第八章 その三
一九九九年 六月 十六日 (水)
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6/16 一、某高等学校 三者面談
今日の昼、私は洗濯物を取り込もうとベランダに出ようとしたところ、突然電話のベルがなった。息子の高夫の学校からだった。なんでも高夫が何かをしたという。私は急いで高夫の通う高校へと向かった。
学校に入り、事務室で用件をいうと、私は二階の端にある生徒指導室へと通された。
入り口には担任の山田先生が立っており、私を出迎えていた。
その教室の奥には、高夫がずっと下を向いたままポツンと座っていた。
「どうぞ、こちらにお座りになって下さい」
私は先生に差し出された高夫の隣の椅子に「すみません」と会釈をしながら腰掛けた。 「…あのう、息子は何をしたのでしょうか?」
私がそう訊くと、先生から「ちょっと待って下さい、高夫君の口からいわせますから」と間髪を入れられた。
なんだか、高夫の様子がおかしい。いつもあんなに大人しい子なのに……
「さあ、大森、いうんだ。お母さんの目の前で」
「………」
高夫は一切唇を動かさない。何? 何をしたっていうの?
「大森、お母さんの前ではいえないっていうのか?」
先生が静かな声で話す。
そうよ、高夫。今まで私にはどんなことでもしゃべってくれたじゃない。どんなことでも……
「………」
やっぱり高夫は黙ったままだ。
そんな様子の高夫に痺れを切らしたのか、先生が突然怒鳴った。
「お前、里中に何をしたんだ? いえないようなことをしたっていうのか、え?」
俯いていた高夫は私の顔をちらりと一瞥すると、すぐに顔を元に戻してこういった。
「………レイプです」
え!?
「…なんだ、よく聞こえないぞ。もう一度大きな声でいってみろ!!」
「…レイプです!!」
私はショックを隠し切れなかった。
どうして、どうして高夫ちゃん。私はあなたにいろいろ尽くしてあげてきたじゃない。なんで、なんで、そんなことをする必要があったのよ……
私が放心状態になっているところでも、高夫と山田先生の会話は続いた。
「お前、それがどんなことなのか、わかってるのか?
里中はなあ、『もう生きてはいけない……』って、手首まで切っていたんだぞ!!」
「……どうせ、もうすぐみんな死ぬんだし……」
「え、何だお前、もう一度いってみろ!!」
「どうせみんな死ぬんだし」
「…お前、それでも人間か!!」
山田先生が高夫の頬を叩いた音で私はハッと我に返った。
高夫ちゃんが殴られた。私も殴ったこともない高夫ちゃんが殴られた……
だけど、今は……
「先生…」
私はもっとやってあげてくださいという意味で先生に声をかけた。先生は頷く。
「…お前なあ、人間だったら性欲のコントロールぐらいできる筈だ。でなかったらお前は、猿と同類だ!!
お前が童貞のまま死ぬのが嫌だってんならなあ、他の女子を傷つけるな!! やるんだったら、やるんだったらな、お前の母ちゃんにしてもらえ!!」
「………!!」
数日後、私は山田先生が自主退職をしたという話を聞いた。
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6/16 二、新聞記事(社会面)
<各地大学で放火相次ぐ>
『本日未明、警察が東大放火犯を逮捕するために見回りをしていたところ、七名もの不審人物を発見、放火未遂の容疑で身柄を確保、事情聴取を行なっている。
尚、この犯人達は一人一人の横の繋がりは一切なく、それぞれが個別に事件を引き起こしにやってきたものと見られている。
また、早稲田大学、慶応大学のキャンパス内でも同様の放火と見られる火事があり、警察はそれぞれ犯人の行方を追っている。
専門家 A大学 矢木 元教授の話
これは七月一日によからぬ噂が広まって、世間が混乱し始めているということに乗じて、今までの学歴至上主義的な社会に対する不満やストレスを溜めた人々がそのような形で“復讐”を行なおうをしているということではなかろうか。
これからも次々と似たような人間がそこに集まる可能性が考えられるため、警察には厳重な警戒態勢を引くように望む』
一九九九年 六月 十七日 (木)
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6/17 一、新宿歌舞伎町 某風俗店にて(その二)
「はい、並んでください。押さないでください」
俺は雪崩れ込んでくる客を必死になって宥める。しかし、この俺の力だけではもはやこの場所はどうにもなりそうにない。
そんな中、どうしてなのか突然客達が左右に捌け始めた。その間を通り抜けて安藤さんがゆっくりと歩いてきた。
「どうしたんだ、この客は。いよいよ潮時でこの店も大繁盛か?」
俺は助かったと一瞬思ったが、すぐに顔を歪ませた。
「いえ、安藤さん、お店の子が急にいなくなちゃったんですよ。本当に急に。なのにこのお客さんでしょ? 今入っている女の子、危険日だったり、性病で出店拒否してもらってたりするのをそれを見越して出てもらっている状態なんです。
さらにこんなに客が多くて接客する側の人間が少ないんじゃあれだと思って、いつもよりも値段を一万円ほど上げて急遽の策をとったんですけど、実はそれ、今どこでもそんな状態らしくって、それでも客足は衰えることを知らないんです」
なんで辞めさせたんだ!
