05 わかってないわねぇ……
◆◆◆
ほんの数日前、勇者一行と邪神を信奉する暗殺者の教団が激戦を繰り広げた、とある村の跡地。
かつて狩人の村と呼ばれたその場所には、いまだ戦禍の傷跡が生々しく残されていた。
その場所に、闇から滲み出るようにして沸き上がる、ひとつの影。
暗黒の装束に身を包み、白骨の顔を持つそれは、魔王四天王のひとり。
名を死霊王のガマスターという。
「ふむ……よい瘴気に満ちている」
死霊王は周囲を見回しながら、満足そうにひとり頷く。
そうして、ガマスターが魔力を集中させ術を発動させると、ボコボコと物音を立てながら、周辺の土が盛り上がった。
そこから姿を現したのは、腐りかけた肉体のゾンビや、黒いオーラを纏った白骨のスケルトンの群れ。
出現したアンデッド達は、ボロボロになった衣服を纏っていたが、それらはまさに勇者達と激闘を繰り広げた、邪神教団達の連中の物であった。
「喜べ。死してなお、邪神様への奉公を務めさせてやろう」
死霊王の言葉に、歓喜とも苦鳴ともつかない声が死者達から上がる。
「さぁ、行くぞ。目指すは、獣人の姫と冥界神の加護持ちがいるという、人間の街だ」
ガマスターによって、甦らされた骸達は、その言葉へ従うようにしいて、ゆっくりとした進軍を始めた。
◆◆◆
お祖母ちゃんが突然訪ねて来てから、数日が経っていた。
再び、僕を鍛えてあげると宣言した通りに、あれからお祖母ちゃんは付きっきりで僕を鍛え上げている。
ディセルさん達と同じように、僕達も『領域』を展開し、加速した意識の中でイメージの魔法戦を何度も繰り広げていた。
「んん~♪だいぶ良くなってるわねぇ。『女装』の質を上げた成果も出てるみたいで、なによりだわぁ」
『領域』を解除して休憩に入ると、お祖母ちゃんはそう言って満足そうに微笑んだ。
「そ、そうなの……かな……」
まだまだ余裕の有りそうなお祖母ちゃんに比べ、かなり疲労した僕はゼィゼィと息を切らしながら、かろうじて答える。
でも……本当の事を言えば、確かに様々な魔法技術が上達したような、実感や手応えのようなものは感じていた。
お祖母ちゃんの言う通り、見えない部分にもちゃんと丁寧な女装を心がけ始めた途端、苦手だった回復魔法だってかなり使いこなせるようになっている。
正直なところ、可愛い女性用下着とか、ブラジャーまで着けさせられ、いまだに違和感があるのは否めない。
街まで引っ張られていって、ノリノリなお祖母ちゃんが色々と選んでくれた物だから無下にはできなかったけど、一緒に付いてきたディセルさんの前で、下着姿とかを披露するハメになった時は、そりゃあもう恥ずかしかった。
ディセルさんのために強くなりたい気持ちに変わりはないけれど、なんだか彼女の彼氏としては、思いきり明後日の方向に向かっている気がするんだよなぁ……。
そして、『恥ずかしい』と言えばもうひとつ……。
◆
「あーちゃん、一緒に入りましょう♥」
「わあっ!」
こうして僕がお風呂に入っていると、お祖母ちゃんが乱入してくる事が多いというのが、最近のちょっとした悩みの種だった。
「お、お祖母ちゃん!お風呂にまで押し掛けるのは、やり過ぎだよ!」
「大丈夫よぉ!私の作った魔法、『謎の怪光線魔法』や『不思議な湯気魔法』で、ちゃんと見えちゃいけない所はガードしてるから!」
「いや、そういう事じゃなくて……」
ゆったりと疲れを癒しておきたかったのに、騒がし……もとい、元気なお祖母ちゃんと一緒では、ますます疲れてしまいそうだ。
やんわりと断ろうとすると、返ってきたのは「これも特訓の一貫だ」という謎の答え。
「それって、どういう……」
「もちろん、スキンシップ兼、土台作りのためよぉ!」
「土台作り?」
「そう!今は若さのお陰で色々と誤魔化せてるけどぉ、成長してからも『可愛い』を維持するためには、ちゃんと基礎を磨いて、土台を築いておく必要があるわぁ!」
「そ、そういう物なの……?」
「そういう物なの!」
力強く断言されてしまうと、その辺の事情に疎い僕としては頷くしかない。
「さらに今日はぁ、アシスタントとしてディセルちゃんにも手伝ってもらいまぁす!」
「ええっ!?」
「ディセルちゃん、いらっしゃ~い」
「よ、よろしく……アムール」
お祖母ちゃんに呼ばれて、少し頬を染めながら、ディセルさんも浴室へ入ってきた!
もちろん全裸で!
ただ、本来なら目のやり場に困ってしまうところなんだけど、なぜか胸や下半身のあたりには、謎の光が差し込んだり不思議な湯気が立ち込めたりして絶妙に隠している。
これも、お祖母ちゃんの魔法の効果なんだろう。
そのお陰で、僕もかろうじて平静を保てていた。
「な、何をしてるんですか、ディセルさん!お祖母ちゃんに付き合わされているとはいえ、なんでこんな事を!?」
「え、えぇっと……それは……」
確かに以前、勇者一行の女性陣とたまたま温泉に入る流れになった事はあったし、ディセルさんが「お風呂は一緒に入ろうか」なんて、言ってきた事もあった。
だけど、二人きりの時ならいざ知らず、第三者もいるというのに、なんだかディセルさんらしくない気がする。
「やぁねぇ、あーちゃん。ディセルちゃんも、女の子として基礎を磨きたいから、私に教えてほしいって言ってきたのよ」
「カルノ様!それは内密に……」
慌てるディセルさんの反応を見て、お祖母ちゃんは「可愛いわねぇ♥」と微笑む。
でも、ディセルさんはこんなに素敵な女性なのに、なんで今さら……?
