第五章 一節
第五章 不毛
1 一九九九年 五月 二十七日 (木)
僕は先程初めて会った藤代大樹と今だ二人きり。ここで何を話せばいいのか、わかっている。僕には確かめなきゃいけないことがあるんだ。だけど、奴の雰囲気に負けてなのか、僕は口を動かせないでいた。
「…いつ、僕が関与してるってわかった? まさか、僕の実家に着いたときのことじゃないだろ?」
僕が黙っていると藤代の奴が顎を撫でながら僕に訊ねてきた。
僕は、その様子を見てゆっくりと言葉をしゃべり出した。
「一昨日の電車の中、携帯電話のことで若い青年と五十くらいのおじさんが喧嘩をしているのを見たときだ」
藤代が「ふーん」といいながら、腕組みをした。「じゃあ、君が今立たされている立場というものも、わかっているね」
僕は奴のことをただただまっすぐ視線を送り続ける。僕はそのとき、導き出された一つの結論を口にした。
「ああ、わかっている。無関係だ。僕は今回、お前達が流した殺し合いのデマとは無関係だ」
藤代が、腕を組み直した。
「無関係だなんて、いい過ぎだよ。一応君達の行ったことでもちょっとは噂は広まっているかもしれないじゃないか」
僕は、唇を噛む。
「そんなわけがない。何故なら、僕らのやったことはお前達にしてみれば、やってもやらなくても同じことだった筈だ」
そこまで聞いて藤代はクックックッと声を上げて笑い出した。
「まあ、そうだろうけどさあ……」
奴が認めた。ということは、僕とstrangerのやったことは本当に、デマが流れる根本にはならなかったということがいま証明されたわけだ。
そう、僕らのチャットでの会話がそのままデマの大元だったわけではなくて、奴らが出したメール、それも無作為に出した、俗にいうチェーンメールというやつがこの日本中に爆発的に広まった原因だったのである。
僕がその結論に達した理由は三つほどある。
一つは果たして、本当にチャットだけで全国に広まる噂話がつくれるのかということ。これは予想以上に困難を要することであると思われる。たとえ、どんなに人が見ているチャットでもせいぜい一万人が最高であろう。数百人、よくて千人というのが関の山ではなかろうか?
それだけの人間だけに噂を広めたところでそこからどれくらいの人間に波及するのかと考えると、高が知れているように思う。ただ、サザエさんの噂という数少ない人数から関東規模に伝わった例があるが、それはおそらく膨大な時間をかけて広まったものであろうから速効性はない。それに数々のチャットで確実に受け入れられるとわかっていない情報を流すのは手間が掛かり過ぎである。だから、この方法だけで本当に一カ月で広まったのかと聞かれると無理があるだろう。
次は、流したデマの問題である。僕はチャット上で法律内の弱い電波をFMラジオを聴いているときに受信したと嘘をついたが、これは実はありえない状況なのである。
弱い電波と強い電波が混ざった場合、弱い電波のほうは受信されない。弱い電波よりも強い電波の方をラジオがよく感知するからである。
僕はこれにピースメーカーや他の医療器具が携帯電話などの電磁波によって影響を受けるということから思い出した。携帯電話ほどの弱い電磁波では影響があるのかないのか微妙だという点から、ラジオの電波でも同じことがいえると気づいたわけだ。
こんな嘘が丸分かりの噂が本当に世間に広まるのかというと疑わしい。専門的なことにちょっとでも詳しい人がいれば、これがあからさまな作り話だということがすぐにわかったはずだ。
そして、最後に、もう既にこの『地球環境の完全保全を遂行する会』が、勧誘のメールを無作為に出している点である。春日君やそのほかの会員達はきっとこのメールを見てこの会に入ったはずだ。これをデマを流すのにも使っていたって別段おかしくはない。…僕らがやった方法があまりにも杜撰なのだから、他の方法で広められたと考えたほうが正直合点がいく。これは、同じ文章を適当な携帯電話の番号にかけ、その後周囲の人間がどの様な反応をするのかを待つだけだから都合がいい。一回でメモリー登録したの五十人分ぐらい一気に送信して、また別の番号をメモリー登録して送信……ということを数人で繰り返していけば一日もあれば一万人にデマのメールを送ることが可能だろう。十日もあればそれは十万人、実行する人間達を増やせばもっとである。その人達が変なメールが来たと思えば、まず間違いなく友達に話すのではないだろうか? その真偽も含めて、ここまで話題が派生のであろう。
そして、その噂を流した主というのは、strangerを間接的に指揮できたであろう人物、藤代大樹しかいないと思ったわけだ。彼が、あのメールにあった名前の会、『地球環境の完全保全を遂行する会』、CPPEEを携えて……
だけど、なんでなんで……
「随分と浮かない顔をしているねえ、道生君、何か釈然としない理由でも?」
藤代が椅子の手摺に肘を立たせ、頬杖とついた。その様子を見て、僕は拳を強く拳を握った。
「なんで、このことはstrangerにいわなかったんだよ。いわなかったら、彼女は、彼女は無実の罪で死ぬこともなかったのに……」
藤代は薄笑いを浮かべる。
「君の思っている通りだよ」
僕は腕が震えるのをこらえることができなかった。
つまり、僕らに罪を着せるため。噂がここまで広まったことで、僕かstrangerが罪の意識を感じた場合、奴は僕らが警察などに自首をするだろうと、そう睨んだのだ。もしそうなったなら、こちらは知らぬ存ぜぬを突き通せば、うまくトカゲの尻尾切りとしての役割ぐらいは担うのではないだろうかとそこまでの計算がなされていたのであろう。
だけど、それは最後までなされることはなく、strangerの自殺という悲惨な結末を遂げ、さらには僕をこの場所につれてくるということにまでなった。
「お前がstrangerを殺したんだ」
その声に藤代がピクンと動いたような気がした。しかし、その後奴が吐いた次の言葉に僕は怒りが最高潮に達する。
「人聞きの悪いことはいうなよ。あれはちょっとした事故だよ。ちょっとしたね」
なんだと!!