そう怒鳴られるだろうと思ったが、意外にも安藤さんは店と客をゆっくりと眺めると「そりゃひでえ、有様だなあ」と呟くようにいったので、俺は安心して、今の自分の状況を説明し始めた。
「そうでしょう? あの客なんか見てくださいよ。ずっと変なこと叫び続けてますよ」 俺はアルバイトを責め続けている五分刈りで学生服の青いほっぺの男を指さした。
「オラさわざわざヌクの一週間我慢してはるばる新幹線でやってきたんだべさ。それなのにできないなんて何事だべさ!!」
「どうですか?」
安藤さんはしばし絶句した後、こう口にした。
「ちょっくら、あいつ絞めてきていいか?」
「ええ、だから安藤さんを待っていたんです。お願いします」
俺は安藤さんに向かって深々とお辞儀をした。
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6/17 二、ワイドショーにて(その二)
本番五秒前、私はモニターを使っていつもの通りネクタイを直すと、すぐに放送が始まった。私は持前の営業用スマイルを作り、軽快な言語を語り出す。
「はい、始まりました、ワイドショー、六月十七日こんにちは司会の加藤信夫です。今日もまず最初は七月一日の件に関する話題からです」お決まりの掴みを話すと、私はニュース原稿の方に目を通す。「えー、七月一日に殺し合いを行うという奇妙な噂が広まり初めて早二カ月、ついにその日まで二週間と近づいてまいりました。
その影響も日を増すにつれて、だんだん深刻になってまいりました。六月当初は若者中心だった新宿や渋谷などの大きな街中を白昼ふらつくの『殺し合い肯定派』の面々の中に今ではすっかり中年の層も巻き込んだ形になっております。
この件に関して、増中さん、どう思われますか?」
私はこの番組おなじみのコメニテーター、今日はより一段とおでこの照った増中源十郎に話しかけた。すると増中はいつものようにおでこの皺をゆらゆらさせながら、大袈裟な振りをつけて話し出す。
「ハイ、これは大変恐ろしいことだと思います。おそらく私達中高年の世代のものも、ある程度理性を保とうとはしているんです。でもですね。自分達がやるつもりはなくても、彼らはやるつもりなんですよ? このアンバランスな状況はどうすれば解決できるっていうんですか? もうこっちもやる気にならなきゃやってられないでしょう。ほら、私も先日護身術として昔習っていた柔道をまた受け身からし始めました。見たいですか?」
私は表情を変えずに首を横に振った。
しかし、この前の一件といい、今の柔道の発言といい、この男はこの番組の存在を脅かす言葉をいい過ぎだ。今日もまたきっとプロデューサーと喧嘩をして帰ることだろう。結局泣いて当番を続けさせてくれと願うのは増中自身なのだから、いっそのこと他局のどこぞの司会のように何もしゃべらなくてもいいのに。
私はゴホンと咳をすると、気を取り直して先程の打ち合わせ通り段取りを進める。
「えーっ、他にもこの『殺し合い肯定派』の人々が、数々の問題行動を起こしているようです。VTRにまとめましたので、どうぞ」
私はここまで進めると、ふっーと一息をつく。ポケットからハンカチを取り出して汗を拭うと隣の同じく司会の神谷里美に話しかけようと視線をずらすと、増中がお茶を口にするのが目に浮かんだ。増中はそのお茶でうがいをしたので、その後をどうするのだろうと見ていると、それをそのままゴクンと飲み込んだ。…何か意味があるのだろうか?
俺はその姿と目を合わすまいとデスクの前においてある小さなモニターのほうに意識を向けた。
VTRでは、街をぶらついている輩がレイプや麻薬、破壊行動などを繰り返す様が長々と写し出されていた。さっき本番前の打ち合わせの時にも見たものである。
俺は眉毛をピクリと動かしながらぼんやりと眺める。もはや何も感じなくなり始めている自分が少し怖くも思える。
またカメラが回り始めると私達はこの内容について、いろいろなディスカッションをする。増中はこちらが話を降る度に専門的な会話をするが、どれだけ自分でもわかっているのだろう? まあ、そんなもの、訊いてはいけないことなのだろうが。
相棒の神谷里美がいっている言葉に私はうんうん頷いているところと、ディレクターがそっと私の傍まで来て一つのニュース原稿を渡した。今すぐ読め、ということらしい。私はその紙面にざっと目を通しながら口を動かし始めた。
「えーっ、ただいま話の途中ですが臨時情報が入ってまいりました。その七月一日に殺し合いを行うというデマをまず始めに広めたと世間では認知されているCPPEEのことについての最新情報をお知らせします。
そのCPPEEの公式ホームページがさきほど内容が更新され、『一九九九年七月一日、午前九時の二時間前の七時より新宿駅西口バスターミナル前に集まれ』との告知がなされました。もう一度繰り返します」俺は原稿を読みながら、次の行動を考える。
「今や新手の狂信仰宗教集団と化したこの会合はその日のその時間に一体何をしてくれるというのでしょうか? 増中さん、この社会の予断のならない状況に対して、どのような対処をすればいいのでしょうか?」
増中はキラリと目を光らせた。そんな表情を増中が見せるなんてとても珍しい。何か余程の策があるのだろうか?
「実はですねえ。私、とっても素晴らしい考えを持っています。それを是非視聴者の皆さんに聞いてもらいたかった」
おおやはり、そうなのか。これをいうことで、もしかしたら数字がググッと上がったりするほどのものことだったりするのではないか? そんな期待を胸の中に微かに抱いた。 して、その方法とは……
「あのですね。六月三十日の次の日を、六月三十一日にするんです。そしてですね、七月の一日を抜かして、七月の二日から七月を始めるんですよ。要するに七月一日を六月三十一日に変えてしまうと。あれ、どうしたんですか、加藤さん。加藤さん?」
私は聞かなかった振りをして先程の原稿に再び目を通した。
七月一日午前七時新宿にて。本当に何があるというのだろう……?
