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壁の庭  作者: 百瀬 和海
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 そう言えば、なんでここに戻ってきてるの?

 園内に敷かれた濁り無き緑の芝生に視線を向けながら、シャルは世界の壁周辺でのことを思い起こす。

 世界の壁は境界線というだけあって流石に高かった。あの壁を越えるなど、常人には到底為せないだろうと思った。

 それで、壁に沿って歩くことにした。どこかしらに抜け道がないかとシャルは変な期待を抱いていた。

 そうしていると、大きな図体をした黒色の生物が現れた。人間の体に熊の体細胞を注入したかのような容貌だった。

 逃げようとしたが躓いた。熊に似た生物にお姫様だっこをされ、穴に落ちた。

 そして、そこから先の記憶が無い。

 次に記憶がある部分を思い出そうと、必死に脳に問い合わせてみる。

 すぐに繋がった。気付けば、先程ピサたちと別れた公園内に寝転がっていたのだった。

 世界の壁と公園の間にはかなりの距離がある。既にその間を歩いていて実証済みだ。

 誰かが、暗くて深い地獄行きのようなあの穴から自分を救出し、それでいて更にこんな遠くまで運んでくれた、というのだろうか。

 それとも、あの穴はこの公園内に繋がっていたのであろうか。そんな馬鹿な、とあざ笑えない自分がいる。

 この世界はそのものが不思議なのだから、何が起きてもおかしくない。

 そう割り切れてしまえそうだから、怖い。

「おいおい、俺と話したかったんじゃねぇのかよぉ」

 荒々しい言葉がシャルの耳に入ってきた。どすの利いた声音なのに何故か繊細な印象を受ける。

 シャルは閉じていた瞼をゆっくりと開ける。女以上に女らしさを持った、美しい青年の顔が右側にあった。

 辺りには相も変わらず、子供のお絵かきのような十二色の風景が広がっている。

 木や芝生、歩道、ベンチ。園内のどこに行ってもカラーコピーをしたような、全く同一の物たちしかない。まばらに、統一性のない並び方をしているからこそ生命を感じられる木立も、一定の間隔で綺麗に並んでいる。

 こんな生気の薄い景観ばかり見ていると精神的に参ってしまいそうだ。シャルは無意識のうちにため息を漏らしてしまう。

 そこで、はっと気が付いた。眼前にはケルンがいた。白いベンチにふたりで座っていたのだった。

「その気持ち、分かるぜ」

 ケルンが苦笑する。その美しいブルーの瞳には同情の色が混じっている。

「わたしの気持ち、あなたに分かるわけ?」

 シャルはついつい棘のある言い方をしてしまう。警戒心が残っていたのではなく、緊張からだった。

 両手をおおっぴらに広げられない窮屈な空間で高級品に囲まれているような、自分の動作のひとつひとつが価値ある物を破損する事態に結びついてしまうのではないかと不安に駆られるような、そんな緊張からだった。