僕が首を傾げていると、なぜかお祖母ちゃんが小さくため息を吐いた。
「わかってないわねぇ……」
「な、なにが……?」
「あーちゃんがどんどん可愛くなっていく事への焦りと、自分も綺麗になってあーちゃんに見てもらいたいっていう、ディセルちゃんの乙女な気持ちが、よ!」
「あ、あう……」
はっきりと言い切ったお祖母ちゃんの言葉に、ディセルさんは赤くなって俯いてしまう。
そ、そんな事を、あのディセルさんが……?
僕の女装に対する焦りっていうのはよくわからないけど、僕のために綺麗になりたいと思ってくれていた事に対しては……う、嬉しいっ!可愛いっっ!好きぃっっっ!
ディセルさんへの愛しさが溢れてきて、腰が抜けそうだ!
「あらあら、あーちゃんも感激してるみたいねぇ……気持ちも盛り上がってるみたいだし、今のうちに女を磨くわよぉ!」
「は、はい!」
「う"ぅ"……」
元気よく返事をするディセルさんに、胸が詰まって呻き声しか漏らせない僕。
そんな対称的な生徒を前にして、お祖母ちゃんの美容基礎講座は始められた。
◆
お祖母ちゃんとの講義も交えた長風呂で、少しのぼせた僕とディセルさんは、部屋に戻ると寝間着に着替え(当然、女性用)、並んでベッドに腰かけた。
そうして、どちらからともなく寄り合って、互いに体を預ける。
「カルノ様の教え……私はあまり、気にしたこともない事ばかりだったな……」
僕も女装を叩き込まれる過程で、それなりに身だしなみや細かいケアについて教わってはいたけど、ほとんど実践していなかった。
世の中の、普通な女性の大変さが身に染みるよ……と、ディセルさんは自嘲ぎみに笑う。
「ディセルさんは王族なんですから、こういう事は一通り知っているのかと思ってましたよ」
普段からいい匂いがするし……と、言いかけて、口を閉じた。
これじゃまるで、いつもディセルさんの匂いを嗅いでるみたいじゃないか。
あれ、でもディセルさんはよく僕の匂いを嗅いでるみたいだし……いいの、かな?
「獣人族は、あまり身だしなみに気を使わないほうだからね。私も追放されるくらいにはお転婆だから、あまり気にしていなかったよ」
ちょっと脱線していた僕の思考に気づかず、そう言ったディセルさんは少し寂しそうだった。
だから僕は彼女の手を握り、「ディセルさんは、素でも綺麗ですよ!」と伝える。
すると、ちょっと照れたようにディセルさんは「ありがとう……」と呟いて、コツンと頭を乗せてきた。
「ん……アムールの髪、すごくいい匂いがするね。それに、とっても艶があってサラサラだ」
「ディセルさんも……お肌がスベスベで、とても気持ちいいです……」
お祖母ちゃんの作った洗髪料や石鹸を使わせてもらったんだけど、効果は抜群だった。
ふわりと漂うお互いの香りを嗅ぎあい、肌を触れ合わせるのが、なんだかとても心地いい。
なんていうか、ディセルさんがよくやる、僕が男だとバレないように匂い付けしてる時みたいだ。
獣人族のマーキング……そう思うと、何となく僕もディセルさんに自分の匂いを移したくなってきた。
「ディセルさん……」
「んん……アムール……」
僕とディセルさんは、いつしかベッドに横になり、抱き合うように密着する。
そうして、相手の存在をより深く確認するように……そして、自分の存在を刻み込むように、夢中で体を擦り合った。
やがて、まどろむような視界の中で、ディセルさんの顔が近付いてきて……。
──が突然、ジャーン!ジャーン!と激しい銅鑼を叩くような音が鳴り響き、僕達は唇が重なる寸前でハッと我に返った!
あれは……緊急事態を知らせる、ハンターギルドの大銅鑼の音かっ!
以前、吸血鬼王の襲撃があった時に、再び似たような事が起きた場合を想定して作られた物だけど、それが鳴るという事は……敵やモンスターの軍勢が街に近付いているという証拠!
「アムール氏!ディセル氏!今の銅鑼の音、聞こえたッスか!」
『街の外で何かあったようだぞ!』
ドタドタと駆けつけたロロッサさんとターミヤさんが、部屋のドアを慌ただしく開ける!
だけど、ベッドで抱き合うように硬直していた僕達を見て、向こうも固まってしまった!
『あ、あらやだ!お邪魔しちゃってごめんなさいね!』
「お、お楽しみの最中でしたとは、こりゃ失礼しましたッス!」
親戚のおばちゃんとかおじさんみたいなリアクションで、そそくさと去っていく二人。
それを見て、完全に興が覚めてしまった。
「クッ……いい雰囲気だったのに!」
「あはは……僕も同感ですけど……今は、何が起きたのか確認を急ぎましょう!」
「そうだね、続きは帰ってきてからだ!」
続き……という、ディセルさんの言葉に、僕は小さく「はい……♥」と答え、急いで装備に着替えると部屋を飛び出して玄関へと向かった。




