第三章 3-8 ポイズン男爵の龍征伐軍、出征す。
「この『賢者の議定書』は契約の本なのよ――龍と人間との、契約の書」
先ごろ、帝都を襲い、その一部を焼け野原にして飛び去った、あの災厄の龍が「伝説の守護龍」だって?
無慈悲に街を破壊し、人を踏みつけ、城を焼く――厄災の権化が「都を加護する者」だって?
そんなの信じられないよ!(※咲也談
秋の大収穫祭と見紛う規模で、帝都ドラゴグラードは祝祭に包まれた。
あの夜会での「(ホラ吹き男爵の)龍討伐宣言」から一ヶ月。
(実態は、名ばかり貴族と烏合の衆だとしても)なんとか体裁だけは整った龍退治軍は、まるで凱旋式の前払いだ、とでも言わんばかりの大歓声で、その出征を人々に祝われた。
属州の叛乱を平定したローマ将軍か、第二次大戦終結の摩天楼パレードか。
その渦中で、僕とルッカ嬢は民衆に手を振り返す。
「ねぇ、ルッカ嬢?」
綺羅びやかに飾り立てられた儀式用戦車の馬上で、隣の彼女へ訊いてみた。
「この中の何人いると思う? 僕らが災龍を倒して帰ってくると信じている人は?」
「二、三人かな?」
朱雀大路をパレードする僕ら龍退治軍、総勢百名ほど。
熱狂で送り出す群衆は、少なく見積もっても数千人はいるだろう。
それでその数字か、ルッカ嬢。
【そう在って欲しい】という、無根拠な願望と、
【そんなことは有り得ない】という、冷めた判断、
それを同時に持ち得るのが人間というものだ。
アルコ婆の「カウンセリング」も然り。
【そんなことは有り得ない】と理解っている人に向けて、【そう在って欲しい】を語る。
疲弊した心を慰めるためならば、虚構も受け容れる。
それが人間というものだ。
異世界だって、僕らの世界だって。
祈りとは、優しい嘘なのだ。
実際に神を見た人はいない。人類史上、誰もいない。
だけどそれでも、苦しむ人は神に縋り、賢き導きを求める。
ただ一心不乱に祈りを捧げる。
そんな人たちから、どうして信仰を取り上げられようか?
神の代弁者として、アルコ婆は必要なのだ。
孤立や困窮に苦しむ女たちにとって、婆の存在が心の拠り所なのだ。
この慈悲なき世界では。
(アルコ婆……)
今、どこに軟禁されているのだろう?
できることなら、一刻も早く助け出したいけれど……
「でもね男爵」
「何さ、ルッカ嬢?」
「上手く行きすぎだと思わない?」
「え? なに言ってんのさ?」
あの夜会から始まる【ポイズン男爵を龍の生贄にする作戦】は、ルッカ嬢の計算通りだったんじゃないの?
「大筋は、ね」
「大筋?」
「私の計画は必ず成し遂げられる。もし行き詰まりそうなら、その障害を排除してでも上手く行かせるつもりだった。お婆ちゃんを助けるためなら、どんな手を使ってでも」
「…………」
「でも、何の障害もないまま、ここまで来ちゃった」
「…………」
「小さな躓きすらないまま、トントン拍子で」
「…………」
「あまりにも上手く行き過ぎてる……」
「それはこの国が専制国家で、王様の鶴の一声で何でも話が進む国だから、じゃないの?」
「そこよ、男爵!」
「えっ?」
「マクシミリアン様は人気者よね」
「へ?」
「こないだの【龍災】を思い出して。あの災龍のブレスを浴びても生き残った不死身王として、民衆に熱狂的な支持された王様じゃない、マクシミリアン帝は」
「そうだね」
あの【龍災】から、まだ一年も経ってない。誰の記憶にも新しい「英雄」の姿だった。
そのカラクリを知るのは、ごく一部の側近と、僕ら召喚者=影武者候補くらいのものだ。
民衆は王を、力強いシンボルとして崇めている。
「なら、別に今更、民のご機嫌を伺う必要ないよね? あのマクシミリアン帝は」
「言われてみれば……」
わざわざ「パンとサーカス」で官製娯楽を提供する意味はない。
少なくとも、今はない。
それなのに王は、わざとらしいほどに僕らを祭り上げ、「娯楽の種」を民に提供した。
「何か、あるのよ」
「何か?」
「王様にとって、不都合な真実がね」
ルッカ嬢、確信に満ちた瞳で断言する。
「そこから民衆の目を逸らしたいから、こんだけ大々的にバックアップしてくれるのよ」
不都合な真実……?
なんだろう?
民衆の預かり知らぬところで、何か厄介な問題が生じつつあるのか?
「でも、そんなのどうでもいい」
「えっ?」
「あたしたちは『賢者の議定書』の正しさを証明すればいい! そうすれば全て上手くいく!」
そこ。
「そこが一番不安なんだけど、ルッカ嬢……」
確かに賢者の議定書には、ちゃんとした儀式を行えば龍との交流が果たせる、と書いてあったが……それを無邪気に信じられるほど、僕は賢者脳ではない。
むしろ、圧倒的な暴威で帝都を破壊していった、あの姿を見た者としては……
底しれぬ恐怖の方が先に立つ。
あの災龍に自ら近づくなんて、自殺行為に等しいと思う。
そりゃ賢者の議定書の記述が正しいのなら、
王様だって賢者弾圧政策の撤回を一考せざるを得なくなるだろう。
不当勾留されているアルコ婆の身柄も、解放されるかもしれない。
だけど!
あまりにも無謀すぎるよ、ルッカ嬢の計画は!
そう思わざるを得ない、僕は。
「ルッカ嬢さ……龍の巣へ突撃する前に、まず作戦を考え直さないか?」
イケイケドンドンな上級特佐に対し、そう僕は諌めようとしたが、
「征龍鎮撫将軍、ポイゾナススネイク男爵・咲也堀江!」
都の正門、羅生門前で待ち構えていた王の使者に遮られた。
「はっ!」
下馬した僕が、片膝を着いて頭を垂れると、
「王よりの恩賜である」
使者からは将軍の証である法螺貝と、勘合符が。
「そしてこの……元老院の御朱印を授ける」
立派な顎髭の元老院議長からは、朱印状を賜った。
「謹んで拝領致します」
瞳をキラキラと輝かせながら、僕の名代として、それらを受け取る上級特佐。
そう。
それらこそが彼女が求めたものだ。
平時は何人たりとも立ち入れぬ龍の巣、その唯一の門であるドラゴンゲートの通行を保証された印こそ【王の勘合符】+【元老院の朱印状】なのだ。




