第九章 その一
第九章
この世の全ての生物は自己顕示欲によってその行動を支配されている。
自己顕示欲とはすなわち、自己の形成、増殖と他己の否定。この二つの基本的な欲望にしたがって生物は多種族、あるいは同種族と戦い合う。
殺し合いーー互いの存在の否定し合いをし、勝った生物は生き残り、負けた生物は淘汰、駆逐される。
全ては進化のため。より良き生物を創り出すため。
進化は神から託された全ての生物達への使命なのだ。
四十六億年前に宇宙に一つの惑星が生まれた。
地球、それはガス状だった物質に小惑星などが衝突し、その形が形成された。やがてその地球は自ら重力や隕石衝突によってやがて自身が熱を持ち始め、固形だったマグマが次第に解け始めた。
マグマが解け切ると地球は数百度の熱い海を持つ星となる。するとその海に対流が生じ、原子の思い物質は重力によって中心へと引き寄せられーーつまり下のほうへと沈み、軽い物質はその上に浮き上がることによって地殻ができた。またそのマグマの中から水蒸気、二酸化炭素、窒素などのガスも発生し、地球に初めての大気ができた。
その大気ができたのが、約三十八億年前。それから三億年もの長い年月をかけて段々と冷やされ、三〇〇度程になると水蒸気が水になり、海をつくった。
そして、約三十五億年前、その海の中で地球上に生物が初めて姿を現した。
大気の主要成分が二酸化炭素であったこの頃、菌類、バクテリアが、海の中で発生したのだ。
生物達は自分たちの意志で増殖し、やがて海一面に広がっていった。そして、それはもはや生物は増え切れないという飽和状態にまでに及んだ。
そして二十五億年前、もう生物が増えられないという状況の中で、極めて特殊な行動をとる生物が現れた。
原核生物のラン藻が自らが持つ葉緑体を使って、光合成をし、酸素をつくり出したのだ。
これまでの生物達は大気の中に、大気の中に二酸化炭素があることーー無酸素状態が生物の生息条件であった。つまり、彼らにとっては酸素は猛毒なのだ。
これによって今まで生きてきた生物は次々と死んでいき、酸素に耐性のあるラン藻はその死んでいった生物達の生息地を次々と奪って繁殖していった。
彼らが酸素を出し続けた中、生物達のほんの一握りが酸素への耐性を持つ真核生物へと進化し、現在の生物への礎をつくったのだ。
酸素の増加は地球に多大な影響を及ぼした。
酸素はまず海中にある鉄と化合した。そして、まだ化合しつくされない酸素は大気中にだんだん溜まっていった。その大気中の二酸化炭素はどんどん光合成のために使われ、代わりに酸素が蓄積される。そして、蓄積された酸素は紫外線を浴びてオゾン層を形成した。そのオゾン層によって紫外線は地上に届かなくなり、生物達が地上へと歩み出す基盤が出来上がった。
しかし、当の生物達はそのことに気付いていない。海の中でひたすら自分達の自己顕示を続けていた。
葉緑体を持つ生物達が光合成をして自分達を繁殖させていた頃、その頃はまだ、その光合成だけが養分をつくる主だった方法だった。
しかし、その中で新たに別の方法で養分を取り出そうとする生物が現れた。
他の生物がつくり出した養分を自分の体に取り込むことで養分を得ようとするーーつまり、多種族を食べる生物が出現したのだ。
食べるということは、要するに他種族の生物の否定ができ、自分の種族の繁殖のできるスペースの確保ができるということ。この食べるという画期的な行動をし始めることで、もともとは一つの生物でしかなかった筈の生物達は、さまざまな進化を遂げていくことになる。
まず海洋の対流によってしか動くことのできなかった生物達は、進化によって自らの体を動かすことができるようになる。そうして動けるようになることで、養分となる生物を自由に食べることができるようになった。
次にどうすれば他の生物よりも早く多く食べることができるかということに着目し、早く動けるように進化する生物が現れた。
また、いくら多く養分を食べようとしても、その食べられる量には限度がある。よって食べられる量を多くするべく、自らの体を大きくしようとする生物が現れた。
そもそも、いくら養分をとろうとして泳ぎ回ったところで、肝心のその食べるべき生物の姿が見えなければ話にならない。他の生物を確認すべく、目を持つ生物も現れた。
さらに、いちいち他の奴らと同じように養分をつくる生物だけを食べているのは面倒臭いし、非効率である。だから、生物を食べて養分を集めた生物自体を食べてしまう、という行動をとる生物も現れ始めた。
その生物の出現により、よりいっそう進化に重点がおかれることになった。もし、進化しては不都合なーー要するにスピードが遅くなるような泳ぎしかできなかった、などと、逆方向の進化をしてしまった生物達は、情け容赦なく他の生物に食べられて消えいってしまう運命を辿った。