僕は奴に向かって飛びかかろうと思ったが、奴が手の平を僕の前に突き出してきたので僕は咄嗟に体を喰い止めた。
「…懸命な判断だね。道生君。ここは僕らの本拠地だ。君の軽率な行動はその後の君の運命を握っているといっても過言ではない」
僕は舌打ちをした。そうだ。そうなのだ。僕はここで十分な立ち振舞はできない。言葉を語るだけ、これが僕のできることの全てだ。 「クックックッ」僕の行動に藤代が声を上げて笑う。「もっとも、僕は紳士だから殴られたぐらいで何かするようなことはないけどね」
嘘に決まっている! 僕はそう思ったが無論その言葉を胸に潜ませるだけで終わった。奴がまたしゃべり出す。
「なんであんな意味のなさそうなデマをあいつに流させたんだっていうことが君が僕に訊きたいことのようだね。それはだね、あいつがさあ、家ん中で腐ったような顔してるからさ。まあ、これは比喩的表現だけど、実際にそんな感じの顔だったよね。
そんな変な顔の妹に僕が肩を叩いて『面白いもんがあるよ』っていったら、あいつは喜んで応じたんだ。勿論これはスケープゴート、一種の傀儡、操り人形だよ。まあそんなことは一言も口にしなかったけどね。
そのときにいくつかこれだけは守れっていう条件を出したんだ。
一つは僕は仲間には加わらない。もう一つは真咲がもし後悔して死ぬようなことがあっても僕がその話を持ちかけたということをを誰にも告白してはいけない。
けど、よくよく考えたら真咲は約束を破ったんだよね。足がつかないようにって一人でやるように強要してたのにさ、結局肝心なときは僕が協力したしさあ、君のあの手紙、最後に彼らの暴走を止めてって書いてあるだろ? これ、僕らのことだろ? …ほら規則違反だ。生きていたらもう一つ反対の頬でも傷をつけてやるところなのに」
「やめろっ!!」
僕は叫んだ。
「それ以上彼女の悪口をいうな」
藤代はそんな僕を見て突然吹き出す。
「ハハハ、何で君はあんなバケモン顔に肩入れをするんだい?
あんな顔の奴のことが好きなったとでもいうのかい?」
僕はいってやった。
「ああそうだよ。あんなきれいな子、僕は今まで見たことがない。できれば結婚してもよかったくらいだ」
藤代が細い目になる。
「ふうん、物好きだねえ、あいつにも聞かせてやりたいくらいだね。『お前がメール交換をしていたLord君はケダモノ好きだそうですよ』って」
藤代はまた口元をニヤつかせる。
「笑うな!!」
僕はまた大声を上げる。こいつだけは許せない。
「何なんだお前! 自分の妹を駒として使っておいて、いざ妹が自分のやったことの重みに耐え兼ねて自殺したら悲しみもしないのかよ! せめて葬式ぐらいでたらどうなんだ? 行けたんだろ? 実際にお前は家に帰っているじゃないか、何をしてんだよ!!」
藤代は腰の位置を直す。
「まあいいじゃないか。その時はいろいろと用事があったんだよ。
どうだい、話、ちょっと長くなりそうじゃないか?」藤代は自分の席と対面にある椅子を手で指し示した。「そこのソファーに腰掛けたらどうだい? 足疲れるだろ?」
僕は怒鳴る。
「必要ない! ちゃんと質問に答えろ!!」
藤代は何故か息をつく。
「ふう、何で生きているうちには何も仏教に興味を持たなかった人間がなんで死ねば仏になれるのかね? 坊さんの金儲けのための儀式かなんかじゃないのかねえ。何で僕が参加なんかしなくちゃいけないんだ。関り合う必要なんかないよ。本当に」
だんだん腹の中に気色悪いものが込み上げてくる。
「お前の彼女とか、大切な人が死んだときお前は何にも思わないのか」
「だって、結局人間死ぬんだし。それが早いか遅いかなんて関係ないよ」
藤代は即答する。
どうしてそんな言葉をこの場で平気でいえる?