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6/17 三、下校途中の中学生の会話
俺達は人のいなくなりかけた校舎から部活動に勤しんでいる奴らの間を掻い潜るかのように校門までを歩いていく。俺は随分前の置き忘れの傘をぶんぶん回していると、江波の奴が唐突にこんな質問をしてきた。
「お前さ、試験まであと十日しかないけど、勉強してるか?」
俺は傘を放り投げてキャッチする。そんなこと俺に聞くべきことではない。
「してないよ」
「そうか、ふーん。…ってお前、来年受験だろ? どうすんだよ!」
江波は俺のほうを向いたようだが、俺は構わず傘をいじくるほうに神経を集中させている。
何だよ。自分だって、俺と似たり寄ったりの状況の癖に。
俺は傘を今までより高く上げ、落ちてくるそれを右手でパシッと力強く掴むと江波のほうを向いた。
「だって、世界終わんじゃねえの? 七月一日にさあ」
江波はそれを聞いて、「ハア?」とかいいながら変な顔をした。
「なにお前、いつまで夢みたいなこといってんだよ。目え覚ませよ!」
俺はその態度に眉毛をピクリと動かす。
「でもよ、渋谷とかにそう思っている人たくさんいるみたいだぜ?」
江波はそれを聞いて、含み笑いをする。
「そりゃあ終わると思い込んでいるってだけだよ。実際にこの世が終わるわけなんかねえんだよ!」
奴の態度に俺は腹を立てる。
「わかんねえよ? 終わるかもしれねえよ?」
「終わるわけなんかない」
即座に江波は切り返す。
「終わる」
「終わんねえって!」
「終わるっての!!」
「馬鹿だなあ。お前。終わると思っている奴は馬鹿なんだよ。
バーカ、ぶゎーか!!」
「何だと!!」俺はその一言を聞いて、傘で頭をどついてやろうかと思うくらいムカついたが、唯一の友達なのでそうもいかない。そのときふと、こんな言葉が口を次いで出てきた。「じゃあ、賭けるか?」
「ああ、いいぜ」
江波も同意する。
「…それじゃあ、命賭けてもか?」
キレた俺は自分がどんなことをいっているのかもわからない。
「…ああ、別に構わねえよ」
江波も意地っ張りなところがあるから無論応じる。
俺は、そのままこんなことを口走った。
「なら、七月一日の九時に俺お前ん家に行くから、何も起こらなかったら俺のこと包丁で刺してもいいぞ。
その代わりなんかあったら俺、お前のこと刺すからな。…約束だぞ」
「…え、ちょっと待て、おい! おい!!」
江波の伸ばしてきた手をすぐに振り解くと、俺は早足で道なりを歩いていった。
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6/17 四、新聞記事一面
ふう、危ねえ、危ねえ。もう少しでガキどもに殺される羽目になるところだった。辛うじて逃げ切れたよ。最近奴ら妙に荒れ始めてるからな。なんで俺らを狙うんだってんだよ!
…まあ、俺がホームレスだからだろうけどさ。
でも俺にはいい分がある。いいかお前ら、よく聞けよ。俺だってしたくて家なしをしてるんじゃねえってんだよ。なんだお前ら、職なしで街中をブラブラしてんだろ? 俺達とお前らどう違ぇってんだよ。答えてみろよ!
…なんて奴らの前でいってみてえよなあ……あーあ……
こう治安が悪んなら、いよいよこの街ともオサラバしなきゃならない時期になったのかなあ……
……まあいいや。飯を食べてから考えようか。
俺はオフィス街のささやかな憩いの場になっている大きな公園をうろちょろ歩く。しかし、そんな風景もここ数日のうちに確実に変わってきている。以前からいた背広姿でベンチを深刻そうな顔で座っている俺と同年代の人間が最近やたらと増えたのである。
俺はいつものように屑籠の中のゴミから栄養分を補給するわけであるが、こんな奴らの隣を漁るとなるとやりにくいったらありゃしない。前に一度そんな男の一人が俺に昼食をご馳走してくれたが、そんなうまい話はそうそうない。俺は、まず始めに周りだけでなく頭の上にも鳩が止まっている男が座っているベンチの横の屑籠に手を突っ込んだ。
……ない。食えそうなものはない。あるのは新聞くらいだ。…ん? これ今日の新聞か。とりあえず読んでみるか。
<ノストラダムスリセッション
東証平均株価 一万円台にまで後退 円も一ドル=180円まで下降
本日未明、最近起こった殺し合いの噂話によって、ここ日本では急速に離職率が上昇、治安の悪化もそれを後押しし、東証平均株価は一万円台にまで下降。円も一ドル180円にまで下落した。この前代未聞の景気後退に政府では緊急対策本部を設置、本格的な打開策の準備を始めている。>
…ということはこの不況でこれから俺らの飯も少なくなるっていうことだろうか。
俺はベンチの男を見た。
……あの鳩、一匹ぐらい食えないかなあ。
と、そのときトコトコトコとよぼよぼの鳩が近づいてきた。俺は出そうになるよだれを押さえながら、鳩の目をじっと見た。鳩と視線が合ったまましばらく硬直状態が続く。
………
わかったよお、喰わないよお、そんな目で見るなよ。鳥目ぇ。
こうなったら自分のことはさておき、他のサラリーマンの奴らに頑張ってもらうしかないな。
おーーい、かつての企業戦士達よ、今何をしてるんだーー?
