攫われた勘兵衛
わたしが右肩を負傷してから、二週間が経とうとしていた。
わたしは、お菊の家で右肩の傷を看病してもらっている。
あれから立てるようになり、わたしの身体は回復の傾向に向かっている。
わたしは、お菊の父、勘兵衛の借金返済のため、お菊をわたしの屋敷で使用人として雇うことにした。
わたしは、使用人としてお菊を雇って欲しいと、父に手紙を送り、今日の昼に返事が返って着た。
わたしは客間で、座布団に胡坐をかいて、縁側から降り注ぐ午後の太陽の光に反射した机の上に父の手紙を広げ、父の文を眼で追っていく。
《信二。久しぶりだな。元気にしてるか。紅桜の頭、斎藤と戦って、右肩を負傷したそうだな。お菊さんには感謝している、お前の命の恩人だからな。そのまま、結婚したらどうだ。はははは、冗談だ。今度は、お前がお菊さんを守ってやれ。最近、影の組織が動き出している。私の武器が影の組織に渡り、影の組織が私の武器を悪用している。お前の身に危険が迫るかもしれん、くれぐれも用心しろよ。お菊さんを巻き込んではならん。今、お前は右肩を負傷している。万が一のために、私が開発した信号銃を送っておく。身の危険が迫ったら、空に向かって、信号弾を発砲しろ。直ぐに私の仲間がお前を迎えにゆく。私も身の危険が迫っている。新時代のために憲兵団で武器を造ってきたが、影の組織が私の武器を悪用するとは。皮肉なものだ。そろそろ、私は仕事を辞めて、静かなところでのんびりと研究したいものだ。お前の右肩が完治して、屋敷にお菊さんを連れてくるといい。話は使用人に伝えておく。母さんにも、顔を出してやれ。大学、もうすぐ卒業だってな。お前が大学を休んでいる間、屋敷に戻れば、家庭教師を雇って授業してもらおう。それで、単位を補えるだろ。お前には、ちゃんと大学を卒業して欲しいからな。そうだ、こないだ町の骨董屋でいい物を見つけたんだ。お守りとして持っておくといい。きっと気に入るだろう。首飾りの黒色の勾玉だ。骨董屋の店主が言うには、死神の魂が封じ込めてあるらしい。店主も冗談がキツイ。店主によれば、黒色の勾玉は死んだ爺さんの物らしく、気味悪くて処分に困っていたらしい。そいつを持っていれば、死なないかもな。そのうち死神が現れたりしてな。ふぅ、調子に乗った、すまん。さて。今度、ゆっくり話すか。お前を愛している。父より》
手紙を読み終わり、手紙から顔を上げる。
父上……父上の身に危険が迫っているというのか?
紅桜の頭、斎藤が手にしていた爆弾。
そして、影の組織。
考えるのはよそう。
わたしは首を横に振った。
おもむろにわたしは腕を組む。
そういえば、しばらく屋敷に戻ってないな。
右肩が完治したら、屋敷に顔を出すか。
屋敷でのんびりしながら、家庭教師か、悪くない。
それで単位を補って、わたしは大学を卒業できる。
大学の寮は個室だが、どうも、大学は人が多くて落ち着かない。
それにだ。
わたしに、身の危険が迫っているのか?
もしそうなら、ここには居られないな。
だが、わたしはまだ、右肩の傷が完治していない。
下手に動いて、影の者と戦うことになれば、右肩の傷が開くかもしれない。
わたしに身の危険が迫れば、父は信号銃を使えと言っていた。
机の上にある大きい茶封筒に、わたしは目を落とす。
茶封筒の中を手で探って、一丁の小銃を取り出す。
信号銃を手に取って、信号銃をまじまじと見る。
これが、信号銃なのか?
