第三章 3 - 17 賢者のイースターエッグ
深い渓谷を渡す、長い吊り橋。
ここを渡れば、龍の巣と外界とを隔てるゲートまで、目と鼻の先だというのに……
なぜか、そこにはテュルミー中尉 with 思想警察が待ち構えていた。
わざわざ部下の大手柄を祝福しに来てくれたのか?
いやいや、そんなワケがない。
だって「僕が手柄を立てた」という事実は、まだ異世界中の誰も知らないことなのに。
不穏さを感じて身構えた僕らだったが……テュルミー中尉は問答無用、
僕とルッカと征伐軍の面々は、まとめて谷底へ葬られてしまったのだった……
なんで、そーーーーなるの!?!?
これはあれだ。
インディ・ジョーンズで最も体験したくないシーン No.1と言われる、魔宮の伝説のクライマックシーン!!!!
高所恐怖症の人なら、空中で失神する系の!
まさか!
今回も以前同様、バットマン=テュルミー中尉が助けてくれる……なんてことはないよね?
だって、僕を橋から突き落としたのは中尉自身なんだから!
「ぎゃあああああああああああああああ!」
落ちる!
吊り橋から谷底へ真っ逆さま! 龍征伐軍の生き残り数十人が、全員落下の憂き目!
川面まで数十メートル! これは無理だ、助からない! 今度こそ僕は死ぬ!
まさかアルコ婆より早く逝くことになるとか、親不孝にも程がある!
いや、孫にも子にもなった覚えはないが!
ああもう、思考もグチャグチャだ、パニックだ!
まさか最期がこんなサドンデスとか、想像もしてなかった!
「男爵!!!!」
ああ、ルッカ。せめて君だけでも助けたかった。君さえ生きていれば、アルコ婆だって悲しまずに済んだろうに。
「ルッカ……………………あ???? ルッカ!?!?」
ところが彼女の身に、とんでもないことが起こっていた!
「は!?!?」
目を疑った。
だって彼女の下半身が消えていたからだ。
何が起こったのか? パニックで僕の頭がおかしくなったのか????
「手繰って! 早く!」
何がなんだか分からないまま、ルッカの指示に従った。
だって、本当に猶予なし。
あと数秒で、僕らは川面へ叩きつけられるんだから。
意味不明の超常現象だって、選り好みせず縋ってやる。生存本能のままに、僕はルッカの手を手繰った。
☆
「し、死ぬかと思った…………………………………………」
肺の空気を全部吐ききって、僕は安堵した。早鐘のように鳴る心臓が、なかなか治まらない。
九死に一生どころの騒ぎじゃないぞ、あんな窮地は。
「しかし……なんなんだ、この超魔術は?」
確かに賢者は、怪しげな術を使う連中って風評を被っていたけど、それは種も仕掛けもあるトリックだ。僕は「賢者の舞台裏」を、この目で見たじゃないか。彼らはある種の詐欺師で、その詐術で信者たちを救ってきた。「嘘も方便」が賢者のやり方だったはずだ。
「ルッカ……ここは一体どこだい?」
「賢者の私設図書館よ」
彼女の言う通り、座り込んだ僕の周りは書架で囲まれていた。
古今東西の知恵を所蔵する、書の空間だ。
帝都のカジノホテル、あの質草書庫よりもずっと大きい、マックスプランク教会大聖堂の書庫に勝るとも劣らない、立派な図書室だった。
「ルッカの空間移動術で飛んだのか? 峡谷から、どこかの図書館まで、移動魔法で僕を運んでくれたの?」
「男爵……そんなものがあったら、あんな苦労はしないでしょ?」
そうか。
もしルッカが空間移動魔法の使い手ならば、龍の巣への出入りも簡単だ。僕にピエロを演じさせてまで、通行手形(勘合符+朱印状)の入手に血眼になったりしないよ。
難なく龍の巣へ乗り込んで、龍との交信を試みればいい。
パラマウント曹長派に命を狙われたら、飛んで逃げればいい。
じゃあ何だ?
「空間移動術じゃないとしたら、これは……」
「だーかーらー、賢者の私設図書館よ」
分からん。君は何を言いたいんだ、ルッカ?
「男爵。これよ、これ」
ルッカは書架から本を取り出す。
ん? …………その仕草、どこから見覚えがあるような…………
「あっ!!!!」
そういえばルッカは、何もない中空から本を取り出す「マジック」を何度も披露していたっけ。僕の目の前で。
それもまた、種も仕掛けもある詐術かと思ってたのに!
「あれか!」
あの、ルッカが本を取り出した「中空の四次元ポケット」――あれがこれなのか????
