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孤独な魔法使い  作者: マシュー
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後悔

 何でもない日常の一コマだった。平穏に始まり、平穏に終わるはずだった。

 あの女と会った時、世界が終わる刻限が目の前に迫っていたなんて思いもしなかった。

 人が死ぬ。その光景を初めてみた。


私には分からなかった。

私が死んだ後も、この世界は続いていく。その事実、世の理が理解出来なかった。

私の目に映る世界は、私の世界。主観で見ている世界では、私が主役。

主役から見る人々は脇役。または、それにも満たないエキストラ。

ずっと思っていた。私が死ねば、この世界は跡形もなく消え去るのだろう。主役が消え、脇役とエキストラしか残っていない世界には、意味など無いのだから。

世界がこうした形を保っているのも、私がそう観測しているからに過ぎない。私が別の観点に視野を広げれば、世界は様変わりする。

私は世界の中心だった。置き去りにされた世界の中心。

思考は想いを変え、想いは世界を変える。

―――きっと私は、生まれた時から間違っていた。



初めて彼女を見つけた時の感覚は、俺の残念な語彙を駆使しただけでは、表せない感覚だった。

完璧。周りの人は、皆彼女をそう評した。その度に彼女は、皆が望む完璧な笑顔で答えた。

彼女を疎む人間など、この世にはいない。誰もがそう信じ、彼女もそうあろうとしているようだった。

猫を被っている。言葉にするのは、簡単だった。けれど、彼女のそれとは大きくかけ離れているようだった。

完璧な彼女は、努力をしない。努力などしなくても、彼女は完璧。

確かにそうだった。全てにおいて彼女は、完璧だった。それでも俺には、生きるのに必死なように見えた。

猫かぶりもそう。狩人に追い詰められ、絶体絶命の危機を迎えた獣のように、我武者羅に希望を探しているようにしか見えなかった。

知れば知るほど分からない。そんな女だった。

もう一度過去を振り返れば、きっと表現出来る。俺の 残念な語彙を駆使すれば、簡単に言い表せる。

俺、葛西塁は完璧な女、丹野美優が嫌いだ。



朝。目を覚ました。カーテンの僅かな隙間から、漏れる光。それは紛れもない朝の訪れ。眠気の覚めきっていない体に鞭打って、体を起こし、カーテンを開けた。


「熱いな」


外に広がる世界は、紛れもなく夏だった。煩わしい程、騒ぎ立てる蝉。燃えるように熱いアスファルト。

腕を捲り、熱を凌ぐ人々。呆れる程の夏がそこにあった。


「はあ」


わざとらしくため息を吐き、ベッドから抜ける。部屋の中も十分熱く、夜中にタイマーで止めたエアコンを付ける。首振りを禁止した扇風機だけでは、この暑さを凌ぐことなど出来る訳がない。


自分の体を見てみれば、汗まみれで鬱陶しい。1度部屋を出る。次に入る時は、十分に涼しいことだろう。

シャワーを浴びるため、自室を後にする。

夏休み。それは健全な学生であるならば、最も心待ちにする休みの1つだ。一月もの間合法的に学校を休める機会なんて、この期間を置いて他にはない。有難いもんだ。

去年の今頃は長年続けていた野球に区切りをうち、高校に入るために必死に机に向かって勉強していた。

それが今となっては自堕落な生活。昼間際まで惰眠を貪り、その後友人と変わらぬ日々を謳歌し、夜更かしに精を出し、また昼間際に起きる。なんて素晴らしいルーティーンだろう。白球を追いかけていたある時には、想像もしていなかった桃源郷である。