見た目は小銃だが、父が言うには、弾が信号弾らしい。
できれば使いたくないが。
わたしは、小銃を懐に入れた。
そういえば、父上はお守りも送ってくれたんだったな。
わたしは大きい茶封筒を手探りしてみた。
手触りで、首飾りの感触があった。
おもむろに、首飾りを取り出してみる。
わたしは机に頬杖をついて、首飾りを翳す。
禍々しい黒色の勾玉が妖しく煌めく。
邪悪な力を感じる。
なるほど。
確かに、不気味だ。
骨董屋の店主が処分したくなるのもわかる。
『やっとっ、うちの主が現れました。この時を、どれほど待ったことでしょう』
その時、頭の中で不思議な声が響いた。
凛とした透き通る少女の声だった。
「誰だ。誰かいるのか」
わたしは首飾りを握って立ち上がり、縁側を見渡した。
が、庭には誰もない。
家の中を見て回るが、誰かいる気配はない。
「変だな。声が聞こえた気がしたが」
わたしは唸って首を傾げ、頭の後ろを掻きながら客間に戻った。
「うちはここですよ、主」
その時、縁側から声が聞こえた。
わたしは声のする縁側を見て、腰を抜かして驚いた。
客間の座布団に胡坐をかこうとしていたが、そのまま尻餅をつく。
縁側に、半透明の少女が座っていた。
少女は、おかっぱ頭の黒髪で、黒い花の髪飾りを付けている。
瞳が黄色く、黒い花柄の振袖を着て、黒い足袋に草履。
手には手毬を抱え持っている。
「主の正しい国作り、お手伝いいたします。主、悪い人間がいない世界を望んでいるのでしょう?」
少女は、手に抱え持った手毬をじっと見つめている。
「!? ど、どうしてそれを。まさか、お前は死神というのか?」
わたしの額に冷や汗を掻いている。
動揺で、眼がさざ波のように揺れている。
し、信じられん。
異国の本で死神を見たが、まるで姿形が違う。
これは夢か?
わたしは目を擦って、頬を引っ張る。
……夢じゃないな。
少女は縁側に座っている。
変わらずに。
「……昔、うちは町で姉と遊んでいたところ、呪師に拉致されました。呪師の屋敷の地下にある儀式の間で、うちと姉は背中に呪の魔方陣が彫られました。食事も与えられず、ただ背中に魔方陣を彫られ続けました。やがて、うちと姉は餓死しました。そして、呪師の呪いによって、うちと姉は、それぞれ死神と神に転生しました。うちと姉が呪師を恨むほど、結果的に呪師に力を与えたのです。呪師は、うちと姉を利用して国を支配しました。しかし、うちと姉の力が暴走して、国は亡びました。皮肉なことに、生き残った民によって呪師は殺されました。ずる賢い呪師は、誰にも呪いの力を渡さないために、儀式でうちと姉の魂を物に封じ込めました。時間が経てば、魂が他の物に移るように式を組んで。こうして長い間、うちと姉は封印されてきました。そして今、姉の魂を封じた光の勾玉が、どこかの蔵で眠っているみたいですね。うちの魂を封じた闇の勾玉は、主が手にしました。うちは死神です。死神の力を使って、恨みのある人間を消すこともできます。ただ、闇の力が強い人間ほど、その分、悪魂が必要になります」
少女は手毬を見つめながら、まくしたてた。
そして、肩を落として小さくため息を零した。
「……話はわかった。わたしの中に、闇の力があるというのか? お前は、それに惹かれた、と?」
わたしは冷や汗が頬を伝い、生唾を飲み込み喉を鳴らした。
「恐らく、主の父の中に眠る闇の力が、うちを引き寄せたんだと思います。主の手に、闇の勾玉が渡った今。主の中にも、微弱な闇の力を感じます」
少女は手毬を撫でて、手毬をじっと見つめた。
なるほど。
確かに父上は、影の者を恨んでいる。
新時代のために造ってきた父の武器が、影の者に悪用されているからな。
そして、闇の勾玉がわたしの手に渡った。
死神は、闇の力が欲しいんじゃない。
主を探していたんだ。
「見たところ、まだ力が戻ってないみたいだな」
わたしは机を手で突いて立ち上がり、少女の隣に座った。
黒色の勾玉を握って。
「ええ。うちは、自分の力の源となる、闇の力が欲しい訳じゃありません。闇に染まった多くの者を見て、飽きているんです。だから、うちは主を探していたんです。でも、まだ主が、主と決まったわけじゃありません。少し様子を見させていただきます。うちが主じゃないと判断すれば、うちはまた、主を求めるまでですので」
少女は手毬から顔を上げて、表情を曇らせてわたしを見つめる。
黄色い瞳に吸い込まれそうだ。
