銀二の弱点
まさか。
銀二は急激に速度を緩める際に爪先立ちして、その際に絨毯との摩擦が起こり、藁草履の爪先裏に焼け焦げたような跡ができたのか?
だが、そのような摩擦音は聞こえなかった。
恐らく、殺人術で摩擦音を消しているのかもしれない。
だったら、銀二の摩擦音を何らかの形で聞こえるようにすればいい。
そうすれば、銀二の位置が把握でき、銀二に攻撃を与えれる。
しかし、どうすれば、銀二の摩擦音が聞こえるというのだ?
いや。
正確には、銀二が誤って音を出せばいい。
それにしても、シャンデリアのガラスの破片がかなり飛び散っているな。
いや、待てよ。もしかしたら、ガラスの破片を銀二が踏めば音が出るのでは?
わたしは、絨毯に落ちたコンタクトレンズを探すように、絨毯に目を凝らした。
辺りは、ガラスの破片だらけだ。
これなら、どこから銀二が襲って来ても、あとは銀二がガラスの破片を踏めばいい。
その音を頼りに、銀二に攻撃を仕掛ければ、勝機があるかもしれない。
だが、確かめる必要があるな。この勝機を。
「待たせてすまない。始めよう」
わたしは、床に刺した刀を抜き、ガラスの破片が散らばっている所に歩いた。
わたしがガラスの破片を踏むと音がした。スリッパを履いていて良かった。
「あれ? もう休憩いいんですか?」
銀二が頭の後ろを掻いて、ゆっくりと立ち上がる。
床に落ちた木刀を拾い上げて、手首で木刀を回して遊んでいる。
再び、わたしは銀二と対峙する。
銀二の不敵な笑み。
銀二は木刀を握り締めた腕を下げて、隙だらけの構えをした。
新しい攻撃か?
いや、油断は禁物。
わたしは八相の構えをした。
二人の間に、嫌な空気が流れた。
銀二が何も言わずに駆け出し、また一瞬で姿を消した。
ここからが勝負だ。よく耳を澄ますんだ。
その時、わたしの真横で、銀二が微かにガラスの破片を踏む音が聞こえた。
反射的にガラスに目を落とす。
ガラスの破片に銀二の姿がはっきりと見えた。
銀二は木刀を真横に振ろうとしている。
わたしは咄嗟に、片手を地面について、銀二の木刀を間一髪で避けた。
そうか、ガラスの破片を鏡の代わりにすればいい。
「あれ? おっかしいなっ」
銀二が首を傾げるのが、ガラスの破片に映った。
そして、銀二の姿が揺らいで消えた。
勝機は見えた。
しかし、まだだ。まだ動くな。
銀二が飛ぶ時、ガラスの破片が絨毯に食い込むような音がするはずだ。
銀二が宙を舞う、その時が狙い目。
わたしは、刀の柄を握り締めた。
わたしがそう思った時、ガラスの破片が絨毯に食い込むような重い音がした。
ここだ。
わたしはガラスの破片を見る。
銀二が宙を舞っている姿がはっきりと見える。木刀振りかざして。
わたしは、勢いよく刀の刃先を、銀二に突き出す。
二つの太刀風がぶつかり合う。
いくら、殺人術で姿が消せるとて、ガラスの破片に映る自分の姿までは消せまい。
詰めが甘かったな。銀二。
「っが」
銀二の脇腹に刺さったわたしの刀。
銀二の脇腹から血しぶきが飛び、わたしの刀身を銀二の血が伝い落ちる。
手ごたえはあった。
わたしの戦法は正しかったようだな。
銀二の身体が重い音を立てて床につく。
銀二は驚愕して目を見開き、脇腹に刺さった刀を見る。
ショックで頭を手で押さえ、木刀を床に落とした。
「な、なんで……ボクの血が……」
銀二がよろめいて、廊下の壁に凭れた。
銀二が脇腹に刺さった刀を抜く。
銀二は廊下の壁伝いに座り込んだ。
銀二が苦しそうに、両手で脇腹を押さえる。
「血だ。ボクの血だ。ハハハハッ。アハハハハッ」
