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俺が財布を落とすはずがない

作者: 睦月計時

  四月一日。雨のち曇り。


 四月一日と聞くと、今の日本人であれば誰しもエイプリルフールを思い浮かべることだろう。朝、大学でのサークル勧誘が行われるブースでも誰々が辞める等という嘘がつかれていた。


 そう、エイプリルフールとは一年に一度、嘘をついてもいい日なのである。


 これはそんな四月一日に起こった出来事である。







 サークル勧誘初日を終え、疲弊しきった僕たちサークル員は先輩たちと駅前のラーメンを食べに行くことになった。僕の知り合いが微妙と言っていたが、言うほど悪くない。

 ラーメンを食べ終え、明後日への奮励を誓った。


 僕が本来乗らなければいけない電車は一本後の急行だったが、先輩たちが特急に乗るので一緒に乗ることにした。先輩たちは現在している就活のことについて語っていた。「内定もらったよ」とか「自分が一番力入れたところが書類審査で落とされた」とかそういったものである。来年の今頃は自分も同じ立場になるのかと思うと、大学生活があっという間に過ぎ去っていくことへの焦燥、後悔等がこみ上げてきた。


「疲れてる? 眠たそうだよ。涼太」

「え?」


 先輩に声をかけられ、意識が覚醒する。


 おかしいな。集中して聞いてたはずなのに。


 自分の気持ちとは真逆な行動を取っていることが恥ずかしい。ここで「ちゃんと話を聞いていました」と言っても恐らく信じてもらない。人は思った以上に中身より外身を優先するのである。人格優先採用と謳っている企業も実際には学歴を重視しているところもあると先輩の話にあった。だから僕は嘘をつくことにした。


「いやぁ~まだ遠い話で実感が湧かなくて、なんかなぁ~って感じです」


 なんかなぁってなんだよ。そのなんかを言えよ。

 先輩は僕の苦しい嘘に同情を示してくれたのか、次の駅で降りるのを勧めて頂いた。


「ではまた明後日よろしくお願いします」


 先輩に別れを告げ、僕は本来降りるべき駅へと戻っていった。


 家に着き、夕食は食べたかと訊かれたので、「食べてない」とまたもや嘘をつき、本日二度目の夕食を食べた。最近よくこの嘘をついてしまう。何故かは知らないが。


 母から姉が迎えの催促をするかもしれないから電話があったら迎えに言ってくれと頼まれた。僕も運転免許を取得したばかりで、経験を積みたかった為、快諾した。

 しばらくして母の言う通り、姉から迎えの催促があった。五十三分の電車に乗ってくるらしかった。現在の時刻は九時半ぐらい。まだ時間に余裕があり、僕は応接間でテレビを見ることにした。警察はこんな事件を取り扱っているんだというそんな感じの特集番組。

 その一つでひどく心を痛めたものがあった。




 ――「三十万円入った鞄を失くした」というものである。




 というのも以前、僕はもらったばかりのバイトの給料を失くしたことがあったのだ。あまり働いていなかったので、二万円だったが。いや、二万円は大金である。大金を僕は落としてしまった。同志でも見るような気持ちで僕はそのテレビを見ていた。

