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人類全てが殺し合う  作者: 熊谷次郎
53/60

第八章 その六


 


 6/29 三、宗教法人養成セミナー(その後)


 


 一週間前まで確かに行われていた、あのセミナー。俺は今も尚その事が引っかかっていた。俺はその後、トランジスターという小説も一通り読んだ。しかし、俺が求めているのはここに書かれているようなことではなかった。こんな小説なんか読む暇があったらもっとその短い間の時間でやるべきことがあるような気がする。


 そんな風に俺の人生ももう少しかもしれないと考え始めると、一つだけ自分の中でもう一度成しておきたいことが出てきた。


 それは、あのセミナーの主催者、青井という人物に会うことである。


 もう一度奴と顔を合わせて、奴がどうしてこんなことを考えるようになったのかを知りたい。そして、ごく短い時間でもいい、奴の弟子にしてもらいたい。


 そんな風に思えるのだ。


 そして、第三回の講義が行われた日から一週間経った今日、もう一度だけそのビルへとやってきた。


 しかし、今はその姿形も残らないペナントの一つでしかないそこに奴の面影が残っているわけもなく、俺はとりあえず持ってきた裸の十万円を握り締めながら、空しくその場を過ぎ去ったのだ。


 奴との接線はもうないのだ。いや、端からなかったものだったのだろう。俺はふらふらと駅へと向かった。


 足下だけを見つめて俺は歩いていく。俺の人生、希望なんてなかったが、奴との出会いは俺を変えてくれそうだった。しかし、奴は俺を裏切るかのように消えていってしまった……


 ふと、俯き加減の俺の視界の中に、汚らしい後座が入る。


 うわ、ホームレスだと思ってそちらのほうを向くと、赤いTシャツに短パンというセンスのない服を着た変な男がわけのわからない本を広げていた。


 「あ、あの、ほ、本はいかがですか?」


 男はいう。


 ……!?


 俺は目を疑った。この男、あの青井に瓜二つなのだ。


 俺はすぐさま、こいつの顔の真ん前にまで寄る。


 「なあ、お前、名前、青井っていわないか?」


 男は何故かビビっている。眼鏡の端を手にとってカタカタ揺らす。 「な、なんなんですか、あなた。僕は赤井っていうんですよ」


 俺は奴の胸倉を掴む。


 「嘘つけ!! お前は二週間前まで変なセミナーを開いてただろう!!」


 「そ、そ、そ、そんなお金、僕にはないですよぅ」


 男は怯えている。


 ……そうだった。奴はヤクザ相手でも物怖じしないのだ。こいつがそうであるわけなんかない。


 「お前、赤井っていったけ? すまなかったな。ちょっと探している人間がいたんだ」


 俺は素直に謝る。


 「いえいえ。結構ですよ」


 そういって笑いかける奴を尻目に、奴が広げていた本のほうに視線が動いた。


 「これ、何なんだ?」


 赤井は俺がそうやって訊くと、頭に手を当てる。


 「あ、いや、これですか? ううんとですねえ、人生に後悔のないようにって絵本を自己出版してみたんですけど、全然売れなくって……」


 絵本……


 「じゃあ、詫びに一冊買ってやるよ。それいくらだ?」


 俺は思い切っていってみた。


 どうせ、今、手に持っている十万円も使わなければ二日後に価値がなくなってしまうだろうし。


 「あ、いえ、代金は結構ですよ。欲しいっていってくれる人がいるだけで僕は十分です。さあどうぞ、大事にしてください」


 そうか、こいつにしてもそれは同じなのかもしれないな。


 俺はありがたく頂戴することにした。


 俺は去り際に一つ質問してみた。


 「なあ、お前の親戚に青井っていう奴がいないか? お前とそっくりなんだよ」


 赤井は首を傾げた。




 「そうか、知らないか……」


 俺は頭を下げてその場から離れた。


 結局、あいつとはもう二度と会えないのか……


 


 家に着いた俺は、しばらくぼーっとしていたが、ふとあの男からもらった絵本の存在に気付き、暇潰しに開いてみた。


 タイトルはえーっとなになに? 『ドイツの血』……


 


