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人類全てが殺し合う  作者: 熊谷次郎
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第五章 五節

   5 一九九九年 五月 二十七日 (木)


 


 …な、なんてことをいうんだよコイツは。


 先生はみんなのことを思って正しい言葉を放っているんだ。


 それを本人は本当は心にも思っていない? しかもそれを周囲にいうことで他人に嫌われる?


 先生を侮辱する気かよ。何の根拠を持ってそんな出鱈目をいえるんだ!?


 ………畜生、胸がムカムカする。


 僕は拳に精一杯力を入れる。一発ぐらい殴ってやりたい気分だ。


 「どうしたんだい? 何か君を怒らせるようなことをいったかい?」


 僕は藤代をきっと睨む。


 しかし、奴は全然物怖じしない。


 「何なら僕を殴ってみるかい? 僕はさっきもいったけど紳士なんだ。一発や二発、頬に深いのを入れられたくらいで君をどうにかしようなんて考えないから」


 そんな罠に引っ掛かるものか!! 行き場のない怒りは右手を強く握り締めた際に爪からつたって流れ出始めた血に表れていた。


 僕はカラカラの喉に密閉された部屋の中、淀んだ空気を飲み込む。


 「お前は一度も先生に会ったことがない筈だろ! どうしてそんなこといえるんだよ。何も知らないくせに全部知っているような口利きやがって!!」


 藤代のそんなことを感じさせる態度がさっきから気に喰わなかった。


 僕は確かに今、殺し合いをやめさせるような説得の材料を持っていなかった。


 その点では完璧に僕の負けだ。


 …そして奴は僕の世の中を元に戻すという心の拠所を一つを壊し、もう一つ先生のことにまで足を踏み入れようとしている。


 今、僕にとって先生は命よりも大切な掛け替えのない存在なんだ。


 その先生のやることを完全否定なんかさせてやるものか!!


 藤代はそんな僕の心が読めたのか、またも無気味な笑みを浮かべる。


 何だよ。何がおかしいっていうんだよ!


 「いやあ、これがわかるんだよな。ちょっと頭を捻ってみればさあ」


 …なんだと!?


 「考えてもみなよ、さっきゲームがどうのこうのっていうので話したけど、この世の中は競争主義で成り立っているんだ。多くの人間達が『勝ち』を求めて生きている。


 これは学校でも間接的に習うことだ。


 自分の思った通りに勉強ができた奴がナンバーワン、できなかった奴はカスってな具合にさ」


 …カス……


 藤代はそう口にした。でもここでの言葉はstrangerの際にいっていた悪口とはまた別のものなのだろう。


 おそらく本人の言葉ではなく世間一般の認識として表現したまでだ。


 自分は一応違うところに入るがそれは母親に強制されたことが大きい。多分歯車が違っていたらその立場に置かれていたのだ。


 だんだんこの世に嫌気が差してくる。


 ……でもそれは今考えちゃいけない。いけないんだ。


 「…でだよ、その競争社会で好き勝手に自分達が勝つようにやっていると、自分達はいいけどやられた相手にとってかなり理不尽の方法をしてまで勝とうとする人間が現れてくる。


 負けたほうは当然それに納得いくわけがない。


 それをなくそう、フェアにやろうぜっていう負けた側から見た正論がやがてルールや法律、憲法なんかをつくっていくわけだ。


 ここまではいいかな?」


 ちょっと納得いかない言葉を使っている部分もあったが、僕はとりあえず頷いた。


 「だが、どうだい?


