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人類全てが殺し合う  作者: 熊谷次郎
48/60

第八章 その一

曲がりなりにも世界の終わりを提言してしまった人間達。


彼らはそれまでの間、どのように考え、どのような行動に走るのだろうか?


 第八章 ザ・パラレルワールド


   1999年 六月 一日 (火)




   64


 


 6/1 一、ワイドショーにて


 


 本番に突入してあらかじめ用意されたVTRが終わると、私はカメラに向かって一礼をし、この番組放送開始当初から比べると随分とおでこが後退した人気コメニテーターの増中にコメントを振った。


 「さてさて、増中さん、あの噂、所謂ノストラダムスの第予言に乗っ取った奇妙なゴシップが人間が殺し合う日としている七月まであと一カ月と迫ったわけですが、それによって各地で、学校などを辞めて、街中をうろつく若者たちが増えているという統計も出てきたようです。このことについてどう思われますか?」


 増中は、その特徴あるおでこにまるでタコのように皺を寄せながら辛辣そうな口振りで話し出す。


 「ハイ、これは非常に危険なことだと考えております。何が危険って、その若者達は自分達の手でそれを引き起こす気でいるわけです。今街中を歩くということは、当日俺達は人を殺すんだという宣言になるわけですね。しかも、それが全国規模にまで広がっているという。彼らにそんな思い込みがある限り、それを本気で受けとめる人間は、世間にとめどなく広がってしまうのではないでしょうか? …そうしたら、本当にその七月一日、もしかするとそれが起こりうる可能性もありますよ」


 「そうですか」カメラがこっちのほうによってきたので私は別の質問をする。「では、増中さん、これを広げてしまった背景にはマスコミ各社の行き過ぎた報道合戦のことが問題として指摘されていますが、その点についてはいかがですか?」


 用意された原稿を読みながら、「おいおい、これは自分たちの番組批判じゃないのか」という疑問を持ちながら、最後までいい終えてしまったが、増中はそのことに気付かないようで手振り羽振り答える。


 「ハイ、私は全くその通りだと思います。


 一部マスコミの面白そうなものには何でも飛びつけという姿勢から、ノストラダムスのいい加減な大予言なんかが世の中に出回って、それの単なる悪乗りでしかなかった筈の噂をここまで飛躍させてこの世に浸透させてしまった。


 この責任は大きいです、ハイ」


 おい、ここで同意しては駄目だろ。番組成り立たなくなるんじゃないのか?


 ディレクターがセットの裏で何かをしている。彼がいわんとすることが私にはわかる。私は今の部分をはぐらかすように、増中に全くアドリブで別の質問をぶつけた。


 「一方で、青い装束というんですか? それを着た、CPPEE、正式名称『地球環境の完全保全を遂行する会』なる集団が急速に勢力を伸ばしているとの情報も入ってきておりますが」


 増中は、先程のコメントのまずさに気がつかないようで、そのまま文化人気取りのいい顔で、その口を動かし続ける。


 「ハイ、そのことに関して、オXムのときにもいえることだったのですが、勉強などに一辺倒で特別な思考、例えば道徳的な考え方、宗教観などを持たずに育ってしまった若者達が、自分達の閉塞感を感じたりしてしまって、その横でぱっと切り開かれて受け入れることになったのが、オXムとか、えーっと、なんですか、そのクルピーの考え方だったわけです。


 しかも、この会の掲げている内容の中で凄まじいのは、そもそも、人間は地球にとっていらないもの、だから排除してしまいましょうというもので、今回広まった噂とまさにピッタリきてしまうんです。


 以前からの善意から成り立っていた自然保護運動の上にその殺し合いというものが独り立ちしてしまった。まさに恐ろしい思考を伴った集団といえます。


 彼らの持つ人間の存在には正当性がないという考えが、人の心の闇に潜り込み、このような事態を巻き起こす引き金となっているのではないでしょうか?」


 まあ、これでなんとかあの部分は誤魔化すことができたのはないだろうか。最後の締めとして、私は増中に結論を求めた。


 「…では、増中さん。もしこの噂の流出、これ以上の広がりを食い止めるにはどのようにすればいいのでしょうか?」


 増中は得意気な顔で即答した。


 「ハイ、簡単な話です。


 マスコミ各社が、総力を上げてこのような報道を即刻やめればいいのです」


 ………


 私は何事もなかったかのようにいった。


 「はい、増中さん、ありがとうございました。


 続いてはこちらのまたまたショッキングな話題ですーー」


 


 


   63


 


 6/1 二、パン屋ヤラセにて(その一)


 


 今日もまた暇である。


 毎日毎日朝早くからパンを焼いているというのに全く儲かりやしない。もともと立地条件も悪いのか他の商店街の奴らは意外に繁盛しているみたいなのにこっちのほうには店の前に客すら通らない。国全体が不況の真っ最中っていうのもわかるが、こうも赤字続きだと店にただ突っ立っているのも気が滅入る。


