第2章 第8話 王都へ、再び
少ないですが、2章の本編はこれで最後です。
ちょっとしたお話と登場人物紹介の後は3章に入ります。
これからも平和なお話を続けていけたらと思います。
また1年の月日が流れた。
今度は、アウェーヌとフレヤノーラの2人も、王都にあるプロムレント学園に通うことになる。これで、フーリアンの里から学園に通うのは合わせて8人だ。この里の歴史の中でも、同時に8人が学園に通うのは初めてのことである。
7人は、馬車に荷物を詰め込んでいる間も、見送りに来ているノアに心配そうな視線を向けている。この1年、大きな事件こそなかったが、小さな出来事はそれなりにあった。
まず、ノアが眠りから覚めてしばらくの間、ノアの体調がよくなかった。病気や怪我とは無縁のノアではあるが、今回に関してはそうもいかなかったらしい。なんでも、本来はもっと休眠しなければいけなかったが、レイナイリとノーティリスが学園に通うにあたって、プレゼントを渡さなければいけないという理由により、無理やり覚醒してプレゼントを渡したのだとか。
そのため、身体の機能が完全には戻らず、2ヶ月ほどアウェーヌとフレヤノーラに助けてもらいながら生活していた。と言っても、本当に助けが必要だったのは食事のときだけで、彼女たちのように、わざわざ出歩くとき手を繋いだり、着替えを手伝ったり、一緒に風呂に入ったりする必要はなかったのだが。
そんな生活を2ヶ月ほど続け、彼女たちからの生命力譲渡もあり、ノアは普段通りの生活が送れるようになった。滞っていた、屋敷外での実習も無事再開された。ちなみに、元に戻った後も、食事以外の彼女たちによるお手伝いは継続していた。
「わたしにま~かせて、お兄ちゃん♪」
次の小さな出来事は、一般的には小さくないが、フレヤノーラの『スキル』が判明したことだ。もともと、フレヤノーラのスキルは『不明』とされていた。固有能力調査のときに、結果が不明になることは、多くはないが少なくもない。なんでも、能力に突出した部分がなかったり、分類不可能なスキルを持つ場合にスキルが不明になるそうだ。まあ、分類不可能なスキルを持つものはごく稀だが。
なんでも、判明した理由は、ノアが眠っている間のフレヤノーラに関する不思議な出来事を、妻や娘、使用人たちから話を聞いていたベルライトが、何かわからないかとノアに聞いたからだ。それを聞いたノアが、フレヤノーラの魔力を調査することで、フレヤノーラが持つ不明だったスキルが判明した。
このスキルは、ある1つの魔法が使えるようになるものであった。ノアいわく、属性としては闇属性に分類されるらしい。しかし、現在までにこのような魔法は確認されていないため、後に新たな『オリジン』として登録されることになる。
魔法の仕組みは、一種の暗示だ。フレヤノーラの前に鏡が出現して、ある手順を踏むことで、限度はあるものの一定時間フレヤノーラの願いが叶うというものだ。ただし、願い事は、自分に関するものだけが可能であり、他人に直接影響を及ぼすことはできない。あくまで、自分に暗示をかけるだけだ。性質としては、強化魔法に近いだろうか。
だが、これはオリジンに分類されるほどのスキルだ。ただの強化魔法とは分けが違う。フレヤノーラがそこまで到達できるかはわからないが、この魔法は理論上「理論上可能なことが全て可能になる」という力を持っている。あくまで理論上なのは、このスキルの性能が過去に確認されたことがなく、ノアがスキルの仕組みを解析して得た情報による推測でしかないためだ。
判明した後、未知の能力であるため、ベルライトはノアに使い方や性質をフレヤノーラに教えて欲しいと頼んだ。フレヤノーラのためということもあって、ノアは二つ返事で了承する。一方、話題の中心であるフレヤノーラはというと、ノアの話を聞いて、スキル云々よりも大好きな兄と一緒にいられることを喜んでいた。
「えへへ、フレヤ頑張る!」
