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二話「組手」

(なんでこんなことになってんだよ!)


 会って半日程度しか経っていない女に、今この瞬間殺意を抱かれている。


(クソッ……戦いたくねぇ!)


 気心の知れている師匠ならまだしも、それこそあってまもない、しかも女と戦う気など起きなかった。というかそもそも闘争に意味を見いだせない。


「組手開始ッ!」


 が、無慈悲にも師匠の手は振り下ろされ、それと同時に佐江が突っ込んで来る。いつの間にか手元には心剣と思しき細剣が握られていた。


「……っ!!」


 渾身の殺気を伴った一突き。身を捩り何とか躱すが、服の裾には三ヶ所の穴が空いた。


 尚も佐江は一定の距離を保ったまま、一撃のような三撃をテンポ良く、絶え間なく、それこそ風雨の如く迫る。


 幸い、突きはその刀身を少しでもずらせば、全体の軌道もそれる。さらに佐江の細剣は刀身に刃を持たず、完全に突きに対して特化しているものだった。


(刃じゃねぇ! 手元だ、手元から軌道を読まねぇと!)


 徐々に神速にも慣れ始め、いざや心剣を取り上げ、無力化せんと手元に手を伸ばした刹那一一


「甘い」


 細剣を反対側に持ち替え、さらに肩部の甲冑で直接体当たりを行い銀助の姿勢を崩し、尻餅を付かせた。


 そしてそのまま、持ち替えられた細剣が銀助の喉元を穿たんと迫る一一


「なっ……!?」


 驚きの声を上げたのは佐江だ。


 なぜなら渾身の一撃を防いだのは、鉄獣の時と同じく生身の腕だったからだ。


(何が起きた!?)


 佐江は慌てて後退する。ダメージを受けていなければ、心剣も欠けてはいない。しかし、確実にその胸中には拭うことの出来ない不安が渦巻いていた。


 尻餅を付いていた銀助がのっそりと立ち上がり、そして初めて戦いの覚悟として『構え』を取った。そして、それはさらに佐江の心をかき乱す。


「そんな……! その構えは!」


 その構えは佐江に戦闘の全てを教え込んだ祖父が、唯一教えてくれなかった『本気の構え』だった。


「『四門流』、西国武帝の孫なら知らねぇわけじゃねぇだろ?」


 左拳、右拳共にだらりと下げ、足は前後に大きく開き、前傾姿勢を取る、その構えの名は一一


「四門流、一門、一段『(ハヤテ)』」


 その声と共に、銀助の姿は完全に『消えた』。


「ほら、一殺だ」


 背後から首元に手のひらが触れる感覚。


 佐江は反射的に後方へと蹴りを繰り出した。


 しかし当たった感触はなく、ただ足だけが虚しく空を切る。当然、体勢を崩し今度は佐江がその場で尻餅を付かされた。


「くっ……!」


 己の不甲斐なさを悔やみながら、立ち上がろうとするが、正面には拳を突きつけている銀助の姿があった。


『負けを認めろ』


 なにも言わず、語らず。しかしその拳は確実にそう言っているようだった。


 平常、組手であるならこれで終わり、しかしそれで一一


 それで終わるなら、鼻から『殺意』など向けていない!


「……ッ!」


 佐江は砂を掴み顔に投げつける。無論それは『颯』にて躱されるが、それでも再度構えるだけの時間は稼ぐことに成功した。


「まだ、私は負けていない!」


 甲冑は脱ぎ捨てた。あの速度に防御など意味を成さない。ただの重りであり、ただの隙だ。


 佐江はこれまでの肩を突き出す構えではなく、颯のように足を前後に開き、右手に構えた麗羅を突き出す。姿勢は前傾を保ち、ただ正面への攻撃のみを考えたようなそんな構えだ。


「来い。側面からでも、後方からでも好きにしろ」


 佐江は足元だけを見る。


 颯が目に追えぬとも、砂埃は確実に跡を追うからだ。


 ならば『颯』で動き出した瞬間、砂埃から進行方向を予測すればいい。


 そんな常識外れをやらなければ確実に勝てない。


 佐江はそれを直感していた。


 今、いままでを超えなければ、一生前には進めない!


