第三章 3 - 15 ノロノロウェイウェイの森
話せば分かる。
――さすが憲政の偉人、犬養毅先生の言葉は金言だった。
建国初代・カルストンライト王以来、数百年に渡って疑心暗鬼のスレ違いを繰り返してきた、龍と人間たち。
それぞれの思いは、結局、話してみないと分からないし、話せば分かる。
世界は一家、人類みな兄弟!
群雄割拠の大陸を平定した建国初代・カルストンライト王――――
彼の軍勢【ザ・ドラゴノーツ】は巨大な龍を従え、その威光で諸侯を平伏せしめたという。
やがて戦乱が収まり、龍が役目を終えた時、
大君として戴冠した王は、龍に塒を与えた。
広大なカルデラの森を禁猟区と定め、龍は万人禁足の安住地を得た……はずだったのだが……
初代王の大陸平定から数十年、
いつしか『約束』を忘れた人の子の間に、禁足を犯す者が現れ始めた。
高価な龍素材に目が眩んだ、一部の不届き者たちだ。
そんな輩を諌める龍の罰――それが【龍災】と呼ばれるものの正体であった。
つまり【龍災】とは、人に対する懲罰である。警告である。
神の雷の代わりに超熱ブレスで、人の子に猛省を促す行動であったのだ。
侵略や捕食ではなく、愛のムチだ。
「龍種カジャグーグーは【災厄の龍】なんかじゃなかった……」
「人のために龍脈を守護してくれる……まさに『加護の龍』だったのね……」
賢者の聖典である賢者の議定書には、「加護の龍」とだけ記述されていて、具体的に何を加護するのか、僕らは知らなかったが……今なら分かる。
話せば分かる。
――「森の平穏を乱さぬのなら、人の都へ灸を据えたりしない」――
加護の龍・カジャグーグーは、僕らと約束してくれた。
龍と人間との新しい契約が成ったのだ。
「あとはこの契約を、王様に批准してもらうだけだ」
「そうね」
「人間が余計な手出しをしなければ、【龍災】は起きない……帝都防衛のために大勢の男たちが犠牲になることもないし、生活に困窮した寡婦が路頭に迷うこともなくなる!」
やったぜ! 万事丸く収まる!
龍の塒を離れ、足取り軽く、カルデラの中央火口丘を降りる僕と……ん?
災厄の龍は暴虐の悪龍ではなく、首都の水瓶を守る加護の龍だった。
つまり賢者の議定書は偽書などではなく、賢者協会は謂れなき弾圧を覆す証拠を得た=賢者さん大勝利!!!!
のはずが……
「ルッカ?」
なぜかルッカは思いつめた顔をしていた。
「嬉しくないの?」
賢者の名誉回復が成れば、獄中の幹部たちも解放されるだろう。
理不尽な弾圧は止み、当然、アルコ婆も帰ってくるはず……なのに?
「だってこんなの……どうやってお礼したらいいのか分からないよ……」
神妙な顔で、僕を見る。
この遠征、ルッカ的には、賢者復権の道筋を得られれば大成功だったはずが、
思いがけず、龍災の停止という大金星まで手にしてしまった。
僕らの『お土産』を知れば、全帝都臣民が歓喜に湧くだろう。
【龍災】の停止は、臣民二百年の悲願なのだ。
これ、とんでもないことだよな、客観的に見れば。
だけど、
「礼? 要らん要らん」
だってさー、
「僕が褒美を貰っても仕方ないじゃん? 僕は異邦人だ。何の後腐れもなく、元の世界へと帰るのが唯一の望みだよ? ババアが解放されれば、立つ鳥跡を濁さずで帰れるよ。清々した」
「でも……」
「だいたい僕の手柄なんて微々たるもんだろ? もしルッカに守ってもらわなかったら曹長派に殺されていたし、龍と対話できたのは翻訳妖精のお陰で……」
「そんなことないよ!」
危ない! 危ないって!
下り坂でタックルされたら、二人とも谷底だよ!
必死に踏ん張って彼女を受け止める。
「男爵を利用したのは私なのに……勘合符と朱印状のために、男爵の名前を利用して……」
「ルッカ……」
「恨まれても仕方ないのに……なのに男爵は最後まで私を助けてくれた。諦めかけた時も、大丈夫だって励ましてくれたの! 男爵のお陰だよ! 上手く行ったのは! いくら感謝してもしきれないほど感謝してる!」
「そんな大げさな……」
僕は、ただ……自分が、こうするべきだと思ったからやっただけだ。
何も気に病む必要なんかないよ、ルッカ嬢……
君とババアが悲しい別れを迎えることだけは嫌だったんだ。
誰にも看取られず、獄中死するとかあっちゃいけない。
先に天国へ逝く親族は、笑って見送ってあげなくちゃいけない。
どんなクソババアであっても、残された人が笑って送らないと。
それだけだよ僕の心残りは。
「いいえ男爵! 何もしないんじゃ私の気が済まないから! 言って何でも! 私の出来ることなら何でもするから!」
「……と、言われてもね……」
望み?
