実体験の物語
私は20歳になったある日、自殺を試みました。
しかし、それは失敗し冷静になった私は精神科に行きました。そこで出された結果は、「適応障害」。
適応障害そう言われた時私はピンときませんでした。あまり浸透していないせいか、検索してもよく分かりませんでした。ですが、決して甘えや楽な障害ではありません。どの障害もそうですが、言い表せないくらいとっても辛いです。
このお話は、私がどうして適応障害になったのか、そのきっかけ書いています。
そして、このお話を見てくださる方がいらっしゃいましたら、これだけは承知しておいてほしいです。
①人生で作文以外小説という小説をあまり書いた事がないので、語彙力がないです。本当に。
②このお話を普通に書くと暗くてつまらないので、
私→ぬこちゃん
母親→まま
父親→ぱぱ
に変えています。
それでは、お見苦しい所もあるとは思いますが、物語を始めたいと思います。
私がまだ年中の時に母は、私を置いて家を出ました。
ぱぱが23歳、ままが22歳の時にぬこちゃんは産まれました。
周りは20代後半や30代が多くとても肩身の狭い思いをしたとままからは聞かされています。
ぱぱは運送会社で朝がとても早く、平日は基本ままと過ごしていました。
ままは育児の疲れからか、起きる時間が遅く、朝・昼ご飯が用意されていることはありませんでした。
当時保育園に入園する前のぬこちゃんは、空風を満たす為、家にあるお菓子やお湯をいれる前のチキンラーメンなどとにかく食べれるものならなんでも食い散らかしていました。
入園する前の小さな子供だとはいえ、お腹は空くもんは空く。そりゃあ人間だもの。空かない方が心配になるわ。
現代の知性を持った今のぬこちゃんはそう思います。
けれど、ぬこちゃんのままはその姿を見て私を酷く叱りつけました。
そして、お説教が終わると家の一角にある狭くて暗い部屋にぬこちゃんを閉じ込めました。
ぬこちゃんは泣きました。
「ごめんなさい、もうしません」と。
この出来事がのちにぬこちゃんの人生を''さいあく"な道に引きずり込むなんてぬこちゃんも思っていませんでした。
時は経ち、ぬこちゃんはやっと保育園に入園しました。初めての保育園不安と緊張で毎朝泣き喚いていました。本音を言うと、ぬこちゃんは保育園の先生が大好きだったので泣いている間はずっと保育園の先生に抱っこしてもらえていたので、周りの様子を片目で見ながらずっと泣き真似をしていました。
保育園は、とても楽しいところでした。保育士さんの管理があるとはいえど、ご飯は出るしおやつの時間もある。ぬこちゃんにとっては楽園そのものでした。そのうちお友達も出来て幸せいっぱい。
ところが、育児の疲れからか朝起きれないぬこちゃんのまま。保育園に行かない日が続きました。
また入園前と同じ日々が始まりました。
けれど、入園前と違う事がひとつだけありました。
ぬこちゃんを午後に連れ出してぱぱにあたかも保育園に行ったと見せかけるための偽装。
アイスやお菓子をぬこちゃんに買い与えては、
「ぱぱには、ナイショだよ」
と私に言い聞かせていました。
その意味が、「(保育園に連れて行ってない事は)ぱぱには、ナイショだよ」と気が付いたのは夜な夜な喧嘩をしている姿をぬこちゃんが襖からこっそり見るまでは知る由も分かる術もありませんでした。
そんなある時、とある事件が起きました。というか、ぬこちゃんが起こしました。
ある日またいつものようにお腹を空かせたぬこちゃんは、前に食べた"卵かけご飯"が食べたくなり、ご飯を盛って卵を冷蔵庫から出してご飯にかけようと思ったその瞬間、卵が手から落ちその衝撃で割れてしまいました。その時、仕事がお休みで家にいたぱぱに見つかってしまいました。酷く怒られました。
そこでぬこちゃんは言いました。
「ままがご飯を作ってくれない。起こしても起きないから保育園にも連れて行ってもらえない」
それを聞いたぱぱは、「ごめんね」と言いました。
その日の夜、ぬこちゃんが寝室で寝ているといつもとは違う怒鳴り声が聞こえてきました。ぱぱがままに昼間の事や保育園の事、自分がいない時の事を問いただしては怒っていました。ままも負けじと言い返しています。ぬこちゃんは、ぱぱやままが何か別のものになってしまったのではないかと怖くなり、夜泣きのフリをして、おしっこをしてしまったと嘘をつきぱぱにオムツを変えてもらいました。ぱぱは、大きな暖かい手で優しくオムツを変えてくれた事を今でもよく覚えています。変わらない優しい手に安心したぬこちゃんはそのまま寝てしまいました。
次の日、ままは荷物と一緒に居なくなっていました。
「少しの間用事があるから、おばぁちゃんの家に行った」
とぱぱから聞きました。
こうして、離婚したぱぱとまま。ぬこちゃんの親権は、もちろんぱぱ。
こうして、ぬこちゃんは父子家庭になりました。
私はこんな感じの家庭で幼少期を過ごしました。なので、今でも色々嫌な思い出がフラッシュバックしては私に襲いかかります。
私はずっと母親は、"育児の疲れからか朝起きれない"かと思っていたのですが、20代に入り父方の祖母から聞いた話によると"夜な夜な私が寝静まった後に友達と遊びに出かけては朝方帰ってきたり、そのまま帰ってこなかったりしていた"と聞きました。
まだまだ遊びたい盛りだったんですかね。だったら産まなきゃ良かったのに。と率直に思っています。
こうして父子家庭になった私は、母親と離れ幸せに暮らしました。
なーんて上手い話はありません。
そんなんだったら今頃"適応障害"になっていなかったと思います。
不幸は続くし、それは産まれた時から決まっている。自分が誰がどうしようと抗えないことだってある。
私が今まで生きていく中で一番感じている事です。
父子家庭になってからのお話、そして診断されるまでの直前の話も気持ちが落ち着いたら書けたらいいなと思ってます。