「ああ、分かるさ。俺たち、異世界の人間同士だからな」

 ケルンが口の端を吊り上げる。

「え?」シャルは唖然として、ケルンのにやけた顔に目を凝らすしかない。

「お前、この世界の人間じゃねえんだろ?」

 事実を確認するように訊いてくる。全てを確信している笑い方をしていた。

「そうよ」

「だろ」

 そこでケルンの言葉を抑止するように、パルテノンたちの騒ぐ声が割り込んできた。

 ふたりをなぶるように生ぬるい風が吹き抜けた。園内の緑たちが一斉に同じ方向へ小さく靡いた。

 木の葉が散ることも無ければ、芝生に落ちている葉すら一枚たりとも無い。樹木が機械で出来ていて、葉が電自動で揺れ動いているとしかシャルには思えなかった。

「気付いたら、この世界の住人になってた」ケルンが真摯(しんし)な表情をしている。

「わたしも」

「お前も、記憶喪失だろって言われたのか?」

「ええ。知人を装った誘拐事件かと思った」

「でも、この世界の住人全員が違うって証言したんだろ?」

 ケルンはしんみりと言う。同じ境遇のシャルから共感を得ようとしているみたいだった。

「この世界の住人全員ではないけど、紳士にも言われたわ。『この世界で生まれた』って」

「おっ、それゴアだな」ケルンは歯を剥き出して笑う。

 シャルは、何が可笑しいのよ、と思いながら「そう、物語みたいな紳士よ」と返す。

 ケルンが噴き出しながら愉快そうに手を叩く。ベンチに深く寄りかかりながら真っ青な空を見上げた。

「ありゃあ、傑作だな」

「傑作?」

「今時、物語の中でだってあんなのいねぇよ。あり得ねぇ。ナンセンスだぜ」

 ケルンは口元に紳士の髭を想定して引っ張っている。

 非現実的な世界に戸惑っていて、シャルには精神的な余裕など無かった。

 シャルに限らずとも誰だってこの状況に陥れば同じになる筈だと思っていた。習慣や常識が崩れるとは、想像以上に苦痛なことだった。

 それなのに、ケルンは無邪気な笑みを浮かべている。

「なんで笑ってられるの」

「ん?」

「笑ってる場合じゃないでしょ!」

 シャルの怒声に驚愕したのか、ケルンはぽっかりと口を開けている。シャルの目だけに焦点を合わせている。

「あなた、元の世界に戻りたくないの」

 シャルは手のひらに爪をくい込ませ、強くぎゅっと握りしめた。痛かった。だがそうしなければ、目から涙が溢れ出てしまいそうだった。

 ケルンは、ただ袖手傍観(しゅうしゅぼうかん)していた。たっぷり間を溜めてから口を開ける。

「俺は、この世界を愛しているんだ」

「は!?」

 予測していない回答だった。あまりにも馬鹿馬鹿しく感じて、シャルは素っ頓狂な声を出してしまった。

「あのな」ケルンは長嘆息してから続ける。

「なんでもかんでも否定してたって、物事は解決しないんだぜ。俺は、受け入れることにしたんだ」

 ケルンの青眼は立てた誓いを自分自身に確認するようだった。

「受け入れる?」

「そうだ。現実的だとか非現実的だとか。そんな戯言言ってたって仕様がねえよ。目の前に存在してるんだったら、間違いなくそれが『現実』だろ? 認めるしかねえだろ?」

 そう、確かにこの馬鹿げた幼稚な世界は存立している。シャルにとっては不本意だが、認める他ない。

「そうね。これが夢だったら良かったけど」唇を歪める。

「俺から言わせてもらえば、なんでもかんでも拒絶する奴なんてのは、ただ現実から逃げてるだけだ!」

 ケルンがまくし立てるように乱暴な口調で言う。どことなく義憤が混じっている気があった。

「でも、疑う心ってのも必要よ。詐欺に合うわよ?」

「違う!」と一際強く発してから、「見極めようとする心も必要だ。バランスが大切なんだ」と繋げる。

「なんだか、それはそれで疲れるわね」

「ああ、人生は複雑で面倒くせえ。いっそのこと、シンプルなアメーバにでもなりてぇよ」

 そう言ってケルンは舌打ちをし、またベンチの背に深く身体を預け、青空を見上げる。口元が弛緩している。

 シャルはそんなケルンをずっと静観し続ける。あまり視線を向けてはいけないという自分自身に課した規定をうっかり忘れていた。

 自分の頬が紅潮していることにも気付いていなかった。

 青年は依然として女っ気を存分に放っている。しかしそんな外見とは裏腹に、男っ気が内から沸き出ている。シャルにはそう感じられた。

 もしかしたら、本人は「艶めかしい」外見を嫌忌しているのではないかと考える。だから無理して男っぽい仕草を心掛けているのでは、と。

 この世界ではどうなのかは知らないが、元いた世界では人々の視線を独占していたのは軽易に想像がつく。

「注目を浴びられるなんて寧ろ幸せなことで、それ以上欲張るな」と色情を混じらせて文句を言う人間も当然いるだろう。

 しかしケルンの場合は「男っぽい」では無く、「女っぽい」として大衆の目を惹かせる。果たして、本人はそれを好き好んでいるのだろうか。

 シャルは、女として生きてきた自分が「男っぽくてカッコイい」などと言われたら嫌だろうな、と目を細める。

 きっと、無理やりにでも「女」を心掛けるに違いない。あまり好まないミニスカートを履き、裸に見えてしまう程の露出の多い服も着て、眉に鋭いアーチを描き、ピカピカに光るイヤーロブをして、頬にはチークカラーを唇には深紅色のリップグロスをこすりつけるように塗りたくり、それで男の腕に胸を押しつけて媚びだす。