他にも、ベルライトからノアへ、フレヤノーラに関してや以前の救出に対する、報酬のようなものが渡された。ある意味では、娘たちのためでもあるのだが、間違いなくノアの助けになるだろうとベルライトは考えている。多少心配ではあるが、ノアなら大丈夫だろう。あくまで自分自身ではなく、ノアに対する心配だ。何かあればベルライトも不利益を被るが、娘たちの命と比較すれば些細な問題でしかない。
「ノアくん、これを渡そう」
そう言って、ベルライトからノアに手渡されたのは1通の封筒だ。4姉妹を驚かせたいがため、書斎には2人しかいない。
「この封筒は、王都の衛兵に渡すといい。渡せば身分証を発行してくれるはずだ」
「それで、何をするんだ?」
身分証を持ったところで一体なんになるのか、ノアはそう考えている。が、ベルライトは気にせずに話を続ける。最後まで聞けば、考えも変わるはずだ。
「ノアくん、再来年から学園に通ってみないかね?早いほうが良いと思うかもしれないが、この方法は発行に時間がかかってしまってね。入学の手続きも考えると、どうしても今からじゃ間に合わないんだよ、すまないね」
「学園に?俺がか?」
勉学という意味では、今更ノアが学ぶことはないだろう。しかし、世界を知る場として、他者とのかかわりを学ぶ場として考えれば、学園はなかなかに適した場所であるとベルライトは考えている。それに、ノアが一緒に通うと知れば、娘たちも喜んでくれるはずだとも。
「ああ、ノアくんと一緒に通えるなら、娘たちも大いに喜ぶだろう。そうだな、来年は1年間王都で冒険者として生活して、再来年から学園に通うのはどうかな?ノアくんも15歳になるし、学園以外の、里の外についても学べる。ちょうど良いんじゃないかな?」
「ふむ、レイナ、ティリ、アウィ、フレヤも喜んでくれるのか」
「ああ、間違いないぞ!」
「よし、ならそれでいこう」
少々ずるいと思ったが、ノアならこう言えば同意すると思っていた。まあ、ノアのためにもなるはずだし、必要経費だろうということにする。
「ああ、それとだ。身分の証明にあたって、ノアくんのことは娘たちの婚約者ということにしてある」
普通なら爆弾発言だが、ノアはよくわかっていないようだ。今まで読んだ本には載っていなかったのだろう。その様子を、不安になっていると勘違いしたベルライトは、問題ない旨をノアに告げる。
「心配は要らない。メイドに頼んで、それとなくノアくんとの婚約はどうかを娘たちに聞かせたが、皆婚約には賛成していたようだよ。問題があるとすれば、皆が賛成したからね、悲しませたくない一心で皆との婚約者にしてしまった。はっはっは!」
貴族の常識として、複数の自分の娘を同じ人間の婚約者にすることはありえないことだが、別に禁止されてはいないから大丈夫らしい。元冒険者であり、こんな隠れ里に住む貴族ゆえか、ベルライトもまたなかなかの変わり者だ。そのせいで、他の貴族たちからはよく思われないことも多々あるが、どうせ何もできないとベルライトは考えている。強者ゆえの余裕が彼にはあった。
「ああ、他の者には秘密にしていてくれないか。娘たちを驚かせたくてね。王都へ向かうのも、皆が入学するために里を出発してからにして欲しい。後のことは…里を出るときにまた話そうか」
そんなやり取りがあって、ノアはいずれ里を出て学園に通うことが決まった。これか吉と出るか凶と出るか、ノアの行く末は神でさえもわからない。が、大きな影響があることは間違いないだろう。
荷物の積み込みが終わる。慣れている人間が5人もいるおかげか、大した時間をかけることなく無事完了したようだ。その様子をノアが眺めている。
そう、ノアは今彼女たちの様子を、その目でしっかりと見ている。彼女たち、特にアウェーヌとフレヤノーラが、毎日生命力をノアに分け与えてくれたおかげで、とうとうノアは再び目を開くことができるようになったのだった。
少しつり気味の目は、ノアに勝気な印象を与えるが、優しそうな微笑が安心感を与えてくれる。身長は平均より少し高めで、森人族であるワカナよりも高い。もはや可愛らしい少女ではなく、女性に受けのよいモデル体系の美女、と言っていいだろう。男だが。
ただ、声は深く落ち着きのある声で、姿を見なければ男だとしっかり認識できるだろう。その姿が問題なのは気にしてはいけない。