 そうだな、そろそろ店番変わってもらおうか。俺のこの店は自宅も兼ねている。二階にいるであろう俺が昔結婚した女に声をかけた。


 「おーい、おーい、お前聞こえないのかー?」


 「なーんでーすかー?」


 大声で呼ぶと、やっと女房ののぶとい声が返ってきた。


 俺は少々腹を立てながら、女房のいる二階へと向かう。


 居間では、女房が薄手のセーターから三段腹を恥ずかしげもなく見せるだらしのない格好で寝そべりつつ、煎餅を二三枚一遍にバリボリと頬張りながらワイドショーを見ていた。


 俺はいつもながらの行動に怒りが最高潮に達する。


 「なんですかー、じゃないだろ! 人がこうして汗水流して働いているときに。どういう身分なんだよ、お前は!!」


 「汗掻いて、ですか? どう見てもそんな風には思えないけど。それに急がしいってんなら何で店番をしてないんだい?」


 クッ、人の揚げ足取りやがって。


 「悪かったなあ、いつもの通りだよ。誰も来てやしないよ。それより店番交代だ、店番交代!」


 「なんでよー」


 なんだよこいつ、食って寝るだけか自分の仕事だっていうのか。文句いいたいのはこっちなんだよ!!


 「なんでよー、じゃねえってんだよ。ただでさえ客乗り悪くっていらいらしてるんのによお。他人を怒らせるようなこというんじゃねえ!!」


 そんなとき俺はふと、ブラウン管の方向にふと目をやった。


 「このテレビ何やってんだ?」


 「ああ、この世が終わっちゃうとかなんとかっていう話だよね。こんなの信じている奴らって本当にいるんだね。


 世の中物騒だねー。ああ、やだやだ。うちらには子どもがないくてよかったねえ。あんた下手で」


 俺はその映像を見ているうちに一つのアイデアが思い浮かんできて、女房の悪口も聞こえなくなっていた。


 「ちょっと、ちょっとあんた、どうしたんだい?」


 俺は女房のの呼びかけに六回目で気付き、そっちのほうに顔を向けた。


 「い、今ちょっと新しいパンを考えたんだ。今からそれを開発するわ。買い出し行ってくっから、その間、お前店番頼むわ」


 俺はすぐさま店を飛び出した。


 「…え、待ちなよ、あんた。どこ行くつもりだい?


 しかし、そのときには返事をするべきもう俺はいなくなっていた。


 「行っちゃったよ。あの悪口が本当に気に触れたのかねえ。ったく、何考えてるんだか……」


 (続く)


 


 


   一九九九年 六月 二日 (水)


 


   62


 


 6/2 一、システムエンジニア 茂村 建


 


 「おい、茂村、また遅刻か!! 今度遅刻したら減給どころじゃすまないからな!!」


 「……はい、すみません、本当にすみませんでした」


 俺はハゲ親父に向かって、頭を下げた。そんな最中俺は思った。


 ったく、何でこの俺がたかだか駆け足の差で京浜東北線に乗り損ねて数分会社に着くのが遅れたくらいで怒られなきゃならないんだ。俺は東大理工学部主席卒業のエリートだぞ!! どういう理由で二流大学出のお前ごときに俺を文句をいう権利がある? ただ単にお前のほうが多く歳食ったってだけだろ? 本当は俺は自宅から三歩歩いたくらいで目眩がするほどナイーブなんだ。ちゃんと辿り着いただけでありがたく思えってんだ。


 こんな奴、殺してやる。こんな無駄な奴、殺すしかねえ!!


 そのためには今俺が自宅のアパートで設計しているあれが必要だ。


 あれさえあれば、こんな奴ら、一瞬のうちに、ドッカーンだ。


 (続く)


 


 


   一九九九年 六月 三日 (木)


 




   61


 


 6/3 一、中学生 山下 望美(その一)


 


 先輩。


 平泉先輩。


 私、先輩のこと、一年の初めの頃、校庭で一目見たときからずっと好きでした。


 ダッシュのとき歯を食いしばながらも懸命に練習をしているその姿、その真摯な眼差しに、私は心を奪われたのです。


 私は先輩に少しでも近づこうと、すぐに陸上部への入部を決めました。


 といっても、もともと運動音痴だった私は、そこでの練習についていけなかった。


 頑張っても頑張っても、みんなについていくことができない。やっぱり先輩は雲の上の存在なんだなって、改めて認識したりしました。


 特にこれといった理由もなく、ただ、先輩への憧れだけで入ってしまった陸上部。そんな奴は本来、その門を潜ることすら許されていなかったのでしょう。入部して一週間後、ここにいる資格がないと思った私は顧問の先生へ退学届けを持っていこうと決めました。 そんな行きの道中、何と私は、先輩と廊下で出くわしてしまったのです。そのとき以外にも先輩は私に声をかけてくれました。


 「君はさ、確か、山下さん、だったよね」


 先輩が私の名前を呼んでくれた。それだけでも私が陸上部にいたという成果はありました。だけど、それだけ、それだけなんだって思って、挨拶をして通り過ぎようとしたときに、先輩はまるで私がこれから何をしようとしていたのか見透かしていたようにこんなことを訊いてきたのです。