「賢者の血を引く者なら、みんな持ってるのよ、【自分だけの図書館】を」
「そこへ入ったの? 僕ら、無理矢理? カンガルーの子供みたいに?」
「緊急時だしね」
「マジか……」
まさか賢者はただの奇術師じゃなくて、本物の魔術を操る者だったとは……
ああ、僕もヤキが回ったな。
固定観念はクリエーターの毒だ。「そんなの有り得ない」と己の発想を縛った時から、想像力の翼はもぎ取られる。創作の女神の加護を失うのだ。
まだまだ、僕も精進が足りないな……
「そうだ、想像力が足りない!」
「えっ? 何よ急に?」
「僕らは思慮が足りなすぎたんだ! あまりにも浮かれ気分でロックンロールだった!」
今更反省しても遅いけど……
「だって考えてみなよルッカ! おかしいじゃないか! だいたいさ!」
「な、何が?」
「蟻も通さぬドラゴンゲート。天才錬金術師のギガンテス。それらが守護する禁足門を、誰が通れるの?」
「あ……」
聡明なルッカも気づいたようだ。加護の龍・カジャグーグーの証言――そこに潜む矛盾を。
「龍は嘆いていた。『たびたび塒を人に襲われる』と」
「!」
「誰だ? 龍の塒を襲っていた奴は? 生半可な山賊野党では門は突破できない。それは僕ら、自分の目で確かめたじゃないか!」
一攫千金を狙うヒャッハー軍団も、完膚なきまでに門番に叩き潰されていた。
相当な人数でも、無敵のギガンテス兄弟を突破できなかった。
「ならば導かれる答えは一つ――過去の盗掘者は通行手形(朱印状+勘合符)を持っていたんだよ!」
「!!!!」
「つまり、ドラゴンゲートを通過できる【公認の盗賊】が龍の塒を荒らしていた――そう考えるしかない!」
あーっ! クソッ!
「どうして気が付かなかったんだ……こんな単純なことに!」
この龍の巣は巨大なカルデラ。人も獣も越えられぬ、断崖の外輪山に囲まれている!
ただ唯一、あのゲートを除いては。
「男爵は、龍の巣を荒らしてたのは王様公認の盗賊って言いたいの?」
「それ以外、考えられない」
「それこそおかしいわ男爵! だって、龍の巣を荒らせば、ドラゴンが人間たちへ【警告】しに現れるのよ? 手痛い報復を被るのよ?」
【龍災】は都の一部を灰燼に帰し、多数の犠牲を生む。城を焼いて、王を殺す。
「盗賊が多少のレアアイテムを持ち帰れたとしても……割に合わないわ」
「合うんだよ」
「えっ?」
「僕が証拠だ」
「……どゆこと?」
「龍に城を焼かれても、王は死なない――なぜだか分かるかい、ルッカ?」
「分からないわよ……」
「簡単なものさ。賢者の【霊界通信】と大差ないレベルのトリックだよ」
「え?」
「王は死んでいる。でも代わりはいくらでもいるのさ」
そこで僕は仮面を取ってみせた。
「男爵、あなた……王様だったの!?」
「僕はただの異邦人じゃない。王様に召喚された、別世界の王様自身なんだよ!」
「だから王様と同じ顔なのね……」
「【龍災】で龍に灰にされるのは本物のマクシミリアン帝じゃない。僕ら召喚者=影武者なんだ」
「そんな……」
「龍が去った後、影武者の灰の上に本物の王が立つ。すると民は沸く。我々の王は不死身だ、この国を率いるのは、あの王しかいない、と。拠って【龍災】を生き延びた王はカリスマを得る。いわば龍から権威を授かるんだ。『王権龍授説』だ」
自分で言ってて笑えてくる。なんて酷いマッチポンプだ。
「僕ら召喚者も知らなかったんだ。『いつ【龍災】が起こるか、誰にも分からない。何年も来ない時期もあるし、間髪入れずに現れることもある。すべては龍の気分次第』という王様の説明を鵜呑みにして、自分の影武者任期には現れるな! と神頼みしていた……今思えば、間抜けの集団だ。完全に食い物にされているのに」
「【龍災】とは王様が仕組んだマッチポンプ、自らを権威付け神格化する茶番劇――――それがテュルミー中尉の言う「お前は知りすぎた」の意味……?」
「おそらくね……」
「そんな……」
あまりに大規模な自作自演に、ルッカも二の句が継げない。
「――でも証拠はない」
「証拠なんて必要ないわよ! 状況が全てを物語っているじゃない!」
ルッカは激高して捲し立てる。
「男爵! もう一度、龍の巣へ戻りましょう! 人間と龍との契約は反故されたに等しい、王は不誠実で自分勝手な為政者だ、って報告すれば、龍も考え直すに違いないわ。人は龍が加護するに値しない存在だと!」
「ダメだよルッカ……」
「どうしてよ男爵? あんな腐った王や、思想警察をのさばらせておいていいの? 奴らは滅びるべきよ!」
「考えてみて。龍が龍脈を放棄してしまったら、困るのは誰だ?」
「あ……」
「王侯貴族や高級官僚なんて別に困らないよ。王国各地にある別宅で優雅に暮らせるさ」
「…………」
「でも、弱い立場の者たちは、流民として艱難辛苦を味わう――それはアルコ婆が望むことか? 恵まれない寡婦を支援してきた賢者協会のやるべきことか?」
「じゃあ男爵は、このままでいいの? 王や思想警察が権力を恣にして、偽りの王権龍授説に胡座をかいている、そんな世界が正しいの?」
「正しくはない、と思う」
でも、人類史を俯瞰して「全てが正しい」社会体制とか、見つけられるか?