 ………


 


 ああ、やっぱりあいつが青井だったのか。


 俺はニヤリと笑った。


 


 


   一九九九年 六月 三十日 (水)


 



 


 6/30 一、システムエンジニア 茂村 建(その四)


 


 俺は社内のトイレで鏡越しに俺の精気の無くした顔をぼんやりと見つめる。俺は髪の毛を櫛でゆっくりと整えると、ハァと溜め息を吐いた。


 俺はなんだか後悔し始めていた。


 別に、ビルに爆弾を仕掛けたことを、ではない。その準備に関しては計画通りいったのでもはや何の不満はない。しかし、俺の予想の範囲外でよからぬことが起きてしまった。なんとここに来て会社にいる面々が一カ月前の三分の一にまで減ってきてしまっていた。 ここまで人がいなくなってしまえば、俺の爆弾で飛び散ることになるであろう人の血の量も自ずと少なくなってしまうことだろう。そんなんじゃ俺の気持ちは納まらない。俺はなるべく派手な人の死に様を見たかったというのに。クソッ、どうすりゃいいってんだ!!


 俺は洗面台を睨みながら舌打ちを鳴らす。頭を上げて鏡を覗くと俺の端正な顔は醜く歪んでいた。こんな表情をオフィス内でも見せたなら俺の計画が奴らに悟られてしまう。


 …まあ、いい。俺が一番殺したい課長はまだこの会社にいる。そいつだけでも仕掛けた爆弾で殺せればいいか……


 そんなことを考えていたところ、トイレのドアから課長が姿を現したので、俺は思わず飛びのいてしまった。「何してんだ、お前?」と不思議な顔をするハゲ頭の男に対し、俺は必死に作り笑いをして平静を装う。


 そんな俺に対し課長は馴れ馴れしく肩に手をかけた。おい、その手を外せ。そう思いながらも黙っていた俺であったが、次にハゲ頭がいった言葉に俺は思わず本性を出すことになる。


 「おい、そんなことよりサボり常習犯、喜べ。明日は『緊急事態宣言』発令で会社は休みだ」


 なぬ?


 「ふざけんなー!!」


 俺は周囲に気にせずに叫んだ。


 「…どうしたんだ、お前」









 6/30 二、中学生 山下 望美(その四)


 


 あの大会からというもの私は先輩と一回とも顔を合わせてなかった。


 100m走男子決勝、もう少して県大会進出というところでのまさかのアクシデント。やっぱり相当ショックだったのだろう。


 私はどうしても先輩を励ましたい。


 だけど、先輩にどんな言葉をかけてあげたらいいのかわからなくって……


 陸上部のほうに出ても、無事上位入賞を果たした澤田先輩は次の大会に備えて練習に出ている。でももう大会のない先輩は……


 朝練が終わったとき、私は澤田先輩に話しかけられた。


 「山下さん」


 「あ、先輩どうしたんですか?」


 「あのね? 平泉のことなんだけど……」


 私はちょっとびっくりした。確か澤田先輩は先輩と同じクラスだっていってだし、先輩がどうなっているのかを知っているのだろうか?


 「あのね、あいつ、あの大会のあと元気ないのよ。それでね、私、あいつのこと、活を入れてやろうと思ったんだけどね。……駄目だった」


 先輩はそこで一旦口を止めた。


 どうしたのだろうと思っていると、なんと澤田先輩の目から涙が出てきたのだ。




 「馬鹿みたい、私。本当は私のほうが次の大会に進んだんだから、『おめでとう』って、いって欲しいくらいなのに」


 そういって先輩はハンカチで涙を拭いていた。


 …え、先輩が好きだったのは、澤田先輩じゃなかったの?


 あれ?


 何か不思議な感覚が私の体の中を走った。


 それがなんなのかわからない。わかろうとする前に、澤田先輩の両手が私の肩に乗っていた。


 「放課後、部室の裏にあいつを呼んでくるから、あなたがあいつに檄を飛ばすのよ。いいわね!」


 え? え!?


 私がただ呆然と立ち尽くしていると、先輩はすぐに校舎の方へと戻ってしまった。


 …私が、先輩に……?


