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「シャルちゃん、今日からよろしくね」
叔母と叔父の目尻のしわが深くなる。自分の為に無理やり笑顔を作っているのだ、と幼いシャルには分かっていた。
母親が肺癌で死んでから間もなく、叔母と叔父の家に養子として迎え入れられた。
叔母はシャルの母親の姉に当たる。一年間に二、三回くらいはシャルの家へ遊びに来ており、顔馴染みだった。
叔母のことは嫌いではなかった。寧ろ、シャルはとても叔母に懐いていた。
しかしそれでも今、叔母や叔父に心を許すことが出来ない。
これからずっと一緒に暮らしていくのだから。親戚として接してきた今までとはわけが違う。
「シャルちゃんのお母さんみたいにはなれないけれど、精一杯に頑張るからね」
叔母の目は真っ直ぐにシャルを捉えている。きりりとした表情は、自分自身に誓いを立てているようであった。
逆にそれが、シャルに余計な精神的圧迫を与えていた。気まずさは増しただけだった。
それからはずっと、義父母の家での生活が続いていた。胸が張り裂けそうな程の痛苦と、自分自身との戦いだった。
絶妙な温度をもった風が肌を撫で回した。今の孤独なシャルには、何故だか両親の温もりに感じた。
シャルの心を蝕もうと視界を覆っていた闇が、霧のようになって撒布されていく。光がやや乱暴に差し込んだ。
幼児が描いたような樹木が、瞼の隙間に入ってきた。自然と両手両足を広げ、体を大の字にさせて仰向いた。
辺りにある沢山の樹木は、シャルを囲むように高くうねりながら伸びているように見え、霊妙な迫力がある。
まるで、昆虫になった気分だった。樹木たちの隙間に蒼天がある。唯一、人間の視点時と大差ない壮大さを持っている。シャルはただぼうっと見つめ続ける。
「なあ」
突然、高い所から渋い男声がした。樹木から声が発せられたのかとシャルは思った。
芝生の上に載せられた頭を、後ろへひねる。後頭部に奇妙な、先程の転倒時の痛みには及ばないが、電流のような痛みが走った。
小さな苦痛の所為で、少し顔を歪ませていたのかも知れない。「大丈夫か?」とまた渋い声が聞こえた。
同時に、シャルの目には青年が逆さまに映っていた。渋い声とは不釣り合いな、端麗な顔をした青年だった。
シャルはすぐに両肘で芝生を勢いよく突き、上半身を起き上がらせる。下半身を引きずりながら後ろへ振り返る。
「あ、無理に起きなくても良かったのに」
青年はばつが悪そうに眉間を歪ませた。繊細なきれのある眉毛をしている。
髪は赤褐色のショートヘア。顔の輪郭は丸型で小さく、体型もすらりと細長い。
まるで、女を見ているかのようだ。渋い男声を耳に入れなければ、男と判別できなかった。
Tシャツにジーンズとラフな格好をしている。なのに、常人には出せない特殊な霊気が漂っている。世界の壁に撫でられた霊気とはまた違った霊気。
本来、男に適切ではないのだが、「格好いい」というよりは「艶めかしい」とシャルは感じた。
女すら惚れ惚れとさせてしまう、女らしい色気をもっている。
路上ですれ違っただけでも、誰もが立ち止まりついつい見とれてしまいそうな美しい青年だ。
だらしなく口をぽかんと開けて熟視していたシャルだが、はっと我に帰る。
「あ、あなた誰!」
この男もわたしのことを昔から知っているとか言い出すんでしょ、と警戒心を強く抱き、身構える。
「あ、俺? 俺はケルン。お前は?」
「え?」わたしのこと知らないの、と呟く。
ケルンが口元を歪ませる。そんなしわですら美しい。
「何言ってるんだよ。俺たち、初対面じゃんか」
「え?」シャルは目を丸くして、しばたたく。
この世界の住人たちは、シャルはこちらで生まれたと言っていたのに、今、目の前にいる女顔の青年は「初対面」だと言っている。
本当に、今まで一度も会ったことがないのだろうか。記録の中での自分は、この狭い世界に十数年いる筈なのに。
「あなた、何者?」
「は? だから、ケルンだって」語調がやや乱暴になってくる。
「違うって」
「違う?」ケルンは首を傾げる。
「あなた、何かが違う」
ケルンは黙り込んでしまう。シャルは、青年が顔をうつむけたときに見える長いまつげを見つめてしまう。
見とれてはいけない、と心の中で何度も復唱していたのに、うっかり凝視してしまった。頬が火照る。
ふたりの空間がだんまりむっつりとなっていたが、園内のどこからかパルテノンたちのはしゃぎ声が小さく聞こえた。
「なあ」ケルンが気まずい空間に振動を与える。
「一先ずさ、どこかのベンチに座って、それからゆっくりと話そうぜ」