第五章 三節
3 一九九九年 五月 二十七日 (木)
「お前何なんだそれ!! 楽しいからって。
…そんなマンガみたいな理由でこの世を潰していいと思っているのかよ!!」
赦せないと思った。こんな奴生きていちゃいけない。
しかし、そんな逆上した僕とは裏腹に奴は全く顔色を変えない。
「ハハハハ、マンガねえ」
藤代は右側の膝を両腕で抱えながら背凭れに勢いよく寄りかかる。
「そういわれればそうかもねえ、さしずめ僕は『デビルマン』でいうところの『飛鳥了』、『寄生獣』でいうところの『寄生生物、パラサイト』、『MONSTRE』でいうところの『ヨハン』っていうところか。僕もマンガのキャラクターみたいになれたっていうことか。光栄だね。
んじゃあ道生君、君はマンガで例えるなら、騙されて連帯保証人に判子を押したがゆえに大借金に見舞われることになった『カイジ』っていうところかな?」
「何をいっているんだよ。変な話題持ってきて誤魔化そうとすんなよ。ちゃんと質問に答えろ!」
さっきから僕は声を嗄らしてばかりだ。落ち着け、平常心で奴の話を聞け、そうすればきっと奴を説き伏せる糸口が掴める。
藤代は頬を左手で擦る。
「君はわからないのかなあ。そもそもこの世の中がこんなふうになったのは、最初にそれをやった人物は純粋に楽しかったからじゃないのか。
例えば学校でみんなはヒーヒー声を上げながら勉強しているけど、最初に学問やっているやった奴は純粋に楽しかった筈なんだ。昔に勉強をやっていた人間達が、今のように偉いことをやっているって思われていたわけではないだろ? 『何馬鹿なことをやっているんだ!』って逆に冷めた目で見られていた。
それでもやがて重宝され始めたのは、そのことの意味にみんなが関心を持ったからなんだよね。
つまり、『何やってんだあいつ!』って思われていたものを、一気に覆すことができた。そんじょそこらの馬鹿と思われていた奴が一気に注目の的さ。
人々を自分の考えで捩じ伏せる。そこに堪らなく快感を覚えた人間がいたわけさ。そんな人間達がやがて街を変え、歴史を作ってきた。
その慣習に習って、僕も人々を自分の考えで混乱に陥れてみました。
はい、楽しかったです、ってわけだ。
少なくとも君に僕がやったことを言及する権利なんかないね。
君だって真咲と一緒にデマ流しに参加したじゃないか。楽しかったんだろ? だから続けた。どうだい?」
……僕は歯をぐっと食いしばる。
確かにその通りだ。僕はそれをやった。でも……
「ああ楽しかったさ。でもそれは何の影響力のない、ただみんなが笑って許せる範囲のゴシップだと思ったからやったんだ。それに僕には元々コミュニケーションをとるための材料がなかった。これがそのきっかけになれば……ぐらいの理由でしかなかった。
僕の中ではそれ以上でもそれ以下でもない。
別に人にそれが伝わろうが伝わらなかろうが僕にとっては全く関係なかったんだ。
でもお前にとってははなっからゲームだったんだ。自分の考えが広まって当たり前、他人は自分の道具、僕やstrangerをお前のただのゲームの駒として弄んでいたんだ。
楽しいことだったったら何をしてもいいのかよ!!
楽しいことだったら人を殺してもいいのか!!
そんなゲームみたいな考え方やめろよ!! 現実はそんな生易しいものなんかじゃいないんだ!!」
藤代が自分のおでこをこづく。
「…ああ、道生君、君はまあだ、わかっていないだね。
この世の中はゲームみたいなもんなのさ。さっき僕はいっただろ? 人の考えを自分の思考で捩じ伏せる。君がやっていたデマ流しはそうではないけど、普通そういうことができれば付加価値ができるんだ。これだね、これ」
藤代は人差指と親指で『まる』をつくった。
お金か……
「そもそも現実は競争社会だ。勝つか負けるか、損をするか得をするか、最終的にどれだけ多くの金を掴めるか。ある意味ゲームなんだ。わかるだろ?」
…僕は何もいい返せない。
「商売の基本は薄利多売だ。他よりもいいものを安く出す。そしてお客さんにガンガン買ってもらう。……ただ、それにも限界がある。つくるのにも仕入れるにも原材料が必要だし、それで結局赤字になんかなったりしたら元も子もない。
そこで出てくるのが、さっきいっていた人々の今までの常識を打ち砕くような新しいアイデアを考える奴だ。
それが皆が面白いっていうんなら、みんなが飛びついて買ってくれる。そうすればその報酬としてお金がたくさん入ってきてウハウハさ。
そして、周りに取り残された奴らはそのアイデアのおこぼれを預かろうとして、右往左往動き始める。
一人の人間が考えたことで皆が影響し動き始めたわけだ。