 


 そして、放課後、私は部室の裏で待つ。


 ここに先輩が来る。ここに先輩が来るんだ……


 胸がドキドキする。…どうしよう? 何をいってあげればいいのかわからないよ……


 とりあえず、息を大きく吸って呼吸を整える。


 大丈夫、大丈夫よ。


 そう何度も頭の中で唱える。


 遠くから聞き覚えのある声が耳に届いてきた。


 「いいから来るのよ。来てってば」


 「離せって。関係ないだろう!」


 澤田先輩だ。こっちに近づいてくる。その横には……先輩もいる。 「…離……」


 先輩が私の存在に気付いたようだ。


 「あ、あの……」


 私が声をかけようとすると、澤田先輩が先輩を私のほうに押してきた。


 突然先輩が私のすぐ傍まで来て、私は心臓の鼓動が高まる。もうどうやっても顔を合わせられない……


 「…あ、あのう……」


 私はそれでも思い切って話しかける。気分を落ち着かせて、ゆっくりと。


 「あのう、大会の日、先輩まだ走っていたのに、勝手にグラウンドの中まで入ってしまって、迷惑だったですよね。本当にすみませんでした」


 そうだ。私はずっとこれがいいたかったのだ。これがいいたくて今までやきもきしていた。


 先輩、ごめんなさい。


 先輩、先輩……


 そういって俯いている私に先輩から声がかかってきた。


 「…山下、俺のほうこそごめんな。俺、大した実力もないのに大会前にあんなカッコつけた科白いっちゃってさ。やっぱり才能ないのかな? あんな決まらない負けかたしちゃってさ。馬鹿だよな。ハハハハ……」


 先輩の言葉に私はぶるぶる首を振った。


 「そんな……」


 「いや、弁解なんかしてくれなくっていい。俺がやっぱり馬鹿だったんだよ。


 山下、俺のくだらない言葉で、お前も責任感じてたんだろ? 本当にごめんよ……」


 先輩…… 先輩……


 私は目から涙が零れるのを必死になって堪えていた。


 「でもさ、嬉しかったんだ、本当は。俺がコケたときにさ、すぐに山下が駆けつけてくれたのが」


 え?


 「実はさ、俺、山下が入学してきたときからずっとお前のことが……」


 私はさっきの涙がすぐに引っ込み、頬っぺたがとても熱くなった。 先輩も、私のことを……


 振り向くと、澤田先輩はもう既にいなくなっていた。


 誰もいない静かな部室の裏、私と先輩は口づけを交わした。


 


 幸せだった。長い間夢見ていた瞬間。その時が今まさに訪れたのだ。


 私は、この幸せな時間が永遠に続くことを心の中で強く願った……


 


 



 


 6/30 三、とあるアパートにて


 


 私をずっと愛してくれるっていったじゃない。


 私を一生幸せにしてくれるっていったじゃない!


 何であんな女なんかについていったのよ!!


 私は今でもあなたを忘れられないっていうのに……




 私は臨月を迎えて大きくなったお腹にハンマーを叩き付けた。


 「お前の所為で私は自由になれないんだ。お前の所為で。お前の所為で。お前の所為で。お前の所為で……!!」


 ………







 


 6/30 四、とある民家にて


 


 俺は車のキーを握り締めてアパートの外に出た。


 そして、近くの駐車場に止めてある自分の車のほうへ向かう。


 「ヘッヘッヘッ、何で日本人は殺すといったら刃物で刺すとか、鈍器で叩くとか、どうして自分で直接手を下すことしか考えないんだろうねえ? 車で轢いちゃえば楽なのに」


 あ、そうだ、俺、ガスの元栓閉めんの忘れてたわ。


 俺は自分の家に戻って部屋の戸締まりしてから変な違和感を感じた。


 あれ、俺、何でもう二度と戻らないかもしれない家の戸締まりしてんだろ? 死んだら勿論帰ってこれないし、生き残ったらもっと豪華な家に住むに決まってんのに。まあ、いいや。記念だ、記念。


 家から出るとまた元来た道を引き返す。途中、毛糸の帽子を被り携帯を手に持ってストラップの部分をグルグル回す不審な若者と擦れ違ったが、俺は何を思うでもなく歩き続ける。


 再び俺は車のところに着く。ドアを開け、シートに乗って、ベルトをかけ、ハンドルを握る。キーを差し込み、ギアチェンジをして、アクセルを踏む。


 え?