 「…山下さんは、どうして陸上部に入ってきたの?」


 タイミングの悪いときの突然の質問に、私はたじろいでしまいました。まさか、本当のことをいえる筈もありません。


 私は咄嗟にこういいました。


 「…あ、あの、私、体が弱かったんで、少しでも鍛えられればいいなって、…それで入部をしたんですけど……」


 その際、勿論、辞めるということは伏せて。そして「ごめんなさい」といって、立ち去ろうとする私に、先輩はこんな言葉をいってくれました。


 「…なら、最初から、みんなと合わせられるわけなんかないよ。遅くたっていいから自分のペースを守って走るほうがいい。そして、一日では駄目でも、一週間、二週間、一カ月っていう具合に少しずつ少しずつペースを上げていけば、いつかそのうちみんなにも追いつけるようになれる。本当だよ。吉岡先生にもいっておくからさあ、まずはそれで頑張ってみなよ。大丈夫。できないことはからさ」


 先輩の励まし、その一言一言が自分の情けなさや不甲斐なさに身に染みて、嬉しいやら、恥ずかしいやらで涙が溢れてしまいました。


 そんな私は先輩はそっと頭を撫でてくれたーー


 私は辛くてもいいから、陸上部を続けてみようと決心しました。


 そして、一年の時が過ぎ、私もだんだんみんなに追いつけるようになり、今ではついに先輩と同じ種目、百メートル走で選手としてユニフォームを貰えるくらいになることができました。


 それもこれも全ては先輩のおかげです。ありがとうございました。


 先輩。


 先輩の最後の大会が近づいています。あと、二週間、悔いの残らないように精一杯、頑張ってください……


 (続く)


 


 


   一九九九年 六月 四日 (金)


 


   60


 


 6/4 一、週刊誌の記事より


 


 <同窓会ブーム!? 居酒屋連日大盛況の謎>


 


 『一九九九年七の月といえば、そう、有名なノストラダムスの大予言によると、恐怖の大王がそれから降ってくるときだとされていた。それも今は昔の話。今ではインターネットの噂から、殺し合いが始まる日としての認識が世に広まって、老若男女問わず知れ渡っている。ただ、昔も今も変わっていないのは、七月に入れば、世界が滅びるという痛切だけ。今のほうがそれがよりいっそう具体的になったということで、人々はきっと焦りの色に包まれていることだろう。


 そして、そしてこの世が終わるという話を信じ込んだ人々が、是非死ぬ前にもう一度あの人に会いたいという願望があるらしく、今同窓会が大ブームである。そこで我々は当編集部の記者は、自身の同窓会に出席、侵入し、その幹事や出席者達にその経緯や経過について話を貰ってきた……』


 


 


   一九九九年 六月 五日 (土)


 


   59


 


 6/5 一、某居酒屋 一九八九年度A市立A中学卒業生


三年B組同窓会会場にて


 


 会社帰り、俺は久し振りにA駅に降り立つと駅一枚の葉書を持って、昔通学路としてよく通った道を歩く。


 今日は久しぶりに中学時代の懐かしい面々と会えるのだ。あれからどれくらいの月日が経ったのだろう? 確か十年くらいか?


 実は成人式にも、同様のクラス会を行なっていたそうだが、俺は二浪中だったので、間近に迫るセンター試験のために行くことができなかったのだ。馬鹿仲間のタク達は元気にしてるだろうか? 初恋の安井さんはまだ結婚していないだろうか?


 しかし、この辺もだいぶ変わったもんだなあ。昔はこんなにビルとかコンビニなんかなかったのに。


 地図によればあそこの提灯の居酒屋が会場だ。『A市立A中学校一九八九年度卒業生3年B組様』。ちゃんと立て札も出ている。


 そういえばここも大手チェーン店の居酒屋だ。そういう時代の流れなのかなあ……


 残業でちょっと遅くなったからな、みんなもう楽しくやってる筈だよな。


 俺は、暖簾をくぐると一瞬立ち止まる。


 あれ? 何か変な音がしなかったか?


 まあいいや、中に入ればわかるか。俺は引き戸に手をかけた。


 「よお、みんな、久し振……」


 そのとき、俺の顔の横すれすれをコップが通り過ぎて、路上にてガシャンと音を立てて割れた。思わず、その方向に目が行く。そうか、これが奇怪な音の原因か。何なんだ? 誰か喧嘩でもしてるのか?


