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人類全てが殺し合う  作者: 熊谷次郎
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第二章 一節

  第二章






   1 一九九九年 三月 一日 (月)




 日常。


 終わりのない日常。


 僕は、この毎日の積み重ねで形成される日常をただただ延々と繰り返す。


 


 学校。


 僕の日常は大半がここで消費される。


 ここでは、何人もの人間が教室と呼ばれる箱の中に押し込まれ、いろんなことを嫌というほど学ばさせられる。


 僕の通っているK中学は、全国でも『難関』と呼ばれる私立の男子校で、僕はここに小学校四年から三年かけて勉強して受験に合格、入学するに至った。


 この中学に入って三年と少し、僕はここでとても面白いことを習った。


 


 その日の帰り、僕は教室に数学のノートを忘れたことに気づき、そのノートが家で勉強するのにどうしても必要だったので、仕方なく来た道を引き返した。


 誰もいない廊下、音もなくどこか乾いた雰囲気のするこの場所に遠くから部活動をしている連中の歓声が響いてくる。そんな学校生活を楽しんでいる奴らの隅でこんな風に無駄に学校の中を歩いている自分が少し嫌になったりもした。


 いくら足下しか見ずに歩いても目の前に圧迫感が伝わって来る様子もないから、教室に着くまでにも誰一人人となんか出会いやしないだろうと頭で漠然と考えていた。


 しかし、自分の教室に近づくにつれ、奇妙な笑い声がだんだん近づいてきたので、僕の体に自ずと何か重たいものが伸し掛かってきた。


 僕のクラスの奴ではない。きっと他のクラスの馬鹿だろう。


 顔を顰めつつ、僕は教室の扉に手をかけた。


 すると、突然笑い声が止まったので、僕は思わず息を止めてしまった。


 教室の中の三つの影が一斉に僕に顔を向ける。痛いほどのその視線が僕に浴びせかけられる。その視線の持ち主の各々の手には一筋の煙の出るものが握られていた。


 煙草、そいつらは明らかな校則違反をしていた。


 三人の顔は勿論知っていた。


 鼻筋が通っていて、目も大きく、日本人離れした顔をしているのが風間哲史。


 柔道気触れでがたいがよく、髪型もスカッと角刈りにしているのが羽島竜一。


 三人の中では一番小柄で、髪をバサバサと長髪にしているのが、山岸努。


 三人とも授業中にどうでもよさそうなことで騒いでいるし、家でも僕よりも全然勉強しているように見えないのに、何故だかテストの順位ではこいつらの方が僕より五十番は上だった。だから授業中の彼らの行動は教師も学校もお咎めなしだ。


 そんな彼らを僕は多少気に喰わない感じがしていた。しかし、そんなことを僕はおくびにも出さない。干渉しなければ関り合うこともない。一定期間が過ぎれば何事もなく関係も絶ち消えるだろう。それだけの存在だ。そんな風に思っていた。


 少なくとも、この日を迎えるまでは  


 僕はしばらくその場を立ち尽くしていた。あまりにも思いがけずに気まずい場面に差し掛かり、なんだか意識が少し飛んでいってしまっていた。


 「おい!!」


 羽島が突然椅子にギーッというひどく耳障りな音をさせつつ立ち上がった。


 「チクッたらどうなるかわかってんだろうなあ!」


 その怒鳴り声が耳に届いても僕はまだ頭の中がぼんやりとしたままだった。


 「まあ羽島、そんなにカッカすんなよ。見られたもんは仕方ねえじゃねえか」


 山岸が羽島を宥める。僕は山岸の方にぎこちなく顔を向けた。


 「ズボン下げて、チンチンの写真でも撮ろうぜ。確か鞄の中にカメラがあったよなあ……」


 そういって山岸は笑いながらデイパックを漁る。


 なんだか足がガクガクしてきた。


 「あった! ……チッ…、フィルムがねえか。仕方ねえなあ」


 恐かったし、逃げるべきだとはちゃんと思っていた。しかし、この時僕は、どうしてなのか絶対にノートを取りに行かねばいけないという強迫観念に駆られていた。


 ノートを持ち帰らなければ、僕が家でやることがなくなる。


 僕の予定が崩れてしまうのだ。


 今自分の置かれている取り返しのつかなくなるかもしれない危機と、自分の多少遅れたところで後でどうにでもなる様な計画とを無意識のうちに比べて、結局どちらか決めあぐねている自分に嫌悪に似た感情を覚えた。


 とにかく、この時、僕はその場に留まって、自分でもよくわからない思考を延々と繰り返していたことは確かである。その時間はおそらく実際には一分も経っていなかっただろう。しかし僕にはとても長いものに思えた。


 しばらくの沈黙の後、風間が初めて口を出してきた。


 「なあ、お前、確か河原道生だったけなあ」


 僕は突然自分の名前を呼ばれ、ビクッとした。


 「お前の父ちゃん確か、H製薬って会社の結構いい役職に就いているんだってなあ。H製薬っていやあ、一流会社だぜ、スゲェよなあ」


 確かにそうであった。


 何故この状況下で突然父親が誉められるのかは疑問だが、別段嫌な感じはしなかった。むしろその言葉からこの場をなんとか見逃してもらえるのではないかという甘い考えさえ浮かんだ。しかし、次の言葉でそれはお世辞でも何でもなかったことを知る。