つまりこの世は自分の思い描く世界にどれだけ多くの人間を染められるかのゲームなんだ。
飛行機をつくったリンドバーグも、電球や蓄音器、映写機なんかをつくったエジソンも、自動車を大衆の手の届くところまで普及させたフォードも、ウィンドゥズで世界のコンピューターの規格を統一させたビル=ゲイツも、皆自分の面白いと思うことを大衆の前に突き出して、それで皆に受け入れられた。
別にここまで話を大袈裟に持ってこなくてもいい。
例えば自分の思い描くことができればそれがその一個人の中ではゲームの『勝ち』となりえるわけだ。普通この社会でではどんなことをやり遂げるんだって他の人間が絡んでくるからね。為すことイコール他人に影響を与える、ってなもんでね。
大学に行きたいって望んで勉強して見事受かれば一つの『勝ち』。あの子のことが好きでお付き合いしたいって告白して、めでたくOKだったらそれもまた一つの『勝ち』。自分じゃなくても子供に夢を託してそれを子供が叶えたなら、それはそれで一つの『勝ち』。
TVゲームが好きな子が人殺しなんかをするっていうのは嘘さ。
彼らは思い描くことが、どうやったって思い通りにならない。あるいは思い描けもしない。簡単にいえばこれが『負け』てるんだね。
だから、みんな無理矢理に誰でも勝てるような方法を模索する。 まあ、これが物を盗むということだったり、人を殺すということだったりするわけだ。
どうだい? わかったかい?」
僕は黙ってそっぽを向く。
…全然駄目だ。いいかえせるわけがない。
口を噤んだままでいると藤代が舌打ちを鳴らした。
「まだ、わからないのかい? …じゃあ、君には特別にどうして新しいアイデアが人々に浸透していくのかを教えてあげよう。
そんな感じに聞こえるようなことをしゃべったけど、実はアイデアがただ単に新しいだけじゃ人々は受け入れたりなんかしない。
そのためには人々がそれを受け入れてその人達自身も得をするっていうときじゃなきゃ駄目なんだ。
さっき例えたリンドバーグの飛行機だって、それで世界中を行き来できるようになったわけだし、エジソンの電球だってくらい夜道に明かりが点るようになったわけだし、フォードが自動車を普及させて、長い距離を移動できるようになったし、ビル=ゲイツがウィンドゥズをつくることで、コンピューターを飛躍的に普及させて世界中の情報を繋ぐ糸口をつくり出した。
人々が受け入れるなりの理由があって彼らは成功を収めたんだ。
道生君、君はここでちょっと気付くことがないかい?」
藤代に声をかけられ、意識が朦朧としていたところでふっと我に返る。
…気付くこと……?
僕は首を傾げる。
…人々が受け入れる……
……あっ!?
僕は声にならない悲鳴を上げた。
「そうそう、僕のアイデアを受け入れる母体がこの世にはあるっていうことさ。みんながみんな、僕の意見を面白いと思って受け入れているわけさ。
僕が提唱した殺し合い、これはさっきいっていたゲームの中で負けている人物が、勝った気になれることができる代物なんだ。
君にはこれが恐ろしいものにしか見えなかったようだけど、他の人達にとってはやっぱり楽しいものなんだ。
もう人生なんて送らなくていい。つらいつらいと呟かなくったっていい。そして死ぬ前に今までのうっぷんをここで一気に晴らすことできる。
君はどうしてここに来たんだい?
自分のデマを改めたい。きっとそんなところだろ?
君はそのためには人生のゲームに負けが込んでいる人たち全員を勝たせてあげないといけない。彼らが思い描くイメージを実現させてあげないといけない。少なくともそれができそうな方法を具体的に提示して説得しないといけない。
どうだい? 君にそれができそうかい?」
僕は急に恐ろしくなってきた。
この会に所属する人間、あの殺し合いに参加しようとする人間はみんなが負けが嵩んでいる?
その彼らの負けを今僕が考えられる範囲の言葉で勝った気になれるようにしなければいけない?
…そんなの無理だ。無理に決まっている。
本当は僕だって、自分の考えが全然思い通りにならない人間だったんだから。負けっぱなしの人生を送ってきた人間なんだから。
…ん? 待てよ。
負け続けてきた人間が藤代の考えたアイデアに興味を持つわけだろ?
だけど僕はそんな藤代のアイデアを懸命に否定しようと、今こうして頭を捻らせているわけじゃないか。
……何故だろう?
僕が当事者であるから? 奴の思惑に加担した責任として?
…いや違う!!
先生がいるからだ!!
先生の存在が今にも崩れそうだった僕の心を支えてくれたから。僕の中に人を思う気持ちが胸に強く宿っているからだ!!
僕は藤代の顔の方に再び視線を合わした。
「……ある。あるぞ!!」