 しかし、そうではなかった。それどころの騒ぎではすまなかったのである。中の光景を見て俺は自分の目を疑った。


 なんと、そこにいる人間全てが全て、更なり椅子なりハンドバックなりを手に持って、格闘を繰り広げているのだ。


 「何なんだ。ここは……」


 その面々にはやはり見覚えがある。元クラスメイトの連中に間違いない。そう、聞こえる声も確かに記憶に残っているものだ。だがしかし……


 「あなた、私が真鍋君のこと好きなこと知ってて、付き合ってるところをみせてつけていたでしょ! せっかく身を退いてあげたのにさ!!」


 「違うわ、誤解よ!!」


 「てめえが俺のカンニングしたのを先公にチクったから、俺は今もフリーターで先行きが見えねえんだ!!」


 「お前、最後の大会の前、自分がレギュラー取りたいからって、俺のこと、わざと怪我させたんだろ。知ってんだぞ!!」


 だがしかし、その声のどれもが、その時代には少しも聞いたことのなかった波長で発せられたものであった。


 今も尚、現状がうまく飲み込めない。


 ちょっと後退りしようと足元を確認すると、床には人形らしきものが真っ赤な液体にまみれで転がっていた。よく見るとそれは担任の山ノ内先生だった。


 俺は呆然と立ち尽くしていると、誰かがこっちを向いて、目が合った。覚えている。あれは確か……


 「おい、てめえ、羽生、中学ん時は散々おれのこといたぶってくれたよなあ……」


 そうだ、日下だ。俺がいじめていた日下。


 でも違う。そうじゃない。そう、そのときは俺はお前がみんなに嫌われる言動をしているのが、お前自身わかってなかったみたいだから、だからお前のためを思って……


 俺は必死になって店を飛び出そうとしたが、足が思うように動かず、派手に転んでしまった。既に後ろには、片手にナイフを持った日下がすぐそばまで近づいてきていた。


 


 


   58


 


 6/5 二、県立B高校一九九六年度卒業生同窓会後帰り道


 


 居酒屋入り口、帰ろうとする私に、親友の典枝がわざわざ席から立ち上がりこちらまで来て声をかけてきた。


 「ねえ、麻美、本当に二次会行かないの?


 関野君も行くんだよ。麻美、あんなに好きだったじゃない」


 私は、その言葉を聞きながら、店内の時計を一瞥した。


 「うん、ごめんね。関野君を好きだったのは昔の話。


 明日も仕事早いし、帰ってすぐに寝なきゃ……」


 典枝が残念そうに手で首を擦る。


 「そっか、デパートは休日も出勤しなきゃいけないのか」典枝はしばらく私から目を逸らしたあと、改めて、私の顔を見た。「ねえ、大変? デパガ」


 私はその質問にビクッと体を動かすも、その行動を典枝に悟られないように自分では平静を取りながらこう返した。


 「うん、まあ、そうだね。最近になってまたお客さんが入るようになってね。不況だ不況だって、課長達もいつも騒いでたんだけど、いよいよ景気回復かなって……」


 誤魔化せたかな、と思いながらも、「ふーん」などといいながらじっと視線を送り続ける典枝に私は軽く呼吸を止める。典枝はふーっと息を吐いた後、しみじみとした表情でこういった。


 「麻美、大人だね」


 「え?」


 予想外の反応に一瞬、思考が飛んだ。


 「だって私まだ大学生でちゃらんぽらんやってるのにさ、何か置いてかれちゃったなって感じしてさ」


 そうか、そんな風に思っていたのか。私は私を尊敬の眼差しで見る典枝に向かって首を振った。


 「そんなことないよ。典枝だって来年は就職なんでしょ? そしたらあなたは大卒じゃない。高校卒業の私なんか適うわけないんだから」


 「そんなことないわよ。私なんかいっつも遊んでいるだけ。仕事してるあなたのほうがすんごく立派だよね、翠?」


 典枝は、近くの席で私達の会話を聞き耳していた翠に話を振った。


 「うん、そうそう、私達なんか、いっつも合コンやってばっか。毎日毎日毎日、合コーン、男男男って感じ」話を振られた翠は、酔っ払っているのか、席から立ち上がりながら叫ぶ。そんな彼女を典枝は指を差しながら、私を肘でつつく。


 「こんなんでしょ? これに比べちゃ全然立派よ」


 それを聞いた翠が典枝の体にまとわりつく。「何よ、典枝ちゃーん、そりゃないんじゃないのー」


 そうこうしているうちに二人が簡単なプロレス技の掛け合いを始めた。高校以来に見た回りを盛り上げるための二人のふざけ合い。


私は久し振りに心の底から笑った。




 「じゃあ、私は」


 「うん、仕事、頑張ってね」


 私は典枝達に向かって手を振った。


 結局、あの後私は三十分もその場に残った。会場の変更にともないみんなと別れることとなったのだ。あんなにはしゃいだのは本当に久し振りだった。


 でも、それはもう終わり、また明日からいつもの日常が待っているんだ。気を引き締めていかなくっちゃ。


 このクラス会は地元の居酒屋で行なわれた。東京のほうで寂しく一人暮しをしている私にとってはこの薄暗い帰り道も愛しい青春の記憶の宝庫だ。


 またいつ来ることができるんだろう? もう一度来れるのかな……


 そのとき、関野君は、一体どうしてるんだろう?


 ああはいったけど、やっぱり気になる。


 でも、私には仕事場で知り合った婚約者がいるんだから、そんな欲張りなこといってちゃいけないよね。


 そんなことを考えながら歩いていると奇妙なことに気がついた。


 え?


