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壁の庭  作者: 百瀬 和海
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 公園はシャルが想像していた以上に広かった。パルテノン達が遊んでいた芝生のエリア以外にも、ジョギングとして使えそうな長い並木道があった。

 当然、木立たちは茶色の幹に緑の葉。舗装された道は灰色で、先程のように生木と足元が同色で折り重なって見える事が少ないだけ、幾分かは好ましく思えた。

 無論、色彩豊かだったが、シャルと肉親の住んでいた家の近くにもこんな公園があった。シャルはどことなく懐旧の情にかられてくる。

「おやおや、ピサ君にシャルトルさんではないですか」

 突然、シャル達は見知らぬ老夫に声を掛けられた。黒いスーツに赤いネクタイ。右手にはステッキが握られているが、姿勢はぴんと張っている。

 紳士としての品格が体中から溢れ出ている。お洒落に整えられた口と顎の髭が一際目立つ。

「ゴアさん!」ピサは笑顔を浮かべながら声を出す。

「このような場所で会うとは、奇遇ですな」そう言って、紳士は口髭を少し触れる。

「そうだね。ゴアさんも公園を散歩してるの?」

「ええ。わたくし、公園での散歩を日課としているのですよ。日頃から適度な運動をしておかねば」

 地を突いていたステッキを、くるりと宙で一回転させる。伊達のステッキみたいだ。

 何、この変人! シャルは心の内側で、何度もそう言っていた。物語の世界に登場しそうな紳士を、そのまま現実世界へ引きずり出してきたような、生活感のない非現実的な人間だ。

「おや、シャルトルさん。浮かない表情をされていますな」

 初見の紳士が、気安く話し掛けてくる。まるで、シャルとは知人であるかのように。

「はじめまして」眉根を吊り上げながら、シャルはとげとげしく言う。初対面なんだから、当たり前でしょ。

「おお、挨拶がまだだったとは! 紳士としてあるまじき行為でした」シャルトルさん、こんにちは。ぺこりと頭を下げてくる。

「はじめまして」語調を強くして、シャルが再び言う。

 まだ、紳士の表情は崩れない。「シャルトルさん、『はじめまして』とは、初対面の人に使う言葉ですぞ」

「だから、はじめまして、なんですよ」シャルは自分の非を認める気はない。自分のことを一番信用しないでどうする、と。

「ゴアさん、今日のシャルはずっとこんな調子なんだ」ピサは両手をあげて、お手上げです、と表現する。

「それはそれは」先程から、紳士の表情や語調は何ら変化が無い。

「ゴアさんからも言ってあげてよ。シャルは前からここにいるよって」

 ピサにそう言われ、紳士はシャルの目をじっと見つめてくる。やや沈黙に包まれた後に口を開く。

「シャルトルさん、あなたは絵を描くのが好きだった。よくパルテノンや御自分のアパートをスケッチされては、みなさんに絵を見せていた。そんな時のあなたの笑顔は、輝いていて素敵だった。楽しかった日々を忘れられてしまったのですか?」

 知らない。そんな日々など、全く覚えがない……。

「そ、そんなの、わたしは知りません!」

 シャルのあげた声が、静閑とした園内に小さく響く。紳士は表情を同じにしながらピサと顔を見合わせる。

「これは、なかなかどうして厄介ですな」

「うん、僕のことも覚えてなかったんだよ。誘拐犯って勘違いまでされてるし」

 首を傾げながらシャルの方を見てくる。哀れみを含んだ瞳をしている。

「だって、親戚の叔父さんや叔母さんのことは頭に残ってるのに、あなた達のことなんて、顔すら覚えがないのよ!」

 ピサと紳士は顔を合わせながら、ひそひそと話している。時折こちらを横目で見てきた。

「あなたはいつもスケッチブックと鉛筆を持ち運び、気に入った風景があればその場に座り込んでクロッキー(速写画)を始めます。ある程度を書き終えると、本格的に描き出す。『いつもの習慣』です」

「そうそう、スケッチの途中でパルテノン達のボールが直撃したりして。シャルが真っ赤になりながら頬を風船みたいに膨らませてて、面白かったよね」

「おお、そんなこともありましたな」紳士が相づちを打つ。

「確か、シャルが十二歳の頃だよね」

「十二歳!?」シャルは思わず声を張り上げてしまう。一瞬、めまいがシャルを襲った。

 十二歳といえば、まだ父親も生きており母親も専業主婦をしていた頃だ。当然、この非現実的な世界に来た覚えなど無い。

 それなのに、このふたりは、シャルの十二歳の頃を懐かしそうに語っているのだ。

 何かがおかしい。そうシャルの脳内に響き渡った。

 十二色でつくられた風景や巨木のアパート、世界の壁、パルテノン、想像の中でのみ生きる事が許されていた筈の紳士。

 元からこの世界はおかしかった。しかしそれは自分の知識の範囲外なんだ、と渋々受け入れている節はあった。世の中は知らない事の方が多いんだ、と。

 自分はそんな非常識な世界に何かしらの異常現象で放り込まれてしまった。数日、数週、数ヶ月、はたまた数年か。既にこの世界に滞在していて、今日の朝に記憶喪失になってしまったのかも知れない。