ううむ……(元の世界へ帰る、以外で)僕が望むこと……
「じゃあ、書籍化してくれ!」
「え?」
「僕の作品をさ、本にして出版してよ。この世界で僕が体験したことを、まとめて書くから。それを賢者協会の力で本にしてくれ!」
「そんなことでいいの?」
「もちろんさ」
書籍化……何と甘美な響きか!
全国数万のアマチュア作家が、喉から手が出るほど切望する大願じゃないか。
たとえ異世界であっても、未だ識字率が低く、娯楽小説の文化が全然浸透していなくとも、
書籍化!
それは作家を昇天させる、夢の言葉さ! エクスタシー!
「よぉーし! 都へ帰ったら一気に書き上げるぞ!」
どんな形式で書こうか?
迫真のドキュメンタリー?
それとも適度にエンタメ要素を混ぜ込んだヒロイック・ファンタジー?
勇者と姫のラブロマンス辺りが、最も需要の高いジャンルになるだろうか?
いやいや。
ルッカ嬢はララ・フロフトやサラ・コナー、エレン・リプリー級のヒロインに相応しい美貌と能力を持っているけど……僕じゃ絵にならない。ヒーローが(不釣り合いという意味で)役不足だ。
(自分で自分を美化するのは、ナルシズムがすぎる)
苦笑いしながら、隣を歩く彼女を見れば……
『そんなことないよ』
とでも言わんばかりの、信頼の瞳を返してくれた。
篤い信頼――僕の勝手な解釈かもしれないけど……
「男爵」
滑りやすい沢渡り、しっかりと手を握って僕を補助してくれた。
「転ばないでよ。帝都へ帰り着くまでが大将の務めなんだから」
「分かっているよ副官殿」
浮かれて川で転倒死、とか洒落にもならないからね。
僕らは凱旋する。
抱え切れないほど大きな土産を持って、帝都へ帰るんだ。
僕らが帰れば、もはや帝都民が【龍災】に怯える日々は終わる。
英雄たちの夏物語は最高の大団円さ。
☆
「いいですか! 帝都に帰るまでが遠征軍です!」
「「「「ひゃぁ~い」」」」
龍征伐軍のベースキャンプまで戻った僕とルッカだったが……
ドキッ! 男だらけのラブ&ピースフェスティバルと化したキャンプは、未だ享楽と怠惰の空気に包まれていた。極めて男臭い桃色の片思いが充満している、地獄絵図である。
ほんと『もはや全てがどうでもよくなるキノコエキス』は効き目抜群。
もしかしてオークやゴブリン基準の処方は、人間に対して過……
「いや! 考えるのはよそう!」
なにせ、この方が好都合だからだ!
隊士たちがディープな多幸感に酔っているうちに、龍の森から連れ出してしまおう。
夢から覚めてしまえば、一時は斬り合い寸前になったことも、忘却の彼方へ流してくれるかもしれないし。
「さ、みんなのおうちへかえりまちゅよ~!」
「「「「ひゃぁ~い」」」」
幼稚園児より気が抜けた返事の兵士たち、足取りもおぼつかない遠足並みの行軍速度だったが、別に急ぐ旅路でもない。
ドラゴンゲートを潜ってしまえば後戻りなど出来ないのだ。二度と。
朱印状と勘合符は出入国一回限り。門番のギガンテスに回収され、僕らの手元には残らない。
☆
そんな半酔っぱらい集団の遅々とした歩みも、陽が落ちる前に果てが見えた。
数日ぶりのドラゴンゲートまで、あと数百メートル。
後は、深い谷を渡す吊り橋を渡りきれば、ほとんどゴールである。
高所恐怖症の人は、足がすくむ高さの橋も……むしろ酔っぱらい集団の方がヒョイヒョイ渡っていく。あれ、恐怖心が麻痺してるんだ……キノコ恐るべし……
「よし、これで全員だな……ルッカ、僕たちも行こう」
落ちこぼれなしを確認すると、僕らも殿で橋を渡り始めたのだが……
「あれ?」
数十メートルの吊り橋の先に……人影が見えた。




