第四章 七節
7 一九九九年 五月 二十六日 (水)
夕方五時を回った。今あの会の連中はデモをしている時間だろう。
きっと原宿かどこかで。
多分、それに春日君も参加していることだろう。
あと二時間くらいは待たせてもらえないと彼とは会えなさそうだ。迷惑にならないだろうか? 家には連絡を入れておいたほうがいいだろうか?
そんなことを思って立ち上がって背伸びをしたとき、突然チャイムの音が家中を響き渡った。
おそらく彼ではないだろうとは思いつつも、様子を見ようと僕は部屋のドアを開けた。 すると、春日君のお母さんの口から「お帰りなさい」という言葉が発せられるのを耳にして僕は少々びっくりした。
「誰かいんの?」
同い年ぐらいの男の子の声、春日君なのか!?
「うん、あなたに会いに来たっていう人が……」
春日君のお母さんがいう。間違いない、春日君本人だ。
「誰?」
春日君はつっけんどんに訊く。
「中学の頃、あなたと同じ学校にいた河原君って子があなたを訪ねに来たの。あなたの部屋に呼んでるけどいい?」
それを聞いて春日君は怒鳴り始める。
「何で人の部屋に入れるんだよ!!」
人が殴られる音がここまで届いて僕は身を縮める。
「だって、そうでもしないとあなた彼と会ってくれないでしょ?」
「そりゃそうさ、誰かわかんない奴なんかと話すかよ」
「だから……」
「部屋ん中、片付けたりしてないだろうなあ」
「してないわよ、そのままにしてあるわ。彼がどうしてるかはしらないけど……」
うわ、なんかまずい状況になっているようだ。
「なんだよ馬鹿、それを早くいえよ」
彼は階段を駆け上がってくる。
どうしよう。
僕は咄嗟に部屋のドアを閉めた。
ドン、ドン。
ドアを叩く鈍い音がし始める。さっきの一部始終を聞いていたために扉を開けるのをどうも躊ってしまう。
「開けろ、おい、開けろ!」
春日君の声が聞こえたので僕はすぐにパッとドアを開いた。
するとそこには最初、保健室で見たときと雰囲気がガラリと変わった春日君の姿があった。
「やあ、どうも」
僕はとりあえず愛想笑いを浮かべながら彼のご機嫌を伺うが、彼はそんな僕を無視して部屋の奥へと向かって、机の上のパソコンを撫で回し始めた。
「どうやら触られてないみたいだな」
春日君の呟く声に僕は慌てて弁護する。
「何もしてないよ、何にも。ただこの部屋で待たせてもらっただけ……」
「まあ、どうせプロテクトをかけてあるからな。…ん? 何かいったか?」
「………」
どうやら彼には僕の話は聞こえていないようだ。
「いや、別に……」僕は適当に誤魔化す。
パソコンをやたら気にする春日君は、鞄からタオルを取り出してモニターを拭き始める。その作業の最中彼は僕に話しかけてきた。
「ところで、君、昨日秋葉原で見た彼だろ? 確か、僕達に向かって『やめろーっ』とか叫んでなかったか?」
やはり、春日君は僕のことを覚えていたみたいだ。春日君は言葉を続ける。
「すぐわかったよ。あの中学、保健室に入ってくる生徒なんてあんまりいなかったし。 今ここに私服でいるっていうことは君も高校には上がらなかったのかい?」
僕は首を振る。
「いや、違うんだ。…ただ……」
春日君は今回初めて僕の顔の方を向く。
「ただ、何なんだい? 僕らに殺し合いをやらせたくなくってわざわざ学校まで休んだってのかい?」
春日君はそういうと噴き出した。
胸の中に奇妙なものが込み上げてくる。
どうしてだ? どうしてあの日あんなにびくびくしていた彼が今はこんな風に高飛車な態度に出られるようになったのだ。
これも、あの会に入ったからなのか!?
どうしよう? ここは目的のためにはあの話を切り出したほうがいいだろうか……?