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6/17 五、下校途中の小学生達
オレ達は、お互いに小石を一つ蹴りながら、帰り道をゆっくりと歩く。と、そのとき、オレの蹴っていた小石がドブの中に落ちてしまった。オレは「ああ、畜生!」と叫ぶと、隣の幸野の小石も蹴って、ドブの中に入れた。オレのことを睨んできた幸野に向かって対し、オレはこう切り出した。
「おい、こんなんつまんないだろ。駄菓子屋にでも行こうぜ」
それを聞いて、幸野は口を尖らせたまま、こういった
「んー、じゃあ行こう。『ガチョン』と『ベーベー』、どっちにする?」
そんなの訊くまでもない。
「んなもん、『ガチョン』に決まってんだろ。あそこのババアボケてるから万引きし放題だしさ」
「それもそうだよな」
幸野はあっさりと同意した。オレはこの年中汚い半ズボンを履いたこの男に一週間前の出来事を自慢することを思い立った。
「…この間、面白かったぜー、二組の片岡と『ガチョン』のババアん家ん中にボール投げ入れてさ、俺らが『とってくださーい』っていって奥に行かせている隙に、菓子ごそっと掴んで外に出んの。いやあ、大量だったなあ……」
「へえー、今度俺もやってみっかなあ」
幸野はやはり、思った通りの反応をした。オレはいってやった。
「やめといた方がいいんじゃねえの? ボケてるっていったって、あんなに一気に持ってかれちまちゃあ、嫌でも警戒するだろ」
「いや、『ベーベー』のクソババアのところでさ」
この男も食い下がらない。
「もっと無理だっての。『ベーベー』のババアは、意味もなくこっちを見やがるからな。あいつ、なんだってんだよなあ」
オレは、あのババアが前のように汚い舌を出して笑う姿を思い出して、腹が立ってきた。
「まあ、そうだなあ。チェッ、つまんねえの」
その科白を訊くか訊かないかのときに、オレはまた一つの小石を思い切り強く蹴った。その石は遠くへとコロコロと転がり、誰かの足下近くにまで届いた。オレはその足下から目線を上げていったところ、オレ達ぐらいの背の奴がポケットに手を突っ込み背中を丸めて道をとぼとぼ歩いていた。よくよく観察するとその後ろ姿は確かに見覚えがある。
「あ、片岡だ。どうしたんだろ? おーい」
オレは声をかけた。その呼びかけに片岡は振り返る。
「あ、お前らか、よお」
「どうしたんだよ。こんな時間に一人でさ」
こいつが友達を連れていないのは珍しい。
「い、いやさ、今『ガチョン』に行ってきたんだよ。お前らに会えるんじゃねえかと思って」
「おお、オレ達も今から行こう思ってたんだよ、なあ」
「ああ、金は持ってないけどな」
なんかこいつと通じ合うものがあるのだろうか。それともオレ達の行動がワンパターンなだけか?
そんな風に目配せをするオレ達を片岡はじっと見つめる。
「万引き目当てなら行かないほうがいいかもしれねえぜ」
「え? 何でだ?」
オレの問いかけに、片岡は肩を揺らす。
「いや、なんか知らんけど、急に背広着た変なおっさん達が群がり始めてんだよ」
「…ハア?」
オレ達は、思わず素頓狂な声を上げた。
「懐かしいですなあ」
「いやはや、全くそうですなあ」
一九九九年 六月 十八日 (金)
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6/18 一、某居酒屋にて
私が、お客様にご注文を取りに行ったところ、別のテーブルで一時間くらいとても熱く語り合っているサラリーマンらしき二人組の声が聞こえてきた。前ならば、おそらく仕事上の話なのだろうと特に聞いてくれとでもいわれない限り耳を峙てることはなかっただろうけど、最近になってここでよく業務的な話し合いとは全く別であろうとある会話が頻繁になされていることに私は少し興味を持って、そのやりとりに注意が止まった。
「おい、だから責めるんだって。
真正面から行くか、それとも、塀を乗り越えていくか……」
「馬鹿いうなや、俺達だけじゃあ、そんなの警備員に捕まるのが関の山じゃないのかー?」
「じゃあ、どうするっていうんだよ。警備員を一人ずつ殺していくってんのか。当日は警察もいるかもしれねえぞ。どうするんだ。素手対拳銃でよお」
「実はさ、俺の遠い親戚に花火師がいるんだよ。奴に協力してもらって塀をドカーンだ。偽ギリシャ風の建モンが木端微塵よ!!」
「赤絨毯も真っ黒焦げか、カハハハハ……」
私は、その人達の料理がもうなくなっているので追加注文をとる意味でもそのテーブルに近づいた。
「お客さん、一体何の話をしているの?」
今時珍しく頭の上にネクタイを巻いているサラリーマンの人がいった。
「あ、女将さん、俺達はさあ、七月一日に国会議事堂に乗り込もうと思ってな、作戦練ってんだよ。でっかい態度している政治家どもの腰を二度と立てないようにコキュッと折ってやろうと。
コキュコキュッとな。ヘヘヘヘヘヘ……」
やっぱりそうか。私が口に手を当てている姿を見て、もう一人の靴下に穴の開いた人がこう訊いてきた。
「俺達みてえな中年が、若者信じるような殺し合いに参加しようってのは、やっぱりおかしいですかい?」
私はあわててお盆を手前に出して振る。
「い、いえ、最近お客さんが似たような話をしているなあって聞いてみただけです」
それを聞いてか、二人は目を輝かせて喜び出す。
「…え、そうか。それは、心強ぇや。俺達の味方がこの世に何十人、いや何百人かはいるのか」
「おいおい、それでも、桁が違うかもしれねえぜ?」
そんな掛け合いをする二人を見て、不謹慎だな、などと思って注意しようかと思ったが、そのきっかけとなった自分の科白も充分常識の理解を超えたものだと気づいたので私はその口を止めた。
ふと視線を二人に戻すと、二人はすでに立ち上がって、叫び始めていた。
「とにかく俺達は奴らを狩り出すんだ。殺して殺して殺しまくるんだ。殺しまくるぞ」 「おー」
「今の世の中が不景気なのも奴らの所為だー」
「うおー」
「今の世の中が暗いのも奴らの所為だー!」
「うおーー」
「今、俺達が会社でおさまりが悪いのも奴らの所為だー!!」
「うおーーー!」
「俺達が家に帰っても肩身が狭いのも、奴らの所為だーー!!」
「ぬおーーー!!」
「俺達の足が臭いのも全部奴らの所為だーーー!!」
「ぬおおーー!!」
「俺達が風呂の後、フルチンで家ん中歩き回って娘達に嫌われんのも、もとはといえば全部が全部奴らの所為なんだぁぁぁぁ!!」
「ぬおおおおおおーーーーー!!」
「ええっと、それから……」
「お客さん、お客さん!」
私は暴走し始めたお客さん二人を必死になって押さえた。
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6/17 二、とある民家にて
朝起きた私は、夫のために朝食をつくる。
包丁で豆腐を切る。
トントントントン、トントントントン……
私は包丁を見つめた。
朝食の片づけが住んだら、お布団をベランダに干す。
布団叩きが今日もしなる。
パタパタパタパタ、パタパタパタパタ……
私は布団叩きを見つめた。
お布団を干したら、お掃除をする。
掃除機片手にフローリングを歩く。
スイスイスイスイ、スイスイスイスイ……
私は掃除機を見つめた。
洗濯終わらせ、居間に座る。
今日のお昼は何にしよう。そう考えるのも何度目だろう? テレビを見るのも飽きてしまった。こんな生活もう嫌だ。
どうせならこんな日々を終わらせたい。
だけど私には武器がない。ニュースではやたら銃が密輸されるようになったと報道されているのに。
だから私も手に入れたい。皆、驚くとっておきの武器を。
お昼も食べたし、トイレを洗おう。
洗剤手に持ち、たわしで擦る。
ゴシゴシゴシゴシ、ゴシゴシゴシゴシ……
私は洗剤を見つめた。
あ、これ、混ぜたら危険なんだわ!!