 そうこうしている内に時計が四十五分ぐらいになっており、僕は姉を迎えに行こうとした。眼鏡をかけ、運転免許証の入った財布がないか鞄の中をまさぐる。




 ……。




 ……ない。




「あれおかしいな。入れたはずなのに」


 鞄の中を捜すのを止め、洗面所、帰宅してから行ってない自室を捜した。


「お母さん! 財布ないんだけど!」


 エイプリルフールは午前中だけよ、という眼で母は僕を見ていた。


「あんた自転車のかご見た? どうせそこに置き忘れたんじゃないの?」


 そう言われ、自転車のかごを捜す。ついでにその付近も捜す。


 ない。


 どこかで失くしてしまったという現実を認めたくなくて、すでに捜した所を何度も何度もありもしないのに捜す。父の怒号が聞こえた。


「オマエはいつもドンくせぇだよ! いつも大事なもの失くしてるじゃねぇか!」


 正論を言われ、無性に腹が立った。


「うるせぇ!」


 僕は家を飛び出し、自転車に乗る。

 家路の途中に落としていないか、駅までの道を手早く、かつ念入りに捜した。しかしなかった。駅につき、猛ダッシュで改札までいく。


「す、すみません! 財布を落としてしまったんですがぁ!」

「いつの電車に乗られたとかは分かりますか?」

「えっと四十五分発の特急です! それで一旦西岡駅までいって、急行を使って……」


 僕の言った情報を駅員さんは紙に記入していく。


「すみません急行じゃなかったです! 特急で戻ってきました! 特急で府駅に降りてそこから普通に乗って佐奈駅に戻ってきました!」

「なるほど……財布の特徴とか分かりますか?」


 訂正した情報を記入し終え、次の質問に移った。駅員さんの落ち着きが僕の急いた気持ちを冷ましてくれる。


「黒と黄色です。少し借りていいですか」

「どうぞ」


 僕は財布の絵を書き、借りた紙を戻した。


「金額はどれぐらい入っていましたか?」

「えっと一万八千円ぐらいです」

「身分の分かるものとかありますか?」

「在籍確認カードがあります」

「他には?」

「運転免許証が」

「分かりました。検索しますね」


 駅員さんは僕が伝えた情報を入力し、しばらくして、


「まだそういったものは見つかっていませんね。見つかり次第ご連絡致しますので、お手数ですが、こちらにお名前をカタカナで、連絡先と住所の記入してもらっていいでしょうか」

「はい」


 紙にさっと記入し、駅員さんに渡す。


「では、見つかり次第こちらからご連絡させていただきます」

「すみませんありがとうございました」


 頭をさげ、急いで家へと戻った。

 家に着くと、父の車がなかった。僕が迎えに行けなくなったから、母が頼んだのだろう。


「なかった」

「鞄の口あきっぱなしになってたわよ。どっかで落としたんじゃないの」

「閉めてたよ! ちゃんと入れたはずなのになんでだよぉ~~!」


 地団駄を踏む。

 さぞ呆れていることだろう。何歳になっても子供のままな息子に。


「涼太。警察に電話はした?」

「してるわけないよ!」


 怒鳴り、勢い任せに子機を取り、コタツ近くに投げる。


「壊れるじゃないの!」

「うるせぇ!」


 どうしてこの様な行動に及んだのか自分でも理解し難かった。ただ、自分が人生最悪の四月一日を送っていることに対しての鬱憤をどこかに吐き出したかったのかもしれない。言葉だけでは抑えることが上手くいかず起こる突発的な物当たり衝動。