「わたしを試しているわけか。いいだろ。好きにしてくれ。わたしは正しい国を作りたいが、正しい国を作ることが正義ではないと、お菊に言われたからな。今は、正しい国を作ることに拘ってないさ。お菊に説教されて目が覚めたからな」
わたしは少女の頭を優しく撫でた。
わたしは踏み石の下駄に足を入れて、おもむろに立ち上がり、庭で空を仰いだ。
「そ、そうですか。主は、うちが今まで見てきた人たちと違いますね。落ち着いています。主に闇の力が眠っているのに、決して闇の力に染まろうとしない。お菊さんが止めてくれたんですね」
わたしの背中で、少女の声が聞こえる。
「そうだな。お菊には世話になりっぱなしだ。ところで、死神は名前があるのか?」
わたしは少女に振り返った。
両手を腰に当てて。
「うちは、名前なんかありません。生前の名前は忘れてしまいました」
少女は悲しそうに俯いた。
「そうか……わたしが、お前に名前を付けてやろう。今日からお前は、楓だ」
わたしは顎に手を当てて、首を傾げて少女の名前に悩んだ。
やがて頷いて、わたしは少女の名を口にした。
「か、楓。うちは楓。楓……あ、ありがとうございます、主!」
楓が顔を上げると、顔が生き生きと輝いていた。
わたしに懐きたいのか、嬉しそうにわたしの元へ駆け寄る。
わたしは屈み込んで、楓を温かく抱き締めようとした。
楓は、わたしの傍らに来るなり、半透明の身体が消えた。
楓の涙が、風でわたしの頬を撫でた。
消えたか。
わたしを試すがいい。楓。
わたしは膝に腕を載せて屈み込んだまま、微笑んでいた。
そして、黒色の勾玉の首飾りを首につけた。
その時。
玄関が開いて、お菊のどたどたと騒がしい足音が聞こえて、お菊が息を切らして縁側に現れた。
わたしは何事かと思い、おもむろに立ち上がる。
「し、信二さん。おとっつあんがいないんです! おとっつあんの畑を探してもいませんでした。他の人に訊いても、おつっつあんを見てないって。私、どうすれば!?」
お菊が縁側の踏み石の下駄に足を踏み入れるなり、わたしに駆け寄って抱き付く。
わたしの胸で、子供のように泣いている。
「落ち着くんだ。勘兵衛さんは、いなくなったと決まったわけじゃない。そのうち帰ってくるさ。気晴らしに、遊郭に行ってるかもしれない」
わたしは、お菊を抱き締め返す。
わたしは、慰めるようにお菊の頭を優しく撫でる。
とりあえず、冗談でも言って、お菊を慰めるしかない。
わたしは、客間の壁時計を見た。十七時を過ぎているな。
いつもなら、勘兵衛さんが帰ってくる時間だ。
娘想いの勘兵衛さんだ。遊郭に行っているとは思えない。
町の人も、勘兵衛さんを見て言いないと、お菊は言っている。
だとすると。
考えられるのは、人攫い。最悪の考えが浮かんだ。
だとしたら、誰が勘兵衛さんを?
嫌な予感が過る。
お菊を抱き締めながら、頭の中で父の手紙が駆け巡る。
父上は言っていた。影の組織が動き出していると。
ま、まさか、影の組織が、勘兵衛さんを攫ったというのか?
だとしたら、何の目的があるというのだ?
勘兵衛さんは、体格がいい方でない。戦闘員には向いてないはず。
もしや、何かの実験で、勘兵衛さんは攫われた?
その可能性が高い。
わたしは、お菊を強く抱きしめる。
「おとっつあんは、本当に遊郭に行ったんでしょうか? やっぱり男の人は、そういうのに興味があるんですか?」
わたしの胸で、子供の様に泣いていたお菊が顔を上げる。
お菊の顔は涙で真っ赤だった。お菊は鼻をすすり、涙を拭う。
「ま、まあ、そうだろうな。男は、女を抱きたくなる時は、あると思うぞ?」
わたしは気まずそうに、お菊から顔を背け、照れ隠ししながら人差指で頬を掻く。
「信二さんは、遊郭に行ったことあるんですか?」
お菊はわたしの懐を握って、わたしの顔を覗き込んでいる。
お菊を慰めるつもりが、何故こんなことに。
不埒な自分を呪いたい。
わたしは情けなくなり、顔を手で覆い首を横に振る。
「遊郭に行ったことはないが、興味があるといえばある。ないといえばない」
わたしはお菊から顔を背けて、恥ずかしさで顔を真っ赤にした。
思わずお菊から離れた。
「もぉ、信二さんったら! 信二さんが遊郭に行ったら、私、許しませんからね! 抱くなら、私にしてください!」
お菊が、わたしの胸を両手の拳で、ぽかぽかと叩く。
言ってはっとして、お菊は顔を真っ赤にして、わたしから離れた。
顔を背けて、恥ずかしいというように頬に両手を当てて、首を横に振っている。
「と、とにかくだ。もう少し、勘兵衛さんを待ってみよう」