そして、都合の良い進化をした生物達だけが生き残り、たくさんの数の種を増殖させることに成功したのである。
四億四千万年前頃、海洋はまた生物達でいっぱいになり、これ以上の数を増やすことが困難になった。
そのため、より多くの生殖をしよう、より多くの養分を得ようと藻類、菌類から進化したシダ植物は、海から地上へとその生物の繁殖の場所の拡大に着手し始めたのだ。
四億千万年頃には、他の生物を養分として生きる動物のほうにも陸と海の両方を生きる両生類が出現、陸上へと進出するようになった。
その環境に適応し自らの種族を増やすために、植物はシダ植物から裸子植物へと進化する種が、動物では両生類から、爬虫類へと進化する種が現れた。
初めは、生物が住むことすら許されない環境であった陸上が、数十億年の時を重ねて遂には生物のあふれるところとなっていったわけである。
二億五千万年前頃から進化の特徴も様々なところに及んでくる。
まず、体が大きく獰猛な、植物の捕食に秀でた生物、恐竜が現れ、次第に各地に生息地をを拡大していった。
その勢力は凄まじく、ありとあらゆる生物を食い尽くそうとした。
そして、恐竜以外の生物はその力から逃れるための進化にその身を費やすことになる。 ある生物は、恐竜を含むその他の生物が体が太陽光線によって温まらないと動けないということを知り得、気候に左右されずともいつでも動けるように、自らの体温を高温に保つ能力を取得した。
恒温動物の誕生である。
また、ある生物は、もはや陸上にいることは我が身が食べられる可能性が大きいと、逃げるために空へと飛び立つ能力を身に付けた。
鳥類の登場である。
はたまた、その他の生物は、自らの種を増やすには、同種の子供が一番襲われやすいという点に着眼し、以前の卵から子供を孵すという方法から自分の体の中に子どもを宿し繁殖させ、以前の生まれた後は大人になるまでは無干渉でいた子どもを、自分達の手で育て上げるという手法を手にした。
哺乳類の始まりである。
六千五百万年前頃まで生物の中心にいた恐竜達であったが、この頃の急激な環境変化によって、その流れは変わることになる。
地球は氷河に覆われることによって、地球上に気温が低くなり、恐竜を含む様々な生物達が動けなくなって、死んでいくことになった。そして、その変化に対応できた、自らの力で熱を発生させることができた恒温動物達、特に哺乳類は、その後恐竜に代わって生物の中核を担うことになる。
哺乳類はやがて、その土地の自然環境相応の進化を繰り返し、遂には、一つの生物をつくり出す。
人類の登場である。
人類達はこれまでの動物とは明らかな違いを持っていた。知識を持ち、火を使用したり、自らがつくった道具を利用して獲物を獲る。そして、言語を用いて仲間達とコミュニケーションをとる。
この人類は、狩猟を続け、武器も次第に発展させていく最中、猿人から原人、旧人、新人類へと進化を続けた。
そして、西暦八千年ほど前から人間が他の生物と決定的な差がつく、農耕が始まる。
農耕が始まるということは、狩猟が中心だった頃と比べ、他者との協力がより必要になる。
こうして、個人中心だった人々に集落ができ始める。
また、これは人為的に獲物を貯えられるということであり、食しなければならないという、他己否定の欲望を貯め込められるようになったことでもあるのだ。
この貯えられ、余分になった欲望、これは今でいうところの貨幣、お金である。
まず、農耕だけで食べられるのものというものは限られてくる。一つのものを食べ続けると次第に飽きてくるだろう。そこで集落の中で、農耕で得られた食料と、狩猟で得られた食料とを交換するということを行なうようになる。
この簡単な物々交換で始まった商品の取り引き。だが、物だけでは三種類以上のものを交換していくと、次第に価値が曖昧になっていく。
そこで、仲介、物差し的な役割として、例えば、『米は一握りで貝三つと交換、米は一握りを五個分で魚と交換』などと、一つのもので他のものの価値を決める必要が出てくる。そのために価値を決めるために使ったものが『お金』である。昔の『お金』は現在のように紙幣や硬貨ではなくて、米や塩などの物品であったのだ。
そして、ものの価値には人の思考が関わってくる。
物を交換するためには、二人以上の人間がいるのは当たり前の話だろう。ここでは二人であるとしよう
例えば、米と、魚を交換しようとする。
一方が『これは近く川でとれた大きな魚だ。これぐらい大きな魚は滅多にいない。だから、これくらいの米を俺にくれ』、もう一方が『これは一年間一生懸命育てた米なんだ。今とってきただけだからそんなに苦労はないだろう。駄目だ』などと主張する。