 私のハイヒールの音のほかに別の人間の足音が近づいてくる。様子見のために私が歩くのを止めると、怪しい足音の方も止まってしまった。


 …誰かが私をつけてきている……


 私は恐くて後ろを振り向くことができない。私が早足で歩き出したら、後ろの人間も早足で追いかけてきた。


 体中に恐怖が駆け巡る。私はハイヒールを脱ぎ、全力疾走をし始めようとしたとき、背後から聞き慣れた声が耳に届いた。


 「ごめん。畑野さん、気ぃ悪くした? 俺だよ、宮田だよ。み・や・た。覚えてない?」


 私はゆっくりと体を振り返らせる。


 本当だ。宮田君だ。間違いない。ちょっとだけ雰囲気変わっているけど確かに宮田君だ。


 「…なんだ。宮田君か。びっくりしちゃったじゃない。脅かさないでよ」


 私はホッとした。なんだ、余りにも不審な行動をとるから変な想像しちゃったじゃない。彼ならば同じクラスで大人しい子だったし、信頼できる。


 「なあ、畑野さん」


 宮田君が改まって私の名前を呼ぶ。


 「…なに?」


 宮田君は下を向く。何だろう?


 彼が照れ臭そうに頭を掻きむしる姿、そして、この雰囲気はもしかして……


 「俺、実はさ、ずっと畑野さんのことが好きだったんだ!」


 やっぱり……


 うん、でも、ごめんね。私は今結婚を前提に付き合っている人がいて……


 そういおうとしたとき、突然彼に口を塞がれた。私が何をされたのかわからないでいるうちに彼はそのまま私をすごい力で人気のない路地へと連れ込んでいく。袋小路にて私は体を倒され、彼が馬乗りになってくる。そして、彼は懐に隠し持っていたナイフを取り出すとそれで私の服を引き裂いてきた。


 私は必死に抵抗するも、宮田君に「動くな」と一蹴されると、本当に体が動かなくなってしまった。


 「助けて! 助けて!! 助けて……」


 そう心の中で何度も叫ぶ。しかし、どうやってもそれが声にはならない。


 「畑野さん、好きなんだ。愛してるんだよ……」


 彼の言葉。嘘だと思った。本当に愛しているなら、こんなこと絶対にするわけない。私は彼に殺されるんだ。助けて、誰か……


 ん!? あれは……


 「き、木谷君!!」


 私は無我夢中でその名前を呼んだ。助かった。私は助かったんだ。


 「何やってんだよ、宮田!」


 よかった。木谷君が来てくれたなら大丈夫だ。彼はクラスでも一番のスポーツマンだった。何もやってなかった宮田君よりかは力も強い筈だ。きっと彼なら……


 しかし、私は一瞬でその思考を否定する。


 でも、宮田君はナイフを持っている。それも刃渡り二十センチぐらいの大きいものを。素手の木谷君はもしかすると返り討ちに遭うかもしれない……


 いや、もっとよく見ると、木谷君もナイフを持っている。しかも遠くからでも宮田君のものよりも大きいことがすぐにわかる。


 大丈夫、これなら……


 ……え!?


 「……き、木谷、君?」


 私の呼びかけに木谷君は応答してくれない。


 「まさか、宮田も同じこと狙ってたとはなあ、俺も仲間加わっていいか?」


 「…ああ、勿論だ」


 その後、私は何があったのか全く覚えていない。


 


 


   *


 


 <その約二週間後の週刊誌記事>


 


 同窓会、行ってはいけない!!


 


 近頃、同窓会のブームが起こっていると、二週間前発売の本誌でも紹介したが、その一方で同窓会に絡んだ事件が続発している。


 レイプが起こるというのは当たり前、あるところでは同窓会中に参加者全員が殴り合いを行い、死者まで出る事態となった。


 どうやら長年の恨みを募らせていて、かつ、もう少しで世界が終わるかもしれないという懸念から(それが絶対的なものではないのにも関わらず)そういう行動に駆られるようだ。


 本誌読者の諸君は、このような惨劇に巻き込まれないように、同窓会にはくれぐれも注意して参加してほしい。万一、やましいことがある場合、参加自体を見送ったほうがいいだろう。……


 


 


   一九九九年 六月 六日 (日)


 


   57


 


 6/6 一、父親 唯野 繁樹(その一)


 


 眞知佳、父さんが悪かった。父さんが全て悪かったんだ。許してくれ。


 確かに、お前の母さんが死んだとき、父さんは家に帰れなかった。母さんの死ぬ瞬間を見取ることができなかった。いや、母さんが病気になったときでさえ、父さんは仕事一辺倒だった。母さんの異変に気づいてやることができなかったんだ。


 そうだった。


 父さんは眞知佳に責められた。父さんがしっかりしなかったから母さんを死なせてしまったって。眞知佳に泣きすがれて、父さん、眞知佳と約束をした。父さん変わるって。眞知佳に二度と寂しい思いをさせないって。


 だけどごめんな。父さん、全然変われなかった。それどころか前にもまして仕事人間になってた。


 ごめん、ごめんよ。本当は父さんも寂しかったんだ。母さんが死んで、そのあとどうすればいいのわからなくって、より一層仕事をするようになった。心の中にぽっかりと開いた穴を埋めるために、仕事に身を沈めるしかなくなっていた。だから、母さんのときのように眞知佳の変化にも、全くわかってやれなかった。眞知佳があんなにも父さんのこと大事に思ってくれてたなんて、そんな肝心なことさえわかってやれなかった。


 眞知佳。辛かったんだろ? 苦しかったんだろ?