そうだ、彼にどんなに虚仮にされても仕方ない。いってしまおう。
「いや、違うんだ。あのとき咄嗟にそう叫んでしまっただけで本当は『止まってくれ、僕も仲間に入れてくれ』っていいたかったのを間違えてしまったんだ。
…だから、僕もあの『地球環境の完全保全を遂行する会』に入会させて欲しい」
これがあの会の所在を知るためにはベストの問いかけだと思った。
しかし、僕のその言葉を春日君はすぐに訝り始める。
「君がCPPEEに? …本当かい? 嘘はいけないよ」
クプピー? なんだ、それは?
「あ、君にはCPPEEがわからないのか。うちの会合の略称だよ。『地球環境の完全保全を遂行する会』、The Club for Perfect Protection of Earth's Environmentの頭文字をとってシーピーピーイーイー、Cが一つの次にPが二つ、Eも二つ。覚えやすいだろ?」
確かに、字面としては覚えやすい部類だろう。
僕がなるほどと思っているときに春日君はまた話し始めた。
「…それはさておいて、君はこのCPPEEに入りたかったんだろ? だったら君は昨日僕らを見つけだしたとき、その後ろをずっと追いかけていればよかったじゃないか。現にそうやってこの会に入った人間だっている。でも君は僕らが『行進』を終わらせた瞬間に周りを見回しても君らしき影はなかったけどなあ。
君は僕を目撃したらさっさと帰ったというのが真実じゃないのかい? それをどう説明するつもりなんだよ」
僕は唇を噛む。
もっともだ。あんなに時間があったんだからもっとよく考えておけばよかった。…こうなったら正攻法でやっていくしかない。
僕は彼の顔を真っ直ぐに見つめる。
「君らは本気で七月一日に殺し合いなんか起こると思ってんのかよ! そんなマンガみたいなことが現実になると信じてるのか!?」
春日君はまたフフフと笑う。
「起こる、起こらないじゃない。これは起こすものなんだ。だからこうやって皆に決起を促している。僕らの存在が世間に認識されれば、それだけ事が現実味を帯びる確立は上がってくるってもんさ。増して、あの予告は元々広く知れ渡っていたノストラダムスの大予言を利用したものなんだ。ただでさえ昔からこのときは人類が滅亡するんじゃないかとか騒いでたんだ。少なくとも小学生や十代の若者達は、ここまでおかしな話が飛び交っているんだ。確実に何かが起こると思い込んでいるさ」
春日君は勝ち誇ったかのようにいう。それを聞いて僕はついにこれを他人に話すときが来たと思った。
「その予告がデマだったとしたらどうなんだ?」
春日君は口をぎゅっと結んだ。
「それがデマだったとしたらどうするんだっていってんだよ」
春日君が「なんだコイツは!?」といった表情で僕を睨んでいる。脈があるかもしれない。
僕は大声でいってやった。僕の未だに自分でやったとは信じられないでいるあの“虚偽”を。
「あの予告はなあ、僕が広めたものだっていってるんだよ。こんな一介の人間が流したものだって知ったら、みんなそれを信用しなくなるんじゃないのか?」
春日君は少し驚いたような素振りを見せる。
いける。いけるんじゃないか!?
僕はそんな期待さえ胸に抱いた。
「その予告のデマを流した僕があの予告は間違いだったっていってるんだ。皆それに従うしかないんじゃないのか?
人間は生きていくのが当たり前なんだ。もっと現実を見ろよ!!」
しばらく春日君は何かを考える。
これで彼も事実に目を向けてくれるだろうか?
しかし、春日君は急に僕の予想とはまるっきり正反対の態度をとり始めた。
「だったら何だっていうんだよ。こちらはそのまま君の流したデマに沿って行動をするだけだ。
それにそんな変な噂話を世間に流したってことは、君にも多少の悪意はあったんじゃないのか? それを事が大きくなってから、大慌てで『なかったことにしてくれ』って叫び出すなんて、君のほうこそ物事をきちんと認識していないんじゃないのか?
