09 変身……するんですか?
吸血鬼の爪が僕の喉元に届く寸前、一瞬の光が走ってその手首から血が噴き出した!
ギリギリの所で割って入ったディセルさんの剣が、スウォルドを斬りつけ、僕を救ってくれたのだ!
「ぬうっ!」
「アムールには触れさせない!」
一旦、間合いを取ったスウォルドから僕を庇うように、ディセルさんは立ちはだかる。
そうしてへたり込んでいた僕に、彼女は声をかけてきた。
「しっかりしなさい、アムール!戦場ですべてが思い通りに事が運ぶなんて、ほとんど無いでしょうが!」
言われて僕は、ハッ!と顔をあげる。
「計算外の事は起きるもの。なら、それをどう力を合わせて切り抜けるか、それが戦士の……いえ、私達ハンターの腕の見せ所でしょう?」
そ、そうだ……彼女の言う通りだ!
一人ではできない事を成すために、パーティを組んで支えあう……短い間とはいえ僕の方が先輩ハンターなのに、こんな基本的な事を彼女に指摘されるなんて。
これが、子供の僕と大人の女性の人生経験の差、か。
「すみませんでした、ディセルさん……もう大丈夫です!」
情けない自分を反省をするのは後だ!
今は目の前の敵を倒すために、ディセルさんと力をあわせよう!
「フッ……立ち直ってくれて良かった。頼りにしているんだからね」
僕に向かってウインクしながら、ディセルさんは微笑みかけてくる。
んんっ!頑張るぞ!
「ふむ……なかなか美しき女同士の友情。これは、もう少し楽しめそうだ」
「ああ、存分に楽しませてあげよう……」
スウォルドに返しながら、ディセルさんは剣を構える。
だけど、あれ?
彼女の瞳が、なんだか金色に光ってる?
「むぅ?」
ディセルさんの変化に気づいたスウォルドも、怪訝そうに眉をひそめた。
「この特殊結界は、失敗だったかもしれないよ……夜を糧とするのは、吸血鬼の専売特許じゃないからね!」
そ、そうか!
元々、ディセルさんやルドみたいな獣人族は、夜に満ちる魔力を吸収して、パワーアップするんだった!
夜を再現したこの特殊結界は、スウォルドだけじゃなくディセルさんにとっても強化がかかる空間なのか!
「小癪な……それで、我ら吸血鬼と互角に戦えるつもりか?」
「まぁ……全力でいけばね」
全力……獣人族の行き着く先は、『完全獣人化』のはずだけど……まさか、ディセルさんも!?
彼女が変身するかもしれないと、息を飲んで見守っていたけれど、なぜかディセルさんはチラチラと僕の方を覗き見てくる。
「あ、あの、ディセルさん……」
「な、なんだい?」
「変身……するんですか?」
「うう……それは……まぁ、できなくはないけれど」
ゴニョゴニョと、口の中で言葉を濁していたディセルさんだったけど、頬を染めたまま僕へ小さく声をかけてきた。
「完全獣人化すると、少し見た目がワイルドになるから、アムールに怖がられたら、嫌だなって……」
「おやおや、獣人族が見た目の変化を気にするなど珍しい。よほど、その少女が大事だと見える」
横からから、かうような口調でスウォルドが口を挟んでくるけれど、ディセルさんが僕の目を意識しているのだと知れて、ドキドキと胸の鼓動が速まった。
「大丈夫です!ディセルさんがどんな見た目になったって、ボクは怖がったりしませんよ!」
「そ、そう?」
キッパリと断言した僕の姿に彼女も安心してくれたのか、大きく深呼吸をして集中し始める。
「はあぁぁぁ……」
深い呼気と共に、ディセルさんの外見に変化が現れた。
鼻筋が伸びて口元が大きく開き、牙がゾロリと存在感を増していく。
肉体が一回り大きくなり、艶やかな彼女の黒髪が身体中に巡ったような、黒銀の毛並みが全身を覆っていった。
さらに、ディセルさんの特長だった耳や尻尾もより際立ち、今の肉体合わせるように小刻みに動いている。
──夜の闇を取り込んだ、二足歩行の美しき獣。
輝く漆黒の人狼となったディセルさんは、金色に光る瞳を開いて大きく息を吐き出した。
「…………綺麗だ」
変身を終えたディセルさんの姿に、見とれていた僕は思わず呟いてしまう。
すると、そんな呟きを拾ったディセルさんは、キリッ!とした表情を僕に向けた。
「こら、アムール!お世辞は後にしないか!」
口では僕を嗜めるような事を言ってはいるけど、彼女の尻尾はブンブンと大きく振れている。
うん、わかりやすい。
「お世辞なんかじゃないです!何て言うか……野生の美しさに加えて可愛らしいさも内包してて、いつもとは違った魅力で溢れていますよ!サラサラなのにモフモフとした毛並みにも、抱きついてみたいです!」
「そ、そういうのは、二人きりの時に……じゃなくて!も、もうっ!それくらいでいいからっ!」
上手く言葉にならない僕の気持ちをなんとか伝えると、ついに表情まで緩んだディセルさんは恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。
そんな所もすごく可愛いい……。
「なるほど、美しいな。同じ夜の住人として、その姿の方が好ましいぞ」
完全獣人化したディセルさんに、スウォルドも白々しい賛美の言葉を口にするけれど、左右に振れていた尻尾はピタリと止まってしまった。
「敵から誉められても、何も響かないね……さっさと終わらせよう!」
瞳の輝きが尾を引く流星のように流れ、矢のように突進したディセルさんが、一気にスウォルドとの間合いを詰める!
