第二章 七節
7 一九九九年 四月 五日 (月)
四月に入って僕は中等部から高等部の方にそのまま進む。
今までの生徒が何人か他の高校を受験して合格してそっちのほうに行き、代わりに十数名の他校の生徒がこの学校にやってきた。
クラスも当然変わる。変わるのだがーー
クラス編成は成績の良い順で行なわれ、僕は上から二番目のクラス、また風間達と一緒になってしまった。
…頑張らなければ違うクラスになれた筈なのに。また、あの日々は繰り返されるのだ……
僕は自分の浅はかさに心底失望した。
その朝、本当は教室の場所を覚えクラスメイトの顔を確認すべき時間をそのほとんどが何事もなかったかのように普段通り過ごすと、体育館で入学式なるものがあるというので皆ゾロゾロと歩いてそこへ移動した。
僕らは体育館で待たされる。別にやろうがやるまいが変わりはしないと思うが、恒例の儀式らしいから仕方あるまい。
入学式らしく、待ち合いの場から見えたその体育館には一応それらしき緞帳や飾り付けがなされている。きっと明日には即座に外されるのだろう。僕達と同じ、そのときだけの存在を必要されていて、ときが来れば用済みでポイ捨てだ。
時間が来て、よくは訊いたことはあるが題名は知らない音楽をバックに、僕らは体育館の中に入場し、前のほうにずらっと並べてあるパイプ椅子に座る。
これから教師や来賓達の長い話が始まるんだなと思うと自然にため息が漏れた。
その前に、新入生各個人の名前の呼び上げがあった。
半分ぐらいの奴が蚊の泣くような返事をする。一応、保護者が見ているというのに何とも志気がない。…どうせそのまま中学から上がった奴が大半なのだ。新鮮な気持ちで望めっていうほうが無理な話なのだろう。
そんな人間が大半の中、僕は別の意味で緊張していた。僕の隣には風間が座っているのだ。席は出席番号順、以前は神谷という生徒間にいたのだが、彼はもはや別のクラスだ。こうしてただ隣同志で座っているだけでビクビクした気持ちにさせられる。
その風間の名前が呼ばれた。彼はろくすっぽ返事もせず、立ち上がるという行動だけしか見せなかった。その流れで僕の名前が呼ばれても、僕はプレッシャーに押されて返事がしたくてもできなかった。
そういえば母親がわざわざパートを休みにしてもらってまで見に来るとかいっていた。 …こんな有様じゃあ多分後で怒られるんだろうなあ……
このしゃんとしていなきゃいけないときにそんなことを思うと、ますます体を丸めずにはいられなかった。
その後、校長の「今から受験は始まっている」というよく聞くお約束の話が終わると、今度は都議会議員などが来賓として壇上に立ち、さも僕達の未来は無限大に広がっているんだなどという少なくとも僕にとって幻想染みたやはりありがちな話などをしてそこを去ると、各クラスの担任を紹介する段になった。
するとそこで何人かの生徒が急にざわめきだした。
担任となる教師達がステージに立ったのだが、その中に中等部では全くお目にかからなかった若い女の教師がいたのだ。二十代の女がよくしてそうな服装をしているので、おそらくそんなに歳はいっていないであろう女。その女に対してか、隣の風間は、ヘラヘラ笑っている。僕は反吐が出そうで眉を顰めた。
教師達が一人一人自己紹介をする。しかし、生徒のほとんどがそれに関心を示さない。もう一度教室で自己紹介がなされるだろうことが予測できるっていうのもあるが、もともと教室での教師自体の存在が希薄ということの方が大きいだろう。しかも今はどう考えても一つの所にしか生徒の興味がいっていない雰囲気である。
そして、ようやく自己紹介がみんなの注目の的になっているその女の番になる。
「この四月からこの学校に新任となりました、一年B組の副担任、岡崎千鶴です」
その声がマイクに乗って体育館に響くと、生徒と保護者、その両方がいっせいに騒めき出した。
「女だ。やっぱり女だ!」
「ラッキー、俺達の副担だって」
「ちっ、はずした」
「何だよあの女、若い男とやりてえから教師になったんじゃないのか?」
「大丈夫なんですか? あんな若い人に任せて」
そんな声が、辺りをあちこち飛び交う。
その岡崎という女はその反応に戸惑いながらも次の言葉を最後に付け加えた。
「あの…まだ右も左もわからない状態ですが、なるべく早くから皆さんの力添えとなれますよう精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いします」
礼をする女に、回りの教師の何人か咳払いをした。どうやら教師の連中にもよく思われていないらしい。女が話終わっても皆の小言はまだ止まらない。
…1-Bの副担任……
あの女、僕のクラスの副担になってしまった。
岡崎……
その名前を聞いて僕は小学校の頃のことを思い出す。
「ねえねえ知ってるー? 河原の好きな子」
「知ってる知ってる。岡崎さんでしょ? 釣り合っていないわよねー」
「そうそう、大体あんな根暗で勉強しかできないような奴、岡崎さんが好きになるわけないじゃない?」
「彼女、高田君とラブラブだっていうんでしょ? 二人お似合いだもん。高田君、河原なんかとはぜーんぜんっ格が違うもんねえ」 「どうせ両想いになんかなれっこないのに、なに好きになってんだろうね、あの眼鏡、ばっかじゃないのー?」
「ホント、ホント」
「キャハハハハ……」
「キャハハハハ……」
「キャハハハハ……」
「キャハハハハ……」
…人の思いを簡単に踏み躙じる。
それ以来僕は同世代の女が嫌いになった。
だからこそこうして男子高を受験したっていうのに……
……クソッ!!
その後、入学式が終わると僕らは早速テストを受けさせられた。
また風間達と同じクラスになったショックと、インターネットを頻繁にやるようになったツケと、新しく入学してきた奴らの存在によって、学校における僕の価値は相当下がった。