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6/18 二、新聞記事(社会面)
私は夕刊が届くと紙とハサミとスクラップブックを持って、書斎の椅子に座った。
えーっと、何々?
<放火犯達 集団化>
『本日未明、三二三名もの集団が東大の一つの施設に火を放ち、その周りを取り囲むという事件が発生した。
現場に駆けつけた警察達が、犯人達の身柄拘束の際、一時混線となったが、その後応援を要請、事件は鎮静化の方向に向かった。
犯人達はこの行動を「キャンプファイヤー」と称し、火を放った建物の周囲を囲み、音楽をかけながら、「マイムマイム」や「ジェンカ」を踊るといった行動に出ていた。
犯人達の身柄は様々で、無職のものから、予備校生、現役教師から、サラリーマン、中には東大生自身も含まれていたという。
犯人達は、学歴社会になんらかの不満を持っていって、先頃から続く東大放火犯に乗じて、インターネットでこの犯行を持ちかけたという。
警察はこのような事態が引き続き起こらないためにも、以前放火のあった早稲田大学、慶応大学、その他主要都市大学全てに警察を配備し、厳重な警戒体勢をとっている。
専門家 A大学 矢木 元教授の話
おそらくこの行為に参加した人間達には、『学歴がなければ世の中で渡っていけない』という社会の固定観念に対して少なからず負の念を持っていたのだと思われる。
このようなことを書くと反発もあるかもしれないが、警察も今はただでさえいろんな事件が頻発して大変な時期なのだから、このような行為に走る人物達に対して、ただ逮捕するのではなく、彼らに対して、学校という場所にしがみつかなくても生きていけるということを知らせるためにも、彼らを臨時の警備員として雇って、社会に貢献させるというのはどうだろうか? その方が事件の根本となる部分に直接的な対処ができ、はっきりとした形で効果があげられると思うのだが。
こんな事件に戸惑っているとは今の警察はどうなってるんだか。
しかし、矢木元っていう奴は相変わらずいいことをいうねえ。
まあ、私のことなんだけどね。カッハッハッハッ……
32
6/18 三、下校中の中学生三人組
「おーい、早くしろよー」
俺とチョンボは電信柱の陰で後ろのほうで俺達の鞄を持って重そうな顔をして鞄を運んでいるテツの奴に手を振った。
遅れきたテツはやっと、電柱のそばに俺達の鞄を置く。
「本当、チョンボのいってた通りだよ。何が入ってるんだよ、カブの鞄。以上に重くねえ?」
テツがそんな愚痴をこぼす。別に、そんなに特別なものを入れた覚えは……まあ、ないが。
「じゃあ、ジャンケンしようぜ」
チョンボがいうが、テツの奴が、手を突き出す。ちょっと待ってくれ、という意味らしい。と、突然、近くにいた猫が一瞬の間の後、ジャンプして自分の身長の何倍もある塀を上った。俺はしばらくその猫をぼんやりと眺めた。
俺達の間に変な空気が流れたのち、突然、テツの奴がこんなことをいってきた。
「なあさ、俺さ、気になることがあるんだけど、ちょっと話していいか?」
俺はいいぞ、という。だが、少なくともこんな道端でするのも何だ、俺達は各自で鞄を持ち歩きながら話すことにした。
「今になって疑問に残っていることがあるんだけどさ」
「なんだ?」
「七月一日にさ、殺し合いがあるとすんじゃん? それに生き残った奴は一体どうなるんだ?」
テツの意外な質問に俺とチョンボの二人は唸った。
「うーん、どうなんだろうなあ」
俺が腕組みをしているところをチョンボはすかさず口を出す。
「金貰えんのかもよ。十億円くらい」
…そんなわけがないだろう。
「馬鹿いえよ! 誰が払うんだって。それに人がいなくなんだぜ? 何でも盗み放題だし、そんなもん持ってたって意味ねえだろ」
俺の言葉に、チョンボは納得する。
「そうかあ、じゃあどうなんだ?」
俺はたった今ピキンと思いついたことを二人に話した。
「まあ、そうだなあ、警察なんかもいなくなるだろうから、きっと女という女、やりたい放題だぜ」
「えっマジかよ? あのアイドルの××××とかもか?」
その言葉にチョンボは興奮する。
「そりゃあそうだよ。他に男もいねえんだし、何か文句いってくる奴もいねえよ」
「ほぉー、こりゃあスゲェなあー」
チョンボがヒューヒュー口笛を鳴らしているところに、テツが覚めた目で見る。
「…お前ら馬鹿か? 殺し合うんだろ? ××だって死んでるんじゃねえのか?」
「俺、××だったら死体でもいいよ」
チョンボのその言葉に俺達は絶句した。
俺はしばらく俯いていたが、また突然頭に閃くものがあった。
「あ、殺さなきゃいいんじゃねえの? やるためにわざわざ生かしておくの。それでさあ、××の前で戦って、生き残った奴が××とやれんの。
『私のために殺し合うのはやめてぇー』なーんてな」
「かぁー、ゾクゾクするなあ、そういうの」
チョンボは自分の股間を大袈裟に押さえ始めた。
「…お、おい」
テツの奴が俺とチョンボを交互に見ながらどう行動しようか、手をこまねいている。
「あ、やっぱり俺、××じゃなくて××××んとこ参加しよ」