この取り引きの中で、勿論、双方、自分が得をするために自分のものの価値を高く見せようとするし、相手のものの価値をあたかも低いようにものいいをする。相手がこちらのものが欲しくていくらでも要求に応じてくれるとならば、相手に高値を吹っかけるし、高値を主張し続けて、相手の『値を下げろ』との要望に叶えなければ、交渉は決裂したりする。
つまり、個人の虚勢の張り合いでその価値が決まっていくのだ。
そう、まさにお金とは欲望の単位なのである。
お金というものはいくらあっても困るものではないだろう。できることならばいくらでも欲しいというのは人間の性である。
気がつくと、回りに人が農耕をして食料を貯えている集落がそこら中にあった。
そこでその時代の人間達は、その余分な食料を求め、争いが始まった。
少しでも相手よりも楽な生活をするため、少しでも相手よりもたくさんの欲望を得るため、相手の存在を否定し、自分の力を周囲に知らしめるために人々は武器をとる。
やがて、戦いに勝ったものは王となって、負けた人間達を自分達の家来として仕えさせた。
王は自分の私腹を肥やすため、支配下におかれた人間達に苦しまない程度の金を差し出させる。
そして、さらに作物がよく育つように自分の蓄えから人を雇い研究をさせるようになる。
また、王たる自分が他の人間達を同じ格好をしていたら、誰も自分が王だとは気付かない。お前らよりも俺は偉い。てめえらはその下だという確固たる証拠が欲しい。自己の形成である。
そこで王は立派な建物を建てさせ、きらびやかな装飾品を家来に見つけさせ、自らが身に付けた。
そして、この地にこのような王がいたということを後世にまで示す方法を模索し、その結果、壁画を残し、文字を残し、自分自身の大きな墓を残した。
それが一つの文明の誕生である。
さて、王は、自分が王であることだけで果たして満足し得たのだろうか?
無論、そんなわけがない。
もっと広い土地を得るため、もっとたくさんの食料、価値のある物品を手に入れるため、もっと多くの人間を自分の支配下に置くために、他の王を討ち取るための戦いを行なった。
戦いは、長年に渡って続くことになる。
一人がその戦いに勝って一時、国を統治するも、その後他の人物のよって討ち取られ、その人物が長年代わって国を支配し、そして、そのまた他の人物によって倒され、その人物が人々の上に君臨し……という栄枯衰退を幾度となく繰り返した。
その間、王の支配下となった人間達は戦いに駆り出され、戦いの中で次々とその命を落としていった。
王の命とあらば、死を覚悟の上で戦争へと行かねばならない。そして、戦いがなくとも、王のために身を粉にして多額のお金を納めなければならない。
彼らは不満ではなかったのだろうか?
王だけが得をし、自分達はその不利益のみを被る。
そんな環境の中で生まれたのが宗教、平等の思考である。
王も自分も同じ人間である。人間でいる以上は同じ身分であり、平等であり、差異などがあるわけがない。他己の自己否定の回避、そして、我々は神の子であるという意識の芽生え、自己が特別な存在という思考による自己の形成。
この二つの欲求を満たす宗教は飛躍的に人々の心の浸透していった。
そして、宗教を唱えたものは、戦わずして他者に自分の存在を認めさせることに成功したわけである。
その宗教を信じる者はやがて、王に自分達の不満を突き出し、やがて王を討ち取った。 世界で初めてその革命が行われたのが、十七世紀半ば、イギリスでのことであった。
これで人々は平等の身となった。しかし、これでめでたしめでたしとはいかないのが人間 生物の宿命である。
生物は人間を含め、欲望を際限なく持てるのである。
そもそも王の支配下に置かれていた人々は、王よりも絶対的に不利な状況下に立たされていた。だから、せめて王と同じ、平等というものに魅かれた。
しかし、いざ平等となってしまってはどうなるのだろう?
他人を出し抜いて、自分が大きく利益を増やそうとする輩が現れるのだ。
平等、平等などと人々が固執して叫び続ける限り、人々が平等になるということは絶対にありえない。
ただ、力の支配による市民の抑圧は確かに終わった。次に行われたのは、お金による支配であった。
十五世紀、ヨーロッパは、太古の昔、生物がもはや増え切れない飽和状態になって海から陸へと生物の生息地を広げたように、自分達も生息地を他の大陸へと求めた。
そして、数々の鉱物や産出品を入手し、十七世紀から本格的に植民地支配へと乗り出した。
自らの国の平穏を作ることの成功したイギリスだが、なんてことはない、配下が自国にいなくなった分、他の国の人間を自分達の配下としたのである。
その動きに、同じく市民革命を行なったフランス、アメリカ、ドイツも続き、アフリカ、アジアの国々を植民地にしていった。
植民地となった国々はただ黙ってそれを受け入れるしかなかったのだろうか?
