、戦闘が終わってからはすぐに元に戻っていたし。
「……どうも、獣人化していると好戦的になってしまうしね。それに……」
そこで少し言い淀むと、ディセルさんは僕だけに聞こえるような声で、おずおずと尋ねてきた。
(その……毛深い女は嫌じゃないかい?)
恥ずかしそうに、小声でそんな事を言うディセルさん。
どうやら最近、人間の男はムダ毛の少ないスベスベの肌の女性を好み、体毛が多い種族は苦手だと、どこかで聞いたのだそうだ。
「他の人達の前でなら、変身してもどうって事はないんだけれど、君の前だとどんな風に思われるか、ちょっと怖くて……」
赤くなりながら、顔を隠すようにディセルさんは頬に手を当てる。
そんなに、僕の反応を気にしてくれてたなんて……可愛い……好き❤
「えっと……前にも言いましたけど、獣人化したディセルさんの姿も、神秘的で綺麗だと思いますよ。それに、あのモフッとした柔らかい感触も、結構好きです」
「そ、そうかい?」
「はい!」
僕が裏表のない、本心からの返事をすると、ようやく安心したように彼女も微笑んでくれた。
「……うん、それじゃあ、試してみようかな」
そう言って、ロロッサさんから指輪タイプの魔道具を受けとると、ディセルさんは早速それを起動させた!
「うっ……グルルル……」
わずかに喉の鳴る音をさせながら、ディセルさんの姿がみるみる変わっていく!
彼女の顔が、狼のような相貌に変化すると同時に、全身が黒銀の毛並みに覆われ、美しい獣へとディセルさんは姿を変えた!
「わぁ……」
先に言った通り、彼女の獣人化は何度か見ている。
見ているのだけど……今回の変身は、なんだか以前よりも輝きが違うような気がする。
なんていうか、妙に毛艶が良くて、まるでディセルさんだけが月光を浴びているみたいに見えたんだ。
「やっぱり、綺麗……」
「そ、そうかな……ありがとう❤」
思わず見とれていた僕が呟くと、誉められたディセルさんも、はにかんだ笑みを浮かべていた。
「変身は、無事にできたみたいッスね。他に、不調とかは無いッスか?」
「うーん、今の所はかなり好調だね。いつもなら気持ちがザワつくんだけど、なんだかすごく落ち着いてるし……」
次の瞬間!
佇んでいたディセルさんの姿が一瞬だけ霞むと、甲高い鍔鳴りの音が響いた!
恐らく……抜刀術の型を、試しにやってみたんだろう。
完全獣人化で強化された動きは、僕なんかじゃ全く見ることはできなかったけど。
「……うん。やっぱりいつもの獣人化より、身体のキレがいい」
「これも、核になる魔石を変えたからッスかね?」
「かもしれないね」
なんにしても、不都合な点はなかったみたいで、ロロッサさんも魔道具のデキにご満悦のようだ。
「よーし!色々と仕上げていきましょう、ディセルさん!」
「ああ!やろう、アムール!」
ガッチリと抱き合う、僕とディセルさん!
そうして僕達の、本格的な訓練が始まった!
実践形式で刃を振るうディセルさんの剣撃をかわしたり、そんな中でも撹乱系の魔法を使う手段を練ったり、街に一緒にお買い物に行ったり、モフモフな毛並みを堪能したり、二人で結婚首輪を選んだりと、様々なメニューをこなし、訓練は苛酷を極めた!
「割りと遊んでる気がしますの……」
「ほぼ、イチャイチャしてたッス」
「あらあら~、もしかして曾孫の顔を見るのも、本当に近い日かもねぇ」
呆れられたり、からかわれたり、色々と言われながらも、僕達の訓練の日々は流れていく。
だけど……いよいよ、その日は訪れた!
◆
「お母さまからの返事が、届きましたの!」
いつの間にか、家に届けられたなんの変哲も無い封筒。
その中には、獣人王国の兵士達の警備区域やローテンションの時間帯などが暗号化されて記されているようだった。
僕にはさっぱりわからなかったけど、シェロンちゃん内容がわかるのかな?
「本日中に、解読いたしますの!」
あ、さすがにこのままじゃ読めないか。
だけどシェロンちゃんは、燃える瞳で猛然と暗号を解読していく!
この作業が終わったら、いよいよ、獣人王国への殴り込みか。
そこへは戦いに行くのだというのに、ディセルさんの生まれ故郷に行くのだと考えると……僕はなぜか、違う意味で興奮してくる気持ちが沸き上がって来るのを、押さえることができなかった。