一度ゴミとして捨てた懐かしいおもちゃを、時間が経ってから 『やっぱり本当は捨てるべきじゃなかった、取り戻さなきゃ』って思ったってもう後の祭りな事ぐらい君にもわかるだろう」
いわれてみればその通りかもしれない。
唯一の切り札も彼の前では通用しなかった。僕にはもう為す術はないかもしれない。
…だけど、だけど……
「…何で君たちはそんなふうに人類は抹殺すべきだなんて簡単にいえるんだよ」
僕は振り絞るような声でいった。春日君の態度は一向に揺らぐ様子はない。
「簡単さ、そもそも人間にはそんな価値なんかないんだ。人間は自分の都合だけで自然を破壊する。長年培ってきた自然を一瞬のうちに台無しにしてしまえる。環境保全なんて言葉を世界中で口にしたところで、次にその口から出てくるのは『未来の子供たちのために』……だ。結局、環境保全っていっても自分達がたった一つの住むことのできる星だからっていうのが最も重要なんだ。その環境を破壊したのは人間自身の癖に……」
「違う!!」
僕は叫んだ。
「僕が訊きたいのはそんな言葉じゃない。現実問題として君はそれでいいのかっていっているんだよ。
君には友達がいたのかい? 君にはかわいい彼女がいたことがあったのかい? 君は大切な人を守りたいと思ったことがあったのかい?
君は大事な存在をつくれないまま、人生をそのまま終えてしまうかもしれないんだ。君はそれでいいのかい?」
そういったあと僕は下を向く。それで春日君が心を開いてくれないとなったら……
「それがどうしたっていうんだよ」
彼の言葉に僕は体はビクッと動いた。
「大事な存在? なんだいそれは。そんなの単なるコロニーづくりじゃないか。
何人も寄って集って同じことをやることで自分達の良心や確かな知識さえも麻痺させる。
守る? 一体何をだよ。他人じゃなくて、自分だろ? 自分自身の間違っているとわかりながらも黙秘している良心じゃないのか? ただ、自分と同じように頑張っていない、間違ったことをしている人間達を見てただ安心しているだけじゃないのか?
奴らはその影で苦しんでいる人間がいるなんて知らないんだ! そんな奴らの仲間に入るなんて死んでも御免だ!! 奴らに報復を加えられるのであれば、僕は死んだって構わないさ」
春日君は全く動じていない。そんな春日君のことが僕は見れば見るほど不憫に思えてきてならなかった。
「でも、君もあの会に入る前は確かにそれを望んでいた筈だろ……?」
ここで初めて彼の表情が曇った。
「…な、なんだよ、てめえ、僕らにいちゃもんをつけに来たのかよ。てめえの目的は何なんだ? そんなに僕達のやることが気に喰わないってのか?」
僕は首を振る。
「僕は守りたいものがあるんだ。それはもしかすると君にとってみれば間違った良心でしかないのかもしれない。でもその存在がいることで確かに僕の心は安らぐんだ。
…そりゃ君らのように守りたいもののために人を殺そうなんて思えないし、自分の命を抛とうとも思えない。多分そこのところでは君らのほうが上さ。
でも、僕は守りたいんだ。それは僕の中で戦うことなんかじゃない。相手を傷つけてまで得られるものなんかない。互いの意見を尊重して、平和的に解決したいと思っているんだ」
「…だから、何だってんだよ」
ボロが見え始めた後も春日君はいまだに僕に突っかかってくる。
「だから、僕はなるべく多くの人に今自分の中に守れるものがあるっていうことにちゃんと気づいて欲しい。そのためにも僕は皆に殺し合いなんかして欲しくないんだ」
「………」
春日君の言葉が遂に詰まった。部屋のどこかを眺め、何か思いつめた顔をしている。
「…お前は僕に何を望んでいるんだ?」
春日君がそっぽを向いたままゆっくりと口を動かした。
「君が所属している会合、CPPEEだっけ? その本部がある場所へ行きたい。そこに行ってその会の会長に『殺し合いをやめさせろ』っていうんだ」
春日君は、この期に及んでもまだ僕より優位に立っているつもりで鼻で笑う。
「彼が君なんかのいうことを聞いたりするもんか」
彼、春日君は実際にその人物に会っている……
僕は強い決意を込めていう。
「やってみないとわからないだろ!!」
彼は僕の科白を覆い塞ぐようにいい放つ。
「わかるさ。なんなら行ってみればいいじゃないか」
僕は一瞬、その意味がわからずどういうことか考えて込んでしまった。
しかし、彼の続く言葉にやっと状況を把握できた。
「教えてやるよ。僕らCPPEEのアジトを。
そこで君の思考がいかに未熟かって事を思い知るがいいさ」