銀二は狂ったように笑った。
掌についた、自分の血を見て。
「勝負あったな。銀二」
わたしは、床に落ちた自分の刀を柄を握った。
「なんでですか! なんでボクは負けたんですか!?」
銀二が悔しそうに俯いて、拳で床を叩いた。
脇腹を押さえて、泣きながら。
「ガラスの破片にお前の姿が映った。ガラスの破片に映る自分の姿までは消せなかったようだな」
わたしは、刀を腰に下げた鞘に納める。
「そ、そんな……」
銀二が俯いたまま、唸っている。
「父上のところに案内してもらおうか」
わたしは、銀二に手を差し伸べる。
「殺してやる……殺してやる!」
銀二が木刀に手を伸ばして、木刀の柄を掴む。
ゆっくりと立ち上がって、いきなり銀二が木刀を振り回してきた。
「!?」
こいつ。
怒りで、自我を保てなくなったか。
わたしは慌てて、鞘から刀を抜く。
わたしは、銀二に激しく応戦する。
銀二の木刀を受け流すので精一杯だ。
どうすれば、銀二を正気に戻せるというのだ。
まだ本気ではないとはいえ、すごい殺気だ。
それに、木刀だというのに、物凄い剣圧だ。
わたしは玄関ホールの手摺まで追い込まれてしまう。
「お仕舞ですよ? 信二さんっ」
頭を手で押さえて、歯をむき出し、鋭い眼光を放つ銀二。
銀二が木刀の柄を両手で握り締めたと思ったら、声を上げて、飛んで木刀を一振りする。
わたしは間一髪で避けるが、木刀の風圧で手摺が壊れ、そのまま風に押されて玄関ホールに落ちる。
わたしの身体が玄関ホールに鈍い音を立てて、わたしは仰向けに倒れる。
上半身を起こそうと思ったとき、喉元に突きつけられた、銀二の木刀。
「さっきから頭が痛いんですよ。さっさと死んでください」
銀二が苛立つように前髪をかき上げ、わたしの喉元に木刀を突きつけたまま、冷たく言い放つ。
「!?」
わたしの頬を冷や汗が伝う。
ここまでか。
その時、天井が地鳴りのように揺れる。
玄関ホールのシャンデリアが大きく揺れた。
「な、なんですか?」
銀二が何事かと、天井を見上げる。
わたしは、その隙に横に転がり、窮地を脱した。
なんとかなったか。
次の瞬間。
轟音とともに、天井が崩れ落ちる。
「っち」
銀二が舌打ちして、素早くわたしを抱き起こして、その場を離れる。
わたしと銀二は、玄関ホール二階の階段に避難していた。
瓦礫の中に現れた、変わり果てた姿の勘兵衛。
勘兵衛の眼が紅く、鋭い眼光を放ち、歯に鋭い牙が生え、耳が狼のように尖っていた。
口から涎を垂らし、獣のような唸り声を上げている。
勘兵衛の身体は固い皮膚に覆われ、黒い単衣と袴が引き裂け、両腕と両足が露わになっている。
鬼の様な手足と、手足の爪が長く伸びて鋭くなっている。
勘兵衛の手に、お菊が握り締められている。
「うっ」
お菊が苦しそうに、声を上げている。
骨が軋む音が聞こえた。
お、お菊。
無事だったか。
だが、わたしの力では、お前を助けることができない。
銀二なら、できるかもしれない。
「何故助けた?」
わたしは銀二を睨んで訊いた。
「知らないですよ。身体が勝手に動いたんですから」
銀二がそっぽを向いて、頭の後ろを掻いている。
頼む。
お菊、持ってくれよ。
「そうか。お菊を助けてくれ」
わたしは鼻で笑った。お菊に顎でしゃくった。
「しょうがないなぁ。刀を貸してください。木刀じゃ、あの化け物に太刀打ちできませんから」
銀二が頭の後ろを掻きながら、わたしに爽やかな笑顔を向ける。
真剣な顔つきで、化け物を見つめる。
どういう風の吹き回しだ?