「終わったようだな。アウィ、フレヤ」
ノアがアウェーヌとフレヤノーラの2人を呼ぶ。もはや恒例となった、入学祝のプレゼントだ。先の5人と同じように、まずはお守りが渡された。
それから、楽しいメインのプレゼントタイムだ。いろいろな意味でドキドキさせられる、非常に素晴らしい魔道具が2人に送られる。既にアウェーヌとフレヤノーラ、そしてベルライトはそわそわしている。去年、初めてノアが作った魔道具を見たベルライトは、今年は一体どんな神器が娘たちに渡されるか気が気でなかった。
ベルライトがサクラ、ワカナ、サンサーシャと話した際は、3人とも魔道具の使用に対してしっかりした意識を持っていたようで安心したものだ。娘たちにも、管理をしっかりして、無闇に使ったりひけらかしたりしないように言い含めてある。
「アウェーヌにはこれだ。込められた属性は同じだが、それぞれ用途が違うから注意するんだぞ」
そう言って、ノアは2振りの短剣を手渡した。サクラに渡した剣とは異なり、こっちはノアお手製だ。サクラのほうはサクラのほうで、多少調整してはいるが、それでも最初から作ったわけではない。
手渡してからも、ノアの説明は続く。
「鍔が白いほうは、補助としての役割を持つ。短剣を中心として半径20m以内の探知と遠距離からの回収、それから短剣の位置から半径2m以内への転移が可能だ。探知と回収は1000km以内なら発動できる。転移は今のアウィで1kmが限度だな。魔力が増えればもっと長距離もできるようになるが、普通はそんなに離れて戦わないからな。問題ないだろう。鍔が黒いほうは、武器としての役割だな。空間自体を切り裂く能力がある。2つの切り裂いた空間同士を繋ぐこともできるから、使い方次第で攻撃の幅が広がるだろう。切り裂いた空間は、長くても10秒ほどしか固定できないことと、通常の空間との境界線に触れると切断されることに気をつけるように。短剣の所持者には保護機能が働くから、アウィは問題ないがな」
説明を終えると、アウェーヌに頼まれてノアが実演する。ノアが切り裂かれた空間に手を入れると、「おおっ!」と歓声が上がった。横から見ると、腕が途中から消えて見えるのは、なかなかインパクトがあったようだ。正面から見ると、繋がっている先の空間が見える。2つの空間を繋げていないときは、なにやら黒い空間が見えるだけだった。
ひとしきり実演を終えると、ノアはアウェーヌに短剣を返し、フレヤノーラに魔道具を手渡した。
「フレヤにはこれを。近接武器としても使えるように調整している。が、あくまで魔法を使うことに重きを置いている」
フレヤノーラが手渡されたのは、30cmほどの短い杖だ。一般的に、杖は長いものほど性能が良いとされていることから、この大きさの杖は初心者用と思われても仕方がないだろう。高性能なものは、1mどころか2mを超えるものもある。取り回しを考えて、高性能でも1m程度に抑えたものはあるが、職人が何年もかけて製作するため値段がすさまじい。宮廷魔導師が、1年分の給与を充てて購入したという噂があるぐらいだ。
「この杖は魔力をためておくことができる。最大の容量は昔の戦友を参考に、そいつの3倍だ。今のフレヤを基準にするなら、ざっと3000人分といったところか。ためておくことができるのはフレヤの魔力だけだから、魔力が溢れる心配はないだろう。それと機能だが、魔力と魔法の操作に特化している思ってくれればいい。魔力の収束部分から、魔法を打ち出す瞬間まで、細かく操作ができるな。しかしあくまで補助だ。使用者の腕によって、できることは大きく変わってくる」
魔力の操作による恩恵は、魔力の密度を高めることによる威力の上昇、魔法発動までの高速化、魔法の連続発動および同時発動、発動する魔法の隠蔽などが挙げられる。
魔法の操作のほうは、発動する魔法の速度変更、経路変更、魔法の分裂、異なる魔法の合成などになるだろう。
今までにノアが渡した他の魔道具とは違い、できないことをできるようにではなく、できることをより洗練させるための魔道具だ。フレヤノーラのスキルを生かすという点では、理にかなった魔道具と言える。