 全然進まねえじゃんかよ。エンジンはしっかりかかってんのによお。


 すぐに車から降りる。


 そこで俺はようやく異変に気付く。


 タイヤがパンクしてるのだ。


 何だこれ、畜生!! ついてねえなあ……


 最初、俺はそう思った。


 しかし、よく周りを眺めてみるとこの駐車場の全ての車がパンクしていた。


 …ざけんな、誰かのいたずらかよ!!


 …チッ、仕方ねえ、一旦戻るか。


 帰り道、俺は一台一台車を見て回る。


 何だこれ!?


 俺は不気味に思ってここら周辺を走ってみた。


 おい、全部の車パンクしてんじゃねえのかよ!!


 俺は家に入るとすぐにテレビをつけてみた。


 


 「えー、昨日の夜から日本国中に跨がって車及びバイク、トラック、自動二輪等のタイヤが故意にパンクさせられるといった被害が警察に相次いでいます。


 警察は一時犯人グループの究明に乗り出そうとしましたが、犯人の意図を察し、警察自身も率先して各個人が保持する車のタイヤを全てパンクをさせるように市民全体に呼びかけています」


 


 …おいおい、マジかよ!!


 


 



 


 6/30 五、ワイドショーにて(その三)


 


 どうしてだ? どうしてなんだ?


 何故この世はよくならず、悪くなっていく一方なのだ?


 私はここまで声を張り上げているのに。私は自分を捨ててまでこの世のために尽くそうと思っているのに  




 「増中さん、いよいよ七月一日が明日になってしまいました。これまでの社会の動き、政治の動向、警察の働き、どのようにお見受けしますか?」


 本番中、いつものことのように、私は司会の加藤信夫さんに振られた言葉を自分の見方で解説する。そう、それはいつも私にとっては人々のためだと思っていた。


 「ええ、今までのこと全てがすべて、前代未聞の出来事ばかりでしたからねえ。その中でもあの頭の固い国会が割と早く『緊急事態宣言』を出したのは正解だと思いますよ。


 このおかげで国民全員が早急に対応をすることができました」


 こういうふうにプラス思考のことをいっていれば、人々は幸せになってくれると思っていた。


 「そうですか? 世間ではまた政治家が火に油を刺すような真似をして、人々の不安を助長させたと囁かれていますが」


 だけど何故、この人は不安を助長させることをいうのだ?


 「…いえ、あれはあれで正解です。何も知らない国民達が何の抵抗もすることなく殺されるということはなくなるでしょう。いいんです。起こらなければ起こらなかったで」


 何も起こらなければいい。世の中が平和にことが進めばいい。


 「増中さんのお考えでは、起こらないということがありえるんですか?」


 その答えは決まっている。起こる筈がない。起こっていい筈がない。


 「そうだといいんですがね。一人が殺そうと思っている限り、まず間違いなく殺し合いは起きるでしょう」


 何をいっているのだ、私は。自分のいいたいことをいえばいいのだ。世間の批判なんて気にしないでいい。


 「殺し合いについてもさまざまな憶測が飛び交っていますが」


 「ハイ、生き残った人間はタレントとセックスをすることができるとか、この殺し合いはある種の集団自殺だとか、これで人間が死んで地球は救われるとか、悪いことばかりの世界にピリオドを打とうとか、奪われし者から奪いし者への報復だとか……」


 どれもがいいわけ、いいわけでしかない。全ては虚構だ。


 「たった一つの殺し合いがこれだけの意味を持ち始めた。これには何か理由が」


 「ハイ、やっぱり時代が時代なんでしょうねえ」


 だから、どうして思ったこと以外を口にするんだ。自分のいいたいことを言葉にして伝えるんだ。


 「増中さん、前々からCPPEEが新宿で何かするという予告をしていますがそれは?」


 いえ。いってしまえ。この私がそんな奴らの行動を喰い止めてみせるって!!