僕はそこまできて口を噤む。
…もういい。こんな質問はしていてきりがない。
「…じゃあ、strangerが死んだあと告別式の夜、お前は何でstrangerの部屋には行ったんだ。
まさかエロサイトを見るためだったわけではないだろ?」
今まで奴の態度を見ていてなんとなくわかる様な気がしたが、一応僕は訊いてやることにした。
しかし、その言葉を話し始めたとき、藤代はどうしてなのか下を向いている。よく見ると藤代は腕時計のネジを回して遊んでいた。
僕がしゃべり出したことに気がつくと、咄嗟に僕のほうを向く。
「え? なんだい、もうあの質問は終わりかい?」
クソッ、人を馬鹿にしやがって。
「…ああ、その理由が訊きたいのか。エロサイトが云々と。
まあそうだね、あんまり興味ないね。こんなに面白いことができるんだからねえ。
…ごめん、ごめん、違かったね。
まあ君が来ることを見越おしてたんだよ。真咲の部屋の中にある僕に関する記述をすべて書き直したんだよ。プログラミングをして元々の時間にセーブしたというようにも見せかけたりしてね。
まあ、メールの方は僕が送った指示なんかはすべて消したんだけど、それじゃ、復活させられたらまた読まれてしまう。完璧に消すこともできたんだけどね。それじゃあ余りにも不自然だろ?
だから、あの何も書いてないメールを送ったんだよ。さも真咲が生きてるときに届いたようにさ。
本当はわざわざ自宅になんか戻らなくてもハッキングすればできたことなんだけど、まあついでに母親に顔を見せにね。もっとも怒られることぐらいわかっていたけどさ。
はは、騙された?」
僕は眉間に皺を寄せる。
「どうしてそんなことをする必要がある?」
藤代は開いていた足をわざとらしく組む。
「そんなの決まってるじゃないか。君があたふたしてるところを見たいからさ。まあ、実際に隠しカメラで君を撮影したってわけじゃないんだけどさ、君に困って欲しかったわけよ。
まあ、簡単にいえば賭けしてたんだね、賭け。
君がここまで来るか来ないかってさ、僕は君がちゃんと辿り着くほうに賭けてたんだよ。
真咲の部屋に残したあの変なメールのタイトル、あれがこっちに来いっていう僕のヒントだ。…ヒントじゃないか誘導っていうんだね、これは。相手は消せっていってきたけど、そこまではできないなと思って残したものを見て、それで君はこうしてここまで向かい始めた。
でもさ、その相手、青井って奴がさ、君はここまで来ないっていうんだ。その前に君が恐ろしくなって自殺しちゃうとか何とかいってね。
ほら、君、僕らの会のホームページにメール送ってきただろ?
あれ、本当はメール送ってきた人全員に勧誘メール返してたんだけどさ。青井がこのままじゃまずい、これじゃ賭けに負けてしまうって思って、君にだけはメールを返さないようなプログラミングを施してたみたいだね。
本当、君はあんなに情報がない中でよくこんなところまで来れたねえ、ご苦労さん。そして、ありがとう。これで奴とは一勝一敗。僕のキーホルダーをとられてこのまま駄目ならどうしようかと思ったけど、今回の勝ちで青井の眼鏡は僕のもんだ」
…なんだと、賭けの対照? しかも、僕は眼鏡なんかのためにこんなに苦労をしなくちゃいけなかったのかよ!!
ふと、そのとき、何か自分の中で違和感を覚えたが、それがなんなのかわからなかった。無論、それは一回目は何を賭けたのか、ということではない。…いや、それはどうせ、奴らの掌中で踊っていなければいけなかったのが、癪に触っただけだ。
「なんか不服そうな顔しているねえ。僕が何を賭けたのか知りたいのかな? それは訊いちゃいけないなあ」
そんなこと知りたくもねえよ!!
「お前は僕が来ると思ったわけだろ? 結局お前は僕に素性を知らせることになるんじゃないのか。僕にやらせた今までのことに何の意味がある!!」
藤代は一本髪の毛を引き抜くとそれをフーッと吹き飛ばした。
「君が近くに来たら僕は別のやることがあるんだよ。まあ、それは君には内緒だけどね」
藤代は不適に笑みを浮かべる。
…なんなんだ、それは? 僕に関係することなのか!?
