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壁の庭  作者: 百瀬 和海
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「俺さ、思うんだけど」

 ベンチで隣に座るケルンが言った。二人は休憩している最中で、パルテノンたちはまだボールで遊んでいる。

「『世界の壁』なんてあるけどさ、もっと厄介な壁があると思うんだよな」

 ケルンがまたベンチに深く腰掛けながら、蒼天を見上げている。足もしっかりと組んでいる。

「もっと厄介な壁?」

「人種だとか容姿、宗教、身分、言語、性別、その他もろもろさ」

「どういう意味?」

「つまり、『目には見えない壁』こそが一番厄介だと思うんだ。そう簡単には越えられねえんだよ」

 なるほどな、とシャルは納得する。ケルンの場合ならば、「男らしさ」に悩まされている。「性別の壁」はたまたこの場合は「容姿の壁」だろうか。

 本人は越えたい。でも、越えられない。壁は想像以上に高い。

「世間の常識」という名の壁が隔ててしまった。

「俺たちが今いる世界ってのはさ、常識が無い世界なんだよな。ここには、『目には見えない壁』なんてものは皆無なんだ」

 ケルンの顔は笑っているが、微かに哀愁が漂っている。

「あるのは、あからさまな『目に見える壁』だけさ」

 シャルにも分かってきた。ケルンがこの世界を愛している理由が。

 自分たちの元いた世界こそが、壁だらけだったのではないか。パルテノンたちが穏やかに遊んでいるこの光景は、これこそが、平和そのものなのではないか。

 どうりで、ケルンは呑気な態度でいられたわけだ。この世界から脱出する気など端から無かったのだから。

「明日も、ここで待ってるからな」

 ケルンが唐突なことを口にする。シャルは急すぎて、呆然としながら目をしばたたかせる。

「明日、お前の答えを教えてくれよ」

「わたしの答え?」

「お前がこの世界に残るかどうか。脱出したいってんなら、俺も一緒についていってやるからよ」

 シャルにはケルンの心理が読めない。

「どうして、そんなにわたしのことを心配してくれてるの?」

「まあ、同じ異世界の者同士だからな。なんだか、見捨てられないだろ?」

「本当に、それだけなの?」

「どういう意味だ?」

「シャルー!」

 後方からピサの声が飛んできた。シャルたちの会話を中断させた。

「もう、あれからずっと探してたんだよ」

 ピサは実に「心配していました」という表情を浮かべている。

「そうなの? ごめんなさい」シャルは頭をぺこりと下げておく。

 ピサはそれ以上を言わなかった。代わりに、傍らに座るケルンの方へ視線を移す。

「あ、ケルンだ。久しぶりだね」

「よお」と右手を挙げる。

「少しは泳ぐの速くなった? また今度、勝負しようね。絶対負けないよ」

「おう」とだけケルンは応える。シャルには生返事に感じた。

「それじゃあ、シャル、そろそろ帰ろうよ」

「ええ、もう疲れたわ。さっさと部屋のベッドで休みたい気分」

 ピサが先に歩き始める。シャルも真っ白いベンチから腰を上げる。ふとベンチ下に銀色の光を発見する。

「あ、それ俺の指輪だよ」

 間延びした声を出しながら、ケルンはのんびりとした動作で指輪を拾い上げる。

「貰い物?」

「ああ」

「元いた世界の彼女?」

 シャルは至って冷静な表情を心掛けた。ケルンの艶めかしい唇の周りに大きな歪みが出来る。

「違うって。だけど、すげぇ大切な貰い物なんだ」


 再び木造のアパートに戻ってきて、シャルがドアのレバーに手をかけた時だった。


「シャルちゃんじゃなーい」

 鼓膜が破けてしまいそうな程のハスキーな声で呼び止められた。

 四十がらみの中年女性だった。メッシュの入った茶髪が肩まである。

 ピンク色を基調とした派手な柄のジャケットを着ている。シャルには、お世辞にも似合っているとは思えなかった。中年女性には派手過ぎで、かと言って若者が着るような柄でもない。

 要するに、良い歳をした中年女性がいつまでも若者の心を保とうと努力してはいるのだが、ファッションセンスや身体は若者でいてくれなかった。そんな印象を与える。

 しかし、それからすぐにシャルは「この人、見覚えがある」と首を横に傾ける。

 最近ではなく、自分がもっと子供の頃だったかも知れない。会ったことはあるのか。話したことはあるのか。それらは全く思い出せない。

「ピサ君、シャルちゃんが見つかって良かったわね」

「うん、疲れちゃったよ」ピサは軽快に返事をする。

「シャルちゃん、ピサ君はあなたを探して必死にみんなの所を回ってたのよ。ちゃんと感謝しなさいね」

 中年女性が語気を強めて言うと、「そうそう」とピサが何度も首を縦に振る。

 シャルの頭には、二人の言葉など届いていなかった。耳の穴へ入って、もう片方の耳の穴から風みたいに通り抜けていった。

 今は、この中年女性のことが気になって仕様が無い。

 その抱懐は何か重要なことを示しているのではないか、と直感が告げていた。

 それこそ、シャルがいるこの世界の謎を解き明かす何かが。元からこの世界の住人たちそのものが謎解きの手掛かりだったが、その中でも特に重要な何かをこの中年女性が握っている気がしてならない。

「シャルちゃん、どうしたの?」

「シャル、また体調が悪くなった?」

 ピサと中年女性が心配しているが、シャルは応えない。今は、多くの物たちが頭の中で複雑に絡まり合っている。処理が出来ない。容量オーバーだ。

 アパートの入口の扉はどっしりと構えている。シャルはレバーにもたれかかるように手を載せる。

「ちょっとシャル、何がどうしたの!」

 ピサが慌てふためいた声を出すが、シャルは無言で振り向きもしない。

 そのままピサと中年女性を無視して、アパートの扉の中へと消えていった。

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