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飯屋の火事

大学の授業が終わって、大学の図書室で静かに本を読んだり、勉強に勤しむ。

 これが、わたしの日課だった。

 わたしは本を読むのが好きで、将来、政治家を志していた。


 大学は寮生で、友達と楽しくやっている。

 もうすぐ、大学も卒業だ。

 働き口も決まり、両親に手紙を送った。


 今日は天気がいいので、気分転換することにした。

 大学が終わり、わたしは大学の図書室で借りた本を読みながら、町をふらりと歩いていた。


 飯屋、飲み屋、小物屋を通り過ぎる。人力車が通り過ぎてゆく。

 若い娘の客呼びの声、鍬を担いだ農民、行商人、二人組の着物を着た若い女、町の空気が清々しい。


 甘味処に寄って、芋羊羹でも食べるか。

 そう思って本から顔を上げた時、誰かと肩がぶつかった。


「兄ちゃん。どこみとんねん! 謝らんかい!」

 苛立った訛りのある男の声。


 男は金髪の逆毛で、額に長い紅いはちまきを巻き、頬に古い刀傷がある。

 首に数珠を掛け、鞘に納めた刀を両肩に載せて、両手を鞘の上に載せている。

 右手には、小さな球体を持っていた。

 紅い桜柄の半被を羽織り、腹に白い腹巻を巻いている。

 下は大工が穿くような黒いズボンで、黒い足袋に草履。


 この男、大工か?

 にしては、刀を持ち歩いているな。


 通行人が囁き合いながら、通り過ぎてゆく。

 立ち止る者はいなかった。この男を避けるように。


「すまない。本に集中していた。わたしの不注意だ」

 わたしは片手で本を閉じて、男に頭を下げた。


「ワイが誰かわかっとんのか!? この背中の青龍が目に入らんのか!」

 男は半被を半脱ぎし、わたしに背中を向けて、背中を見せた。

 男の背中に、見事で勇ましい青龍の入れ墨が彫ってあった。

 今にも、青龍が動き出しそうだ。彫り師の業が光っている。


「お前は、ならず者か?」

 わたしは顔を上げて、男の背中の入れ墨を見て、鋭い目つきで男に訊く。


「ちゃうわ! 紅桜の頭、斎藤隆盛や。兄ちゃん、覚えときや」

 斎藤が半被を羽織って、わたしに振り返る。

 左手で鞘を握って、右手に持っている小さな球体を宙に放り投げて遊んでいる。


「紅桜か。聞かない組織だな。この町に何しに来た?」

 わたしは、斎藤を睨み据える。


 ならず者か。わたしは嫌いだ。

 わたしは、将来政治家になり、正しい国を作る。

 動乱の時代を、この手で終わらせる。


 わたしは強く本を握り締めた。


「兄ちゃん。ワイに口きいとるけど、度胸あんなぁ。本当なら、ワイに斬られてるで? まあええわ。今日は機嫌がいいさかい。こいつを試しに来たんや」

 斎藤は、右手の掌に載っている丸い球体を転がして、嬉しそうにわたしに見せびらかす。


「殺しの道具か? ただの球体にしか見えないが」

 わたしは冗談をかました。鼻で笑って。


「へっ。まあ見とれ」

 斎藤は、掌の上で球体を人差指で弾いた。真っ直ぐに飛ぶ球体。

 そのまま球体は宙に浮いて、球体に天使のような羽が生えた。

 球体のお尻から打ち上げ花火のような煙が出て、羽が勢いよく回転しながら、わたしの背後を突き進んだ。

 球体の進路方向に障害物や通行人がいると、球体は真横に避けてゆく。


「!? な、なんだ、これは」

 わたしは思わず振り返り、奇妙な球体を眼で追った。


 球体の飛ぶ先に、一軒の大きな飯屋が建っている。

 ま、まさか、あれは爆弾か?

 わたしの予感は的中してしまった。


 球体が飯屋の入り口に飛んでゆき、その後飯屋が轟音とともに大爆発した。

 わたしは爆風で吹き飛び、道の脇に停めてある大八車の車輪に激突する。


 爆発した飯屋の前で、人々の叫び声が聞こえる。


「なにが起きたんだ!?」

「火事だ! 火を消せ!」

「人が下敷きになっとる! 誰か手伝ってくれ!」

「水だ! 水持ってこい! 火を消すぞ!」


 ここまで熱風が身体を嫌でも撫でる。

 わたしは、跡形もない飯屋を見た。

 飯屋が建っていたところにぽっかりと大きな空間が空いている。


 人々の悲鳴、泣き叫ぶ声、家族を呼ぶ声、迫りくる火の海。生き物のようにうねる火柱。

 建物の下敷きになっている人が叫びながら、手を伸ばし必死に助けを求めている。

 わたしは、惨い光景に思わず顔を背ける。

一瞬にして、辺りが地獄絵図となった。


「ごっついのう。木下佑蔵が発明した武器ちゅうんわ」

 斎藤が、跡形もなく吹っ飛んだ飯屋を見て、顎に手を当てて妙に感心していた。

 火事を見て、楽しそうに口笛を吹いた。


 木下佑蔵だと?