 「…それは当日になってみないとわかりませんねえ」


 「そうですか、そうですよね。


 …では、今日はこの辺でお時間です。皆さん、明日はくれぐれも気をつけてください。ではまた」


 


 収録が終わった後、私はセットの陰でうずくまる。


 カメラの前に座るあの貴重な時間、私はやるべきことがあった筈だ。やらなければならないことがあった筈だ。なのに、私はしなかった。しようと努力すらしなかった。私が一言、一言いえばもしかすると明日殺し合いなんて起こらすにすむかもしれないのに。昔子どもの頃憧れた正義の味方みたいに地球の平和を守れたかもしれないのに。私は自分の願いも叶えられずに、明日死ぬんだ……


 そう思っていたら自然に目から涙が溢れてきた。


 「どうしたんですか、増中さん?」


 背中から声がした。司会の加藤さんだ。長年一緒にこの番組を作り上げてきた信頼すべき仲間である。私はこんな姿を見せられないと、衣装の服で涙と鼻水を拭った。


 「あ、いや、なんでもないですよ」


 私は精一杯の笑顔を見せる。気付かれないように、気付かれないように。


 「…もしかして、泣いていませんでしたか?」


 …やっぱり、わからないわけないか。まあ、いいや。彼なら話してもいいだろう。


 「いやですね。私達、こういう仕事をしていますから、もうちょっとこの世の中を明るくするような、そんな心に残るようないいことをいいたかったなって、思って。いや、勿論、明日この世が終わるなんて保障はありませんけど」


 それを聞いて、加藤はハハハと笑う。


 「なんだ、増中さん、そんなことを悩んでたんですか」


 そうだよな。一日後にはもう人々が殺し合っているなんて決まってるわけじゃないし。加藤さんもそう思うよな。


 「大丈夫ですよ。増中さん。視聴者もこの番組のスタッフも、増中さんがそんなことをいうの、誰も期待していませんよ」


 ………!!


 その瞬間、私は目の前にいる男に生まれて初めて殺意を抱いた。







 


 6/30 六、民家にて


 


 私は、お昼ご飯の片づけをしながら漠然と考えていたことがある。 私は柄が太くて大きな輪になるように丸く曲げられたスプーンを見つめる。さっき、ベッドの上のお義母さんが震える手で懸命になってスープを口に運んでいた、そのスプーンである。


 確かに、昔は嫁と姑同士、家事の些細なことや子どもの面倒などでいろんないさかいが絶えない時期もあった。だけど、息子や娘達が次々と巣立ち、家族の中が寂しくなっていくにつれ、私達はお互いに向かい合う機会が多くなってきた。


 その一番のきっかけになったのはやはりお義母さんが寝たきりになったことかもしれない。あんなに元気だった筈のお義母さんが糖尿病になり、足腰が不自由になり、だんだん弱々しくなっていくその姿を見て、私は人間の寂しさを垣間見た気がした。そして、ベッドで世話をする私に「ごめんね。今まで何もしてあげられなかったのに、ごめんね」と何度も呟くお義母さんに私はいたってもいられない気持ちになっていた。


 家族。


 私はこれを持ち、幾度となく後悔をしたこともあった。


 姑と折り合いがつかず煮え切れぬ怒りをいつも抱いていたとき、子どもの世話に何日も眠れぬ夜を過ごしたとき、娘が学校に入った頃いじめが原因で不登校になったとき、高校時代、息子がちょっとした事件を引き起こし警察から電話を受けたとき……