わたしは、お菊から顔を背けたまま、両手を組んだ。
お菊をちらちらと見る。
「そ、そうですね。私、夕飯の支度してきます」
お菊はそそくさと庭を後にした。
「わ、わたしも手伝おう。お菊には世話になりっぱなしだ」
わたしは慌ててお菊の後を追った。
慌てすぎて、こけそうになる。
「い、いいです! 信二さんは怪我人なんですから。傷が開いたら大変です。ゆっくりしててください」
縁側の奥から、躊躇いがちなお菊の声が聞こえる。
「あ、ああ。そうだな」
わたしは踏み石に下駄を揃えて、客間に戻った。
おもむろに机の上に置いてある、本を取って読み始めた。
この本は、お菊が買ってきてくれた。
どくらい時間が経っただろう。
わたしは、本に読み耽っていた。
ふと壁時計を見ると、十九時を回っていた。
客間の隣の居間で、お菊がせっせと料理を運んでいる。
「信二さん。お腹空いたでしょ? おとっつあんもお腹を空かして帰ってきますよ」
たすき掛けをしたお菊が額の汗を手の甲で拭いながら、机に料理が盛られた器を並べていく。
「そうだな。腹が減っては戦はできんからな。夕飯を食べていれば、勘兵衛さん、帰ってくるだろう」
わたしは本にしおりを挟んで、机を手で突いて立ち上がり、腕を組んで居間に向かう。
居間の机の上には、冷奴、豆腐の上に刻んだトマトと葱が添えてある。
他に肉じゃが、白米、秋刀魚の焼き魚、味噌汁。と、豪勢な夕食だった。
お盆には、急須と湯呑が二つ、二人分の箸置きと箸が置いてある。
「おいおい。作り過ぎじゃないか?」
わたしは向かい側に座ったお菊に訊いて、わたしは座布団に胡坐をかいた。
「信二さんには、栄養をつけてもらって、早く良くなって欲しいですから」
お菊がお盆から箸置きと箸を取って、わたしの席に箸置きと箸を置く。
そして、自分の席に箸置きと箸を置いた。
「じゃ、食べましょうか。いただきます」
お菊が手を合わせる。
わたしをちらちらと見る。
「あ、ああ。いただきます」
わたしも手を合わせる。
お菊をちらちらと見る。
「今日のご飯、上手に炊けてる!」
お菊が白米を口にほうばって唸る。
お菊が白米が美味しいとばかりに。
「昨日の白米は、少し水気が多かったからな」
わたしは白米をほうばって、雰囲気をぶち壊すことを口に滑らす。
お菊を見ると、頬を紙風船のように膨らませていた。
「もぉ! 信二さんったら。ご飯炊くの難しいんだから。花嫁修業中なんですよ?」
お菊がそっぽを向き、顎を動かして、白米を食べている。
「す、すまない」
わたしは気まずそうに、箸を止めてお菊に謝った。
しばらく黙ることにしよう。
わたしは、お菊と二人っきりという気まずい雰囲気に落ち着かなった。
いつもなら、勘兵衛さんが座っていた場所に、わたしは座っている。
それも、なんだか変な感じだった。
緊張で、わたしの箸が震えている。
「信二さん。手が震えてますけど、大丈夫ですか? 右肩の傷が痛むんですか? 私が食べさせてあげましょうか?」
お菊が箸を止めて、心配そうにわたしを見ている。
「だ、大丈夫だ。自分で食べられる」
わたしはお椀を持とうとしたが、緊張して手が震え、力が抜けてお椀を机の上に落とした。
お椀が悪戯のように回る。
お菊を見たら、今度は箸を落としてしまった。
「傷口が開いたんですか!? 私が食べさせてあげますから!」
お菊が立ち上がって、わたしの隣に来て正座した。
「いや、いいんだ。傷口が開いたわけじゃない」
わたしは両手を必死に振って、顔を真っ赤にしてお菊から顔を背ける。
「汗かいてるじゃないですか。痛くて、我慢してるんでしょう?」
お菊が身を乗り出して、わたしの顔を覗き込む。
お菊がわたしの額に手を当てる。
お菊の白くて細い手。
お菊の着物の懐から覗く、豊満な胸。
お菊の花の様ないい香り。
お菊の艶姿。
わたしは思わず、お菊の豊満な胸を見入ってしまった。
わたしは鼻血が出そうになり、慌てて鼻を押さえる。
そりゃ、大学の女子を、遠くから見ていたといえば嘘になる。
わたしだって、恋愛したい。
かといって、大学の女子に声を掛ける勇気はなかった。
ただ、大学構内を寄り添ってあるく男女を羨ましく見ていただけだ。
だめだ、お菊。
これ以上、お菊が近づくと、わたしの理性が失われる。
わたしは鼻血を出して、仰向けに倒れた。
「し、信二さん!? 大変、鼻血が出ているじゃない!?」
お菊の声が遠ざかる。
わたしはそのまま気を失った。