「さァ! 来い!」


「……なんでそんなに戦いたがるんだよ!」


 再度、銀助の姿が消える。


 砂埃が指し示すは左方。


(ここだッ!)


 軸足を縮ませ、一つの独楽のように周る。そして直線上に来るであろう銀助に蹴りを放った。


「四門流、一門、二段『(カスミ)』」


 しかしまたしても蹴りは空を切る。


 残影が陽炎のように揺れて、やがて消える。


 そして蹴りを放った後に生じた隙を突き、正拳が佐江へと容赦なく迫る。


「まだ、だァ!」


 麗羅を構えていない、左腕を収縮、そのまま直感で脇腹の方へと肘打ちを試みる。もはや意識の外、反射領域での格闘戦、そして先にうめき声を上げたのは


「ぐっ……!?」


 銀助だった。


 佐江の肘打ちは見事、銀助の拳を打ちそして角度を逸らし、さらに指の関節を外させた。


 だが佐江もただでは済んでいなかった。


 先程、細剣を凌いだ強度を持つ腕に、なんの武装もない肘が素直に直撃したのだ。無事で済むはずもない。


 右肩に力を入れるとやけに痛む。どうやら脱臼しているらしかった。


 指の一本で、腕一本。割に合わない取引だったが、しかし佐江はその顔に笑みを浮かべていた。


「指一本分だが……追いついた!」


 そんな狂気にも似た笑顔。佐江は今、確実にこれ以上ないほどに充実し、成長していた。


 そしてその一方、優勢であるはずの銀助は、得体の知れぬ恐怖に襲われていた。


(なんだ……なんでそんなにまで争う!? なぜ競う!? なぜ向かってくる!? 訳わかんねぇよ!)


 理解ができなかった。


 なぜ自分から戦いに、死の淵に立とうとするのか。銀助は到底分からなかった。


 これ以上、戦いを続けたくない。今すぐ背を向けて逃げ出したい。


 負ける道理は見当たらない。確実に殺されることは無いだろう。


 だが、それでも尚、心は闘争ではなく逃走を願っていた。


「さァ、まだ終わってないぞ……!」


 眼前の佐江は力の入らない右腕をだらりと下げ、左腕で細剣を構える。足は震え、身体は傷だらけ、しかしその瞳には溢れでんばかりの闘志が漲っていた。


 参った。


 そう言えば終わる。


 それだけの話だ。


 銀助は当然そうしたい。だがそうした場合、より最悪の結果が待っていることは明白だ。


(……負けられない! 絶対に、負けられない!)


 そして叫ぶのは銀助の心剣の名!


「『已己巳己(イコミキ)』!」


 それは形を持たない心剣。


 銀助の身体そのものを心剣とする、異形にして無形の心剣。佐江の麗羅を防いだのはこの心剣がもたらす、肉体硬化によるものだった。


「四門流、二門、一段『蛇神(カガチ)』!」


 拳を解き、掌で手刀を作り出す。それから肩から指の先端に至るまで全ての力を抜き、僅かに固めた指先を重りとして円運動を行い、生み出された遠心力を以て最速の手刀を生む。


 鉄の鋭さに、羽毛の軽さ、そしてさらに


「『颯』!」


 神速の歩法を重ね、勇鳳の速さを。


(見えなきゃ、読めねぇだろ!)


 佐江を中心にして、『颯』で高速に周り続ける。すると、巻き上がった砂埃が一つの竜巻のように風の壁を作った。


(これで終わりだ!)


 怪我をしている右手側から『蛇神』の手を伸ばす。それは絶対の斬れ味を以て佐江の身体を引き裂くかに思われた。しかし一一


「だろうな」


 手を伸ばした先には細剣の切っ先があったのだ。


「追い詰められた獣は何をするか分からないが、追い詰められた人間の考えは単純だな」


 佐江はそう勝ち誇る。


 実際の所、運の要素が強かったが殆どは定石通りの『読み』だった。


 人は元来、最短を求める。それは当然の心理であり、日常的に意識せずとも行っている思考だ。


 そしてその上で、さらに追い詰められているとあらば、人は慣れ親しんだ『最短』の行動しか取らない。


 怪我をしている方を攻めるのが『最短』なこの状況。


 佐江にとって、その思考を読むことは、赤子の手を捻るよりも容易かった。


 銀助は飛び退き、またしても距離を取る。正確には距離を取らされる。


(どうする? どうすれば、あいつを諦めさせられる?)