「これでも、男っぽいって言えるの?」と口から裏声混じりの甘えた声が出てくる。

 恐らく自分ならば、そこまでやるだろう、と。

 そんなことを考慮し始めると厄介で、足を覚束ない感じに組みながら乱暴な格好で座るケルンが、シャルには可哀想に見えてきてしまう。

 悲哀の視線を向けている時、ちょうど赤と白のしま模様が入ったボールが飛んできた。シャルの頭に触激した。

 ボールはそのまま白いベンチの後ろ側へぽんぽんと音を出しながら転がっていく。

 シャルは鋭利な視線をベンチの前方へ送る。パルテノンたちが小さな足音を立てながらこちらへと駆けてくる。

 隣のケルンがさっと立ち上がる。「よお」と右手を高く挙げる。

 そうしてから、急ぎ足に白色のベンチの後方へ行き、転がっているボールを取る。

「俺も入れてくれよぉ!」と叫びながら、パルテノンたちの群れへ駆けていった。

 シャルはまたしても冷ややかな目をしていた。ケルンが身長一メートル程の紫色の奇形生物と「バレーボールもどき」をしているのがベンチから見える。

 人間の体型をしていながら紫色の肌、大きな青眼、トナカイのような鼻、裂けたかのように両端を鼻の高さまで吊り上がらせた口。

「気持ちわりぃ」シャルが誰にも聞こえない声音で漏らした。

 嘔吐しそうになった。声にならない声で「オエェッ」と口が大きく開いた。

「こんな世界、早く出たい」心の中が悲鳴を上げている。

 そこでケルンが唐突に、シャルの方を向いてくる。ボールを隣のパルテノンに預ける。

「おい、お前もこっちに来い!」と呼号する。

「いえ、わたしは遠慮しとくわ」あんな気持ち悪い生物に近付くなどあり得ない。

 シャルなりに大きな声で言ったのだが、ケルンの耳には届かなかったのか、こちらに駆けてくるのが見える。

「なあ、お前も気分転換にどうだ?」

「別に、今の気分で十分だから」シャルはぶっきらぼうに返事する。

「そう突っぱねるなよ。お前、感じわりぃな」ケルンが唇を尖らせる。

「感じ悪くて結構」

 シャルが言った時だった。ケルンの右手がシャルの左腕を掴んだ。

「いいから、来いよ」

 無理やりシャルの左腕を引っ張る。あまり男としての腕力を感じられなかった。

「何するのよ」と言いながらもシャルは仕方なしに付いていく。

 パルテノンたちがボールを抱えながら待っている。シャルは見下ろす形となる。

「こいつも参加するってよ」

 ケルンの言葉を理解しているようではなかったが、パルテノンたちは奇声のようなもので歓声を上げて小さく飛び跳ねる。

 裂けた口は紫色の顔の半分ほどを占めている。小さな顔とは不釣り合いな牙が生えている。涙ぐみながら必死に吐き気を抑える。

 早速ひとりのパルテノンが棒みたいな腕で赤白のしま模様のボールを空中へ放つ。

 ボールはシャルの目前に落ちてくる。パルテノンの背丈を踏まえれば、かなり高く上げたのではないだろうか。

 シャルは意地悪く、ボールを思いっきり高くへ上げてやろうと考える。膝を曲げ、腰を落とす。バレーボールのアンダーハンドパスのように両腕をくっつけ、下からボールを捉える。

 シャルは自分の力の全てを振り上げる両腕に込めた。ボールはゴム製で軽く、案の定ボールは青空に突き刺さろうとするかのようにまっすぐ上に飛んでいく。

 ケルンやパルテノンたちのかけ声が消えている。シャルは、ボールが青空に溶けていく様をずっと見つめている。

 どうよ。わたしはあんた達なんか嫌いなのよ。心の中で勝ち誇った台詞を吐いていた。

 どんな顔してるんだろ。わたしのこと嫌な女って思ったんだろうな、とシャルはケルンたちの顔を窺う。

 ケルンの口が大きく広いている。「すげぇ」と声を出す。パルテノンたちも声を出しながら嬉しそうに飛び跳ねている。

「お前、スゴいな!」ケルンが声を弾ませる。

「え?」シャルはきょとんとしている。

「バレーでもやってたのか?」

「昔、ちょっとだけ」

「でも、あんなに高く上げる必要はねえだろ」とげらげら笑う。

 シャルは気まずくなり、咳払いをする。ちょうどボールが落ちてくる。ケルンが小さく空中へ弾く。

 パルテノンたちがボールをパスし合っているのを見守りながら、ケルンがシャルの隣に立つ。

「容姿や言語なんて、関係ないだろ? あいつらは、単なる好奇心旺盛なガキんちょだぜ」

「うん」シャルは小さく頷く。

 幼い頃に両親と公園で遊んだ時のことを思い出す。父親がボールを高く上げただけでやけに興奮している自分がいた。

 今のパルテノンたちは、あの頃の自分とそっくりだ。容姿や言語以外は同じなのだ。

 もう、パルテノンたちが奇形生物に見えることは無かった。

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