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3. 予兆

目が合った。長い黒髪の女性だった。何とか害意は無いことを伝えたかったのだが、口を開いても言葉を発することができないほど疲労が溜まっている。あぁ、今自分はどうすればいいのかと考えようとするも、脳がまともに働いてくれない。目の前の女性の表情がみるみる曇っていく。そりゃ、疲れきり険しい表情をした見知らぬ子供が、ガックリと肩を落としフラフラしながら草の影から現れたら驚きもするだろう。タイミングも最悪だ、悲鳴を上げて逃げ出されても仕方が無い。彼女が服屋の店員よろしく「どうされました?お困りですか?」とか言われても、逆にこちらが混乱してしまうう。逃げる女性を呆然と眺めつつ、あの篝火の先には助けてくれる人がいれば良いな、とそんな事だけを考えていた。


女性が逃げた先から声が聞こえてくる。低い声、おそらく何人かの男衆が様子を見に来たのだろう。先程の女性が「衰えてやせ細った子供が、見るからに疲れ切って倒れそうになっているから助けてあげて」と言ってくれていることを期待し、その場にへたり込みんで状況を見守る。


聞こえてくる声は徐々に大きくなり、少しして柵の向こう側から4~5人の人影が近づいてくる。近づいてくる男たちの声に怒気(どき)が含まれている事に気づく。何を言っているかはわからないが歓迎はされていないようだ。体は動かない。口は開けど言葉が出てこない。じっと自分を非難する男たちを見つめることしかできなかった。


体に痛みを感じる。

男衆の後ろ側にいたやつが石を投げ始めた。

2発、3発。避ける気も起きない。

頭を手で抑え体を丸くし防御に徹する事しかできない。

10以上は何個当たったか数えていない。

頭に強烈な痛みを感じた直後、意識を失った。


---


暗い。


初めは何も映っていなかった。


しばらくすると、時折(ときおり)ノイズのような白い点がうごめいているのを感じる。点は尾を引き、薄く(かす)れた線となっていく。線は数を増し、視界を埋めていく。それがハッチングで何かを描くように形を作っていく。


最初に認識したのは火山が噴火しているイメージ。これはどこの山だろうか?


さらにうごめく線。


これは日本刀か?(つば)の付いた長い刃物のようなものが振り下ろされるイメージを感じる。



今、自分はどんな状況なのだろうか。

何を見せられているのだろうか。

何も音は聞こえない。

匂いも感じない。

肌に何も感じない。

そういえばあれだけ石をぶつけられた筈なのに体の痛みがない。

触ろうと手を動かそうと思ったが動かせない。

そもそも四肢を感じ取れない。


死んだ、のだろうか。死んだら川を渡ってお花畑に行くんじゃなかったのか。あぁ、子供のうちに死んだら渡れないのだったか。



状況を確定することができないまま時間は過ぎる。その間にも掠れた線は何かを描いてゆく。あぁ、コレは知っている。パソコンのモニターとキーボードだ。


『そこではない』


何かの意思を感じた。それが何なのかは分からない。自分の雑念の一つなのか、それとも近くに誰かがいるのか。よく「こいつ、脳に直接」という表現があるが、今の自分には脳・・・というより頭という部位が存在しない。当然耳もないので聞こえるという表現も正しくない。この場合、感じた、が最も正解に近いのではないだろうか。


『なすべきことが残っている』


雑念ではないようだ。自分以外の誰かが語りかけている事を自覚する。自覚するというのは大切な事だ。仏教で言うところの悟りを開くための第一歩が自覚である。あくまで自分と他人は別な存在なのである。自分自身の事を見つめ直す事は大切なことだ。


『今のお前は誰だ?』


今?

今というのはいつの事か。この状況に陥る前はどうだったのか。あぁ、覗きの現行犯として処罰を受けた所だったか。かといって、過失だったし、石投げはひどいんじゃないかと思う。お前らは一切罪を犯したことがないのか、と。最後まで石を投げ続けたのは大工の息子だけだったってオチの話を聞いたことがある。


『・・・』


すみません、話の腰を折って。

続きをお願いします。


『励め』


謎空間での記憶はここまでだった。


白い映像は徐々に掠れていき、徐々に意識が一点に集まっていくような奇妙な感覚。


---


体に痛みを覚えて意識が戻る。石をぶつけられた所が響いているのか。いや、新たな痛みが体を蝕んている。


「・・・痛いっ!」


バサバサという音と共に何かが飛び去っていく。離れた所からはカァーカァーという鳴き声。なんとカラスに突かれていたらしい。目を開ける。外は明るい。一晩放置されたまま朝を迎えたようだ。


まだ近くにカラスの気配がする。思った以上にこの体は死にかけて見えるのか。どうにか体を起こし周りを見渡す。カラスは2羽。少し離れた位置から自分の様子を伺っている。


視界の端に昨日男どもがやってきた柵が見える。ひどい目に合わされた事はともかく今は目の前の危機から脱出することを優先とする。足にひどい怪我をしているらしく立ち上がることができない。じわりじわり、ゆっくりと目的地を目指す。上り坂が地味にきつい。それでもゆっくりと距離を詰める。カラスに大きな動きはない。


距離を半分程度詰めた頃、柵の向こう側に動きがあった。誰かが近づいてくる。カラスは飛び去る。頭上から女の声がする。


「生きてる」

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