 それは父さんも一緒だったんだ。


 でも、それじゃ父さんのとった行動のいいわけなんかにはならないよな。眞知佳を独りぼっちにしたりして。だけど、父さん、眞知佳が離れてやっとわかったんだ。父さんもやっぱり眞知佳のことが大切な存在なんだって。


 だから、眞知佳、行かないでくれ。変な暴走族の一味なんかに入らないでくれ。また私のもとに帰ってきてくれ。


 お願いだ、お願いだ……


 (続く)


 


 


   一九九九年 六月 七日 (月)


 


   56


 


 6/7 一、新聞記事(一面)


 


 おう、今日も新聞届いたか。年を取ると目が覚めるのが早くなって困るねえ。朝刊でも読んで時間でも潰さんとな。


 えーと、今日は月曜日だから新聞薄いな。新聞記者は何をやっとるんだーって、その中全体が休みなんだから起こることも少なくって当然か。えーっと、一面の見出しは、なになに?


 


 <全国で自殺者急増 四月調査開始から二カ月で昨年の一年分三万人を越す>


 


 『警察庁の調べによるとここ数日間の間で若者を中心に自殺をする人が急増。六月一日までに、三万人を越す自殺者が出ている。


 警察では、近日に突然流された「七月一日に人間全てが殺し合う」というゴシップによって暴走し始めた世間に嫌気がさし、自らの命を絶とうと試みる人間が増えたのではないかという見解から、警察庁では今後自殺者を減らす意味でも、追加の調査を急いでいる』 


 私は思わずいった。


 「カー、勿体ねえ」


 


 


   55


 


 6/7 二、システムエンジニア 茂村 建(その二)


 


 朝、俺はさっきコンビニにいって買ってきたオニギリを頬張りながら自前のタイマー付き爆弾の回路を見る。今のところ、計画は順調に進んでいる。俺は、手に付いたご飯粒をしゃぶると、デザートのプリンに手をつけた。俺は、先程のコンビニでの出来事を思い出す。俺がオニギリとこのプリンを買ってきたとき、俺のことを定員の茶髪はレジのほうを見ながらにやにやと笑ったのだ。奴は自分のした行動が俺に気づかないと思っていただろうが、俺ははっきりとこの目で確認した。奴は俺のことを馬鹿にしたんだ。「朝からこんなものを買ってどうするんだ。え? どこぞのおっさんよー」きっとそんなことを考えていたのだろう。これを食う以外にどんな方法で使うってんだよ。なめんなよ、小僧。あれ、会社じゃなくてお前に使ってもいいんだぞ?


 ーーあれ、というのはいうまでもなく爆弾のことである。


 俺はここ数日、このプログラミングや基盤製作に熱心に取りかかっていた。これをあらかじめ用意した次元装置付きの爆弾とともに会社のパソコンにセット。そうすれば、七月一日の午前九時を過ぎた時点で、パソコンを立上げた瞬間に仕掛けた爆弾がドカーンと爆発する仕組みだ。


 インターネットを経由して必死の掻き集めた爆弾の材料。これだけあれば、あんなちんけな会社、ビルごと爆破できるだろう。


 奴らめ、お前らがたった一人のしがない社員の一人だと見縊っていた俺の力を思い知るがいいさ。


 電話が鳴った。ちっ、多分、会社に出ろっていう催促だぜ。面倒くさいなあ。とりあえず俺は受話器をとった。


 「おい、茂村! ちゃんといるんじゃないか。さっさと会社に出ろ!! さもないとクビにするぞ!!」


 その言葉を聞いて俺はぐっと歯を食いしばる。ここまで準備しておいて会社に出入りできなくなるのもまずいな。


 まあ、どうせこいつもそう長くはない命なんだ。今のうちだけせいぜい威張っているがいいさ。


 「はい、すみません。課長、ちょっと熱があったもんで休んでいたら遅くなってしまいました。今すぐに向かいます……」


 俺はそういって受話器を置くとと、ゆっくりと背広に腕を通し始めた。


 (続く)


 




 


   一九九九年 六月 八日 (火)


 


   54


 


 6/8 一、宗教法人養成セミナー


 


 朝、ポストを見たら、新聞と一緒にこんなビラが入っていた。


 えーと、なになに?


 『確実に儲かる、宗教法人養成セミナー、六月八日開講。


 これであなたも億万長者!!』


 へえー、宗教で儲けられるのか。セミナー代ってのはいくらだ? …『一回十万円を、毎週一回週三回。全ての講義を受ければ三十万円になります』ぅ?


 …うわ、高ぇ……


 でも、本当に億万長者になれるんだったら、安いよなあ。まあ、今どうせ会社辞めちゃって暇だし、失業保険でお金にも余裕があるからな。とりあえず騙されたと思って行ってみるか。


 


 目的のセミナーは第三セクターによってたくさん作られたと思われるビルの中の一つのテナントで開催されていた。


 こんな見るからに怪しいセミナー、来るのは俺ぐらいだと思っていたんだが、結構人がいるもんだなあ。この部屋の前のほうの端っこにいる奴なんて、明らかにこれもんの人じゃないか。


 うわ、どうしよう? こんなインチキ臭いとこ、やっぱり帰ったほうがいいかな……


 ヤベッ、誰か来た!