 勝ちたい奴は本当はどんな手を使ってでも勝ちたいわけだ。自分達の勝ちをどんどん広めたい。そこでルールが決められているのが気に喰わない。だから、できるだけ見つからないような方法でルールをこっそり破る。それで勝てて、しかも誰も気づかなきゃ知らんぷりだ。


 負けた側は事実がわかれば勿論怒るはずさ。


 それはルール違反じゃないか! それでなくても俺らは負け続きなんだ。どうして勝っている奴がルールに背くんだ。


 …俺達だって本当はそれをしたいのに……ってさ」


 僕はただ唖然とするしかない。


 藤代は肩を上下に揺らす。楽しくてしょうがないっていう雰囲気だ。


 「早い話が犯罪っていうのは罪に問われなければやり得なわけだ。物を盗んだほうが得。人を殺したほうが絶対的に得。よって、やらないように刑期なんてものをつける。


 逆をいえば正論というものは自分のしたいことを束縛するものでしかない。


 だから、正論を突きつけられた奴は自分と行動の自由を奪おうとする人間を嫌うし、自分をルールの中で縛って生きている奴が、好き勝手に行動している奴を見れば、自分もそうなりたいと思う筈だろう。それを振り切るかのように、ルールを破っている人間達に対して、文句をいったり、やらない自分が正しい、偉い人間だと思いこんだり、そいつに制裁が加えられることを願ったりすることで勝ったような気になったりしてね。


 でもそれは自分の首を絞めることになろうとは本人達もわかっていないみたいだけどさ」


 藤代の言葉を聞いている最中、僕は先生の顔を思い出していた。


 先生、先生……


 あなたの周りで皆が自分の思い通りにいくような行動を毎日繰り返しています。それによってあなたは傷つけられもともと繊細だったあなたの心はもうボロボロの筈です。


 それでも何故、何故他人のことを想うのですか? それでも自分の正しい道を信じようとするのですか……


 僕はあなたのために正しいことをする人間がよりよく過ごせる世界つくろうと願いました。だけどその願いは叶わないそうにありません。


 …誰もその世界の存在を望んでいないのです……


 


 「どうだい? わかった……おや?」


 藤代は僕が涙を流していることに気がついたようだ。


 藤代は絶対にこんな僕を詰ってくるだろうと思ったのに、どういうことか何もいわなかった。


 沈黙の中、僕はただただ泣き続ける。


 負けだ。それだけでなくてこんな情けない姿をこの男に見なければならないなんて。


 そんな状況に自分自身で嫌気が差して僕は遂にこんな言葉を口にしてしまった。


 「…もうわかったよ。僕は何もできない。


 お前の殺し合いを食い止められるわけなんかない。もうお前らの行動に邪魔なんかしないよ!!」


 僕は自分の目から溢れる涙を腕で拭いた。


 「ああそうかい、もっと面白い話をしてあげたかったのになあ」


 「黙れ!!」


 藤代が少し笑っているように見えたので、僕が一喝すると、藤代は「ああ怖い」などとわざとらしく身を縮める素振りを見せた。


 僕は涙と鼻水でぐちょぐちょになった顔を奴に方に向ける。


 「…帰らせてくれるんだろうなあ……」


 藤代は大袈裟に踏ん反り返ってこういい放つ。


 「道生君、君ねえ、人に頼むときの態度がなってないんじゃないのか?」


 ……それもそうかもしれない。


 そう思って床に膝を付けると何故か藤代は僕にやめろと手を出す。


 「…ジョークだよ、ジョーク。そんなことしなくていい。


 僕は紳士だっていったろ? 帰してあげるよ」


 この期に及んで胸くそ悪いジョークだ。


 藤代がパチンと指を鳴らすと、先程の青装束がこの部屋に入ってきた。


 藤代は最後、「ではまた」などと口にした。


 奴はいろいろな看破をしてきたが終わりになって、その読みは外れた。


 僕はこの時点で「それはないな」とそう思い込んでいた。


 青装束に僕は案内されてCPPEEのアジトを後にする。


 おそらくここには一時間もいなかったろう。


 …なのに外を見た瞬間、まるで何年もの時が過ぎたかのようなそんな錯覚を感じた。


 目に映る景色が急に色褪せて見える。


 ここにきたということがそれだけ自分の中の感情を激しく変化させたのだなと改めて認識した。


 


 駅。


 僕はそこで一つの電車に乗る。


 家行きの、ではない。僕の中で次なる目的地はすでに決まっていた。


 僕はそこに辿り着くまでただただ窓の風景をぼんやりと眺めていた……





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