「………ったく、大丈夫かよ、本当によう」
そんな風に呟くテツの顔を眺めながら、俺はポケットの中の小銭を握り締めた。
一九九九年 六月 十九日 (土)
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6/19 一、本屋にて
俺はとりあえず交際していることになっている瑞穂とのショッピングに付き合っている途中、大きな本屋に寄った。
「ちょっと待ってて、私、anan買ってくるから……」
瑞穂がハンドバックを肩にかけ直しながらいった。
「おう……」
瑞穂が長い髪を掻き上げながら店内に消えていく姿を見過ごすと俺は自由の身になる。俺は近くにあったディスプレイで髪型を整え、ついでにスニーカーの靴紐を確認した後、街の方をじっと物色する。しかし、ガキのカップルばかりが目に付きどうもいい感じがしない。俺は店内の文庫本のコーナーでも行こうかと足を進めようとしたが、瑞穂の用はそこまで時間もかからない様な気もするので、とりあえず今どんな本が売れているのだろうと本屋入り口の一番目立つ棚の方を見ることにした。すると、そこで俺は奇妙なものを発見した。
「おまたせー、あれ、本棚、何見てるの?」
俺がその変なものに心を奪われているうちに瑞穂の奴が帰ってきた。
「あ、いや、別に……」
俺がそういっているそばから瑞穂はそれに興味を持ち始めた。
「うわ、何これ?
『完全殺人マニュアル』、『人の殺し方』、『サバイバルを行なう100ヶ条』、『殺される男、生き残る女』、『千人斬りを目指す本』、『マッスル宮本の殺っちゃい方HOW TO ~昇天ケるわよん~』、『殺人革命』、『殺人力』『殺人チーズはどこに消えた?』……
この平積み、みんな殺し方の書いてある本ばっかじゃない」
俺は本を手に取りながら装丁を四方八方から見比べる瑞穂に頭を掻きながら、受け答えをする。
「まあ、そうだろうな。七月一日が近づいているんだから当然といえば当然だろ?」
「うわ、怖ぁ……」そう呟きながら、瑞穂はハッとした顔つきになる。「あ、でもほっといても七月になっちゃうよねえ。私達も何か一冊買おうよ。用心のためにさ」
俺は顔をピクッと動かしながら答える。
「馬鹿だなあ。そんなの意味ねえよ」
「どうして?」
不思議そうな顔をする瑞穂に俺は説明をしてやった。
「いいか。こんな本に書いてあるのは、大抵一対一がベースだ。
だけど、多分、七月一日には大勢の人間と戦わなくっちゃいけなくなる。一対多数だ。戦争だって、多数対多数なんだぜ? 当日は、こんな本を使うよりかは、よっぱど多数の仲間をつくるほうに気を使ったほうがいいね」
瑞穂が髪の毛を指に巻き付ける。
「ええ、でも、多数同士だったら、本を読んでいたほうがいいんじゃない?」
俺は心の中で舌打ちをした。
「…お前、生き残るつもりか?」
「…え?」
瑞穂が目を見開かせ、俺のほうを向いた。
「どうせ、死ぬんだろ? 殺し合いなんかしたって行き残れんのはごく数人だぜ? わざわざ頑張って生きるぐらいだったら、俺はたった一人殺せれば本望だぜ」
「え?、人一人殺せるの?」
俺は極上の笑みを浮かべた。
「ああ。誰だと思う?」
「え、だれだれ? そいつ確実に殺せるわけでしょ? 教えてよ」
瑞穂が俺の肩に寄っかかってくる。
「ダーメ、ヒ・ミ・ツ」
「えー、なんでー?」
俺はそんな瑞穂の頭を撫でる。
「ハハハ、教えなーい」
お前だよ。
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6/19 二、秋田から来た男
いやあ、もう少しで世の中が終わるさ聞いて東京さ来てみただが、ここまで違うとは思わなかっただなあ。
街にいるおなご達もこげなきれいさ子達ばっかとは思わなかったで。そんな子達が、学校でもないのに制服さ着だまんまでこんな街さ寄り道して買い物しとる。その店の数も半端じゃねえ。秋田じゃ、コンビニやらマグドナルドやらがこないさたくさんなかったで、もうびっくりだ。隣のカボ姉がいってたことさ、本当だったんだべなあ。
んだども、これほどまで東京さ、別世界だとは思わなかっただなあ。
喉乾いたで、ジュースさ飲もうと思って、自動販売機探さねばと思ったら、どこにでもあるんだものなあ。うちの近所じゃ山中酒店前ぐらいにしかないべ。でも、もっとおったまげたのは、全部壊れてるとこだなあ。一つ一つボコンボコンにされているんだものなあ。意味ないべ。んだからコンビニさ入ってジュース買ったら二百円もとられたぁ。東京さ物高いって聞いたけど本当なんだなあ。んでよ。さらにそこでバイド募集の張紙が張ってあって見てみたら、なんと時給三千円だとよ。うちのほうじゃ、せいぜい六百円で、カボ姉は向こうは八百円もするんだって自慢してたけど、あれは嘘だったんだべな。だってオラ、カボ姉のいうこと信じて、もしかしてここは、変なカッコで物を売ってるんじゃないかと思って、めんこい女子の定員胸ドッキドキさせて遠ぐで見てたば、結局ごく普通の制服だったべさ。ガッカリだぁ。
