29. 賊
思考が定まらない。
この男はいつからここに居たのか。
この家は村の中心からかなり離れた場所、それも村の出入り口付近にある。こっそりと侵入してしまえば村人たちは気付かず、言葉を話せないこの子は助けを呼ぶこともできない。少し前まで近くにタケルと自分が居た・・・とは言っても20m以上は離れおり途中に茂みもある、あの時点で気づくのは無理か。いずれにせよあの野生児の直感を持ってしてもこの侵入者を察知することはできなかった。
囲炉裏を挟んだ向こうにいる男の姿を観察する。炎の微かな光でははっきりと捉える事はできないが、川の村の男やこの村の男とも服装が違う。この時代の蝦夷の人々がどのような衣装を身に纏っていたかは分からないが、狼に育てられた姫が出てくる映画の主人公が育った実家の人々とはまた印象が違う。北の果ての住人ではないのか、それともこの男が北の果ての住人なのか。
「□□□□!」
声量こそ小さいものの驚愕と恐れを内包した怒号。だが、男が何かを叫んでいるが言葉が全く分からない。興奮して言葉にならないのか、それとも自分が理解できない言葉なのか。東京の人に青森の方言は通じないとTVで誰かが言っていたが、それでもイントネーションは日本語と同じだし大まかな意味は伝わる。だが、目の前の男が話す言葉はまったくわからない。
「□□□□□□□□□□、□!」
さらに男は小声で何かをわめき続ける。囲炉裏の子はやや緊張した表情をしているものの目に恐れの色はない。身の危険を感じているわけではないと理解すると、心臓の鼓動が少しだけ落ち着いて来くる。なおも何かを言い続ける男のイントネーションに何か違和感を感じ、脇を締め右手の手のひらを相手に向けそのまま少し上に持ち上げ2秒停止し、恐る恐る言葉を掛ける。
「・・・ネイホウ」
日本で触れた知識を総動員し簡単な挨拶の言葉をひねり出した。もうひとつ候補はあったがが、ひょっとしたらという思いもありこちらを選んだ。なお、次の候補は「ニイハオ」だ。
男の様子が変わる。一瞬ポカンとした表情を浮かべるものの、口を噛みしめ疑心暗鬼といった表情で自分を見つめる。
「□□□、□□?」
何かを訪ねるようなイントネーションで何かを語りかけてくる。残念ながら挨拶以外の知識はないので返事はできないが、男の興奮が少し収まったのは僥倖。今度は両手を胸の前へ移動させ右手は軽く握りそれを左手で包み込み、一瞬の間のあと頭を軽く下げる。今取っているポーズは拱手というやつで、昔の中国を舞台にした漫画等でよく目にする挨拶や礼をする時のポーズ・・・だったはず。
肩の力が抜け口を半開きにし男は毒気を抜かれたような顔をする。豆をくらったハトはこんな表情をするのだろうか。この隙に囚われた姫に「逃げてくれ」と視線を送るも囲炉裏の子は身動き一つしない。なんでやねんと心ではツッコミを入れるが下手に刺激して男がまた興奮してしまっては意味がない。持久戦を覚悟し、ゆっくりと腰を下ろし男と対峙する。男の視線がは自分を訝しんでいるように思えた。少し怖いが、プランは何も残ってないし、逃げれば囲炉裏の子がどうなるか分からない。
沈黙が続く。
根負けしたのは男の方だった。万歳をするように両手を上げ首を横に振る。囲炉裏の子は「いいの?」という表情で一度男を見た後、そろそろと動き出し自分の右横に鎮座する。家の奥には男、囲炉裏を挟んだ入り口側に自分と囲炉裏の子という構図となる。位置が変わっても何もする事はない。逃げるという選択もあるが、助けを求めても近くに誰もいないし子供の足ではすぐに追いつかれてしまうだろう。
ぽつりと男が声を発する。
「汝、ひとり、か?」
言葉通じるじゃないか!