しかし、一概にそうとはいい切れなかった。
それまで鎖国をしていた日本も、一八五九年、ペリーの来航により、日米和親条約を結び、事実上鎖国を解く。そして、四年後、日本はアメリカの前になす術がないと考えた江戸幕府の大老、井伊直弼が日本にとって圧倒的な不利な条約、日米修好通商条約を締結する。
そして、このとき日本はアメリカの思うがままになってしまったのだ。
このままではいけない、俺達はもっと苦しい思いをすることになると考えた日本の民達はそれまで日本を支配していた幕府を互いの手を取って打ち負かすことに成功する。
しかし、幕府が倒れたからといって、アメリカの日本へのお金による支配が終わったわけではない。
お金もない、相手を打ち負かすような武力もない。では、一体どうやって支配をやめさせようとしたのだろうか?
なんてことはない。アメリカ達と同じように他の国を自分達の支配下に置いたのだ。
一八七五年、江華島事件を機に朝鮮に対し、日本に対し有利な条約、日朝修好条規を結ぶ。
その後、その条約を結ぶときにいざこざが起き、やがて日清戦争へと発展、最終的に日本が勝ち、日本が清の一部を植民地支配するとになった。
この時期、世界各地でこのような植民地を得んとする戦争が次々を繰り返される。
いかに自分の国が得を得るか、その目標のためだけに、国と国とが争い合い、ときには国と国とが同盟を結ぶ。
もはや、植民地支配された側の人間達のことはどうでもいい。自分達さえよければそれでいいのだ。
そして、国々のより植民地を獲得しようとする動きは、ついに世界を巻き込む大きな戦争へと発展する。
一九一四年、第一次世界大戦勃発である。
ドイツ、オーストリア、トルコ、ブルガリアの同盟国は、イギリス、フランス、ロシアの三国協商国、セルビア、イタリア、日本などの二十六ヶ国の連合国と戦った。
一九一六年まで宣戦は膠着していたものの、ドイツの無制限潜水艦戦争に憤慨したアメリカが一九一七年連合国側に参戦、また、一九一八年、革命中のロシアが宣戦離脱したのを隙を睨んだ同盟国はそう攻撃を行なうもことごとく失敗、同盟国側は敗戦を帰した。
この戦いによってドイツは植民地を全て失い、多額の賠償金の支払い命令を受けることとなった。
勿論、ドイツ側も、これでおしまいというわけにはいかない。
彼らにとってもともと植民地をもってたくさん得るためだったこの戦い、しかし、それに負けたが故にさらに損をしてしまった。このままでいいんだろうか?
いや、いいわけがないのだ。
その後ドイツは、物資の生産過剰によって起きた世界恐慌に侵略という形で政策を進めた日本とイタリアと手を組み、第二次世界大戦を引き起こした。
「我々は優秀な民族であり、人の上に立たなければならない」というナチスの言葉はゲルマン民族の結束を固くし、日本の大東亜共栄圏の構想ーーフィリピン、マニラなどへの「アメリカからの植民地開放」のスローガンは植民地支配を受けていた人々に歓迎のムードさえ漂っていた。
しかし、ナチスのそれは、結局はそれ以外の民族の排斥を意味し、万人には受け入れられるものではなかったし、日本の東南アジアの国々の解放は、その国にとって結果的にアメリカの統治時代よりも悲惨なものにしかならなかった。
一九三八年、ドイツのポーランド侵攻から始まった第二次世界大戦は、一九四一年、日本の真珠湾攻撃により一つの大海を越える戦争へと発展するも、一九四五年五月にドイツが降伏、同じ年の八月に、日本の広島と長崎に原爆が落とされ、日本も降伏、戦争は終わった。
戦争はたくさんの人々が命を落とすし、生き残った人間達にも多大な精神的ダメージを受ける。
そこで世界の人々は考えたのだ。もう二度と戦争を繰り返さないためにはどうすればいいのだろうか?
そもそも戦争の原因はたった一つ、国々の植民地支配にあった。
植民地を得るために戦った人々も傷ついたし、何よりも支配されている各国々も多くの犠牲を被った。
ならば、全世界規模で植民地支配そのものをやめてしまうべきではないか?
やがてその思考は世界の国々に浸透し、人々は一つの平和を手に入れた。
勿論、それはごく狭い範囲の地域でのことでしかないのかもしれない。
今も尚戦争の傷跡に苦しんでいる人々はたくさんいるし、いまだに続く民族紛争も多々ある。貧しさに苦しんでいる人々達のに至って数知れないだろう。
しかし、そんな人間の横で着実に国を復興させ、豊かさと平和を手にした筈の人々の中でさえ、いやだからこそ、繰り広げられる戦いがあるのだーー