 幸い、子機は壊れていなかった。

 ごめん子機。お前には罪がないのにな。


「橋川の警察にかければいいのよね」

「アホか! (ゆたか)の警察に決まってるだろ!」


 先刻した馬鹿な行動を猛省したばかりなのに母に対する言動は酷かった。ごめんよお母さん。


 母にタウンワークを渡され、豊の警察を探す。

 探し方が悪いのか、上手く見つけられない。

 仕方ないので『一一〇』にかけることにした。

 電話が繋がり、用件を話す。

 豊の警察の電話番号を照会されたので、かける。

 何回か呼び出し音が鳴り、声がした。

 それと同時に姉を迎えに行った父が帰ってきた。

「なにやってんだ」と僕を蔑み、コタツに入る。


 本当になにやってるんだか。


 警察にあらかた用件を話したところ僕の携帯に知らない番号からかかってきた。出れる状況ではなかったので、姉に出てくれと頼んだ。

 警察の方に謝り、話に戻る。

 しかしどうやら姉の取った電話が財布が見つかったというものらしく、警察の方にその旨を伝え、電話を切った。

 姉から電話を代わり、どこで見つかったのか、現金が入っている為受け取りには身分の分かるものが必要等を言われる。とにかく良かった。そして取りに行くことを決めた。


「全くいつまで経っても成長しない奴だ」


 急いで取りに行く準備をしている最中、父が呟く。


「だまれよクソ野郎!」


 反射的に僕は暴言を吐き、家を飛び出した。

 姉にお金や携帯は持ったかと心配されるが、持ったと一蹴する。

 とにかくこの場から離れたかった。


 いや、あの父から離れたかった。



 駅に着き、駅員さんに「先程財布を落とした物なんですが」と名乗る。

 顔を覚えていてくれたようで、財布の保管してある駅まで行って帰ってこれるかを調べてくれた。また、その駅で僕が困らないよう向こうの駅員さんに話まで通してくれた。

 僕の歳より二回りくらい上だろう。自分もこの駅員さんと同じくらいの歳になったら落ち着きがあって親切な対応が出来るようになるのかな。


 この人のようになりたい。


 ふと、そう思った。


 ホームに着くと姉から連絡が着ていた。「鞄持っていかなかったけど大丈夫?」「終電あったからこの時刻表見といてね。→(画像)」

 嬉しくて涙が出そうだった。

 怒ると怖いけど、困った時はいつも優しく気にかけてくれる姉。

 昨今の近親恋愛モノの良さが分かった気がするぞ。

 お姉ちゃんありがとうと打ちかけて、止めた。恥ずかしい。

 「大丈夫。駅員さんに教えてもらった」。すぐさま姉からスタンプが送られてくる。僕もスタンプを返す。

 ここであること気付いた。




 残り充電が十パーセントもない。それを姉に伝え、会話を切った。

 数分待って電車がやってきたので乗り込む。

 適当に空いてる席に座り、電車が発車する。

 この残り充電で目的の駅まで持つはずがない。少しずつ減っていく残り充電を目にしながら、鞄を持ってくれば良かったことを後悔した。鞄にはいつも持ち歩いている小説が入っている。目的の駅まで片道五十分もあるのだからいい時間潰しになっただろうに。

 まぁ後悔しても鞄が出てくるわけでもない。

 今この状況でどう時間を潰すかを考えるんだ。

 まず携帯の充電を使い切ってしまおう。

 僕はツイッターを開き、色々な人の呟きに目を通した。新学期の呟きが割と多い。

 その内何人かのツイートに「いいね」をし、適当にコメントを送る。

 それに対して返信がやってきてまた返信を何回か繰り返しているところで充電がついに〇パーセントになった。

 黒くて何も映らない液晶画面を少し間見つめ、嘆息を漏らし、ポケットへとしまい込んだ。


 さて、何をしようか。


 前髪をいじる。髪ながくなってきたからそろそろ切らないとなぁ。

 母からも散髪に行けとせっつかれている。分かってはいるんだけどどうにも行くのが面倒臭い。

 髪の毛いじりはさして時間を潰せなかった。

 いつもどうやって時間を潰してたっけ。

 携帯? 小説? 他には?

 何にも持ってない時何してたっけ。


 隣の席を見ると、僕より少し上だろうか、二十代後半ぐらいの金髪の男が携帯をいじっていた。前の席に目を遣っても、皆携帯をいじっていた。

 もしかして、と思い、この車両全体に目をやる。


「あ……」


 僕は思わず声を上げそうになった。

 勿論音楽を聴いている人もいるが、約八割方の人が携帯の画面と睨めっこしている状態だった。

 それはいつか見た牛丼チェーン店は燃料補給所だと言いたい絵画のようで、皆携帯に目を奪われている光景が僕の胸にひどく突き刺さった。

 ひどくと表現したが何がひどいとか具体的なことは言えない。ただただ一言でこの胸にある複雑な感情を表現するにはひどくという言葉は適当だったのだ。思考を放棄しているとも言える。本当はこの複雑な感情が何なのかを考えなければいけないのに、上手く出来ない。


 ――僕は携帯によって脳を吸われてしまっているのではないだろうか。


 一つの考えに終着し、胸の芯から突き上げてくる情動の処理の仕方が判らず、車窓から見える夜景に目を逸らした。今日先輩の嘘を真実だと信じ込んだ時のごとく、衝撃が脊椎を貫き、身の震えが止まらなかった。

 創作物でしか見たことのない吸血鬼という存在が実は携帯で人の考えの生血を吸い取っていく。そうして出来上がったのがこの人間達なのだ。

 一体何人が楽しくて携帯を見ている?

 生血を吸い尽くされた人間はまともに思考が出来なくなる。


 そういえば同期に、お前一年の時よりも会話が出来なくなってるな、と言われた。


 これといった変化はないはずなのだが、着実に僕は悪いモノへと変わってしまったいたのだ。

 それに今、気づいた。


 ちゃんと変わろう。


 思考できる人間になろう。


 最近太宰治の『正義と微笑』という作品を読んだ。十六歳の少年が今この時が自己を形成する大事な時期だと言って日記をつける話である。

 今の状況がまさにそれだと思った。

 作品の内容と自分を結び変なこじつけかもしれない。自分を変えるきっかけがほしかっただけなのかもしれない。ただただ理由がほしかっただけなのだ。

 何の取り留めない日常を一枚の写真みたいに切り取って、描く。

 つまらないと思う人もいるはずだ。

 しかし僕は形にして残したかった。

 これが人生を変える大きな転機になると信じて。

 いつかあの駅員さんの様な歳になった時、こんなことをあったなぁ、と振り返れるように僕はここに記しておくことにした。

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[良い点] 電車に乗ってふと顔を上げると、みんなスマホを眺めている。私もそれをみて、なんともぞっとした経験があったので共感ものでした(今、電車の中で、スマホから小説を読みつつ) 形として見える訳じゃな…
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