先ほどまでは興奮してこの地の言葉が出てこなかったのだろうか。確かにいきなり家の中に飛び込んだ自分も悪かった。咄嗟に母国語らしい言葉が出るのは仕方がないのかもしれない。いや、そんな事よりこの男の正体だ。
「ひとり。汝は?」
男は指を3本立てる。なるほど3人で行動していたのか。残り2人がどこにいるかは分からないが、そのうち1人はタケルの追走を受けているだろう。あの男に捕まったらどんな扱いを受けるか想像するのも怖い。目の前の男のように意思疎通が見込めれば少しは対処も変わってくるのではないかと少し同情する。
男は身動きもせず黙って自分を見つめている。暴れるつもりはないようだ。
「誰ぞ、呼ぶか?」
「・・・否」
ここで助けを呼ぶと答えたら暴れだすに違いない。まずは現状維持。ただし、会話を引き延ばしている間に誰かが助けに来て欲しいとの下心は当然ある。精神を集中し男との会話を続ける。下手を打てば最悪の状況も考えられる。
「汝のクニは?北の果てか?」
男は視線を右に左に動かすも胡坐をかいた体制のまま身動きしない。質問の意味が分かりずらかったのだろうか、返答までかなりの時間を要した。
「・・・ハン」
ようやく出てきた単語は自分の知識にはなかった。北の果ての村の名前だろうか。
「ハン、食べ物はないか?」
「・・・ハンは、ない」
「食べ物、取るのは悪い」
男は無言になる。こんな子供に諭されては面白くもないだろう。食べるに困っていたとしても略奪するのは間違っている。せめて働いた見返りで食料を援助してもらうとか、もっと平和的な解決策があるのではなかったか。ここでふと思う。この辺りの村はまったく食料が無いわけではないし、川の村でも食うに困った人は見当たらなかった。盆地の北と南でそこまで作物の取れ高に違いが出るだろうか。ならば、この男達はこの地に来て間もない人々で、村を形成していなければ耕す農地も無いのでないか。
「いつ、ここへ来た?」
「・・・今の年」
「食べ物、作らなかったか?」
目が左右に動いている事を考えると何か言葉を探しているのだろう。そのうち諦めたのか、眉を一瞬ひそめただけで何も答えなかった。
しばらくして男は急に立ち上がる。暴れるつもりなのかと身を強張らせるものの、ゆっくりと自分の横を通り過ぎ家を出ていく。手に何も持っていないということは武器も持たず逃亡していたのか。小屋から外に出てから一瞬こちらの様子を伺うと、男は道沿いに北へと向かっていった。
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「童、ここかー!」
遠くからも聞こえる大きな声。タケルが戻って来た。ようやく自分を置いて走って行ってしまった事を思い出してくれたか、まったく来るのが遅いと憤慨する。おじゃましますとも言わず小屋の入り口からこちらを覗く大男。不機嫌な顔をしながら振り向き姿を確認して驚愕する。いつの間に顔や体に赤いペイントを施したのか・・・いや、これは血だ。見れば片手には血のついた短剣。逃亡者の1人は確実に命を失ったしまったのだろうと想像する。何も殺すことはないのに、そう考えるのは平和な国を知っている自分だけだろう。
「居たか!・・・ふむ、邪魔したか!」
ニヤリと笑うタケル。血を見て驚いたのか、囲炉裏の子が自分の脇腹にしがみついている。役得と思う所だろうが自分もタケルの姿に驚いて頭が回らない。仲の良い2人の子供の姿を見届けると、タケルはお供を引き連れ大声で笑いながら川へと向かっていった。だから夜中に大声を出すなと背後から呪いの視線を投げかける。
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ひとまず危機は去った。
逃げた男が言うには逃亡者は3人。1人はタケルが討伐し、1人は北へと逃げた。もう1人の行方は分からないが、タケルの様子を伺うにこの近くは居ないだろう。念を入れるならば避難すべきだろうが囲炉裏の子は村の中には入れない。まだ自分の体に抱き着いているこの子を置いて自分だけ逃げるのは気が引けた。さらに言えば、男との会話でかなり神経を使ったせいか体が言う事を聞いてくれない。仕方がない、今日は久しぶりにこの小さな家で朝を迎える事にする。
カタメ登場!
賊(やばい片目の化け物だ!)
賊「くぁwせdrftgyふじこlp」
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一応伏せた男の話の元ネタはあります。