腑に落ちない。あそこまで口に出しておいて僕に知らせないというのは、不愉快だ。だが、ここは我慢するしかない。
この後、いろいろ質問していくうちに奴はうっかり口走るかもしれない。さっき奴がいった通りここは奴の本拠地なのだ。「教えろ!!」などと、熱り立って殴ったりなんかしたら、それは死に値するだろう。
僕は俯いて、口の中で小さく舌打ちをした。
他にもまだわからないことがたくさんある。それをこいつに訊いていくんだ。そして、その中から隙を見つけたなら、そこから奴を一気に説き伏せる。それしかない。
僕は顔を奴のほうに向け直した。
「お前はいつから、どういった目的でこの会をつくったんだ?」
藤代は改めて姿勢を正し、自分のYシャツの袖をまくる。
「目的? そんなの決まってるじゃないか。一九九九年七月一日、みんなで殺し合いをしましょうってのを広めるためさ。
始めたのはそんなに早くはないかな? 大体四月の半ば、ほら、君に『チキューカンキョノカンゼンホゼノ』というタイトルのメールを送ったことがあったろ? そこら辺のときからだね。
『地球環境の完全保全を遂行する会』
ったく、全く長ったらしい名前だよねえ、一体誰が考えたんだろうねえ……って僕か。CPPEEっていう呼称も『おまえはドクタースランプのガッチャンか!!』って感じのものだしね。あれはクピプーか。
The Club for Perfect Protection of Earth's Environment……遂行するの部分がforって訳されているのはご愛嬌だね。CにPが二つ、Eが二つのほうがわかりやすいからさあ。意味もそれで充分通ってるしね」
僕は奴を睨む。
それを見て藤代はまたもにこりと笑顔を見せる。
「どうやって普及させたのか、それも話しておく必要があるかな? 必要ないかな? まあいいや、話すよ。
ほらさあ、ちょっと前に『メリッサ』ってあったろ? コンピューターウイルスのさ、あれをメールに応用したんだ。
一人がメールを開けると、そのパソコンの中にあるアドレスに勝手に同じメールが送られるっていうやつ。まあ、『メリッサ』ほど悪質なものじゃないからさ。それでどれくらいの人が集まったのかな? 最初はインターネットだけの会合だったんだけど今ではこの通りこんな建物を手に入れるまでになった。努力の成果だね」
…嘘をつけ、誰かを騙したんだろ。それを、あたかも自分の実力みたいに。つくづく最低な奴だ。
「なあ、君の質問は終わったのかい? 終わったんなら僕が質問してもいいのかい?」 僕は首を振る。
「…まだだ。お前が僕に話すべきことは山ほどある」
「そうかい、随分ないい方だね。」
藤代が手を上に組んで急に背伸ばしを始めた。
もう飽きたのかよ。少しは緊張感を持てよ!!
「…なんだい。やっぱりないんじゃないのかい? そんなんなら僕がしゃべるよ」
「……あるっていってんだろ。人の話を聞くときは人の目をみろよ!」
藤代はそこで突然欠伸をする。
「ふざけんなよ!!」
藤代が僕の胸に向かって掌を差し出す。
「はいはい、わかったから、聞くよ、聞けばいいんだろ」
さっきから胸がムカムカする。いや、これが相手のペースなのかもしれない。気にするな。ちゃんと自分を持っていけ。
「…昨日、お前の会合に入っている『春日』ていうやつに会った」
「あ、そうか」
藤代が突然手を叩く。
「そうかあ、どうして君が一人でここまでやって来れたのかやっとわかったよ。彼にここまでの道を教えてもらったんだね。
いやあ、君が来るんならきっと、みんなが『行進』をした後に、ぽつんとついてくるんだと思ってたのに。そういえば、彼と一緒の高校だって真咲の日記にも書いてあったのにねえ。ははははは、そうかあ、そうだったのかあ」
本当に殴りたい気分になった。しかしその気持ちをぐっとこらえ続きを口にする。
「…話していいのか?」
「ああごめんごめん。どうぞ」
「彼がなあ、こんなことをいっていたんだ。
人間は自分達の欲望のためだけに行動して、そのために環境は大きく破壊された。それは当然の結果なのに、人間達は自分達のしでかしたことを勝手に騒ぎ出し、自分達がこの星に住めなくなるといけないからという、自分達の一方的な都合から環境保全を掲げ始めた。そんなのおかしいじゃないかって。
本当に地球のためを思うなら、人類全てが消え去るべきだって。…お前は本気でそんなことを思っているのか」
僕がその言葉を語り切ると奴は突然大笑いを始めた。
僕の耳をつんざくような気味の悪い笑い声。
僕が唖然としながら見ていると、奴は腹筋を使った声でこういい放ったのだ。
「そんなこと本気の本気で思っているわけないじゃないか!!」