 わたしの父だ。

 あの球体は、父が発明した武器なのか?

 父の武器を悪用することは、断じてわたしが許さん。


「貴様……なにをしたっ!」

 わたしは斎藤を睨み据えた。

 身体を起こそうとするが、大八車に激突した衝撃で、身体中に痛みが走る。

 わたしは肩を押さえて唸った。


「お得意さんから、品をこうただけや。なんや、その眼は!? 思い出したで、ワイの頬に刀傷をつけた奴も、そんな眼をしとったなぁ。まっ、そいつを殺り損ねたけどなぁ。憲兵団の伊藤ちゅう男や。思い出しただけでも、ごっつ腹が立つで。やっぱ、お前を斬りたくなったでぇ」

 斎藤が鞘から刀を抜き、腰に下げたひょうたんを取って、ひょうたんの口を開け、ひょうたんの酒を飲んだ。

 口に含んだ酒を、刀身に吹きかける。


 刀身に酒を吹きかけて、刀身を清めるというのか?

 清めるのは、お前自身だ。斎藤。


「わたしを斬るのか? 丸腰だぞ」

 わたしは肩を押さえて、斎藤を睨み据える。


「関係ないわ。斬りたい時に斬る。それだけや」

 斎藤がひょうたんの口を閉じて、ひょうたんを腰に下げる。

 刃先をわたしに向けて、不気味に微笑んでいる。


 わたしは、爆風で大八車から落ちた藁の下に、鞘が見えているのに気付く。

 刀は抜きたくないが、鞘で斎藤の攻撃を凌げるはずだ。

 人は斬りたくない。だが、やるしかない。


 そう思い、動こうと思ったその時だった。


「うろたえるんじゃないよ! うちの魔術で雨を降らすよ! どきな!」


 わたしは、声のする方に向いた。


 爆発で吹っ飛んだ飯屋の前で、バケツリレーで火に水を掛けている町人に怒鳴る女。

 女は振袖を着て、跡形もなく吹っ飛んだ飯屋の前で、煙管を吹かしている。

 物悲しそうに、火の海を見つめて。


「興ざめやのう。なんや? あの女は。魔術やて? 笑わせんなや。やれるもんならやってみい」

 斎藤は胡坐をかいて、刀を地面に突き刺し、ひょうたんの酒を飲んで女を見学し始めた。


 今のうちに動くか?

 いや、まだだ。もう少し様子を見よう。

 わたしも斎藤に釣られて、女の様子を見守る。


 女は炎の海に向かって、煙管を吹かしたかと思うと、跡形もなく吹っ飛んだ飯屋の上空に雨雲が発生し、大雨が降り注いだ。

 あっという間に火は鎮火して、煙が嘘のように昇っている。


 女は下敷きになっている人に声を掛けて、軽々と屋根を持ち上げた。

 下敷きになった人たちが、町の人たちに助けられてゆく。

 次に女は怪我人たちを見て回り、怪我人の傷を包み込むように両手を翳すと、手が神々しく光り、みるみる傷が治ってゆく。

 女は法力で、怪我人たちの傷を癒して回る。


 思わず斎藤は目を擦り、信じられない光景に目を疑った。

 わたしは、女の力に息を呑むしかなかった。


 その時、女は次の怪我人を治療するため、歩くのを止めてわたしに振り向き、煙管を吹かして何故か微笑んだ。

 そっちは、任せた。ということか?

 斎藤に傷を負わせることは無理だろうが、時間稼ぎならできそうだ。

 あの女に任せれば、大丈夫だろう。

 お前の力で、怪我人を治療してやってくれ。


「ほう。あの姉ちゃん、何もんや? 生憎、女を斬る趣味はないねん。女を抱く趣味はあるけどなぁ」

 斎藤は顎に手を当てて首を傾げ、ひょうたんの酒を飲むのも忘れて興味津々に謎の女を見ていた。


 わたしは、謎の女の行動に見惚れていた。

 あの女。ひょっとして、魔術師なのか?