しかもだべ、オラがこの張紙を見てる横で、別の女子高生が同じ張紙を見たんだば。したっけ、すぐに「えーっ、こんな低い時給じゃ働けなーい」とかいうんだべ。オラ、本当におったまげたで。
さらにだ。昼時になって、街の皆が食べてるもんが半端じゃないご馳走なんだべ。
みんなトリュフだの、フォアグラなど、キャビアだのを平気で道ばだで歩きながら食ってるだ。都会の人は金持ちの人しかいないって嘘じゃなかったんだべなあ。みんなそんな贅沢して大丈夫なんかなあ。
道端じゃ外人があんなでっかいダイヤモンドを一万円で普通売っているし。青い変なでっかい頭巾を被っている人たちも多いだ。
本当に東京さ、凄いとこなんだべなあ……
一九九九年 六月 二十日 (日)
29
6/20 一、東京都浅草界隈にて
小学校生活の最大の楽しみといえるかもしれない修学旅行。
そこで僕らは飛行機に乗って、ここ、浅草へとやってきた。
東京の治安が急激に悪くなっているらしいから中止しようとの案もPTAの方から出たが、そんなのどこだって一緒のことだろうと保護者達の猛反対を押し切っての決行だった。
もしかすると人生最後の思い出となるかもしれない。そう考えるとその一瞬一瞬を噛み締めようと自分の心に誓う。
そして、一日目の今日は浅草寺や雷門を観て回る。
テレビなんかで一度や二度か目にしたことはあるけど実際にはどんなものなのだろう? そんな風に僕が期待に胸踊らせていると、小峰君が急に大声を出した。
「おい、ちょっとあれ見てみろよ!!」
僕は小峰君の指差す方向を向いた。
そこにはガタイが大きくて髭モジャの人、同じような酒樽体型でスキンヘッドの人、汚い長髪の人、おそらく六カ月くらい水しか口にしていないんじゃないかと疑うくらい痩せこけている眼鏡の人、その他大勢の男の人達が、スパッツ一丁で何かを叫んでいた。
「我々は悲しんでいる!」
「我々は悲しんでいる!!」
「ここ最近、男どもが女の方々に暴行を加えているという話をしょっちょう聞く。同じ男として恥ずかしい限りだ!」
「恥ずかしい限りだ!!」
「男どもよ! そんなに童貞は情けないのか!!」
「男どもよ! そんなに童貞は情けないのか!!」
「そこで我々は今日から、俺、柏崎を中心として新しい会合を結成する!!
その名も……」
「「童貞のまま死ぬ会」」
「だ!!
俺達は今まで一度たりとも女性にモテたことがない!!」
「俺達は、今の今まで一度たりとも女性に優しい声をかけられたことがない!!」
「だけど、女性が嫌がっているというのに、どうこうしようと考えたことなど、一度たりともない!!」
「女性が嫌がるのに、なんとかしようなどと考えたことなど、一度たりともない!!」
「皆が風俗に駆け込んで慌てて童貞を捨てようとしているときも、俺達は迫害を受けながら必死に貞操を守っていた!!」
「皆が童貞を捨てようと慌てて風俗に駆け込んでいるときも、俺達は迫害を受けながら必死に身の潔白を貫いた!!」
「大体何故、人は皆、童貞や処女を捨てた日を気にするのだ!!
そんなものを競い合ったところで百害あって一利なしだ!!
もし童貞や処女を失ったのが早い奴ほど偉かったんなら、児童虐待を受けた子どもは神か!!
そんな子どもらは苦しんでるのと違うのか!!
てめえらのどうでもいい性への追求が、人の心を歪ませているんじゃないのか!!
穏やかな人の心を狂わせているんじゃないのか!!
だから、俺達は七月一日、もし、死を迎えることになっても童貞のまま死ぬことを宣言する!!
文句あっか!!
ぬおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「カッコわりぃー、ただ自分たちがモテねえのをひがんでいるだけじゃんかよなあ。行こうぜ」
「うん」
僕らは彼らを見なかったことにして商店街のほうに足を踏み入れた。
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6/20 二、父親 唯野 繁樹(その三)
人を殺す。
眞知佳は本当にそんなことをしようと思っているのだろうか?
わからない。
ただ、眞知佳が今そのことを掲げる暴走族に入っていて、彼らがその殺し合いを行おうとしている七月一日まで、もう二週間を切ってしまったのは確かだ。
眞知佳は優しい子だった。動物の死にも敏感に反応できる、感受性の豊かな子だった。そんなことをするわけがない。するわけがない……
考えているうちに自分が惨めになる。
…ならなんで、あの子はあんなところに入ったというのだろうか? 殺し合い、そもそもそんなものが起こりうる可能性があるのだろうか?
起こらないなら起こらないほうがいい。しかし、ここまで世の中が実現するというムードに高まっている以上、何人かは間違いなく手を下してしまうだろう。何人かとは一体どれくらいの人数を指すのだ? 百人なのか? 千人なのか? 一万人なのか? …それとも一億人の単位なのか?
その間に警察は介入してくれるのだろうか? いや、警察官自体が、噂に従ってしまったならどうだ?
そしたら、眞知佳もそんな中の一人となってしまうのか……?
