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人類全てが殺し合う  作者: 熊谷次郎
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第五章 四節

   4 一九九九年 五月 二十七日 (木)


 


 「ほほう、それはどんなだい?」


 藤代は腕を組みながら、僕を興味深そうに見つめる。


 「…人を思う心だ!」


 藤代が含み笑いを浮かべ、「ふんふん」などと頷く。


 笑い事じゃない! こっちは真剣なんだ。


 「僕は小学生から中学の二年になるまでずっと友達がいなかった。中学の三年生になったら、それに加えていじめられ出したりもした。僕は塞ぎ込んで人間なんかともう関わらない。人生なんかもうどうでもいいと思うようになった。頭には何の未来も思い描かなくなった。


 …だけど、高校に入ってから一人の先生に出会って僕は変わったんだ。


 その先生は僕は両親にすら優しくされたことがないのに、ただ僕の副担任だったっていうだけで、無愛想で何の反応も示さないような僕に、声をかけ手を握ってくれた。そして僕のために泣いてくれた。


 負け続きの人生でも、先生のために生き続けようと思ったん……」


 「ねえ道生君」


 急に藤代が割り込んでくる。何だよ、何が文句あるんだよ!


 「それって、確かにそのときは君の頭の中で思いもしなかったことなのかもしれない。だけど、きっと心の中でいつかそうなってくれることを思い続けていたことじゃないのかな?」


 ………


 あっ!と思う。しかし、これが駄目なら僕は反論の余地がないのだ。僕は強引に言葉を続ける。


 「だけど、その人たちにだって人を受け入れる心はきっとある筈さ。その心を膨らませることができれば……」


 「どうやって?」


 藤代の視線が僕に冷たく刺さる。


 「でも、僕にだって先生のような人間が現れたんだ。誰にでも現れるチャンスがあるんだ。あるんだよ!」


 藤代が手を組み、前傾姿勢をとる。


 「道生君、それって真咲の日記に書いてあったあの女の先生のことかい?」


 僕は眉毛をピクつかせる。


 「そうだ! それがどうしたっていうんだ!!」


 「道生君、これは単なる質問じゃないか。そんなに大声でいわなくっていいよ」


 僕は口元を一瞬だけ歪める。


 「…お前が僕の下の名前を何度も気安く呼ぶからだ!」


 藤代は顔をニヤッとさせる。


 「いいわけはいけないなあ、その先生とやらには名前をいって貰えれば嬉しいんだろ?」


 僕はその言葉を無視した。


 そうしているとまた藤代が勝手に話し始めた。


 「恋ねえ。結構、結構。できるうちにしておくがいいよ。


 まあ、君の心の扉を開いてくれた、そんな立派な女の方も明日にでも交通事故にあうなり暴漢に襲われるなりして死ぬ可能性だってあるんだと思うんだけどね」


 僕の体に戦慄が走った。


 …まさか先生を……


 そんなわけはない。藤代は先生の顔は愚か名前も知らないはずだ。単なるたとえだ。しかもそんな可能性は米粒ほどでしかない。本当はこの場で話題として持ってこなくてもいいような確率なのだ。


 気にするな。気にするな。


 「なに目を瞑っているんだい?」


 「関係ない。もう終わりか? 続きがあるんならさっさとしゃべろ!」


 「そうかい? だったら」


 もう終わりだと思って鎌をかけたら、奴はまた語り出した。


 「君がいうように出会いのチャンスがいくつでもあるっていうのは確かさ。でもそれが実を結ぶ可能性なんてのはごく僅かだ。しかも、簡単にインスピレーションなんかでできるようなものほど実際壊れるのはたやすい。相手も自分も身なりだけでものを判断しているわけだからね。見飽きるなり、相手の嫌な部分がちょっと見えてきたりなんなりして、相手の姿形に魅力を感じなくなってしまったらすぐにパアになってしまうわけさ。


 まあ、君は最初あんなに女嫌いだったのをその先生が直してくれた。君の場合は自分の思考を変えてもらうような紆余曲折を経てそうなったみたいだから、ちょっとやそっとで想いが壊れたりなんかはしないと思う。


 ただ、そんなに人の思考ががらっと変わるような、さっきいっていた負けが連なった人間が君みたいに、それを補えるような人間に都合よく会えるはずなんてない。


 向こうから来てくれるとものと勘違いして永遠に待ち続けるのが関の山さ。やっと来てくれたっていう人間がさらに自分に負けを呼び起こしたりしてね。


 …うちの妹見ればわかるだろ?


 君のケースが奇跡に近いのさ。それをみんなに当て嵌ようとするなんて愚の骨頂だよ」 そうだ。そうだよ。僕だって小学校中学校と心のどこかでその存在を待ち侘びていた。そして、もはや諦めかけていたところで現れたのが先生だった……


 僕はうなだれる。


 このまま僕は負けるのかもしれない。


 この男に何の抵抗もできずにこの場を立ち去らなければならないのかもしれない。


 …いや、帰れるのかも現時点では分からない……


 しばらく頭の中がぼんやりとして全く思考ができなかった。


 だから、藤代が僕に声をかけていることにすぐに気付かなかった。


 「…どうしたんだい? まだ僕の話は終わっていないよ」


 …もう聞きたくない。


 そんな一言の科白をいうのも億劫になっていた。


 「君のさあ、先生、捻くれ者になっていた君にもそっと救いの手を差し出すようなその生真面目ぇな先生、彼女は周りからどんな風に思われているんだい?」


 ………?……


 そんなことを訊いてどうする?


 何か嫌な予感が僕の脳裏に過る。僕は完璧な敗北を喫して止まりかけていた脳をまたゆっくりと回転をさせる。


 …先生は確かにいじめの標的になっていた。それがどうしたっていうんだ。先生はそれでも一生懸命やっているんだ。


 僕はこのまま何を答えずに先生がこいつに悪く思われるのが癪だからこう答えてやった。


 「優しい。だけど、正しいことは正しい。間違ったことは間違っているということができる立派な先生だ」


 僕はおそらく教室の中にいる生徒の大半が思っているだろうことを排除して、自分の考えだけを抽出して述べた。


 これを否定するような材料何かないだろう。


 「…ふーん、そうか、わかった。ありがとう」


 藤代はそういって指を回し始めた。


 ………


 …ちょっと待て、一体何のために僕にそれを答えさせたんだよ。自分の中だけで納得すんなよ!


 藤代はどこからか綿棒とティッシュを取りだし自分の耳掃除を始めた。


 「…おい、どういうつもりなんだよ。人に質問しといて説明もなしかよ」


 僕が怒鳴ると、藤代は慌てて綿棒をティッシュに包んでポケットに仕舞う。


 「あれ、訊きたいのかい?」


 藤代は耳をタンタンと叩きながらいう。


 「………やっぱりいい」


 藤代の平静さに僕は何か得体の知れない恐しさを感じた。


 「別に遠慮しなくたっていいんだよ?


 ただ単に君の先生のように正論を軽々しく口にするような人間は、本当は自分もそんなこと微塵も思っていないか、逆に思い込みが強過ぎて周囲に嫌われるっていうだけの話なのに」


 僕は耳を疑った。


 そして僕はここに来て度々感じた自分自身が完全否定されるような凄まじい衝撃をまたも受けることになった。





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