 銀助は考える。あらゆる手段、あらゆる可能性。


 出来るだけ怪我はさせたくない。だがそれほど甘い相手でもない。


 なにより、負けられない。いや、()()()()()()()


「ほぉ?」


 静観していた金時が、思わずそんな溜息を漏らした。


 銀助の目の色が変わったのだ。


 これまでの逃走を目的とした姿勢ではない。あれは戦うために戦っている、そんな目だった。そしてそれは金時がいくら組手を重ねても引き出せないものだった。


 東国武帝こと安土金時、六十五歳。


 人生終盤にて、生まれて初めて小娘に先んじられた瞬間であった。


(ちぃ……いい年じゃが、嫉妬しちまうのう)


 そして小さく笑う。


 息子の友が生まれた瞬間を祝って一一





「はぁあ!」


 佐江は負傷を抱えながらも、麗羅を振るう。


 一撃にて三撃。


 しかしそれでは届かないことは、この組手の中で嫌という程に思い知らされた。


(だったら……!)


 先刻、銀助が見せた蛇神。それを思い出しながら、徐々に腕の力を抜いていく。


 やがて、腕が、肩が、身体が、溶け合い混ざり合い、境界線が曖昧になりはじめたその刹那一一


 三撃は、十撃へと昇華した。


(十瞬!)


 完全に弛ませた筋肉と、心剣が一体となって生まれる光の十閃。


 銀助へと同時に迫る十撃。


 もはや『颯』すらも超えた境地に至っているそれを前にして


「ハハッ!」


 銀助は初めて声を上げて笑った。


 已己巳己にて肉体を硬化させることで、万が一の保険を張りつつ、丁寧に一撃ごと撃ち落としていく。


 そして最後の一撃が終わると同時に、技でも何でもない真っ直ぐな手刀を佐江の腹部へと突き出した。


 しかしそれは、しなやかにしなる上半身の運動によって躱され、さらに追加の十撃が再び迫る。


(腕を直に抑えるしかねぇ!)


 だが『颯』を超えた速度に追いつく術はない。


 ならば残された手は一つだけだった。


 両方の腕で身体の正面を守り、『颯』と同じ足の形を取る。


 そして真正面から、なんの小細工も無しに突っ掛けた。


「何!?」


 驚きの声を上げる佐江、銀助は意にも介さず真っ直ぐと、わざわざ切っ先に向けて突進を試みる。


「上等……!」


 佐江も何かを察したのか、避けようともせず、正面で迎え撃つ構えを取る。


 二人の距離が重なり、縮まり、そして交差する刹那一一


「そこまでじゃ」


 金時が右手で麗羅の切っ先を受け止め、左腕にて銀助を弾き飛ばした。


「これ以上は取り返しがつかんからの。これにてうち止めじゃ」


 金時はニコニコと笑いながら、佐江の右腕に手を添える。そして一気に肩を入れた。


「グッ……!」


 苦悶の声を噛み殺し、佐江は小さく会釈する。金時も満足そうに微笑を浮かべ、懐から薬効を取り出した。


「これを患部に塗って上から葉で抑えるんじゃ。されば三日もせずに痛みが引くじゃろう」


「……ッ! ありがとうございます!」


 佐江は今度は深く頭を下げる。


「よいよい、さて銀助」


 吹き飛ばされた先で、仰向けになり空を眺めている銀助に金時は声をかけた。


「……俺の負けだよ。好きにしやがれ」


「分かっているのなら良い」


「なんかさ。最後だけだけど、ちょっと楽しかったんだ」


「……そうか」


「だから、行ってくるよ都」


「ああ、行ってこい」


 それ以上、師弟に、親子に会話は必要なかった。





 その日の巳の刻、佐江と銀助は都へ向けて出発した。

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