とにかく、これでお菊を助けられる。
杉森さん、どうか娘を殺めないでください。
あなたは、化け物じゃないんだ。
「父の刀だ。大事に使えよ」
わたしは、銀二に刀を差し出す。
銀二が、刀の柄を握る。
わたしは、刀の柄から手を離す。
「刀が折れても、知りませんよっ」
銀二が頭の後ろを掻いて、勘兵衛に向かって駆け出した。
「うぁぁぁぁぁ!」
お菊の悲鳴が、玄関ホールに響く。
お菊が、勘兵衛の腕の中で気絶した。
「これで終わりです!」
銀二が、勘兵衛の太い腕に向かって、刀を振りかざす。
刀の一閃が、雷のように走る。
次の瞬間、勘兵衛の太い腕が、玄関ホールの床に鈍い音を立てて落ちた。
勘兵衛の斬られた腕の切り口から、血が滝のように落ちる。
「ぐあぁぁぁぁ!」
勘兵衛の吠える声。
勘兵衛の大きな図体がよろける。
いくら図体が大きくなったからといって、所詮は人間。
ならば、奴の弱点は心の臓。
そうでしょ? 杉森さん。
「銀二! 心の臓を狙え!」
わたしは、銀二に叫んだ。
「わかりましたよっ」
銀二が刀を肩に置いて叩く。
銀二が鋭い目つきで、勘兵衛に刀を斜めに構える。
次に瞬間。銀二が飛んで、勘兵衛の心の臓に向かって、声を上げて刀を突き刺す。
わたしは、その光景を目に焼き付ける。
杉森さん。
どうか、安らかに眠ってください。
あなたはきっと、極楽に行けます。
烏組に殺された、奥さんもいますよ。
お菊は、わたしが守ります。
どうか。天国から、見守ってください。
わたしは両目を閉じて、胸の前で十字を切った。
わたしは両目を開けて、銀二を見た。
銀二は地面に着地して、わたしに向けてピースをした。
よろめきながら、わたしに向かって歩いてきたが、やがてうつ伏せに倒れた。
勘兵衛の胸に突き刺さった、わたしの刀。
熱を帯び始め、刀が溶け始める。
ダメ、なのか?
わたしは固唾を飲んで、勘兵衛の様子を見ていた。
「ぐぉぉぉぉぉ!」
勘兵衛が咆哮を上げて、天に向かって、掌を広げる。
そして、勘兵衛の身体の内側から爆発が起こった。
無数の光の玉が飛び散る。
やがて、無数の光の玉が集まって一つになり、やがて半透明の勘兵衛の姿となる。
「ありがとうございますだ。信二さん」
勘兵衛が微笑んで、わたしに会釈する。
「娘を、よろしくおねげえします。おらと家内は、天国から見守ってますだよ」
半透明の勘兵衛が、お菊を寂しそうに見つめる。
半透明の勘兵衛が、またわたしに会釈する。
「もう、お菊に触れることはできねんですね……」
半透明の勘兵衛が、自分の掌を見て悟る。
勘兵衛の眼から、涙が零れる。
その時、天井から優しい光が差し込む。
「どうやら、お迎えがきたようです。信二さん、本当にありがとうございましたっ」
半透明の勘兵衛が深くお辞儀をした。
そのまま半透明の勘兵衛が消える。
勘兵衛の魂が天に昇ってゆく。
終わったか。
わたし疲労で意識が、朦朧とする。
その時、薄れる意識の中で、わたしは見た。
瓦礫の上に、人影が立っているのを。
風で靡く、長い蒼い髪。
紅い眼光。
黒いワンピースに白いエプロンを首に掛けている。
ま、麻里亜?
でも、お前は、甘楽と逃げたはずでは?
わたしは麻里亜に手を伸ばす。
「信二様。お迎えに来ました、父上がお呼びです」
麻里亜の冷たい声。
わたしは気を失った。