 二つあるうちの前のほうの扉から、青い背広に丸眼鏡という出で立ちの、三十ぐらいの男が現れた。どっからみても、普通の人間じゃねえか。こんな奴にカリスマ性があるなんてとても思えんがなあ。


 男は傍らに白い箱を持っている。テレビなんかで、「何が入っているのかな?」っていうリアクションを見るためのお約束のクイズのときに使われそうな大きさの箱だ。これを何に使うかっていえば決まっている。


 「えーっと、これからセミナーを始めます。料金は十万円をキャッシュで前払いです。では手前に座っている人から順にこの箱の中に十万円現金をご確認の上、お入れ下さい」 うわ、やっぱり、先に金とんのかよ。まあ、しょうがねえな。


 箱の横に列ができ、眼鏡が札の枚数を調べ、次々と手続きを終了させている。


 おい、十万円っていったら、税抜きだったらうまい棒が一万個買えんだぞ。どれくらいの価値かわかってんだろうなあ。つまんねえ、講義だったら承知しねえぞ!!


 そんなことを思いながら、俺は箱の中に金を入れた。やはり、結構な金額なので入れるときに自ずと息をゴクンと鳴らしてしまった。


 ビラに現金でと書いてあったので俺は財布にその金額を一応用意してきたが、準備ができない奴、冷やかしの奴はすぐさま帰らされた。しかし、そんな中一人だけ例外の奴がいた。


 「おい、てめえ、こんな高い料金吹っかけてきて何様のつもりだ!!」


 さっき見たヤクザだ。奴が眼鏡の胸倉を掴んだのだ。


 お、いいぞ、いいぞ。やっちまえ。


 しかし、眼鏡はそれでも尚平然としている。


 「別にいいじゃないですか。聞きたくなかったなら払わなければいいんですよ」


 それを聞いてヤクザはもっと凄む。


 「何を、てめえ、なめたマネしやがって、これ以上こっちを怒らせたら、頭の一つや二つ、とってやるっていってんだよ!!」


 おお、殺人現場が見れるかもしれないのか。それだったら、ある意味十万円ぐらいの価値があるかもなあ。


 だがなんと、眼鏡はまだ顔色一つ買えない。


 「別にこっちはあなたに殺されようとも構いませんが、今、私を殺せば、あなたは一攫千金のチャンスをその手でみすみす逃してしまいますよ。


 それに今、ここで我慢して、皆が帰った後なりなんなりに、私たちが集めたお金を踏んだくることができれば、あなた、十万円の呼び水で丸儲けですよ。ここは大人しくお金を払ってください。


 それとも手持ちがないから騒いでいるんですか?」


 おい、この眼鏡、今何つった? こいつは利益がなくってもいいのか? それとも、よっぽど盗まれない、そして、ヤクザとドンパチやっても大丈夫っていう自信があんのか? 一体バックにどんな奴がついてるっていうんだ? もしかして期待してもいいのかもなあ……


 ヤクザはその声を聞いて手を振り解いた。そして懐に入れていた十万円札を大人しく箱の中に入れた。そうしてここにいる全員がお金を払うと、眼鏡は外にいた仲間らしき奴に金の入ったの箱を渡した。そいつは箱を持つとどこかへと消えてしまった。


 ああ、ヤクザ、騙されたな。いや、まだ決まったわけでもないか。


 気がつくと眼鏡は既にしゃべり出しそうと首をぐるぐる回して準備していた。


 


 「はい、本日から始まります。宗教法人養成セミナー、お相手を務めさせて頂きます、青井と申します。今まで、私は某信仰宗教の教祖をやっておりましたが、残念なことに一度警察パクられてしまいました。どうにか出所して、また懲りずに新たな宗教を始めるために資金作りをしようとこのようなセミナーを開いた所存でございます。


 まあ、皆様も、そこのヤーさんも肩の力を抜いて、ゆったりとお聞き下さいませ。」そうやって奴は頭を下げるとすぐさま内容を切り出す。


 「えーと、早速私の結論から申しますと、宗教というものは、そもそも、弱者をすくってあげることなのです。


 ここでいうすくってあげるとは、まあ、大抵の方が救急車の救の字を思い浮かべるとでしょうが、勿論違います。網で魚を掬いとる、の掬うの字です。


 早い話が俎板の鯉と化した弱者から、ジャバジャバお金を掬い上げることをいいます。 まず弱者を集めるということからレッスンをしていきましょう。


 弱者達にはまず間違いなく欲求があります。


 例えば、幸せになりたい、お金持ちになりたい、健康な体でいたい、痩せたい、きれいでありたい、異性にモテたい…などなど。宗教というものはまずそこを攻めます。


 まあ、いってみれば詐欺師みたいなですね。似たようなものです。宗教とはある種の詐欺行為なのです。


 たとえ、どんな宗教的な考え方でもって毎日神様にお祈りをしたところで、到底現状に劇的な変化が起きることはないでしょう。そんなもんです。あるのは、いかに自分が幸せでないかということを誤魔化す方法でしかないのです。人の幸せとはまさにそこなのです。


 たとえ、今熱々のカップルが幸せの絶頂にいたところでいたところで、その同じ時間に隣ではレイプや殺人が起こっているかもしれないわけです。いつその被害者にならないという保障はないでしょう? 何せ『やらない』というだけでこの回りの人達全てが他人を殺せるわけですしね。やらないと、いうだけで」俺は奴がこのやらないという部分に妙にアクセントをつけていいながらニヤリと笑ったのに妙に違和感を覚えた。しかし、回りの奴らはそんなことを気にする様子もなく聞き続けている。


 「そう、どんなに議論したところで、結局は宗教は欺きの一つであるという事実を拭い去ることなどできないのです。


 はい、皆さんわかりましたか?