「やっぱ、興ざめやのう、兄ちゃん。こっちはこっちで楽しもうや」

 ひょうたんを腰に下げて、おもむろに斎藤が立ち上がり、地面に突き刺した刀を抜く。

 刀を肩で叩きながら、不気味な笑みを浮かべて、わたしにじりじりと歩み寄る。


 わたしの冷や汗が頬を伝う。

 まだだ、ギリギリまで斎藤を引き付ける。

 よし、今だ。


 わたしは、斎藤が声を上げて刀を振り下ろすよりも早く、藁の下にあった鞘を取った。


「いくでぇぇぇぇぇ! ワイに会ったのが不運やったな!」

 斎藤が奇声を上げて、わたしに向かって真っすぐに刀を振り下ろす。

 斎藤の太刀風が風を切り裂く。


 斎藤の振り下ろした太刀風で、大八車が真っ二つに斬れて壊れた。


「なんや。この大八車、盗品の刀が積んであったんか。ふんっ。運が良かったな、兄ちゃん」

 斎藤は刀を肩で叩きながら、真っ二つになった大八車を見て、鼻で笑った。


 斎藤の力量を甘く見ていた。

 斎藤の太刀筋、相当腕が立つ。

 さすが、紅桜の頭、ということだけはある。

 鞘で受け止めれば、間違いなく、わたしは死ぬだろう。

 わたしは、斎藤の太刀風を浴びて壊れた大八車を見て、冷や汗が頬を伝った。


「そんななまくら刀で、ワイと殺り合うつもりなんか? 人を斬ったこともない青二才が」

 斎藤は刀で肩を叩きながら、腰に下げたひょうたんの酒を美味そうに飲んでいる。

 嘲笑うかのように鼻で笑って、口許の酒を手で拭う。


 わたしは歯を食いしばった。

 こいつ一人が消えるだけでも、どれだけ国が正されることか。

 わたしとて、大学で武術を学んだ身。大学で習った剣術、今こそ実戦の時だ。

 大丈夫だ。死にやしない。わたしには、やることがあるからな。


 わたしはおもむろに立ち上がって、鞘からゆっくりと刀を抜く。

 鞘を地面に投げ捨てる。


「ほう。そのなまくら刀で、ワイと殺り合うちゅうんか? ふんっ。おもろくなってきたでぇ」

 斎藤がひょうたんを腰に下げると、腰を低くして、刀を肩に置いたまま構えた。

 片手の指を動かして、来いとばかりにわたしを挑発した。


「わたしの実力、試させてもらう」

 わたしは深呼吸して、顔の前で、握り締めた刀を斜め下に構えた。


「ほぉ。見たこともない構えやな。こりゃ、楽しめそうや」

 斎藤が変わらない態勢のまま、鼻で笑った。


 飯屋の火事の鎮火で、町人の歓喜の中。

 ここだけ、空気が重く流れる。

 わたしと斎藤は動かないまま。


 斎藤が僅かに動いたと思うと、わたしに駆けて、一気にわたしの懐に入り、刀を真っ直ぐ振り下ろしてくる。

 わたしは体を捻って、斎藤の刀を避けて受け止めた。

 その瞬間、刀と刀がぶつかり合って火花が散り、斎藤の太刀風がわたしの髪を撫でた。


 斎藤の太刀風で切れたわたしの髪が、はらりと地面に落ちる。


「ふんっ。やっぱ、なまくら刀やなぁ。にしても、やるやないか、兄ちゃん」

 斎藤が面白くもないように刀を上げて、刃こぼれした刀身を見て、妙に感心したように顎に手を当てる。


「わたしを斬らないのか? 斎藤」

 わたしも刀を下ろして、斎藤を睨み据えた。

 わたしも刀身を見ると、刃こぼれしていた。


「気が変わったわ、兄ちゃん。もっとつようなってから、出直してき。そん時、本気で殺り合おうや。ワイは、兄ちゃんを気にったで。刀を交えてわかったわ。兄ちゃん、剣の素人じゃないやろ?」

 斎藤が嬉しそうに、わたしの肩に手を回した。


「うっ」

 わたしは斎藤に肩を回され、右肩に激痛が走り、思わず唸った。


「すまんすまん。ワイの太刀風で、兄ちゃんの肩を斬ったみたいやわ。早いとこ医者に診てもらったほうがええ。ほなら、ワイは帰るで。またの、兄ちゃん。今度会うのを楽しみにしてるで」

 斎藤はわたしから離れて刀を鞘に納めると、わたしの左肩を軽く叩いて、口笛を吹いて上機嫌で町に消えて行った。


 わたしは、斎藤の背中を見送った。

 いつまでも。


 わたしを斬らなかったことを、後悔するがいい。斎藤よ。

 今度会う時は、お前を牢に入れる時だ。


「うっ」

 わたしは、片膝を地面につく。

 右肩から、一筋の血が右腕を伝い、右手の指から血が滴る。

 今頃になって、肩が切れるとは。

 斎藤。恐ろしい男だ。


 右肩の激痛で、わたしの意識が遠のく。

 わたしは、うつ伏せに地面に倒れた。

 砂埃が悲しく舞う。


 遠のく意識の中で、薄目で爆発で吹っ飛んだ飯屋を見る。

 誰かが、小走りにわたしに駆け寄ってくるのが見える。

 着物を着ている女だとわかった。


「だ、いじょう、ぶ、ですか……」

 若い女の声がした。

 わたしの身体を必死に揺すっている。


 わたしは、そこで気を失った。

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