今までとは比べ物にならないほどの俊敏さではあったけど、敵も特殊結界で能力を最大限まで引き出した吸血鬼!
真正面から、鋭く伸ばした爪でディセルの剣を受け止め、激しい打ち合いへと発展していった!
近距離で斬りあう二人に、僕みたいな後衛の魔法使いが迂闊に割り込めないな……。
ディセルさんを巻き込む危険を考えると威力大きい魔法は使えないし、並の魔法ではスウォルドにダメージを与える事はできないからだ。
だから僕は別の形でディセルさんを援護をすべく、自分に身体強化魔法をかけて、素早くスウォルドの背後に回った!
こうして挟み撃ちの形にして、プレッシャーを与えるのが目的なんだけど……奴は僕にほとんど目もくれない。
身体強化魔法を使ったとしても、非力な魔法使いなんてさほど警戒する相手ではないという事なんだろう。
だいたい合ってるだけに、ちょっとくやしい!
だけど、僕の杖の先には、今も太陽の光を模して放つ光球が残っている。
いくらスウォルドが太陽光を克服したとはいえ、この光球をぶつけられれば何らかのダメージは負うはずだ!
僕は、ディセルさんにとって逆光にならないように気を付けながら、スウォルドの動きが止まるか隙ができるのを、ひたすらに待った。
やがて、ディセルさんの強烈な打ち込みを止めるため、全力で受けに回ったスウォルドの足が止まる!
いまだっ!
僕は吸血鬼の背後に向かって、光球の宿った杖先を思いきり突き出した!
ズボッ!という手応えが伝わってくる!
──断っておくけれど、この結果は完全に偶然で、決して狙った訳じゃない。
不馴れな近距離戦闘、互いの身長差、突き上げた杖の角度……様々な要因が重なりあい、僕の攻撃は深々と突き刺さったのだ。
スウォルドの尻に!
「けおぉぉぉぉっ!!」
怪鳥のような悲鳴をあげて、スウォルドは飛び上がる!
その勢いのままディセルさんを越えて、ろくに着地もできないまま地面に転がり落ちた!
「お、お前ぇぇ!なんて真似を……」
尻を押さえたまま、すさまじい形相で僕を睨みつけるスウォルド!
だけど、突然目を見開くと、悲鳴をあげながら踞ってしまった!
「ごあぁ……な、なんだ!私の体の中にぃ!?」
体内!?
その苦しげな声にハッと気付けば、杖の先に宿っていた光球がなくなっている。
もしかして、尻から奴の体内に!?
「ぐあぁぁっ!」
外からの太陽は克服できでも、さすがに奴も内側を照らされるのは初めてだったようだ(当たり前か)!
体内から太陽の光に焼かれるという普通ならあり得ない状況に、吸血鬼王の苦痛の声がさらに大きく響く!
ボロボロと崩壊し始めた肉体からも、光が漏れはじめてきた!
「こ、こんなアホな攻撃に、こ、この私があぁぁ!」
断末魔の声にも似た悲鳴と共に、一線を越えたスウォルドの肉体は灰の塊となって崩れ落ちた!
同時に夜の結界も消滅し、主の敗北を知った使い魔達が蜘蛛の子を散らすように、逃げ去っていく!
「……君は、いつも私の想像もつかない方向で決めてくるね」
かろうじてそんな事を言いながら、ディセルさんが苦笑する。
だけど、僕自身もまさかこんな決着になるとは、思っていなかったです……。
その時、呆然としていた僕達の後方の街から、防衛に回っていたハンター達の歓声の声が上がった!
「すげぇぜ!まさか、浣腸で吸血鬼を倒すなんて!」
「まぁ、アムールちゃんみたいな美少女に突かれたら、一発昇天するのも頷けるぜ!」
「まさに『尻を貫く者』……アムールちゃんの伝説に、また新たな一ページが加わったな」
勝鬨の声のかわりに、沸き上がる『アナル・ブレイカー』の歓声。
いや、勝利を祝ってくれてるんだろうけど……。
「その呼び方はやめてぇぇ!」
空にこだまする声援に対し、僕は心の底から半泣きで叫んでいた。