「武器としての使い方だが、作りたい形に特定の魔力を流すと、解除するまで杖の先端に魔力の刃が形成される。特定の魔力とは、属性に変換した魔力だな。解除は、先端の魔力を霧散させるか、手を離せばいい」
説明が終わると、フレヤノーラは早速魔力を流して登録を行い、しばらくの間杖を嬉しそうに振り回していた。そうして、満足すると今度はノアに抱きつく。
「ありがとうお兄様!」
「えへ~、ありがとうお兄ちゃん!」
少しだけ遅れて、アウェーヌもノアに抱きついてきた。ノアは、優しい笑顔で抱きついてきた2人の頭を撫でている。周囲の人たちも、その様子を微笑ましそうに眺めていた。だが、次のフレヤノーラの行動で、状況が一変する。
フレヤノーラはノアに顔を近づけるようにジェスチャーすると、素早くノアの唇に口付けした。
「えへへ、今日のために取っておいたの。フレヤからのプレゼント、ファーストキスだよお兄様!お兄様は初めて?」
「そうだな、初めてだ」
「えへ、えへへ、えへへへへへ」
とても幸せそうに、顔を赤くしたフレヤノーラがノアの身体に密着する。そして、その一部始終を至近で見ていたアウェーヌが、対抗意識を燃やした。
「あ~っ!?フレヤずるい!お兄ちゃん、わたしもわたしも!えいっ!」
そう言って、フレヤノーラと同じようにノアにキスをする。唇を離した後、アウェーヌの顔は羞恥に染まっていたが、同時に幸せそのものといった表情だった。2人はより一層抱きしめる力を強くして、頭を撫でるようにねだる。
そのときになって、ようやく停止していた周囲の時間が動き出した。
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥレェェェェェェェェェェェヤァァァァァァァァァァァァアア?」
レイナイリは笑顔であるものの、目が笑っていない。背後には、怒り狂ったオーガの顔が見えるようなほどの怒気を感じる。
「ふみゃっ!?え、えっとね?レイナお姉様、これはね…?」
こんなに怒られると思っていなかったのか、フレヤノーラは顔を青くしてしどろもどろになっている。
「…アウィ、後でお話があります」
ノーティリスのほうは、完全なまでの無表情だ。まるで凍りつくかのような寒気がアウェーヌを襲うが、フレヤノーラと違いアウェーヌは物怖じしなかった。
「え~、だったらお姉ちゃんもすればいいじゃん。お兄ちゃんの唇柔らかくて気持ち良いよ~?」
「の、ノアと、ききき、キス…こ、こんにゃ、皆の前れそんにゃ…」
「し、しかしでしゅね、物事にはじゅ、順番とひうっ、いうものがですね…」
アウェーヌの、レイナイリとノーティリスもノアとキスすればいいという言葉に、2人は想像だけで顔から湯気が出そうなほど顔を赤くしていた。羞恥心で今にも倒れそうだ。
一方、サクラ、ワカナ、サンサーシャの3人は、硬直から立ち直った後、誰が先にノアとキスをするか争奪戦が始まった。と思ったらすぐに決着が付いてしまう。ワカナがすぐさま護身術を用いて2人を組み伏せ、戸惑うレイナイリとノーティリスを追い抜き、ノアにキスをしようとして…止まった。
「ノアくんとキス…キス…とうとう、私が…ええい、女は度胸です!ノアくん、失礼します!」
なかなかに気合を入れたワカナが、ノアに勢いよく抱きつきながらキスをしようとすると、ノアは優しく抱きとめてワカナを支えた。
その後は、混沌とした様相を呈していた。まず、これ以上遅れるわけにはいかないと、危機感を持ったレイナイリとノーティリスがようやく実行した。そして、遅れに遅れたサクラとサンサーシャが、おとなしくじゃんけんで決着をつけて目的を達成する。
途中経過はどうであれ、最終的に皆とても幸せそうな表情をしていた。ノアはノアで、キスの意味は知らないものの、大切な人たちと触れ合うことができたことで、僅かではあるがいつもより嬉しそうに微笑んでいる。美人なノアが微笑む姿は、場所が場所ならちょっとした騒動が起こりそうなほど魅力的だった。