いや、そんなことは絶対にさせない。その日まで私は眞知佳を家につれて帰るんだ。そして、たとえ本当に最後が近づいているのだとしても、それまでに私は眞知佳と笑って過ごせるならそれで……
それは昨日の夜ことである。
私は今までの聞き込みをして調べた情報をもとに、眞知佳のいる暴走族が日頃どんなルートを走っているのかをまとめ上げた。そしてその前日にその情報の通りに彼らが国道を走っている姿を確認したので、いよいよ尾行を開始することになった。
だが、その前に一つ問題があった。その後を追う方法である。
学生の頃に一人旅でもしようと取得したはいいが、その後卒論に追われて、一度たりとも使用することのなかった七五〇ccの免許。これがまさかこんなときに日の目を見ることになるとは思わなかった。バイクは退職金で中古のやつをポンと買った。外観なんか構ってられない。スピードが出ればそれでいいのだ。教習所以来久し振りに乗るバイク、もはや運転の仕方なんて忘れてしまったが、これでなければ小回りが効かないのだからしょうがない。不安交じりだったが、他に頼れるところもないのだ。
私は気合いを入れるためにまず、自分の掌に唾を吹きかけた。
エンジンをかけて発信するとすぐさま前輪が浮き上がったが、なんとか持ちこたえる。そのまま慎重に道路にまで進むと、だんだん昔の勘を取り戻してきた。
大きな道路に出て少し、早くもそれらしき音が遠くのほうから聞こえ始める。私は速度を上げて国道を走っていくと、三十人ぐらいのバイクに跨がった若者達の集団を確認した。
私は懸命になって我が娘の名前を呼ぶ。だが、それは彼らのエンジンの音で掻き消される。それでも何度も何度も叫び続ける。すぐに手の届くところまで来るとさすがに彼らにもその声は聞こえたようだ。彼らは私の存在に気付くと一瞬ひるんだが、その後に私を巻くようにスピードを上げる。
私は負けていられないと必死になって追いかける。
やがて見えてきた料金所。彼らはなんとそのまま駆け抜けてしまった。ここで差をつけられては適わない。悪いとは思いつつも、私もその後に続いた。
彼らはハイペースで高速を走っていく。法定速度なんてもはやとっくの昔に超えている。私も破れかぶれでアクセルを握る。
視界がだんだん狭くなっていく度に恐怖がどんどん私の体を包み始める。
駄目だ。もうこのスピードについて行くことなんてできない。このままいくと死ぬかもしれない。そんなこともぼんやりと考え出す。
私は歯を食いしばった。
いや、私は死なない。死なないんだ!
眞知佳ともう一度、出会うことができるまでは……
………
その後、どれくらいの距離を過ぎたのだろうか?
一度パトカーが追いかけてきたのをどうにか引き離し、どこかもわからないような料金所を出てしばらく行ったところの大きな駐車場で彼らは止まった。
私はすぐさま胸のあたりに手を当てる。まだ生きている。よかった。私は尾行に成功したのだ。
「眞知佳ぁー」
私は暴走族達のほうに駆け寄る。
眞知佳、眞知佳、眞知佳。どこだ? 私の眞知佳はどこにいる? 派手な格好をした男どもが私に対し、「誰だ、このオッサン」「ゲッ、本当に最後までついて来やがった」「来んなよ、エロオヤジ」などとの罵声を浴びせてきたが構わない。私は眞知佳を探す。
人並を掻き分け、個人個人の顔を見ていく。違う、違う、こいつも違う……
「…おい、オッサン」
私は突然一人の男に襟首を掴まれた。
「…なんだよ! 離してくれ!!」
私が抵抗を試みて手足をバタバタさせていると、その男の後ろからなんと眞知佳が現れた。
それは前に見たときとは全く別の姿であった。髪の色は真っ赤で、見たこともないような軽装の服を着て、耳には無数のピアスをつけて。しかし、今はそんな格好のことを気にしているときではない。
「眞知佳、眞知佳!!」
私は懐かしさのあまりその名を何度も口にしていた。私を担いでいる男は眞知佳のほうを向く。
「眞知佳、こいつに何かいってやれ!!」
すると、眞知佳は俯いてしまった。
そうか、やっぱり眞知佳は父さんのことが恋しいんだろ? 父さんが大事なんだろ? なあ、なあ……
「帰れ! 帰れよ!!」
眞知佳が急に叫んだ。
「もう遅いんだ。もう手後れなんだよ……」
眞知佳が泣いている。眞知佳、どうして……
「さ、わかっただろ、オッサン。早く帰んな」
離せ!! ああはいっても眞知佳は私を必要としているんだ。あの涙が何よりの証拠じゃないか。
「…なんだよ、その目は。すぐに帰ってねんねします、っていう顔ではなさそうだなあ。やんのか? あんた一人で俺達に勝てるわけなんてないだろ。大人しくしないんならこうするしかないなあ」
おい、何をする!! 何をするんだ!!
私は体を近くの電信柱に括り付けられた。
暴走族は私のバイクを鉄パイプで壊したあと、また自分たちの単車にまたがり始める。眞知佳は、さきほどの男のバイクの後部へと座った。エンジン音が響く中、眞知佳はくるりとこちらのほうを振り向いた。そして、何をいうでもなく、そのままどこかへと去っていった。
おい、待て。待ってくれ……
眞知佳、眞知佳……
……畜生!!
その後、朝、犬の散歩をしていた人によって発見、救助された私は、その人にお金を借りて、もはやスクラップと化したバイクを置き去りに家路に着いた。
眞知佳、父さんが悪かった。もう父さんに笑いかけてくれなんて頼まない。もう父さんと楽しくご飯を食べようとなんて頼まない。
だから、お願いだ。もう一度だけ、私のことを、「父さん」って呼びかけてくれ……
………
もう私だけでは何をやっても無駄かもしれない。
眞知佳が変わらない限りどんなことをしても徒労で終わってしまうだろう。
何か、何かいい方法がないだろうか?
そんなとき、私はこんな新聞の折り込み広告を見つけた。
<家族関係修復屋>
余りにもインチキ臭い名前だったが、私はこれを目にした瞬間に、本当に藁にもすがる思いで電話をかけていた。