 だがしかし、自分の覚えている過去すらも彼らは否定する。記憶の中に生きている両親が、これでは幻だったみたいではないか。

 シャルはおそるおそる、ゆっくりと、口を結んでいた糸をほどく。とても恐ろしい質問だった。

「わたしは、いつからこの世界にいるの?」


 シャルが十二歳の時、一番色濃く思い出に残っているのは、十三歳の誕生日を迎えようとしていた頃の事だ。

 シャルの家に友達を呼んでバースデーパーティが開かれる事となった。招待人数は十三人。十三歳の誕生日だから十三人。縁起をかつぐ為にだ。

 月刊誌の巻末に占いのコーナーがあり、「今月誕生日を迎えるあなたは、縁起をかつぐと幸せになれるでしょう」と書かれていた。

 その占い師は当時、女性から絶大な人気を誇っていた。占いがよく当たると、どこからともなく噂が広まり、テレビや雑誌などのマスメディアで頻繁に取り上げられ、時代の寵児(ちょうじ)となっていた。

 そんな占い師が「縁起をかつげ」と書いているのだ。当時その占い師にどっぷりとはまっていたシャルとしては是非ともそれにならいたかった。

 そこで、誕生日会に招待する人数を十三と定める。何とも突発的な発想であった。

「そんな、十三人も呼べる友達いるの?」母親は言った。

「うん。頑張れば余裕だよぉ」

 オープン型のキッチンで忙しそうに夕食を作っている母親の近くで、シャルはあどけない笑顔をする。

「流行りものって、怖いわ」母親が顔をしかめる。

「じゃあ、来年は十四人。シャルが五十歳の時には、友達を五十人も呼ばないとな」

 ソファーに座りながら父親は楽しそうに声を上げる。シャルがキッチンからソファーの方に小さく駆けてくる。

「パパぁ、その頃にはあの占い師さん、消えちゃってるよぉ」

 シャルの大人びた、現実的な発言を聞き、父親は唖然とする。眼前の、ようやく十三歳になろうとする娘の顔は、まだまだ幼い。


 結局、シャルのバースデーパーティに招待されたのは五人。元来、シャルにとって友達と呼べる人間は五人だけだった。

 他の八人は単なる同級生というくらいで、無理やり招待客に含めようとしていたのだ。

 シャルの誕生日が迎えられる前に、例の占い師が麻薬所持で逮捕された。それを聞くと、シャルはすぐに十三枚の招待状を破り捨てた。

 封筒やカードのデザイン、それに書く文章やペンの色など、シャルの貴重な時間をたくさん奪い取った招待状はただの紙くずとなった。

「占いなんか、単なる気休めだよぉ。自分のやりたい事をするのが一番!」シャルはあっけらかんとしていた。

「流行りものって、怖いわ」母親が顔をしかめる。


「いつからも何も」

 流暢(りゅうちょう)に発せられていた紳士の声が、そこでこもる。機械のように滑らかに動いていた口が活動を停止した。

 シャルは生唾を飲み込んで、紳士の口元を熟視する。再び活動を始めるその時を、待つ。

 微かに吹いていた風が止んだ。遥か遠方でパルテノン達のはしゃぐ声がしている。

 果たして、自分の記憶が間違っているのか。彼らの述べる、覚えのない自分の記録が本当に存在してるというのだろうか。

 紳士の唇が微動する瞬間を見守り、シャルは目を皿のようにした。

「あなたは、ここの世界で生まれました」

 一番聞きたくなかった最悪の言葉が、発射された。シャルの胸に、矢となって突き刺さった。

 シャルは勢いよく膝をつく。重力を人一倍強く受けたかのように、重く沈んだ体勢となる。視界には、邪悪で不確かな暗闇が、シャルを包み込むように充溢(じゅういつ)していた。

「あなたの父親は四年程前に、母親は二年程前に病気で亡くなられました」

 自分の記憶が、目で見て、耳で聞き、肌で触れてきた体験が、その全てが否定された。

 あの十二歳の誕生日も、これまで歩んできた人生の全部が幻想だった。それは煙のように、何処かへと漂うように消えていってしまった。

「そんなの、嘘よ」

「辛いのは分かるよ。でも、事実はどんなに否定しても変わりはしないんだ」

 ピサの目は力強く、シャルの事をしっかりと捉えている。もうこれ以上反論の有無を許さないぞ、と揺るぎない意志が宿っていた。

「いやぁあああああ!!」

 シャルの絶叫は遠く彼方まで響き渡ったのかも知れない。先程まで微かに聞こえていたパルテノン達のはしゃぎ声も、もう聞こえない。

 無論、シャルの目の前にいる少年と紳士も言葉を出せずにいた。

 シャルはその場から全速力で走り去った。後方で誰かの声が聞こえた気がしたが、振り向くことは無かった。

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