ないだろ、そんなもの。
完璧無比の「正しい」環境など、人類は未だに経験していない。
原始共産社会とて、直接民主制とて、近代的自由主義社会とて、高度管理社会とて、必ず光と闇が存在する。
比較的うまく回っている社会なら、必要悪は必要悪として甘受した方がマシ、まである。
革命で流れる血も、弱者の血なのだから。
僕は、いったいどうすべきだろう?
異邦人=部外者は部外者らしく、必要以上の関わりを持たないのが正解ではないか?
でも……もはや僕は、この世界と無関係じゃない。
少なくとも、僕と関わり合った人たちが、不幸なままで元の世界へ帰れない。
そんなの無責任だと思う。
立つ鳥跡を濁さず。せめてアルコ婆の冤罪は晴らしたい。
あのババアを理不尽な檻から出して、盛大な釈放パーティを開くんだ。
僕のお陰だぞ、とドヤ顔で胸を張ってやる。
水脈寸断=帝都放棄となれば、政治犯の収監どころじゃなくなるかもしれないが……
そんな惨事は御免だ。生み出される不幸が甚大すぎる。
目的は大事だが、手段が杜撰すぎてもバランスが取れない。
「どうしたらいいんだ……」
所詮、小説家には何も出来ないのか? 異世界ライター異世界で役立たず、なのか?
腕力に乏しく、実用的な専門知識もなく、コネもない。与えられた身分は、偽の家名。
権力者のご機嫌一つで、用済みの烙印を押されてしまう。
弱い……
本当に何も出来ない、僕は。
普通さ、転生者には爆発的なアドバンテージが付与されるもんでしょ?
異世界転生ものってさ?
現代の超越技術で無双するから気持ちいいんでしょ?
なのに何だ?
僕らはカモだ。如才ない現地民に振り回され、利用されるだけの平和ボケ野郎じゃないか。
「情けない……何も出来ないなんて……」
これが【異世界の現実】なのか?
『――そんなことはないぞ、男爵殿』
「えっ?」
懐かしい声が聴こえた。確かに聴こえた。歳に似合わず、しっかりとした滑舌の婆さんの声。
「あ、アルコ婆!?」
空耳か? 慌てて「賢者の私設図書館」を見回しても当然、婆の姿など無かったが……
『ここじゃ、ここ』
言われるがまま視線を下げると――
「なっ!」
スライム!?
粘性の高いウニョウニョっとした塊が、アルコ婆の1/144……いや、1/14くらいか? 有機生物的に蠢いている! グニュグニュっと。
「なんだこれ……?」
「これ、粘菌操作術式よ……賢者の伝承秘術の一つ【疑似人格生成術】よ……」
ルッカ嬢も驚いた表情で「スライム状のアルコ婆」を凝視した。
「粘菌!?」
「賢者の秘術で粘菌にアルゴリズムを与えると、人工知能の振る舞いをするのよ。そういう術式があるの。私も実際に見るのは初めてだけど……」
賢者、やっぱり魔法使いじゃないか?
いくら人工知能とはいえ、人の言葉を喋る粘菌とか魔術の領域だろ…………
『悩める若者よ。そろそろ知恵者の助けが必要な頃じゃろうて』
「これ、たぶん……婆ちゃんが残してくれたのよ……こんな状況を想定して」
「マジかよ……」
アルコ婆、すごすぎる……伊達に賢者協会の大幹部を名乗る者じゃない、ってことか。
『男爵よ、お主にはお主にしか出来ないことがある――――若き子羊に、神託を与えよう』
以上で第三章、締めとなります。
振り返ると(分量も期日も)予定を大幅にオーバーしてしまいましたが、悔いはない!(……と思いたい(※弱気)
(本来は第三章、十三話程度で終わる予定だった……)
次章、第四章で終わる予定ですが……果たして、どうなることやら?
ルッカと咲也はアルコ婆を無事に助けられるのか?
【龍災】から帝都の民を救うことが出来るのか?
最後までお付き合いいただければ幸いです m(_ _)m
インディ・ジョーンズで最も体験したくないシーン、
高所恐怖症の人は吊り橋のシーンだけど、
ニョロニョロ爬虫類がダメな人は、アレだよね……
猿のアレも相当キツいがw