 だけど、今ならばいえる。その一瞬一瞬が実は家族の絆を深めるために大切なものだったのだって。


 それが、私達が大切に育んできた絆がもう終わってしまうのかもしれない。明日になったら消えてしまうのかもしれない。


 ふと、洗い物をする手を止める。私は誰に伝えるでもなく首を横に振った。


 私は手にしていた包丁とスポンジを放り出し、お義母さんのもとへと急いだ。お義母さんはベッドの上で体を半身を擡げたまま宙をぼんやりと眺めていた。


 私は、お母さんのそばまでよってこう口にした。


 「お義母さん、お義母さん、明日、大変なことが起こるかもしれないそうですよ」


 お義母さんはゆっくりとこちらに顔を向けた。


 「わかっているよ。これは奪われし弱者が強者を倒すための戦いだってんだろ……


 でもな。どうだい、それは会社の重役、国のおエライさんから見たときの弱者のことさ。それに私ら、老人や障害者なんて含まれてちゃいないんだ。弱者から虐げられてきた本当の弱者なんか入っちゃいないんだよ……弱者は弱者で体を縮めて身を寄せ合うしかないんだよ……」


 その言葉を聞いて、私はお義母さんのことをぎゅっと抱きしめた。目からは自然と涙が溢れてきた。


 


 



 


   『ドイツの血』


 


 むかしむかし、あるところに、ドイツという物凄く優秀な血を持った人間達の民族がいました。


 それはそれはとても優秀で、他の民族とは決して比較にならないくらい優秀でした。


 本当に優秀なんです。とにかく優秀なんです。絶対に優秀でなければいけないんです。それは唯一無二の民族の掟でした。


 


 ある日、こんなことが起きました。


 なんとドイツ民族の中で、他の民族よりも背の低い人間が現れてしまったのです。


 しかし、ドイツという民族、どんなことがあろうとも決して他の民族に負けてはいけないのです。


 そこでドイツ民族はその背の低いドイツ民族を殺しました。


 


 またあくる日には、こんなことがありました。


 なんとドイツ民族の中で、他の民族よりも顔の醜い人間が現れてしまいました。


 しかし、ドイツという民族、どんなことがあろうとも決して他の民族に負けてはいけないのです。


 そこでドイツ民族はその顔の醜いドイツ民族を殺してしまいました。


 


 また先月にはこんな出来事を迎えました。


 なんとドイツ民族の中で、他の民族よりも頭の悪い人間が現れてしまったのです。


 しかし、ドイツという民族、どんなことがあろうとも決して他の民族に負けてはいけないのです。


 そこでドイツ民族はその頭の悪いドイツ民族を殺してしまいました。


 


 そうしてドイツ民族は自分達の優秀な血を誇示していったのです。 


 しかしです。ドイツ民族は思いました。ドイツ民族は優秀な筈なのです。自分達の優秀の血が汚れるからといって人を殺すような人間も、それを見て見ぬ振りをするような人間もいるわけがありません。


 ドイツ民族は全員自害しました。


 


 この世に絶対的に優秀な民族などいるわけがありません。



 (六月中に流れた怪電波)


 


 <人はいつか死ぬ。必ずに死ぬのだ。


 それは生まれたときから決まっていること。


 それが早くなるか遅くなるかなんて大した差ではない。


 人だけではない。地球ですらそうなのだ。


 地球もまた生まれた時点で終わることが決まっていた。


 その地球の寿命。それは長い長い時をかけ、天体としての生命を全うしてなのかしれない。宇宙そのものの限りが訪れてのことなのかもしれない。太陽の膨張、またはその逆、太陽の縮小、消滅によるものかもしれない。あるいは、隕石の衝突によって、もしくは地球事態の急激な変化のため。


 もしくは……


 地球自体がつくり出し、地球の恩恵を受ける一生物に過ぎない人間の存在によって。


 大きな力によって地球は死ぬ。


 いつ来るかもわからない。だけど、確実に来る大きな力によって。 …僕ら以外の何者かの支配する大きな力によって……


 そんな力の前には、僕らの持つ微々たる力はまったくの無力だ。


 だが、いま、ここに微々たる力を集め、巨大な力につくりかえる技術を手に入れた。


 無数の闇を増幅させ、同調させる機械を手に入れた。


 世界の人々が、核に匹敵する力を手に入れたのだ。


 もう何も悩むことはない。


 最初から全てが終わることは決まっていたのだ。


 最初から全てが終わることは決まっていたのだ。


 


 最初から全てが終わることは決まっていたのだ……>


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