自宅には誰もおらず、机の上には空の大皿1つに、チャーハンの乗った大皿が1つ。

残された書き置きには、聡美と1つずつ食べてくださいと母の字で書き置きがしてあった。


「聡美の奴、今日も早くから出て行ったのか。いやはや受験生は大変でございますね」


妹でありながらも他人。他人の苦労など推し量る力量などないのだ。

そんなこんなで時刻は11時半。ゆっくりしている時間はそうない。


「シャワー浴びなきゃ」


読んで書いて字の如く、小さな声で呟いた小言への返事は無く、大きな欠伸をしながら浴室へ向かう。

服を脱ぎ、乱雑に洗濯機の中に入れる。

そこで大きな過ちに気づいた。


「やべ。着替え忘れた」


今己の肉体は生まれたばかりの姿であり、衣類は全て洗濯機の中。つまり装備品皆無。


「まあいいや。上がった時で」


どうせ誰もいないのである。セコセコ取りに行くのも面倒だ。漢なのだから、爽快感MAXの全裸で、尚且つリフレッシュした肉体で向かうべきだ。

そう決心してシャワーを浴びる。熱帯夜に晒された事で汗をかいた。

冷たいシャワーが身に染みる。爽快感MAXである。

Cool系と書かれたシャンプーで髪を洗い、母と妹とは別の俺と父親、つまり男性用のボディソープで体を洗えば、あら不思議。身が清められたようではありませんか。

気分が乗って来た。鼻歌交じりに泡を落とし、浴室を後にする。

濡れた体を拭き、誰もいない自宅を全裸で練り歩く。

よく理解できない背徳感と高揚感。これを理解してしまうと変態まっしぐらなので、胸に留めておく。

そんな邪な思いを抱き自室に向かえば、快適な温度で迎えてくれる。

スマホで時間を確認すれば11時15分。集合時間までまだまだ猶予がある。

 着替えをする。華の男子高校生。人生で3度しかない高校の夏休み。出会いはどこに転がっているか分からない。しっかりとオシャレをしなければ。それが嗜みってものだ。

 野球を辞めて1年弱。その間磨き上げてきたファッションセンスで今日の服を選ぶ。清潔感重視のモノトーンコーデだ。

 着替えを済ませ1階のリビングに降り、チャーハンを温めながらテレビをつける。

 そこに映っていたのは白球を追いかける学生。夏。それは球児が最も輝く瞬間でもある。

テレビに映る2チーム。そのうち1チームはよく知っている。

私立明星高校。この家から程近い。野球の名門校。全国から生徒を集め、高校野球ファンならその名を知らない者はいない名門校。

無意識のうちに、右手に強い力がかかる。脳裏に浮かぶのは、あの日の光景。人生の分岐路。


「最悪だ。いつまで感傷に浸ってるつもりだ」


 自分への喝も空気のように漂い、意味をなさない。目はずっと釘付けだった。

 テレビから次のバッターのアナウンスが流れる。


 「明星高校8番センター今西くん」


 瞬間。心臓が高鳴った。歯を食いしばる。

 実況と解説が話を続ける。


 「ここは下位打線ですから、ランナーを出すことなく3人で攻撃を終わらせたいですね」


 それはまさしく守備側の人間の思考だった。


 「そんな考えじゃダメだ。もっと死ぬ気で攻めろ」


 知らず声が出る。その時玄関のドアが開いた。


 「ただいまー。お兄ちゃんいるのー?」

 「塁。返事くらいしなさい」


 聡美と母の美咲が帰ってきた。リビングに向かって歩いてくる。それでも目の前の光景から目が離せない。

 ピッチャーが振りかぶり、白球を投げた。


 「お兄ちゃん!いるなら返事くらい…」

 

 2人がリビングに入る。そしてテレビの向こうでは、快音を響かせ白球がバックスクリーンに吸い込まれていく。


 「塁。貴方…」


 今西は大きく右手を掲げ、ゆっくりと走る。その時テレビのチャンネルが切り替わった。


 「お兄ちゃん。ご飯まだなんでしょ?一緒に食べよ?」


 黒髪のツインテールを揺らしながら、上目使いでこちらを見てくる聡美。ルビーのように赤く燃える瞳が、陽炎のように揺れていた。


 「ああ。そうだな」


 テレビからはもう、あの歓声は聞こえない。代わりに聞こえるのは、穏やかな昼のバラエティー番組の音だけだ。

 机に座る。母も泣きそうな顔をして、台所の奥へと入っていった。聡美は俺の隣に座る。


 「聡美。近いよ」

 「いつもこのくらいだもん」


 俺の右腕を抱くようにして座る。気を使われた。それが分かった。

 力を込めて俺の腕を抱く聡美。鼻を啜りながら、調理をする母。


 あの時からだ。あの時。たった1球。それで全てが狂った。

 小さく誰にも聞こえないように、心の叫びを。


 「あの時、あの時、あの時。あれさえ完璧に投げれていたら」


 後悔は消えない。聡美の腕を抱く力が強まった気がした。母の嗚咽が確かに大きくなった。

 叶うなら、もう一度だけ。もう一度だけ。あの瞬間に戻りたい。

 心からそう願った。


 

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