 「実はさ、うちの親父さ、そこの会社で今度リストラの係になるんだってさ。…俺のいってることわかるよなあ……」


 その後、僕が奴らのいうことをきかなくてはならなくなったのはいうまでもない。




 そんなことがあって風間達にいじめられるようになってからだいぶ月日の経ったある日、僕はベッドの上でそのときのことについて考えてみた。


 誰がどう見てもあいつらが悪いのだ。


 そうであろう。


 奴らはいくら放課後で人が少ないとはいえ、皆が自由に出入りできる教室の中で、見つかることも恐れず堂々と煙草を吸い、その結果僕にその現場を目撃されたのだ。それを、奴らはこともあろうに僕に脅しをかけ、口封じまでした。


 どんな人間でも、この状況で僕が悪いとはいわない筈だ。


 だけど、何故か僕はそのときまでずっと自分が悪いと思い込んでいた。そして、そのとき、何か悪い出来事が起きたとき、率先して自分が悪いと思い込まさせられることに慣れさせられてしまった自分がいることに気がついた。


 一つ自分を知り、僕は少し泣いた。


 どうしてこんな自分になってしまったのだろう?


 僕はそんなことを考えた。


 そしたらすぐに思い当たる節が脳裏に浮かび上がってきた。


 


 家族。


 主に血の繋がりなどでたまたま縁があった人間同志が一つの屋根の上で暮らしている単位。


 思えば僕は今までほとんど家族にいい印象を持ったことがないことに気づく。




 母親は僕と三つ上の兄の邦生に小学校、中学校と私立の受験をさせた。小学校受験では僕らはともに落ちてしまい、その分を中学の受験でその雪辱させようとしたのだ。


 兄の邦生は母親に従って毎日勉強をさせられるが、またもや失敗。三度の失敗が四回連続であってたまるかと、僕により一層檄を飛ばした。テストで他人よりもちょっとでも悪い点を採ったならば怒られ、満点を採ったならば「また頑張りなさい」と肩を叩き、背中を向けてその場を立ち去っていった。


 こんな母の姿に仕事一筋の父親は何も口を挟んでこない。僕も父親に構うことなく勉強した。


 その結果、僕は今通う中学に入学することができた。


 しかし、それでめでたしめでたしとはならなかった。


 母親が僕に勉強を要求することは変わらなかったし、そして兄は自分がいくら努力しても受からなかった学校に入ったのが気に喰わなかったのか、来年は受験という状況下で突然非行に走ってしまった。兄のそんな姿に母親も気が気でないらしく、とはいえ更生させる術も知らないようで、早々に兄の行く末を諦めて僕に期待をかける頻度が大きくなった。兄の素行は日に日に悪くなり、僕にかかるプレッシャーもますます重くなってきた。


 結局、兄は高校に行くこともなく、どこかにフラフラと出掛けてはほとんど家に帰ってこないというところにまで堕ちてしまっていた。


 僕が中学に受かったせいで僕の家は滅茶苦茶になってしまった。


 でも、僕はテストでいい点を採らなければ、中学に合格しなければ、やはり母親に怒られただろう。


 何をやっても僕は悪い。何をやっても僕は悪いのだ。


 その蟠りを吹き飛ばすために僕は勉強をガムシャラにしたりした。でも大した効果もない。


 そして、悪いという感情を他人に植えつけられながら僕は生き、結果いじめられるという事態に陥ることとなった。


 しかも僕の受難はまだまだ続く。


 今年の始め、僕は聞いてしまったのだ。夜中にひっそりと父と母がしていた会話の中身を。


 その日僕はトイレに起きて、用を済ませた後部屋に戻ろうとしていたときにたまたまダイニングで話をしている二人の姿を見た。


 なんだろうと、遠巻きに様子を窺っていると、二人はやたら溜め息交じりに言葉を語っている。


 「実はさ、人事異動で技術課から突然営業の方に配置換えさせられたんだ」


 「えっ!!」


 「それで給料も今までの30パーセントカットなんだ」


 「………」


 それを聞いて僕の頭には、風間の奴のせせら笑う顔が瞬時に思い浮かんだ。


 単純な話だ。会社ではもはやリストラをしなければ経営が成り立たないところまで業績が落ち込んでいて、父は最初からその対象になっていたのだ。…まだ会社にいられるだけマシだろ、そういうことなのだ。


 その後、僕は二人の、『今住んでいるマンションのローンはどうするのか?』『僕の学校を辞めさせないと家計が成り立たない』といった心苦しい話題を背にしてベッドに入った。


 そのことは近く母親がパートを始めることで、なんとか家も学校の方も現状維持を保っている。


 こんな様相に、僕は罪悪感を感じずにはいられなかった。


 全て僕が悪い。


 そんなことはない。そんなことはないのだ。


 だが、その自虐的な思考から逃れられない自分がいる。


 そんな自分がますます嫌になる。


 だけど、そういうものなのだ。


 全ては決められている。


 死んでしまうその日までぼくは、いつどんなときでも朝が来れば起きて出かけ、その場所で与えられた使命を為さなければならないように。


 なんてことはない。


 これが、僕の日常だ……


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