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「世界の壁には、絶対に近付いちゃいけないから!」
ピサは子供を叱りつける親のように、シャルに強い口調で忠告した。
シャルは即時に承諾した。閑却できない問題ではあるが、既に気が滅入っており、休息をしたかった。それを打ち明けると「近くの公園のベンチで休もう」とピサに提案された。
かくして、今は公園に来ている。辺り一面に広がっていた緑の芝生は、例外なく公園をも埋め尽くしていた。
日常的に見掛ける大きさの樹木が整然と並んでいる。葉は芝生と全く同色の緑で、時折葉と芝生が混ざって見えてしまう。
そんな並木の近くに真っ白いベンチがあり、二人は腰掛ける。園内に人影は見当たらない。「シャルの間違いを証明してくれる誰か」は現れない。
「全然誰にも会わないじゃない」シャルがむっすりとした顔で言う。ピサは一旦腕時計に目を配り、シャルに視線を戻す。
「まだ、朝早いからね。もう少ししたら『パルテノン』にも会えるよ」ピサの口辺が微笑んでいる。
「パルテノン? 人の名前?」
「半分正解」とピサは得意げにニヤつく。クイズ番組で、司会者が難問を出題して優越感に浸るのに似ている。
半分とは、果たしてどういう意味だろうか。シャルが顔を横に傾けた時、園内の入口の方から大量の足音が聞こえてきた。地面につけた足裏に小さな振動が伝わってくる。
「誰かくる?」
「パルテノンさ」
シャルの視界に「パルテノン」が映る。自らの目を疑った。駆け足でふたりの眼前を通り抜けたそれらは、身長が一メートル程で、異形の姿をしていた。
シャルが最初に気になったのは色だった。全身が紫紺。体毛ではなく、肌そのものが紫紺のようだ。
人間のそれとは比べものにならない程の大きさを持ったくりくりとした青眼、鼻はトナカイのように丸く膨らんでいて、口の両端は鼻と同じ高さまで延びている。
奇怪な部分が多いが、体型だけは人間の子供と大差なかった。真っ青な短パンに真っ赤なノースリーブを着ている。
目を疑いたくなる、非現実的な生き物だった。絵本の中にいるのではと錯覚させられるこの奇妙奇天烈な世界においても、彼らの色はバランスが悪い。
「まさか、『あれ』がパルテノンなの?」シャルは目をしばたたかせながら言う。
ピサがはたと睨んでくる。「『彼ら』が、パルテノンだよ」
「何の動物?」
「パルテノンは、パルテノンさ。人間と同じで、ひとり、ふたりって数えるんだよ」
パルテノンの群がりの中に、赤と白のしま模様が入ったボールが見えた。ひとりのパルテノンが、ボールを持つというよりは赤ん坊を抱きかかえるようにしている。
「お姫様だっこしてもらえるなんて、あのボールはさぞや幸せね」シャルが嫌みを言う。
ピサは少しの間沈黙していたが、「そうだね。幸せだろうね」と子供を見守る父親みたいに、強く温かい口調で言った。シャルには、ピサの瞳が潤んでいるように見えた。
パルテノン達が、円形に間隔を広げる。ボールを持ったパルテノンに全員の視線が集まる。シャル達の座るベンチからでは遠くて聞こえにくいが、彼らが声を出してはしゃいでいるのが分かった。
枝のようにすぐに折れてしまいそうな細くて短い腕が、ボールを空中へと弾き飛ばす。見た目によらず、ボールに大した重量はないのかも知れない。
微風が吹いていたがボールは綺麗な弧を描いて、正面のパルテノンの元へと落ちていく。すぐさまにそのパルテノンが、これまた華奢な腕でボールを上へ弾く。その姿は、シャルにバレーボールを連想させた。
「あれって、バレーボールをしてるの?」
「ばれぇぼぉる?」これも、この世界には存在しえない単語らしい。
パルテノン達は芝の上を低く飛び跳ねながら、ボールを空中に舞わせている。小さな体に特殊な身体能力が秘められている訳でもなく、「低く飛び跳ねている」というよりは、あの跳躍が「最高到達点」ではないかとシャルは思う。
「彼らは、この世界が平和だという象徴なんだ」やはりピサは、優しい表情を浮かべている。
「さっきあなたが言ってた、半分正解ってのは?」
「パルテノン達と対面してみれば、解るよ」
そう言うと、ピサは真っ白いベンチから勢いよく腰をあげ、紫紺の群れへと走り寄っていった。シャルはただ呆然と、少年の背中が小さくなっていくのを凝視し続ける。
パルテノン達の視線がピサに集中する。シャルには聞こえないが、何か会話しているようであった。程なくして「バレーボールもどき」が再開された。
ピサとパルテノン達の身長には倍近くの差がある。ピサは膝を少し曲げて窮屈そうに参加している。
ピサの所へボールが飛んでくると天を仰ぐように両手で構え、膝のバネを使ってボールを高く上げる。まるで、バレーボールのオーバーハンドパスだ。
ボールが高く上がる度にパルテノン達は歓喜の声をあげた。人間の幼子とあまり変わらない。
シャルは、その様子をベンチから白眼視し続けていた。例え人間の子供と同じ心を持っていたとしても、紫紺の奇形生物を同一視できなかった。
それからピサは、三十分程をパルテノン達と共にした。あからさまに冷淡な表情を浮かべるシャルの元へゆったりとした歩調で戻ってくる。
「ね、可愛いでしょ?」ピサの顔からは沢山の汗が噴き出している。
「そう。それは良かったわね」シャルは唇を尖らせながら応える。
「う、うん」ピサは寂しそうに眉をひそめる。
ピサの後方には、未だ楽しそうに「バレーボールもどき」で遊んでいるパルテノン達の姿があった。