 そうです。イエス=キリストも。ブッタも、マホメットも、最終的には『俺、凄いっしょ? 俺、いいこというっしょ?』といいたいがために、はたまた、『これほどまでに偉い奴がこの世にはいたんだぜ、だぜ、だぜ!!』っていう風に自分の名前を後世にまで残たい、広めたいがためでしかないのです。


 カトリックの避妊をしていけないというのが最も顕著な例ですね。


 カトリックの教徒の子どもはまず間違いなく親からカトリック教徒にさせられるでしょう。それを避妊という行為で遮られたら困るわけです。そう、そのために、たとえ信者の家族が子どもの増え過ぎで貧困に喘いでいても知ったこっちゃないということです。


 このように弱者を使って、自分を株を上げる。これが宗教運営の基本なのです。


 この日本には弱者が溢れかえっています。特定の宗教を持たないからというのが一番の理由ですが、いやあもう、そりゃあ節操がない。そこで、私が、この手の人間には、こういう弱者のタイプが多いということをプリントにまとめました。


 皆さんにお配りしますので、その紙を見ながら私のいった言葉を皆さんも続けて口に出していただけるようお願いします。


 では、紙を配りますよ。…はい、これ、これ、これ……」そういいながら奴は変な文章の書かれた紙を配り始めた。前の奴が紙を一枚とると、紙束を後ろの奴に送る、という方法でたった今、一番後ろの俺の席に紙が行き届いた。


 「はい、皆さん、行き渡りましたか?」奴は訊ねる。確かにこちらにも配布はされたが、ここに来た時点で紙は五枚くらいあった。余った紙を俺は高く上げてぺらぺらという音を立てながら振る。


 「あ、余ったのは後ろに置いて頂いて結構です」俺はその声を聞くと後ろの机に残った四枚を置いて、改めて紙に目を通す。…何じゃこりゃ。


 「じゃあ、いきますよ。皆さんご一緒に。


 金だけで 中身ないのよ 日本人


 なら埋めましょう 一千万で せーっの、ハイッ」


 突然の話に誰もが面を喰らう。あちらこちらで奴の言葉を反芻する声がタイミングもバラバラで小さく鳴った。


 「あれぇ? 皆さんどうしたんですか? 声が小さいし、調子も揃ってないですよ? こんなんじゃあ、宗教なんてとてもとても無理ですよぉー。じゃあもう一回行きます。


 金だけで 中身ないのよ 日本人


 なら埋めましょう 一千万で、ハイッ」


 「金だけで 中身ないのよ 日本人


 なら埋めましょう 一千万で」


 今度はみながきれいに大きな声で言葉をいった。


 「はい、自分の心のスキマを他人に埋めてもらおうとすると、それぐらいは平気でボられますよといった現実が、見事にあらわれている短歌ですね。あれ、つまんないですか?」誰も何の反応も残さない。


 「まあいいですか。次いきましょう。


 この後は全ては川柳ですよ。


 はい、主婦達は 健康平和で ガッポガポ」


 「主婦達は 健康平和で ガッポガポ」


 みながやけくそ気味で叫び始めた。


 「若い娘は 美容ちらつかせ ワッハッハ」


 「若い娘は 美容ちらつかせ ワッハッハ」


 「男ども 女と物欲 ザックザク」


 「男ども 女と物欲 ザックザク」


 「暗い人 性格変えて ウッシッシ」


 「暗い人 性格変えて ウッシッシ」


 「サラリーマン 金金金金 ガハハハハ」


 「サラリーマン 金金金金 ガハハハハ」


 反唱が終わると、奴はパチパチパチと一人手を叩いた。


 「はい、皆さんよくできました。本日の第一回セミナーの内容はこれで終わりです。第二回は来週の火曜日の予定です。予定のない人、気が向いた人は十万円持ってまた来てくださいね。では、皆さん、さようならー」そういうと奴は入り口へゆっくりと歩いて向かって出ていった。その姿を見てここにいるほぼ全員が呆気にとられていた。


 どうやらこのまま、解散らしい。奴の話を聞いていて吐き気が込み上げてきたため、行きに払った十万円のこともすっかり忘れて、ふらふらとセミナーのあったビルから出た。 帰りの電車の中、ふとあのヤクザのことが気になった。あんな奴から十万円取り返そうでもと思ったのだろうか? 第一回……


 ふと、その言葉を口の中で転がした。


 ………


 なに! 来週もあるのか!?


 (続く)







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