場が落ち着いた頃、名残惜しいがとうとう別れの時間がやってきた。7人の少女たちは、馬車に乗り込むと、恒例のように馬車から身を乗り出してノアに手を振る。馬車が発進してもそれは続き、互いに見えなくなるまで手を振り合う。目が見えるようになったノアは、今までよりも長い時間手を振り続けていた。
馬車が見えなくなってから、ノアも次の行動を開始した。王都へ向かうための準備をしなければならない。まあ、準備といっても大したものはなく、最悪ベルライトから貰った封筒さえあればどうとでもなる。
1番時間がかかるのは、里の人たちに挨拶することぐらいか。それだって、見送りに来たところで行えばいい。荷物は既に、手首に装着している腕輪にしまってある。最終確認もしてあるから、問題はないはずだ。
しかしながら、出発は今から1週間後になる。これは、ベルライトが娘たちに秘密にしておきたいため、途中でノアと出会わないようにだ。ベルライトがノアに聞いて、里から王都まで1日で到着すると言われたことから、このような予定になってしまった。
ノアが王都へ向かう当日、里の入り口には多くの住人が集まっていた。ノアが王都へ冒険者となるべく向かうという、学園とは違う目的に興味を持った人もいるだろうが、ひとえにノアが里の人々と広く交流してきたおかげだろう。もはや里の名物になっていたのだから当然とも言える。
集まった人たちから、「気をつけてね」「病気になんなよ!」「忘れ物はないかい?」「ノアくんがいなくなると寂しくなるな」「年越しには帰って来いよ!」といった声が聞こえてくる。
そんな中、ベルライトがノアの前に歩み寄ってきた。
「ノアくん、無事に帰ってくるんだよ」
「ああ」
「それじゃあ、いってらっしゃい」
ベルライトに続いて、他の人たちからも「いってらっしゃい」の声がかけられる。
「いってくる」
それに対してノアは短く一言だけ答えて、王都へ向かって走り出した。里の人々が、ノアが走り出したと思った頃にはノアの姿はなく、手を振る暇もないまま実にあっさりとノアは行ってしまった。そんな状況に、住人たちは苦笑しながら「ノアらしい」と口々に言うのだった。
馬車の10倍近い速さでノアは王都へ走る。休息を必要としないノアは、その速さ以上に短い時間で王都へと近づく。街道も何も通らず、一直線で王都へ向かっていることも大きいだろう。
景色は風どころではない速さで流れ、途中にいた動物や魔物はビクッと身を竦ませる。敵意を向けたり警戒する暇は一切ない、暴力的な速さだ。これが魔法を使わずに実現できるというのだから、ノアは本当に規格外なのだろう。同じことをしようと思ったら、基本的には強化魔法が必要になる。魔力による身体強化だけで実現できる者は、ほんの一握りだ。
夕焼けが空を染め上げる頃、ノアは王都の外壁までたどり着いていた。あまり目立たないようにという、サクラたちとの取り決めと、ついでにベルライトの言葉により、ある程度の距離からは普通の速さでノアは走っていた。
門の入り口にたどり着くと、早速衛兵のところへ向かう。近づいて来るノアの姿を見た1人が一瞬驚いた顔をして、すぐに顔を引き締めた。内心はドキドキしている上、若干顔が赤くなっているが、近づいてくるノアに対して何とか平静であろうと努めていた。
しかし、ノアの声を聞いて、再度驚くことになる。
「この封筒を渡したい」
絶世の美女のような見た目とは裏腹に、深く落ち着きのある声で話しかけられ、頭の中は混乱でいっぱいになる。その様子を見た衛兵の上司が、急いで近づいてきて、部下の頭を抑えて謝るとノアに用件を尋ねる。
ノアが封筒を手渡すと、その封ろうを見た上司が、慌てた様子でノアを詰め所へと案内した。伯爵からの封筒は、なかなかに効果が高いようだ。
ノアがしばらくの間待機していると、ノアに仮の身分証が発行され、衛兵から1ヶ月後にまたここに来てくれと言われた。この仮の身分証は、正式なものと交換するまで有効になっているため、身分証が発行されるまで困ることはないだろう。
仮の身分証を受け取り、ノアは王都へ入る門をくぐる。とうとうノアは、新たな生活の場として王都を訪れた。
世界はどこまでも広い。
気付くことさえできれば、無限に広がっていくだろう。
ノアの世界はまだ狭い。




